人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
いくつか
◆ほんとうに偉い人は、若い人の発表も含め、常に学ぼうとする謙虚さをもつ。
◆サクセスはサクシード。
◆どこそこのインターンシップに行ったことを履歴書に書くためのインターンシップの無意味さ。
◆サクセスはサクシード。
◆どこそこのインターンシップに行ったことを履歴書に書くためのインターンシップの無意味さ。
鶴橋駅の努力
◆いや~外国人を含む観光客が多く、鶴橋のコリアタウンに行く人も増えているんでしょうね。環 状線鶴橋で降りて、目の前に改札口があって、普通の人は出口と思うが、それは近鉄乗り換え口なわけです。鶴橋駅を出ようとするとホームの階段を下に降りないといけない。まだ切符の時代も、JRの切符に続いて近鉄の切符を2枚入れないといけなかった。いったん出て乗り換える鉄道の改札に入る、のではない直接の乗り換えは阪神圏ではどこまであるんでしょうね、東京のことはよくわからんが、まあ少ないのでしょう。最初に鶴橋駅 を利用したのがいつだったか、覚えているわけもないが、大昔、そもそもそれがわからんかった。
◆それで、JR出口に、こっちが出口!、というのがまずこれでもかというように注意喚起が始まる。そして目の前の自動改札の手前の床に、近鉄乗り換え口であるという広大なシールが貼られたのは、たぶんこの1年以内だったと思う。今朝、その写真を撮りました。
◆それで、JR出口に、こっちが出口!、というのがまずこれでもかというように注意喚起が始まる。そして目の前の自動改札の手前の床に、近鉄乗り換え口であるという広大なシールが貼られたのは、たぶんこの1年以内だったと思う。今朝、その写真を撮りました。
2019年3月5日、もろもろ
◆10:30から文化人材の会議。なんか、いろいろやっていくことになりそう・・・。博物館基本構想で書き込んだことの前倒しで、文学研究科の履修プログラムが始まるかもしれない。
◆13時から展示業者との顔合わせ。14:30から生活科学部の建築の先生と、展示室の基本設計のことなどで打ち合わせ。15:30から工学部の先生のところの資料調査に同行。
◆帰ってきて、もう疲れています。
◆明日は、午前に大学史運営委員会に出て、午後は前に書いた仕事で住吉区役所。まあ、なかなか春休みとはなりません。
◆13時から展示業者との顔合わせ。14:30から生活科学部の建築の先生と、展示室の基本設計のことなどで打ち合わせ。15:30から工学部の先生のところの資料調査に同行。
◆帰ってきて、もう疲れています。
◆明日は、午前に大学史運営委員会に出て、午後は前に書いた仕事で住吉区役所。まあ、なかなか春休みとはなりません。
2019年3月3日おひなさま
◆朝、8時に出て和歌山に行く。前に今井町の話をしたが、実は妹が今井町で店を始めたのである。今日はそ こに案内し、また紀美野町に送っていき、そこから加古川に向かうことになる。せっかくなので、こんにゃく村でレモンを買い、ホームセンターで店に置く植物を見繕い、11時過ぎに今井町に行く。が、閉まっていた・・・。水・木・金・土・日の営業、11時~、と聞いていたが、引っ越しやら母親のこともあり、日曜日は不定期としていたのでした。妹にメールすると加古川でした。
◆それなら和歌山の母を連れて加古川に行ってしまえ、ということで、今井町の店で昼を取り、加 古川に向かう。着は13:30くらいだったか。やはり高速道路もすいている。
◆母親同士は同じ年齢で、ず~と話を。次に、家のレイアウト変更をやる。今のベッドを南に移し、げた箱を玄関に戻し、南の部屋にあった本棚を解体し、本を除去する。広くなった今にコタツを配置する。これで満足か!。それから晩御飯の 買い物に行き、カミさんは晩御飯の準備をしてくれる。姉もやってきて、オレは勝手口の片づけをはじめ、兄弟3人でいらんもんを捨てごみ袋を4つくらい作り、板類をまとめ、雑多なものも捨てと・・・。まあ、いろんなものがとにかく取ってあるわけである。勝手口のところは、風呂場の脱衣所にもなっており、前からできるだけすっきりさせたかったのである。今週は、そこを片付けることを課題とすることにしていた。まだまだではあるが、少々片付いたか。
◆18時食事、19時には家を出て、紀美野町着は21時、そこから妹を香芝まで送り届ける。これが22:30くらい?。家に着いたのは23時。
◆すいません、個人的な記録です。この間のいろんな経緯をメールをもとに記録しておかなければ、と思いつつできてません。こんな記事が今後も続きます。
◆そう、19時頃、ケアマネさんから電話が入り、和歌山の施設に入っている岳父が熱を出し、病院にむかっているとの連絡が入り、入院することになる。
◆それなら和歌山の母を連れて加古川に行ってしまえ、ということで、今井町の店で昼を取り、加 古川に向かう。着は13:30くらいだったか。やはり高速道路もすいている。
◆母親同士は同じ年齢で、ず~と話を。次に、家のレイアウト変更をやる。今のベッドを南に移し、げた箱を玄関に戻し、南の部屋にあった本棚を解体し、本を除去する。広くなった今にコタツを配置する。これで満足か!。それから晩御飯の 買い物に行き、カミさんは晩御飯の準備をしてくれる。姉もやってきて、オレは勝手口の片づけをはじめ、兄弟3人でいらんもんを捨てごみ袋を4つくらい作り、板類をまとめ、雑多なものも捨てと・・・。まあ、いろんなものがとにかく取ってあるわけである。勝手口のところは、風呂場の脱衣所にもなっており、前からできるだけすっきりさせたかったのである。今週は、そこを片付けることを課題とすることにしていた。まだまだではあるが、少々片付いたか。
◆18時食事、19時には家を出て、紀美野町着は21時、そこから妹を香芝まで送り届ける。これが22:30くらい?。家に着いたのは23時。
◆すいません、個人的な記録です。この間のいろんな経緯をメールをもとに記録しておかなければ、と思いつつできてません。こんな記事が今後も続きます。
◆そう、19時頃、ケアマネさんから電話が入り、和歌山の施設に入っている岳父が熱を出し、病院にむかっているとの連絡が入り、入院することになる。
2019年3月2日(土)、採点中
◆博物館概論の採点中。むろん修了予定者分は済ませている。ユニパなるものが整備され、ネット上でのシラバス入力が始まった。導入は2018年前期の途中で、成績入力も2018前期から始まっている。私学に比べると遅いのでしょう。前年度まではまだマークシートでした。その関係で、採点〆切が3月6日まで伸びたわけである。卒業予定者の〆切が2月19日。試問や院試もあり、2月中旬にぜんぶ終わらせたいと思っていたが、結局はぎりぎりとなっている。明日はまた親のところに様子を見に行くので、今日中に!。
◆博物館基本構想をまとめる上で、博物館の科目をもって勉強してきたことが大きく反映していることを感じる。試験の3問目は、「市民とともに創る博物館」のアイデアを書け、というもの。採点しながら、メモも取っている。
◆昨日の徹先生の送別会で、浩一先生がこのブログで市大の様子をながめているとのこと。そういう役割も果たしているんですね。なるべく歴史学の状況をお伝えするようにします。今年度、秋の旅行が参加者低迷で見送られました。このところ、こうした行事をなかなか学生が主体的にプランニングできなくなり、一方で学生らも部活にバイトが優先で参加者が低迷し、以前のようには成り立たなくなっている。国文でもほぼ同様に、春にハイキング、秋は泊りがけでやっていたが、秋も日帰り見学になった話が紹介されていた。
◆今年度、東洋史と西洋史の先生が退任されるが、後任人事は早期募集の結果、夏には確定した。お2人の先生は、しばらく前から研究室の片づけを続けておられ、徹先生も15日にはほぼ最終的な荷物出しの予定ということだった。次年度は日本史の後任人事があり、いま動き始めています。
◆博学連携のシンポで河内鋳物師をやりたいと宣言しており、そのプランを3月6日に出せと言われ、トホホですね。久津川の今年度図もあるし。
◆西陵、今年は11日から16日の予定。頭数はどうなったかな。準備は万端なはず・・・。
◆富山に遊びに行く準備もちゃんとやりました。
◆博物館基本構想をまとめる上で、博物館の科目をもって勉強してきたことが大きく反映していることを感じる。試験の3問目は、「市民とともに創る博物館」のアイデアを書け、というもの。採点しながら、メモも取っている。
◆昨日の徹先生の送別会で、浩一先生がこのブログで市大の様子をながめているとのこと。そういう役割も果たしているんですね。なるべく歴史学の状況をお伝えするようにします。今年度、秋の旅行が参加者低迷で見送られました。このところ、こうした行事をなかなか学生が主体的にプランニングできなくなり、一方で学生らも部活にバイトが優先で参加者が低迷し、以前のようには成り立たなくなっている。国文でもほぼ同様に、春にハイキング、秋は泊りがけでやっていたが、秋も日帰り見学になった話が紹介されていた。
◆今年度、東洋史と西洋史の先生が退任されるが、後任人事は早期募集の結果、夏には確定した。お2人の先生は、しばらく前から研究室の片づけを続けておられ、徹先生も15日にはほぼ最終的な荷物出しの予定ということだった。次年度は日本史の後任人事があり、いま動き始めています。
◆博学連携のシンポで河内鋳物師をやりたいと宣言しており、そのプランを3月6日に出せと言われ、トホホですね。久津川の今年度図もあるし。
◆西陵、今年は11日から16日の予定。頭数はどうなったかな。準備は万端なはず・・・。
◆富山に遊びに行く準備もちゃんとやりました。
2019年3月1日、徹先生パーティー
◆早くも3月1日です。28日は大阪府高齢者大学校で話をして、午後、博物館の打ち合わせ。高齢者大学校・・・。今度は大阪自由大学なるマスコミOBの会で話をせよとの相談、勘弁してくれ~、と逃げている。
◆博物館の打ち合わせ。来週は丹青社さんに来てもらい、相談に乗ってもらうことになった。今後 も、まるまる投げるような予算はつかないので、こっちで準備しつつ、時々相談にのってもらうというところか。生活科学の先生に展示デザインの件で入ってもらうことになっており、卒業生で展示業者に就職した者がいるかと尋ねたら、いそうです。毎週、2時間以内くらいだが、コアメンバーで打ち合わせをして、少しずつ進んでいく感覚がある。ちょうどこの日、作ってきたカラー冊子が納品されたので、1部もらってきた。
◆夕刻、今年度で退職される東洋史の先生との送別会が行われる。わたしの赴任が2000年で、徹先 生が2001年で、一時期、同じ上野芝の宿舎にいた。中国の大学との交流が一気に進み、COE以降の文学研究科の活動において重要な役割を果たされた。その後、文学研究科長、副学長までなられ、研究させてくれと、退職前の1年、文学研究科に戻られた。それにしても、これはという人材に、引き続き大学の教育・研究に携わってもらうことができないのは、もったいないと思う。アメリカではやめるというまで大学教授は居続けるという。せめて65定年、70までは特任、といった制度をもう少し拡充すべきではないだろうか。
◆博物館の打ち合わせ。来週は丹青社さんに来てもらい、相談に乗ってもらうことになった。今後 も、まるまる投げるような予算はつかないので、こっちで準備しつつ、時々相談にのってもらうというところか。生活科学の先生に展示デザインの件で入ってもらうことになっており、卒業生で展示業者に就職した者がいるかと尋ねたら、いそうです。毎週、2時間以内くらいだが、コアメンバーで打ち合わせをして、少しずつ進んでいく感覚がある。ちょうどこの日、作ってきたカラー冊子が納品されたので、1部もらってきた。
◆夕刻、今年度で退職される東洋史の先生との送別会が行われる。わたしの赴任が2000年で、徹先 生が2001年で、一時期、同じ上野芝の宿舎にいた。中国の大学との交流が一気に進み、COE以降の文学研究科の活動において重要な役割を果たされた。その後、文学研究科長、副学長までなられ、研究させてくれと、退職前の1年、文学研究科に戻られた。それにしても、これはという人材に、引き続き大学の教育・研究に携わってもらうことができないのは、もったいないと思う。アメリカではやめるというまで大学教授は居続けるという。せめて65定年、70までは特任、といった制度をもう少し拡充すべきではないだろうか。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。