人を幸せにする人になろう

土日は

◆土日はある企画を計画しており、それを粛々とこなす。土曜日は八木で呑んで泊まりました。翌日の日曜日は和歌 山に向かい、お昼前後滞在し・・・。なんのこっちゃわかりませんよね。まあ、プライベートのことですので。
◆途中、五條新町に立ち寄る。2つの町屋が資料館になっていました。少しずつ少しずつ、伝建と して充実してきているように思います。パンフレット類も。宿泊施設もあるようで、今度はここに泊まろうか、とも。あと、電柱はじゃまですね。これを地下に移動できれば、もっとよい景観になるだろう。

7月7日、宮内庁書陵部との陵墓懇談会

◆そこから地図もなく、感覚で歩いていると、2度間違い(同じ道を行きつ戻りつ)、なんとかお茶の水に出る。それでも11時に間に合いました。K大学のSさんの進行で、陵墓懇談会前の全体会の打ち合わせをやる。ちょっとしゃべり過ぎ、でしょうか。主張をしたわけではありません(それは本番でやるべきもの)、いろんな事情の説明を、自分の理解していることを話す。
◆これメモから早く原稿化しておかないと、あっという間に忘れそうである。
◆そして15時から宮内庁で懇談会。いちばん言いたかったことは、16年3月に宮内庁が地方公共団体 と一緒にやっていくという方針を出した、という内実。昨年の7月にも議論されたが、昨年は大阪府大での講演が入っていたために、全体会までで、懇談会に出なかったのです。
◆まあ、「一緒に」というのも、堺市でやってきたような、既にそうなってきている路線を継承していくということです、というのは理解できるし、個別対応の積み重ね、というのもそうだろうと思います。とはいえ「はいそうですか」というものでもない。われわれは宮内庁と文化庁に一緒に考えてほしいという要望書を出しており、そういうレベルで一緒にやっていくという枠組みを作っていってほしいわけだ。個別対応でなく、そういうレールをちゃんと作って、その上で、実際の個別古墳に向き合ってほしいと・・・。

2017年7月7日、東京都水道ミュージアム

◆そこから明治大学まで歩いていくが、途中で東京都水道博物館に寄りました。いい博物館です わ。受付の人もとても親切だし。

2017年7月7日、東大ミュージアム

◆11:00集合というので、朝から少し茶店で時間をつぶし、10:00から東大のミュージアムに行きま した。前に、2度ほど資料調査に行った時も、展示はあったと思うのだが、枚方の万年山の鏡とか、京丹後の神明山の石製品とか、津堂の資料を調査していたので、ちゃんと展示を見た記憶がない。何年か前に新しくなったので、「行かないと」と思っておりました。
◆けっこう自分のところのミュージアムを考える参考になったような気がする。もちろん、持ち物は全然違いますけど。
◆そんな大きな展示空間ではないが、まあ展示構成的にはオーソドックスかな、と。2階は考古や民族やら、海外調査のコーナーでした

2017年7月6日は東京に行き 記事№3800

◆この日、朝から出かけて、速報展も見て、あの博物館も見て、といろいろ考えていましたが、そうもいかなくなり(やっとかないといけないことの堆積)、結局は仕事をある程度したあと、15:30頃だったか、東京に向かう。
◆20:00に待ち合わせ、息子と飲みました。就職の話も少し聞きました。電気通信会社だそうです が、どんなことをやっているのか、こっちにはあまりわかりません。技術開発と思っておりましたが、最初はいろんな部署をという話も出た。
◆行きの新幹線である原稿を直していましたが、途中でくたびれ、飲み始め、へろへろになっておりました。早めなので、わりと平和に終わり、息子の下宿に行き、ばたんと。こういうのも最後かね。
【追記】家で、サーバーを作っているんだそうです。まだまだこれから、なんだけど、とのこと。「家でサーバーを作る」???、文系人間にはよくわかりませんが、写真のようなものを作り始めているのだそうです。

叩かれても叩かれても

◆庄内式の年代「論外」、三角縁神獣鏡の同ハン鏡の文様が不鮮明になっていくというのは何の根拠もない(ちなみに、こんなこと言ってないですよ、たぶん。)、三角縁神獣鏡の製作工人の渡来「成立の余地はない」、前方後円墳の2系列×、河内大塚山古墳が安閑未完陵(これも)「論外」(だったか)。2王並立も×、岩屋山が7世紀前半というのも×。まあ、叩かれております。
◆『考古学研究』で、三角縁に関する本の書評があったもので、買い求め、読んでみたわけです。わりに高い評価の書き方だったものですから。が、ちょっとね~。研磨等の仕上げが同ハン鏡でいろいろで、古墳ごとにむしろまとまりがあるので、大和に本拠をおく鏡工人が出向いて行って作ったのだとか。ハン傷は増えないんだとか。たぶん反論できると踏んだ。
◆しかし技術屋さんが、われわれにはできない分析で、新しい事実を指摘することは歓迎しますが、妙なことに、結局は小林批判、都出批判など、そんなところまで、かなり激しい口調でダメダメだ、というのはどうなんでしょうか。そりゃ学問ですし相違する見解を批判するのは当然だし、とくに影響力の大きい学説に対しては声が大きくなるのかもしれないが、冷静な議論を越えた人格批判に踏み込んでいるように思われます。そんなにわれわれはバカで、小林鵜呑みの者ばっかりなのか、そりゃまったく違うと思うんですけど。ほんとうに偉い人は謙虚ですよ。
◆それでもって鏡は違うのにハン傷が共通して、鋳型が再利用されているという論文も読み返してみた。この観察そのもの、断面の比較も、これは妥当だと思います。が、舶載と倭製とされているものでも鋳型の再利用が確認できた、だからぜんぶ中国か日本かだ、という結論となると、ちょっと待って、と言いたくなる。いま確認されている舶載鏡と鋳型が同じとされている倭製は、すべて倭製Ⅰ期としているもので、これは舶載と倭製の区切りの見直し、という見方も可能なんだろうと思うのです。そこは、間違ってました、ということになれば、ごめんなさい、というしかない。また、そうやって都合が悪くなれば仕切りをスライドさせてかわすんだ、と言われないように、ちゃんとやる必要がある。鋳型を削って次の文様を彫る、といったことは考えてもみなかったことで、それを指摘したことはきわめて重要だし、見直しを迫られていることも事実ながら、白い旗を挙げるわけにはいかない。
◆そうか、だけどこれ倭製の作り始めが4世紀ということとからみ、行燈山古墳の評価にかかわってきてしまいますね。

2017年7月2日、KR研

◆この日は午後からKR研。朝、少しやることがあったので大学に行くも、電気の点検で文学部棟は1日通電なし。電灯も空調もなし。何をしてたんだろうか。なにか読んでいたような記憶もあるが、途中からは寝る。起きて京都に向かい、14:30からの研究会は18:00まで。そのあと、今年度調査の結団式を兼ねた懇親会。終了後、何人かとラーメンを食べに行き、22時の近鉄特急で、八木経由で帰ってきました。

2017年7月1日

◆7月になりました。暑い。この日、条里制・古代都市研究会の委員会でした。午後からかと予定を確認すると朝10時から。あわてて会場の大阪歴博に向かう。会議は2時間で予定通り終了。そのあと、午後、都城制研究会があるので、出たら、というお誘いがあり、乗る。
◆実はこの日の研究会は、岸俊男没後30年にあたり、岸先生の都城制研究を振り返るという企画でした。岸先生は、わたしが入学した1983年度末で退官したそうです。会場に行くと、大勢の参加者が集まっていました。また、向かいでは同僚のNさんの城下町科研の研究会をやっておりました。
◆それが終わり、続いて下のレストラン貸し切りで、岸俊男を偲ぶ会となり、これにも参加。ず~といてもよかったのだが、少し経緯がありまして、途中で抜けました(上本町で呑んでたんですけど)。まあ、そんなんで、意外な一日となりました。午後、仕事できず・・・。

それで宇摩向山

◆愛媛県博で、『えひめの古墳探訪』という企画展図録の冊子をいただいた。よくできたガイド ブックです。そこから紹介します。ひとつは宇摩向山古墳という終末期方墳。旧川之江市、いま四国中央市。南北46m、東西70mだって、びっくりしますね。
◆同じ冊子をくっていると、川上神社古墳というのも出てきた。東西40mという。

最後は今治相の谷

◆そのあと県の現場を見せてもらう。鍛冶炉かと思われるものが出ている。整理事務所で、同じ高 速道路調査で谷部を掘ったときの流路から出た祭祀品を含む木製品をみせていただく。きれいものでした。カケの獣医学部新築現場に行きたかったが、やめて、今治市街に。
◆相の谷古墳群。海上交通センターとある場所。そこまで車で上がれ、尾根を少し歩けば到着できる。100m?くらいの前期前方後円墳。ほぼ全面調査をやったんですね。それと南側からの土取りの崖が迫っている。ロケーション最高。一度調査済みだし、再調査をやって史跡指定ですね。馬の山古墳群を思い起こしていた。イメージが近いが、もっと直接海に面している。遺物等の再整理の報告書に当時のカラー写真もあり、それを見せたい ところだが、O君に貸してしまった。石室も掘りっぱなしで埋め戻していない。手前にも前方後円墳がある。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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