人を幸せにする人になろう

久津川車塚の墳丘図トレースデータ消える

◆サウンディングの計画が進まないのも、しばらく前から探しても出てこなかったから。2月末に史 跡地の範囲の図面を夜中までかかって仕上げたのだが、どっかで失ったみたい。ショックながら、バックアップはあるので、新規分原図をスキャンしてもっかいやるしかない。別にへこたれへんで。
◆でまあ、新規は線路の東側なので、西側のサウンディングの側線やポイントの作業はできる。5月10日にむけて、やれる作業をやっとこう。
◆図は自分のブログから取ってきた完成図。2歩下がり、3歩進む。
【追記】あった!。新しいPCに移してたんだ。俄然、やる気が出てくる。

さて通しの校正は出るか

◆本日、15:30に病院に行くために職場を離れる前に、『市大日本史』のひととおりの対処は済ませた。19時まで病院にいて京奈和まわりで21時前に帰ってきてメールを見るも、編集オペレーターの人からのメールは来ていない。まあ、そりゃそうですわな。こっちは昼夜なくやってはいるが、ふつうは勤務時間というものがある。昨日来のチェックで、まだある赤の箇所に付箋を貼って待機している。個々の最終直しが上がってくれば、直っているかをチェックし付箋をはずしていくことになる。今晩、ある程度やってしまえれば、明日は、ほんとの最終残りだけとなる。が、校正が来ていない以上、まあできない。疲れたし、寝るか。

『市大日本史』明日には終わる!Sさん次第

◆さてどうなりますか。今日は那賀病院に行きます。
◆編集後記も入稿しました。
◆次は大歴大会です。
◆自分の著書の校正はいっこうに進みません。
◆ああ、大神神社の講演会の資料があった・・・(出しました)。

国の借金はハイパーインフレになるか

◆GDP費の国の借金グラフ。戦費のための借金が累積し続け、戦後、その国債もパー、インフレで 貯金もパー。同じような歩みをたどっているわけです。

大学院博士課程

◆入学者数の推移グラフが新聞にありました。

大阪歴史学会の現地見学検討会

◆チラシが上がってきましたので、宣伝しておきます。

自分のメモとして

◆先に書いたような、イベントや会議はなんとかこなしつつ、その時に決まったことなどについて、対処できていないことがらを、自分のメモとして書いておく。
◆15日のKR研での、久津川車塚古墳の本報告にむけての対処。
◆同じくサウンディング調査の計画。
◆次の終末期古墳の石槨計測の予定策定。
◆18日の研究会のまとめと指示。
◆20・23日の、大学ミュージアムの理事長・副理事長との面談の様子のまとめ。
◆20日教室会議・教授会のなかで対処すべきことへの対応。
◆23日の大歴委員会で決まった対処すべきことの対応(とくに個人報告とポスター作製)。
◆24日の博物館実習Ⅰの後始末。
◆24日の市大日本史学会委員会後の日本史打ち合わせで決まったことへの対処。
◆25日の博学会議のなかで出た自分の対処すべきことの対応。

会議

◆8:20分から雑用を片づけて、メールチェックし2つほどの会議日程を予定表に組み込んでいて、はたと、今日、1コ9:30から会議があった!。いま9:29!、セーフ(徒歩1分)。まあ、こんな調子です。
◆まあ会議、幹部ではなくとも、多いですよね。挙げてみましょうか。これ会議ではないが、日本史の枠外としての博物館担当。次、全学。大学史運営委員(各研究科から1人)、別途、大学ミュージアム検討メンバー。文学研究科では地域連携委員(4人のうちの1人、今年度から2年)、文学研究科の定例委員会でない個別課題のWG、文化人材育成WG(当初から)、博学連携WG。今日の会議はこれ。この時、職員さんから、大学の地域貢献部署の会議のオブザーバーになれと言われる。「年何回ぐらいですか?」、「3回くらい」、「やります」。これでまたひとつ増えた。日本史では、教室代表教務委員。教室代表になった関係で、オープンキャンパス小委員会に出よと言われた。
◆で、先週の水曜日以降くらい、もろもろの会議や打ち合わせなど、大歴の委員会を含め、その時に決まったこととかを実行する(誰それに連絡するとか、転送するとか)、そんなことが滞って、累積していっている。処理しきれません!。仕事の仕方を変えなあかん。その日のうちに後始末が理想。とはいえ、もっとも喫緊のことを優先したり、研究とは言えずとも学術的なところは、ある時点で、その都度、いくところまで行っとかないといかん、ということもある。つまり、目先の重要度や研究みたいなものをできるだけ優先し、雑事をついついあとにというスタイルであったが、雑事をまず一定片づけ、そのあとで自分の時間をキープする、という転換が必要ですね。『市大日本史』が、この金曜日までで決着すれば、当面の最優先課題がひとつクリアされたことになる。
◆4月27日〆切の書類が多いし・・・。ぶ~

兵庫県立歴史博物館

◆右のような雑誌を送っていただきました。文字は読んでいないが、薮田先生が館長になられ、兵 庫県の歴史に関する共同研究をやっていこうと組織を作り、そこでの成果を発表する雑誌を創刊し、これが第3号というのがほぼ理解できる。2008年頃、大歴の代表委員をやっていただき、その時からのおつきあい。関大のCOEを主導し、難波研究センターをしっかり作り上げたのも薮田先生(うちは完全に水をあけられているわけです)。尊敬しております。そしてまた歴博館長になり、そこでの地域研究を主導されているわけです。

大仙古墳は525m以上

◆という『書陵部紀要』の音波探査の結果が公表されたらしい。前は抜き刷りをもらっていたが、 最近はそれもないので、実は最新のものを見れてなかったりする。
◆525m、しめしめです。持論をどこでどう書いているかは記憶がないが、南朝尺360mの540mと前から言ってきた通り。これに大きく近づきました。下段が大きく崩れ、その流出封土が濠底に堆積しているので、さらに濠底は深くなり、その分、両側に墳端は長くなる。まあ、あたりでしょう。
◆もひとついうと、誉田御廟山の胴を引き延ばしたのが大仙なんぞという説もこれでなくなってほしいものです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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