人を幸せにする人になろう

淡輪からみた明石海峡

◆朝、毎日、防潮堤まで行き、明石海峡の写真をねらっていました。これは13日朝です。結局、こ れがいちばん明瞭でした。波は荒れていました。

2019年3月16日、西陵

◆今年の最終日。わたし・阿部・大澤・山﨑・吉田・上野・太田。
◆2班。前方部東チーム(大澤・上野・太田)は、渡土手の水路部の続きから、外へと出ていく。前方部西チーム(阿部・山﨑・吉田)は、堤の右下の「く」の字部分。大元の基準点と、新設1点、この2点で見える範囲を伸ばし、堤の内側・外側をできるだけ測点を取ってつないでいく。

2019年3月15日、西陵

◆わたし・阿部・大澤・山﨑・吉田・合田・上野・太田
◆わたしとテジョンは、渡堤の外への基準点設定。それを終えて10:30前には現場を離れ大学に。そのあとは、結局は2班体制だったようだ(3台は動かず)。16:30くらいには現場に戻ったか。
◆12時から大学ミュージアムの打ち合わせ、13時から15時過ぎまで履修プログラムの希望者の面接をやっていました。

2019年3月14日、西陵

◆わたし・阿部・大澤・山﨑・吉田・合田・上野・太田。
◆後円部は大澤・合田・上野、前方部西は阿部・山﨑・吉田。わたしとテジョンは午前中いっぱい、前方部西北隅角部や、そこからまわってきた前方部前面の伐採やシダ類の刈り払い。午後も、後円部班が、前方部東稜線にやってきたので、そのあたり一帯の伐採をする。その後、前方部東辺の第3班目を動かし、完了する。

2019年3月13日、西陵

◆自分・阿部・大澤・山﨑・上野・太田。
◆最初、前方部東側の基準点2点、次いで後円部の基準点1点の打設、測量。こういうのは、最初にマシンを立てた時に次の1点を打っておく、ないし前日の終了の手前で、明日にむけての手を打っておくべきこと。まあ、こういうことも修行です。前方部東はわたしとテジョン、後円部は大澤・上野、前方部西は阿部・山﨑、この2人3班で進める。無理もあったかもしれないが、それぞれ躍進する。

2019年3月12日、西陵

◆阿部・大澤・上野・太田・山本。
◆わたしは大学入試の試験監督終了後に合流。レンタル機器の内部バッテリーがだめとのこと。置いてきた外部バッテリーに切り替えるため、結局、また大学に取りに戻る。最初はなかなか軌道に乗るまでたいへんです。

西都原2019

◆今年も行ってまいりました。横穴墓の確認調査。酒元より南のやはり西に落ちる谷斜面に連続し てならぶ。それと埴輪をもつ方墳101号の整備工事を見ました。
◆博物館では縄文土器の展示を見た。また探査のパネル展示をやっており、興味深く見て回りました。新羅・月城の探査、これはすごい。

住吉区の魅力PR事業

◆のことは、書きたいこともありますが、守秘義務にひっかかりそうなのでやめときます。住吉区   役所に、いくつかチラシやマップがあったので、もらってきました。そのうちのひとつに、近世の村の範囲を色分けしている絵図があり、興味深く見ました。
◆東側の横長短冊の村の範囲はどうやって決まってきたんでしょうかね。東が我孫子台地で高く、西に低いことを考えると水利でしょうか。前に1万分の1の地図をいじったが、それでわかるかな。

土 記事№4700

◆しばらく前に読んで、内容は忘れちまった。土とは何か、土壌とは何か、そこから始まる。日本 のたんぼ・畑の豊かな土壌をもっと大事にすべきですね。長い年月かけてできあがったもの、失ったものは、なかなか回復しない。たとえば、農地転用で住宅地になるとする。その耕土は転用するとか、もっと考えられてもいいかも。客土しパックされて下に残ったとして、人口減少で更地に戻す場合、客土を除けば再び耕土として使えるんかな~。大真面目に、いずれ100億人に達する世界の人たちを食わせていくための土を探っている。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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