人を幸せにする人になろう

久津川サウンディング仕切り直し

◆6月中旬にはしたいところです。ポイントを絞り込み39点となりました。
◆ちなみに、今回は基本的に周濠埋土と地山の境を検出するわけですが、そもそもわたしがこの手法を知ったのは、東京・府中市の熊野神社古墳の委員をやっている時に、同じ委員に土木の方がいて、墳丘盛土の強度などを、この手法で把握する研究をやっていることを知ったことにありました。成果はよくわかりません。同じ古墳の盛土の差もなんとなく把握できるのかもしれませんし、7世紀の古墳で版築的なものになり、古墳時代の盛土との強度の違いがある、などということも言えるのかもしれません。

巨勢山323の墳丘図

◆確かテルちゃんの論文にはあったと思うんですけど(薄葬令に合致するものとして)、すべて見 当たらず・・・。報告書もちゃんと見ていません。
◆わたしが前にこのブログで示した行き方の略図を見て、知り合いが「登ってきました」と報告をくれました。あわせて図面を添付してくれていて、ほんとうにうれしい限り。縦が13.5mなんでしょう(9尋)。いや、もうちょい小さいですね。7尋10.5mのよう。ありがとうございました。

『市大日本史』第21号が刊行されました

◆明日が大会。いつものように前日、納本されました。めでたしめでたし。
◆またまた話を買えますが、高岡で音色の良い風鈴を買ったんですけど、なかなか大学の個人研究室では、つるす場所がありません。

あきません

◆今日も、朝から4回生の卒論指導がひとつ。終わってからR問題であれこれやっていると、16時!。いまは大歴・・・。
◆話は変わりますが、明治元年が1868年なんでしたっけ。で150年と。博物館等で、明治150年とか、そこそこのところでやってますよね。あるいは大河ドラマがなんとかだから、それにあやかってとか。わたし、そういうの大嫌いです。まあ、人様は勝手。自分がかかわるような、なにか企画をというときに、そういうやり方はしない。

岩橋善兵衛!

◆そんな人いたんやね~。貝塚に行かんと。

そろそろ安倍退陣か

◆そろそろ、石破君とか小泉孝太郎とか、自民のなかでも安倍を退陣させる動きが顕在化しよう。そういう情勢が加速すると、そんなヤツと一蓮托生で沈没することを避けようという動きも現われてくるに違いない。これまで安倍を守り、言いなりになっていたヤツらも、首相官邸で柳瀬は今治市と会ってました、首相もカケが特区で獣医学部を新設する話はとおの昔に知ってました。森友の、財務省近畿財務局の役人もバカじゃないから、当然、首長官邸の意向かどうかは確かめた上で、やむをえないと処理した、ということを暴露し始めるのではないか。沈没する船から助かろうと・・・。そういう日も近いのでは。臨界点は近い。ぼろぼろになるんでは。そういうことが必至になったら、安倍は、お腹が痛い、と言い始めるだろう。
◆われわれふつうの人間は、そういうこととは無縁に、おのれの信じるところにしたがって、自由に意見を表明するものであってほしいもの。

国家Ⅰ種の魅力も後退

◆東大を出て官僚になり、仕事ができて上司に重用され、出世が生きがいとなるも、財務事務次官、国税庁長官、なんとか審議官、すべて内閣府の言いなりとなり、平気でうそをつきシラを切る、見苦しいやつになり果てた姿を国民は見ている。あんなんが国家公務員だと・・・。たとえば日本の教育をなんとかしたいと希望を抱いて入庁するヤツも、これはいるんですが、結局はああなる。魅力ある職には見えないのでは。いい人材は国家公務員を目指さなくなり、結局は、国家公務員の質が低下するだろう。
◆ひたすらこれまで言ってきたことに矛盾のないようにあくせくし、一方でカケに会ったことは認めつつ、首相には報告すらしていないと、これまた首相答弁との整合性にあくせくし、すっとぼける予行演習を一所懸命にやって、それを演じる姿。56歳、そうかわらんわけだ。ウソをつきとおす姿を国民は見ている。普通の感覚では、恥ずかしくて外には出られないんでは。それとも、うまくやってやった、しめしめ、なんでしょうか。

2018年5月10日

◆久津川車塚古墳のサウンディングが延期になり、今日・明日なにもなくなり、今日はFM城、明日は大学史展示をやるぞ!と思い込んではみたものの、今日も一日、雑用で暮れていきました。だいたい大歴の仕事です。

ヒストリア4月号

◆事務局員は、郵送料の節約から、送付されてこず、印刷屋から事務局に届けられ、それがまわり まわって ようやく受け取る。一般会員には4月中に届けられているはずだが、わたしは今日なわけです。うちの庶務委員を含めて郵送料の合計500円くらいの話やし、普通に郵送してほしいんですけど・・・。そう思いつつ2年間の間にそうできなかった。
◆そこで四条塚山の立入りの報告を書いておいた。どこよりも早いですよ。で、その末尾です。

正始元年正月の朝貢

◆『つどい』の塚口先生の論文を興味深く読んだ。
◆卑弥呼が使いを送ったのが景初2年ではないかと の説を検証し、やはり3年であるとする。その目的はやはり前年に魏が公孫氏を破って版図を拡大したことへの慶賀であるという(景初3年正月に皇帝が没し新皇帝が立ったことへの挨拶ではないと)。で、6月に帯方郡に行って初めて先帝の死没を知る。で、年明けは改元があり、周辺諸国が正月の儀式に参列するのが通例。
◆洛陽に上った倭の使者に対し、まず12月に、当初の目的の朝貢に対し、卑弥呼を親魏倭王とする。その上で使者らは滞在を続け、「後12月」を経て翌年正月の新帝の改元初年の儀礼に、朝貢国となった倭として朝貢した、と。『晋書』にはそのことが記されている(なぜ〈魏志倭人伝〉にはないか、という問題はあるが)。
◆そうでないと景初3年の鏡と正始元年の鏡があるのかが説明できない。なるほどね~(景初4年鏡の問題は残る)。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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