人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
この自由さを誰もがめざせる
◆40歳にして旅立つわけだ。医者という職能をもつ、ということも大きいだろうが。でも、みな、 自由であってよい。やることはやって、あとの時間をどう使うかは、一切自由、どう使うかは自分次第。とはいえ、上野千鶴子の東大入学式での祝辞、「あなたがたは勉強して東大に入っためぐまれた人、でもこの世にはそうでない人もあまたいる、そういう人のために能力を使え」と(ほんま、ええこと言いますね)。なので、みながそうできるかといえば、そうではないことは理解しつつ。
◆まあ、世間の人は、「あんたは自由にやっとるやないか」というのでしょうか。だとすれば、もっと自由に生きたいもんです。伊能忠敬ではないが、これからの人生で、別にでっかいことでなくてよい(人と比べることがいちばんダメ)、自分の気持ちの底になにかやりたいことがあるなら、やればいい。さて、あるかな~。学術研究に終わりはなく、なんぼでもやりたいことがある以上、別に旅立つ必要はないし。
◆まあ、世間の人は、「あんたは自由にやっとるやないか」というのでしょうか。だとすれば、もっと自由に生きたいもんです。伊能忠敬ではないが、これからの人生で、別にでっかいことでなくてよい(人と比べることがいちばんダメ)、自分の気持ちの底になにかやりたいことがあるなら、やればいい。さて、あるかな~。学術研究に終わりはなく、なんぼでもやりたいことがある以上、別に旅立つ必要はないし。
『考古学研究』で総会記事を
◆最新の『考古学研究』が来る。梅田墓の記事がありましたね。また医学部の人骨が100体くらい増える・・・。
◆総会資料を見る。会員減111名で、2700人代になっている。減少が頭打ちになりませんね。毎年100人余りの減少。大歴も10減だっかかな。まあ購読団体を含めて1200弱の規模ですが。まあ、現状維持ではある。
◆総会資料を見る。会員減111名で、2700人代になっている。減少が頭打ちになりませんね。毎年100人余りの減少。大歴も10減だっかかな。まあ購読団体を含めて1200弱の規模ですが。まあ、現状維持ではある。
『書陵部紀要』70号
◆2019年3月刊行の『書陵部紀要』をざっと見る。2017年度の事業報告。大仙の予備調査とウワナベの墳丘表面調査の報告がある。2018年夏、毎日、久津川へ通う道すがら、ウワナベ古墳の下段がきれいになっていると思っていたが、前年度の調査のために伐採などをやったのでしょう。
◆一方の2017年の大仙の予備調査、昨年2018年の陵墓懇談会の時に話は出たのかな。2018年秋の3本のトレンチ調査の積算のための調査であると。
◆一方の2017年の大仙の予備調査、昨年2018年の陵墓懇談会の時に話は出たのかな。2018年秋の3本のトレンチ調査の積算のための調査であると。
芦屋の阿保親王塚
◆6月30日は大歴大会で関大に行く。Hさんから、『書陵部紀要』で阿保親王塚の報告があると聞く。埴輪列が出 ているとも。で、調べてみました。ふつうに考えれば方墳でしょう(造り出しとか陸橋はあるかもしれないが)。で、三角縁が4面、いずれも波文帯(陳孝然作は所在不明なんですね)。
◆この鏡、『兵庫県史』の時に撮影に行ったはずだが、なにも覚えていません(1990年、いまから29年前のこと)。埴輪も前期じゃないかも、とのこと。鏡が3末、で、古墳の年代はというところだ。佐紀段階くらいなら、なんとかなるか。新山や佐味田のようにストックしてきた鏡を、その地域で初めて古墳を造る時に、どばっと蔵出しして入れてしまう。まあ、埴輪の様相次第ですかね。ヒル塚あたりなら、と。
◆この鏡、『兵庫県史』の時に撮影に行ったはずだが、なにも覚えていません(1990年、いまから29年前のこと)。埴輪も前期じゃないかも、とのこと。鏡が3末、で、古墳の年代はというところだ。佐紀段階くらいなら、なんとかなるか。新山や佐味田のようにストックしてきた鏡を、その地域で初めて古墳を造る時に、どばっと蔵出しして入れてしまう。まあ、埴輪の様相次第ですかね。ヒル塚あたりなら、と。
難波京
◆1921年の1万分の1でやっている。大阪の場合、1961年の航空写真地図だと、区画整理が進んでし まっている。明治の大阪実測図は、より古いが精度は怪しくなろう(むろんそれでもやった方がいいのだが、大阪実測図は後の編集物の複製の画像しかもっていない)。
◆とはいえ、1921年の図、単純に貼り合わせてもズレがある。なので、1961年の1万分の1は1キロのメッシュが切ってあるので、それで寸法を確定させて貼り合わせる。それをベースにして、1921年図の図幅を重ねて位置合わせをやった。これが昨日。古い地図はすばらしいが、精度となると限界がある。GISを扱えないし・・・。なかなか信頼できる数字の議論が難しい。どうしても、微妙な傾きもあるし、地図上ちゃんと 四角になってるのか、むろん画像のゆがみもある。PC上でのつなぎの問題もある。道路痕跡をなぞっても、そもそもベースマップが・・・、という問題を抱えているわけだ。
◆まあしかし、地図もだましだまし修正しながら、条坊痕跡を書いていっている。いまや条坊研究は発掘データでの議論が中心となっているが、難波京では、これまで痕跡を明瞭に図示したものがあったのだろうか。やっていくと、北田辺・南田辺とか、南の方でも、条里とはいえない正方位地割があるんですね。条里は条里で書き込み、それとは違うと示せればいいんですけど、条里を描くとなると大変(1921年図は田の区画が細かくない)。こういうのも、35.2㎝・35.4㎝・35.5㎝で微妙に変わってしまうわけで、しんどいですね~。I君の研究を尊重し、35.4㎝の水色メッシュにしましたけど。
◆で。いま推定されている条坊の範囲を南に延ばすと、それに乗ってくる地割がありますね、と言ったところで、さてどうする。事実関係を示すことがまずは大事なんでしょうが。脳みその処理能力を超えています。
◆歴史地理の先生がほしい。
◆あと、新参者は先行研究に弱い。だれが何と言っているのか・・・
◆とはいえ、1921年の図、単純に貼り合わせてもズレがある。なので、1961年の1万分の1は1キロのメッシュが切ってあるので、それで寸法を確定させて貼り合わせる。それをベースにして、1921年図の図幅を重ねて位置合わせをやった。これが昨日。古い地図はすばらしいが、精度となると限界がある。GISを扱えないし・・・。なかなか信頼できる数字の議論が難しい。どうしても、微妙な傾きもあるし、地図上ちゃんと 四角になってるのか、むろん画像のゆがみもある。PC上でのつなぎの問題もある。道路痕跡をなぞっても、そもそもベースマップが・・・、という問題を抱えているわけだ。
◆まあしかし、地図もだましだまし修正しながら、条坊痕跡を書いていっている。いまや条坊研究は発掘データでの議論が中心となっているが、難波京では、これまで痕跡を明瞭に図示したものがあったのだろうか。やっていくと、北田辺・南田辺とか、南の方でも、条里とはいえない正方位地割があるんですね。条里は条里で書き込み、それとは違うと示せればいいんですけど、条里を描くとなると大変(1921年図は田の区画が細かくない)。こういうのも、35.2㎝・35.4㎝・35.5㎝で微妙に変わってしまうわけで、しんどいですね~。I君の研究を尊重し、35.4㎝の水色メッシュにしましたけど。
◆で。いま推定されている条坊の範囲を南に延ばすと、それに乗ってくる地割がありますね、と言ったところで、さてどうする。事実関係を示すことがまずは大事なんでしょうが。脳みその処理能力を超えています。
◆歴史地理の先生がほしい。
◆あと、新参者は先行研究に弱い。だれが何と言っているのか・・・
で、2019年6月29日
◆中尾論文集の仕上げにかかる。が・・・。唐尺の29.6㎝とか29.7㎝が、まあ8世紀の安定した数字だろうが、高麗尺35.5㎝というのはこれにもとづく6/5なんですよね。唐尺でも難波宮が29.2㎝というように、7世紀代の高麗尺がなんぼなのかは実際にはわからない。35.5㎝で安定しているかもしれないが、変化があるのかもしれない(6世紀代の横穴式石室を分析する際もすべて35.5㎝を使ってきたが)。
◆しかし、横大路上の南北3道の間隔が1000歩というのはまあいけると思われるわけだが、岸先生は地形図で2118mを読み取って立論。これでいくと35.3㎝なんです。で、グーグルアースとか、国土地理院のデータで、ネット上で計測すると、それより短くほぼ2111mくらい。これでいくと35.2㎝。I君が四天王寺東門の座標などから難波京で求めた数字は、35.4㎝です。
◆論文で、飛鳥寺・百済大寺・山田寺の中心伽藍を35.5㎝の歩数メッシュでやっていたのを、急遽、35.2㎝メッシュにやり直す(難波宮29.2㎝を尊重)。3寺院の回廊南北幅はすべて40歩だが、このくらいの距離でも3mm違うと微妙な差が出る。論旨には影響はないが、気持ちが悪い。35.5㎝の方が割りとピッタリだったので。
◆これが京域とか数キロになってくると、どうしようもなくなる。この辺は、頭のいい方法論が必要ですね。標準的な寸法で除して、1000歩といったようにキリのいい設計寸法が想定されるものから、逆に1尺を算出する。こうした事例を蓄積して、偏差やばらつきを押さえ、平均値を設定する。それで初めて、たとえば7世紀中頃はとか、7世紀後半の高麗尺は、という議論が成立する。
◆とはいえ、論文の〆切は過ぎており、どう組み立て直すか。35.5㎝と35.2㎝では、内裏南門中心点から、宮城南門までの距離が180歩とみていたものが185歩になってしまう。ああ、書けない・・・。
◆しかし、横大路上の南北3道の間隔が1000歩というのはまあいけると思われるわけだが、岸先生は地形図で2118mを読み取って立論。これでいくと35.3㎝なんです。で、グーグルアースとか、国土地理院のデータで、ネット上で計測すると、それより短くほぼ2111mくらい。これでいくと35.2㎝。I君が四天王寺東門の座標などから難波京で求めた数字は、35.4㎝です。
◆論文で、飛鳥寺・百済大寺・山田寺の中心伽藍を35.5㎝の歩数メッシュでやっていたのを、急遽、35.2㎝メッシュにやり直す(難波宮29.2㎝を尊重)。3寺院の回廊南北幅はすべて40歩だが、このくらいの距離でも3mm違うと微妙な差が出る。論旨には影響はないが、気持ちが悪い。35.5㎝の方が割りとピッタリだったので。
◆これが京域とか数キロになってくると、どうしようもなくなる。この辺は、頭のいい方法論が必要ですね。標準的な寸法で除して、1000歩といったようにキリのいい設計寸法が想定されるものから、逆に1尺を算出する。こうした事例を蓄積して、偏差やばらつきを押さえ、平均値を設定する。それで初めて、たとえば7世紀中頃はとか、7世紀後半の高麗尺は、という議論が成立する。
◆とはいえ、論文の〆切は過ぎており、どう組み立て直すか。35.5㎝と35.2㎝では、内裏南門中心点から、宮城南門までの距離が180歩とみていたものが185歩になってしまう。ああ、書けない・・・。
2019年6月28日、はびきの世界遺産講座
◆頼まれて1回やることに。知らないうちに近づいている。26日の水曜日の夜に、なんとか資料は提出。自分の研究が適当なも ので、ちゃんとやっていないから、こういう図も、やり直したりする。
◆当日はLICで15時から。大学に行き、G20でガランとしているなか、パワポの準備をし、12時半くらいに出たのかな。阿部野橋から南大阪線で古市へ。Tさんに迎えに来ていただき、車でLICまで。スライドを絞ったつもりだったが、最後すっとばしでも10分ほどオーバーとなる。ああ、またあかんかった・・・。
◆スライドに使ったこの誉田御廟山古墳の写真、原本を実家からもってきたんだけど、研究室内で 埋蔵文化財となり、スキャンをやり直すことができなかった。
◆当日はLICで15時から。大学に行き、G20でガランとしているなか、パワポの準備をし、12時半くらいに出たのかな。阿部野橋から南大阪線で古市へ。Tさんに迎えに来ていただき、車でLICまで。スライドを絞ったつもりだったが、最後すっとばしでも10分ほどオーバーとなる。ああ、またあかんかった・・・。
◆スライドに使ったこの誉田御廟山古墳の写真、原本を実家からもってきたんだけど、研究室内で 埋蔵文化財となり、スキャンをやり直すことができなかった。
免停短縮の講習
◆G20で6月27日(木)と28日(金)が休講となる。木曜日の院演習だけはやるつもりにしていたが、発表者が わかっていなかったことが判明し、おとなしくやめることにする。なので、1日ぽっかり体があき、27日、免停講習に行く(原則は連続する2日)。1万9500円なり。阪神高速の制限速度が60キロなため、大阪府にはガッポガッポと講習料収入が入る。情報開示請求で、オービスの月別摘発件数を知りたいものだ、と考えていた。
◆実際には連続する2日を取れない者もいるため、申し出て、別の日に予約することも可能。これしかなく、2日目の7月の予定も入れておいた。
◆で、1日目の講習だが、ペーパーの適性検査とかをやるわけです。升目に三角形を書き続けるとか・・・。これがね~、自分の劣化がよくわかる。集中力なし、スピーディー観なし、トホホです。前の免停は2015年だったか?、その時のデータと突き合わせたら、衰えが明瞭でしょうね。人間ドックだったら、前回との比較もしてくれるんですけど。
◆まあそんなんで、6月27日の木曜日、京阪古川橋駅からバスに乗り、運転免許試験場に行ってきました。
◆実際には連続する2日を取れない者もいるため、申し出て、別の日に予約することも可能。これしかなく、2日目の7月の予定も入れておいた。
◆で、1日目の講習だが、ペーパーの適性検査とかをやるわけです。升目に三角形を書き続けるとか・・・。これがね~、自分の劣化がよくわかる。集中力なし、スピーディー観なし、トホホです。前の免停は2015年だったか?、その時のデータと突き合わせたら、衰えが明瞭でしょうね。人間ドックだったら、前回との比較もしてくれるんですけど。
◆まあそんなんで、6月27日の木曜日、京阪古川橋駅からバスに乗り、運転免許試験場に行ってきました。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。