人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2017年4月13日 大学史の展示
◆大阪城から戻り、大学史で打ち合わせ。年度末に展示ケースとか木枠など、1年かけてウンウン やっていた展示用の物品が入り、パネルを貼る壁などの工事も完了し、いよいよ作り上げないといけない展示室の現状を見せてもらった。
◆上が大学史の一画のある学情6階のフロア。見えている範囲のエリアおよび壁は使える。そしてその左側にある入口が展示室。下はその内部である。ひとまず5月に、この部屋の奥の部分に、昨年度やった恒藤の展示を据え付けねばならない。そして、手前は大学史の資料を大学史で展示を考え、外の廊下のところを博物館実習でやってくれないかと、分担。あ、さて、今年の実習生も驚くほど人数が多く、制御できそうにもない。初めから、役割分担を細かくきめて、自走してもらうよう、なんとかもっていきたい。担当者があれもこれもできないし、人数があることは潜在的なパワーであり、彼らの自発性が引き出せれば、1年かければかなりのことができるだろう。
◆ああ、それにしても、またこの1年も、ここの展示をめぐって、実習をどう切り回していくか、悩み続けないといけない。
◆上が大学史の一画のある学情6階のフロア。見えている範囲のエリアおよび壁は使える。そしてその左側にある入口が展示室。下はその内部である。ひとまず5月に、この部屋の奥の部分に、昨年度やった恒藤の展示を据え付けねばならない。そして、手前は大学史の資料を大学史で展示を考え、外の廊下のところを博物館実習でやってくれないかと、分担。あ、さて、今年の実習生も驚くほど人数が多く、制御できそうにもない。初めから、役割分担を細かくきめて、自走してもらうよう、なんとかもっていきたい。担当者があれもこれもできないし、人数があることは潜在的なパワーであり、彼らの自発性が引き出せれば、1年かければかなりのことができるだろう。
◆ああ、それにしても、またこの1年も、ここの展示をめぐって、実習をどう切り回していくか、悩み続けないといけない。
4月13日大阪城山里丸の測量
◆花見をはずして、と日程調整したが、どんぴしゃで天気も良い花見日和となりました。朝、公園管理も大阪市直でなくなり、指定管理者なんでしょうね、そこのパークセンターに許可証と通行証をもらい、ゲートで待つ共和さんと合流。山里丸の測量を開始。昨日、帰り際に一度部屋を出て、カメラを取りに戻ろうとしたが、まあ作業風景はいいか、と戻らなかった。が桜のことが念頭になかった。失敗。
◆途中、あとは任せて職場に向かう。ふだんあまり通らない大手門に向かう。徳川Ⅰ期の石垣を見て、やっぱりだいぶ違うな~、と。わたしの見立てでは(『秀吉と大坂』に書いたが)、ⅠとⅡ・Ⅲの間に技術的に進歩があるかな、と。とはいえ持ち場の大名によっても違うだろうし、ぜんぶ見る、ということをしているわけでないので、確かではありませんが。あと、南外堀を西から見ると、やはり確かに迫力がある。天気も良く空の青さがきわだち、カメラが・・・。
◆今回で本丸の平面図はできる。レーザーなので3次元でデータがあり、本丸の上と山里丸の間の石 垣も、試しに陰影図に図化(1/50)する話もして、そのつもりでデータを取ってもらうようにお願いしていた。次は本丸の外側の石垣です。これも金を取ってきて、ドローンですかね、と。25万くらいでドローンを買おうと思っていて、発掘現場で、これまでなら高額のラジコンヘリでの撮影を依頼しているのが、簡便に写真が撮れるので有効と思っている。が、写真データから図化するまでのレベルとなると、それは無理かなと。共和さんには3台あって、大きなカメラを積める大型マシンがあるそうで、頼む方が楽かな、と。
【写真】4月9日のかつらぎ町蟻通神社の写真。背後の満開の桜が見事でした。
◆途中、あとは任せて職場に向かう。ふだんあまり通らない大手門に向かう。徳川Ⅰ期の石垣を見て、やっぱりだいぶ違うな~、と。わたしの見立てでは(『秀吉と大坂』に書いたが)、ⅠとⅡ・Ⅲの間に技術的に進歩があるかな、と。とはいえ持ち場の大名によっても違うだろうし、ぜんぶ見る、ということをしているわけでないので、確かではありませんが。あと、南外堀を西から見ると、やはり確かに迫力がある。天気も良く空の青さがきわだち、カメラが・・・。
◆今回で本丸の平面図はできる。レーザーなので3次元でデータがあり、本丸の上と山里丸の間の石 垣も、試しに陰影図に図化(1/50)する話もして、そのつもりでデータを取ってもらうようにお願いしていた。次は本丸の外側の石垣です。これも金を取ってきて、ドローンですかね、と。25万くらいでドローンを買おうと思っていて、発掘現場で、これまでなら高額のラジコンヘリでの撮影を依頼しているのが、簡便に写真が撮れるので有効と思っている。が、写真データから図化するまでのレベルとなると、それは無理かなと。共和さんには3台あって、大きなカメラを積める大型マシンがあるそうで、頼む方が楽かな、と。
【写真】4月9日のかつらぎ町蟻通神社の写真。背後の満開の桜が見事でした。
学期が始まった・・・
◆今年は3月にいろんなことが生じ、例年よりまとまった春休みがないまま新学期を迎えた感があります。先週まで は、大歴や市大日本史の仕事をしていましたが、学期が始まるとそうもいきません。火曜日の授業の準備を土曜日・月曜日とやり、本日火曜日は、2限の講義と、4限の博物館経営論、5限の博物館実習をやって、ぐったりです。そのあと市大日本史の委員会が2030まで。この3日間、メールを見てないと、70件とか入っており、市大日本史の原稿が続々と送られてきておりました。
◆『市大日本史』は、何とかなるとは思いつつ、今年はやばいかもしれません。今年度は、木曜の授業が月曜日に移り、月~水に集中しております。明日は、大阪の歴史演習と、考古学実習と、博物館概論です。まあ、なんとかしますかね~。
【写真】桃の木です。
◆『市大日本史』は、何とかなるとは思いつつ、今年はやばいかもしれません。今年度は、木曜の授業が月曜日に移り、月~水に集中しております。明日は、大阪の歴史演習と、考古学実習と、博物館概論です。まあ、なんとかしますかね~。
【写真】桃の木です。
日本の林業
◆興味深い新聞記事があった。国産材も価格的に同等になるよう努力し、いま切り時の戦後植林の スギを伐採・製材する工場がフル稼働していると。必要な木材、自分のところで供給していく、いいことだ。33%くらいまで回復したと。一方で、切るばっかりでは、眠っている資源を消費するだけ。農地も山林も回転させながら維持し、そこから資源を引き出し続けなければダメ。規模の拡大方針一辺倒では、いずれまた終わる。各地でこうしたことを定着させるとともに、回り続けるよう、計画的な植林をセットでやっていくこと。日本列島の営みの中で、営々と続け、確立されてきた森林資源の利用の仕方の智恵を、一旦失ってしまった損失は大きいだろう。極端な植林、極端な伐採。しかし、人間は学ぶことはできる。過去を学び、いまの智恵を働かせ、50年サイクルといった長期のスパンでモノを考えないと行けない林業を、一時的な営利でなく、再生させ、持続させる賢さが必要だろう。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。