人を幸せにする人になろう

2019年3月24日、続

◆翌日もアバウトぷらんで、また高岡へ。今度は山町筋の方。重文になっている建物に初めて入  り、前にも来たことのある土蔵資料館と、公開されているのはこの2つだった(いずれでも丁寧に説明してもらった)。そこに2017年に、山町ヴァレーなるものが新たに登場してきた。八の蔵までのそれぞれが個性的な活用が図られている。また外観は土蔵作りの御車会館が新たにでき、5月1日の祭りに関する公開施設もできている(入口のところの物販のエリアだけしかのぞいていないが)。そしてまた今度、近代建築の銀行が移転するので、レンガ作りのその建物を公開用に転用するとのこと。
◆土蔵資料館のところで話を聞いていると、昭和60年代に街並みのボランティア活動を始めた時にはまだ200軒ほどの黒壁の町家が残っていたのだとか。ちなみに明治期に防火のために定められた土壁の建築基準ができ、その直後の明治33年に高岡の大火があり、一斉にそうなったのだとか。ところが、200軒がいまは48軒という(枚方宿を思い出していた)。なお、前田の殿さんが車2つの御車を下賜され、それを高岡の町に与え(なので高岡のは御車というのだそうな)、そこから4輪のヤマが加わり、7つの山車となっているそうだ。

夜は

◆16時ごろに富山に戻るというアバウト予定だった。せっかくだしアクセク回ることははじめから するつもりはなく、高岡金物町でコーヒーなど飲んでいると、1時間ほどずれこみそう。また岩瀬で買ったお酒を昼食の店で忘れ・・・、取りに戻ったりして、宿に入ったのが17時。チェックインして。待ち合わせの富山駅前CICにたどりついたのは17:30。大画面のモニターで大相撲14日目をみなさん見ていました。そこで富山の白エビやらホタルイカの刺身、そして地酒で楽しくやりました。終了後は・・・。

高岡へ

◆そこから高岡の金屋町へ。高岡の城下町を作る際に、砺波郡の鋳物師集団を川向うに住まわせた ものという。そして元をたどれば河内鋳物師につながるという。江戸期に全国の金物の名産地がいくつか成立するのだろうが、今日では、ここ高岡が存続し、特殊な製品のシェアはかなりのものになるという。鋳物師集団につながるひとたちが、まださまざまな金属製品を作っており、歩いていると「釜師」といった看板がある。鉄釜・鉄瓶か ら、仏具とか、風鈴まで、またもっと今日的な装飾品まで、さま
ざまなものを店頭販売しているところもある。

2019年3月23日、富山

◆昨年に引き続き、富山に遊びに行く。昨年行けなくなったMさんも、今回は参加。大阪7:40発、京 都でMさんも乗り込み(眠そう・・・)、金沢までサンダーバード、富山着は11時。
◆JR+ホテル+レンタカーで1人2.2万円。レンタカーに乗り、まずは岩瀬。
◆昨年は森家住宅を見て回る余裕がなかったので、そこから。北前船の寄港地で船主集落とある。まちのしかるべき場所に空き家があれば、ガイダンス的なものを作ってほしい。重文になっている森家住宅では、館長さんが別団体に解説しているのに合流したが、まあいかに贅をこらした立派な建築であることや、ナンバー1が馬場家で、ナンバー2が米田家で、ナンバー3が森家なんだ、といったことを語ってくれるが、岩瀬全体の説明は、 合流前の冒頭にあったのかもしれないが、あまり聞かれなかった。それと飲食店がちょっとはほしい。和菓子屋さんや、地元、満寿泉のみならず手広く日本酒その他を扱っている酒屋さんがあり、いくつかのぞいてみて回るところはあるが、こじんまりとした感じ。あまり観光地化されていないのはよいことなのだろうが、少しずつ環境整備を進めてはどうだろうか。
◆結局、満寿泉の酒造所の横に、昨年、建築中だった新しい飲食店に入り昼食。古い町屋ではない新築のものだが、これはこれで、日本酒やビールの飲み比べメニューなどがあり、お客さんがよく入っていました。

磐井と全羅南道の前方後円墳

◆武寧王と継体王の時期であるが、実際に動いているのは磐井。九州あちこちの石室ですからね。 なるほど。柳沢先生にいつも岩戸山古墳について教えてもらっています。新しくなった資料館にも行ってみたい。

2019年3月21日、和泉市府中遺跡シンポ

◆昨年に引き続き呼ばれ、発表はしないが、討論のところのパネラーとして参加しました。
◆弥生Ⅳは250年間もあるという!。Ⅱ・Ⅲは短いと。Ⅳを区分しないと展開が追えないですね。ところが和泉では櫛描の直線文・波状文も、簾状文も、凹線文も、同時にあるのだとうか。で、一括性が疑われていたが、実はそれが実際なのだと。
◆Ⅳに府中でも集落ができるが、やはり後期には衰退するという。庄内からまた居住が認められるようになるが散発的、4世紀に入って居館的なものができて充実する。それは前半なのか後半なのか、顕在化するのはやはり4世紀後半かもしれませんね(和泉の前期古墳の出現とパラレル)。で、 5世紀にはいると、渡来人も定着して集落はさらに発展する。が、中心地点は移動しているのではないかという話を聞く。このへんのところ、去年も聞いていたとしても、すっかりわすれている。和泉市史にも書いてないし・・・、こちらにはほぼ情報がありません。
◆そのあとも、6世紀前半まではいくのかとか、興味はつきないが、今回の議論は弥生から古墳のところでした。
◆終了後、戻って仕事をしようと、いろんなものを研究室に置いていましたが、懇親会があり、飲みに行きました。若手2人と話ができ、もちろん森岡さんがおられ、実に楽しく話ができました。店もよかったです。

2019年3月22日、春休みはない

◆しばらく前までは、2月25日入試の採点業務が終われば、3月は春休みといった風であったが、今年ははや20日を過ぎ、4月がそこまで来ている。が、なかなか日常の雑事が片付いていかない。今日はめいいっぱい片づけて、しまいたい。
◆今日は自分の誕生日です。

野村克也ベースボールギャラリー

◆ノムさんは網野出身。峰山高校だとか。旧網野町時代にトロフィーとか既に寄贈を受け、ガラス ケースに飾ったりしていたようだが、昨年、アミティの1室に本格的な展示室をオープンさせたもの。昼休みにはじめて見学しました。

2019年3月19日、網野委員会

◆朝7:30に出て、10時頃には着いたか。現地。後円部のトレンチから、くびれ部へ向かう。2018年 度は後円部トレンチの残りがすこぶるよく、それを仕上げることに集中し、写真のくびれ部トレンチは、2019年度に改めて行う。
◆午後は会議。台風災害の対応が優先で、2018年度の整備は繰り越しとなり、全体計画を少し後ろにずらすことになる。地元委員のみなさんと意見をかわせたのはよかった。わたしとしては、租地元での活用の話をスタートさせてくれと依頼。むかしは神社の祭礼で明かりをともして集まったとの話も出る。是非、年1回くらいは電飾してもいいのではないか。

2019年3月10日、KR研

◆でした。この整理もしないといけませんが・・・。
◆このあと送別会。

プラグイン

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索