人を幸せにする人になろう

1法人2大学

◆に移行しました。法人理事長は市大の前学長。職員カードが配られた。IC機能のついた旧職員証は職員証でなくなり、図書館への出入りなどのIC機能用としてシールが配布された。で、2枚をもてと。チップ入りの職員証を全職員に導入するには金もかかり、まあ仕方のないことなんでしょうね。
◆大阪市博物館協会も地方独立行政法人に移行し、大阪文化財研究所は切り離され、(財)大阪市文化財協会に戻った。これまた7日の選挙結果次第では、さらなる波をかぶるかも。
◆大学はどうなんでしょうね。2大学間で話を進めていても、1大学化は政治マターになるため、良くも悪くも、大学側の意向だけで決められない。

令和

◆4月1日の大騒ぎ。まず元号は、たしかどっかで法的に(弱いながら)復活させたのですよね、そして使うのは自由だったものが、公文書などでの使用義務が強化された。外務省が西暦でというと、反対にあいトーンダウン。元号に対する姿勢は、天皇制への姿勢であるわけです。中国に始まり、朝鮮・日本で採用されてきた元号、君主制をなくした本家や朝鮮ではなくなるが、縁辺の日本だけがいまも使い続けている。ま、文化的定着という見方は成立する。西暦という単純指標の方がわかりいいが、確かに切れ目がなく、昭和とか平成といえば、この日本では時代観を共有しやすい。あってもいいという見方。とはいえ、そこには近代以降の日本の過ちと悲惨な過去があり、天皇制が政治的に残っても、近代国家への反省にもとづく、戦前までのあり方とは一線を画すという姿勢があったはずである。あってもいいものであるとしても、使いたくないものである。
◆まず、できるだけ使わないことだ。そういう側の意見は、4月1日の新聞記事でもわずかでしたね。『市大日本史』とか『ヒストリア』の編集をやっていて、表記を考えてきた。江戸時代以前は暦が違うこともあって元号(西暦)、明治以降は西暦(元号)にしたりしてきた。ひとさまの原稿には手は入れられないが、合同調査の原稿ではそうしたりもした。自分の書くものでは元号は使わないが、合同調査の聞き取りとか、やはり昭和39年といった方が理解しやすい面があるので、併記するが、明治以降は西暦を先にするというやりかたである。
◆令、やはり上から下へということですよね。オカミの意向に従い和を維持する、と。自主独立、自治といった精神とは相いれない。日本的風景であろう。

こんなものがやたら

◆鳥取県博のミュージアムショップを覗くと、古墳関係のシールテープとかメモ帳とか、クリップ とか、そんなものがやたら商品化されている。喜ぶべきか・・・。

科研が通ったらしい

◆まったく時間がなく、数日で書き上げたものだが、通ったらしい。さて交付額は?。近年、研究費はあっても研究できない状態。が、やはり新規採択されると、めちゃうれしいもの。さっそくに作戦を立てる必要がある。
◆とはいえ、3月もバタバタで春休みはなく4月に突入し、月・火と雑用をひたすら片づけているが、なかなかヒストリアと市大日本史の作業にかかれません。

北栄町・由良台場

◆何度か湯梨浜の資料館に行き、橋津台場の写真を見る機会があった。今回、職員さんに質問すると、由良台 場がいちばん残りがいいと。いろいろもらってきたパンフ類をながめていると、いい写真があったのですが、今日は出てこず、ネットで拾いました。国史跡になるだけのことがありますね。ほぼ完存しているんでしょう。

鳥取2日目

◆倉吉はいつも雨。やはり伝建をゆっくりまわらず(近いうちにこれ目的 だけで来よう)。9時に博 物館。企画展示室で平成の30年間の倉吉という展示をしっかりやっていました。鋳物師の展示もあった。ちゃんと知らなかったが、道沿いに国史跡三明寺古墳の案内看板があり、立ち寄る。この石室もいいですよ(写真)。もうひとつ福庭古墳というのにも行くべきでした。 
◆そして北山古墳(東郷池を背景にした写真)。これ、倉吉駅前から東郷池に向かい、丘陵の西側に入口の標柱があり、車で上がれるようになっています。上には駐車場もあり、そこからは上りですぐ着きます。次に湯梨浜資料館で長瀬高浜の資料を見る。役所の生涯学習課に行き、開けてくださいというと、担当の方が出てこられ、対応いただく。展示室奥の倉庫部分も見せていただきました。その方と話をしていると、いま馬山4号は伐採してきれいになっているとのこと。そうでなくとも次に行くつもりであったが、現地に行くと確かにまるはだかでした。
◆そして青谷の上寺地。鳥取県博、鳥取県埋文センター、万葉歴史館、国分寺、そしてラストは旧美嘆水源地水道施設(シーズンオフで閉めてあったが)。
◆ほぼ予定通り、17時に出て、20時に天王寺に帰り着き、解散。

鳥取、ゼミ旅行

◆26日16時、天王寺のレンタカー屋集合。米子に向かう。ホテルに入り、 20時前、駅前の飲み屋に 入る。
◆27日、安来に向かい、造山古墳群→大成古墳→塩津山。和鋼博物館に向かうも休館。福市の考古資料博物館→米子市埋文センター(史跡福市遺跡脇の小学校)。雪をかぶった大山の遠景が美しい。
◆淀江に向かう。上淀の展示館、館長さんに案内 いただく(写真)。そこから学芸員の方に、石馬の収蔵庫を見せてもらい、上淀廃寺、それから向山古墳群。北端の前方後円墳岩屋古墳の石室に感動する(写真)。
◆妻木晩田に向かう。
◆倉吉に向かう。夕刻、上神大将塚、法華寺畑、国分寺、そして伯耆国庁を概観し、倉吉のホテルに入る。
◆飲みに出かけ、いい店かなと入ると3軒ともいっぱいで、ようやく4軒目のところに入る。

あっという間に新年度

◆3月25日、卒業式が行われた。前もってあれとこれを、と思いつつ、何も準備できず。午前の全学 全体の式は府立体育館でやり、15時から田中記念館で文学部・文学研究科の授与式があり、教室代表は演台に上がるようで、はじめて式に参列した。見ていて、にこにこしながら学位記を受け取ってくれる卒業生を見ると、とても喜ばしい気分になる。いえ、みんなぶすっとしているわけでは無論なく、みなまじめに前に出てきて受け取っているので、なんの問題もないのですが、ニコニコしていると気持ちいがいい、ということです。
◆今年の考古は、院生1名と学部生2名、みないい論文を書いてくれたし、盛り上げてくれた3人なので、いなくなると寂しくなる。新規メンバーを加えて、2019年度はまた新たなスタートです。
◆終了後に、ホールを出たところでパーティーがあるのだが、衣装の返却やら、歴史学なら夜の部の準備やら、そうでないところも卒業生同士の飲み会などの予定があって、写真のように準備されながら、最近は参加者が減っているようです。日本史の学生も数名しか残っておらず・・・。
◆夜19時からの歴史学合同の卒パ。なんとこれも、世界史の卒業生が半分?くらいしか出席していないのだとか。2次会も少な目でした。むろん、日本史の幹事はいつものように頑張ってくれていました。日本史のなかの一体感というのか、同級生が互いに刺激しあって授業に卒論に取り組む、ということそのものが課題になりつつあるご時世なので、世界史の同級生と、コースは違っても仲間というかつての雰囲気が失われつつあるようです。

北前船のパンフレット

◆岩瀬で閲覧用と別に積んであるものがあり、ちょうだい、といってもらってきました。

ラスト

◆そこから小矢部に行き、桜町の遺物をMさんに見てもらい、砺波の散居村の資料館に向かう。昼飯 は適当にと思って砺波市街でさがし、結局は道の駅に入ったのだが、昼の繁忙が過ぎた時間帯だったが、なかなか席が空かず、やや時間をロス。散居村の資料館はやめて、八尾に向かう。
◆八尾をゆっくりめぐりたかったが、新幹線の時間が16:18だったので、車でまわり、富山に戻る。車を返し、地鉄のところのアルビスで帰りの電車 のアテを買い込む。駅に行くと、白エビの天ぷらがあり買い込み、新幹線に乗る。金沢まではすぐ。
◆金沢に着こうとするところ、車両の中の掲示板で、乗るはずのサンダーバード42号が、大阪?の人身事故の関係で運行取りやめ、と出る!。
◆で、44号の指定を取り直してもらい、間2時間あるので、金沢駅で飲み屋に。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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