人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
1983年
◆深い意味はありませんが、朝日新聞の土曜版で、1983年にはやった歌がランキングされていたので・・・。入学した年です。が、テレビなし、電話なし、風呂なし、キッチンなし、の1万数千円の下宿でした。同じ時に、も一人隣に下宿し、岡山朝日のやつで、テレビの音が聞こえてきました(彼には黒曜石で指を切ったとき、SOSを出し、医者に連れて行ってもらいました)。
◆そんなんで歌番組も見ないし、ラジオをどこまで聞いていたかもわかりません。世間のはやりなど、ほぼ無関係な暮らしでした。
◆新幹線にのったこともなく、まして飛行機に乗ったことも、外国に行ったこともありません。自分の子供のことを考えると、四半世紀でもだいぶ変わります。
◆はじめて新幹線に乗ったのは、おそらく3回生くらいで、大垣夜行の人民列車で東京国立博物館に行きました(なんか企画展をやっていたんでしょうね。日本考古展?だったのかな)。朝4時頃?過ぎ?に着いても、開館まで時間をつぶすのが長かった。6時になると上野公園にラジオ体操をやる人が集まってきたが、その先もまだ長い。上野駅周辺に、24時間やっている店なんかもほとんどなかったと思う。ピンク映画館はやってたかもしれませんが。
◆はじめて飛行機に乗ったのは、研究所1年目だったか。山形の庭園の測量に駆り出され、帰り、本中さんが飛行機で帰ろうと、急遽、そうなった時(小Uさんもいたから、1年目じゃないな)。
◆そしてはじめて外国に行ったのは、研究所4年目かなんかで、M・O・K・Uさんのかばん持ちで行った中国瓦調査でした。名古屋空港から、中華航空で北京入りしたのだった、と思う。
◆まったく深い意味はありません。
◆そんなんで歌番組も見ないし、ラジオをどこまで聞いていたかもわかりません。世間のはやりなど、ほぼ無関係な暮らしでした。
◆新幹線にのったこともなく、まして飛行機に乗ったことも、外国に行ったこともありません。自分の子供のことを考えると、四半世紀でもだいぶ変わります。
◆はじめて新幹線に乗ったのは、おそらく3回生くらいで、大垣夜行の人民列車で東京国立博物館に行きました(なんか企画展をやっていたんでしょうね。日本考古展?だったのかな)。朝4時頃?過ぎ?に着いても、開館まで時間をつぶすのが長かった。6時になると上野公園にラジオ体操をやる人が集まってきたが、その先もまだ長い。上野駅周辺に、24時間やっている店なんかもほとんどなかったと思う。ピンク映画館はやってたかもしれませんが。
◆はじめて飛行機に乗ったのは、研究所1年目だったか。山形の庭園の測量に駆り出され、帰り、本中さんが飛行機で帰ろうと、急遽、そうなった時(小Uさんもいたから、1年目じゃないな)。
◆そしてはじめて外国に行ったのは、研究所4年目かなんかで、M・O・K・Uさんのかばん持ちで行った中国瓦調査でした。名古屋空港から、中華航空で北京入りしたのだった、と思う。
◆まったく深い意味はありません。
佐久は豊かだ
◆で、佐久に抜けたら田植えをやっていました。むこうに名峰がある。なんやっけかな、蓼科山と 思ったが、あれが浅間山なんですね。ふもとは軽井沢。それを抜けるのが碓井峠。これを越えたことがないから頭に入っていないんですね。
◆佐久平は豊かです。小諸はその上か。そして、文化庁に行く直前に、上田のなんとか博物館(美術館)に瓦を見に行ったが、上田はさらに北、地峡部を越えれば善光寺平という北辺にあるのですね。勉強になりました。
◆JAXAの臼田のアンテナは、佐久穂町とあるあたりから西の山深くに上がっていったところ。野辺山は、最高地点の駅というので有名だが、小海、南牧と、千曲川を下り、川は東にそれていく先 に、八ヶ岳から張り出した高原が立ちふさがっており、ここを線路で上がっていくのが大変なのだそうです。で国立天文台は、この高原の南のへり近くにある。帰りは南下して山梨県のインターからでした。
◆昔、茅野からバスに乗り、八ヶ岳に上り、とにかく東に清里駅まで歩き(もちろん登山地図はもっていましたよ)、小海線に乗って南回りで白馬駅にたどり着き、駅で泊まり(宿泊施設がある)、翌朝から今度は白馬に上って降りてきて、糸魚川経由で京都に帰ったことを思い出す。テルちゃんらの代の考古研の旅行に参加し、解散後のことだったと思います。
◆それと、昔、山梨のなんとか遺跡という縄文の遺跡調査に3日ほど参加したことを思い出します。その時は、身延線だったのかな。
◆佐久平は豊かです。小諸はその上か。そして、文化庁に行く直前に、上田のなんとか博物館(美術館)に瓦を見に行ったが、上田はさらに北、地峡部を越えれば善光寺平という北辺にあるのですね。勉強になりました。
◆JAXAの臼田のアンテナは、佐久穂町とあるあたりから西の山深くに上がっていったところ。野辺山は、最高地点の駅というので有名だが、小海、南牧と、千曲川を下り、川は東にそれていく先 に、八ヶ岳から張り出した高原が立ちふさがっており、ここを線路で上がっていくのが大変なのだそうです。で国立天文台は、この高原の南のへり近くにある。帰りは南下して山梨県のインターからでした。
◆昔、茅野からバスに乗り、八ヶ岳に上り、とにかく東に清里駅まで歩き(もちろん登山地図はもっていましたよ)、小海線に乗って南回りで白馬駅にたどり着き、駅で泊まり(宿泊施設がある)、翌朝から今度は白馬に上って降りてきて、糸魚川経由で京都に帰ったことを思い出す。テルちゃんらの代の考古研の旅行に参加し、解散後のことだったと思います。
◆それと、昔、山梨のなんとか遺跡という縄文の遺跡調査に3日ほど参加したことを思い出します。その時は、身延線だったのかな。
辰野、そして塩尻と岡谷
◆昔、信州ワイド周遊券で、長野県をまわっていた時、この三角が面白かったことを思い出す。こ ないだ行ったとき、だいたい、こういう三角になっていたことは思い出したが、泊まる塩尻はどこやねん、諏訪湖はどこやねん、というちゃんとした地理観はもっておらず思い出せませんでした。
◆実は伊那谷をちゃんと訪れたことがありません。飯田市も。昔、これは文化庁時代の職場旅行の帰りだったか、なんかの出張の帰りだったか、とにかく飯田線に乗りたくて、丸1日かかって浜松に出たことがある。天竜川駅で乗り換え。乗り換え時間の短い時間に馬刺しを食べた。
◆中央道では中津川から東へ飯田に向かい、恵那山トンネルで抜けるわけだが、中山道はその西背後の谷あいを通っているのですね。奈良井宿も。馬篭には市大の研究室旅行で行ったが、おそらく中央道で行き、ちょこっと北上したのだろう。木曽の谷を味わわなあかん。
◆実は伊那谷をちゃんと訪れたことがありません。飯田市も。昔、これは文化庁時代の職場旅行の帰りだったか、なんかの出張の帰りだったか、とにかく飯田線に乗りたくて、丸1日かかって浜松に出たことがある。天竜川駅で乗り換え。乗り換え時間の短い時間に馬刺しを食べた。
◆中央道では中津川から東へ飯田に向かい、恵那山トンネルで抜けるわけだが、中山道はその西背後の谷あいを通っているのですね。奈良井宿も。馬篭には市大の研究室旅行で行ったが、おそらく中央道で行き、ちょこっと北上したのだろう。木曽の谷を味わわなあかん。
ついつい
◆今日もまた行楽日和です。大学の学童保育(とくに意味はありませんが)。
◆考古学をやるには、人間の暮らしに理解や興味がないとダメですね。こないだ佐久の平野を走っていて感じました。
◆考古学をやるには、人間の暮らしに理解や興味がないとダメですね。こないだ佐久の平野を走っていて感じました。
どうやったら安倍を退陣に追い込めるか
◆前事務次官が省内で検討した際のことを発言。「なぜいまになって、現役の時に抵抗せよ」、 「よくやった」、と両方があるという。両方正しいのだろう。現役時代に首相の意向をつっぱねてほしい、それはその通り。だが、そうもいかないのも事実。やはり、なかったことにはできないと声を上げた、これもまた勇気のいることと認めたらな。文書には、かかわった職員名もあるという。前事務次官の個人的なアサハカな行為もまた暴かれ叩かれ、いじめ倒されるだろう。それはそれである程度、予想の範囲内だろうし、予想以上のバッシング(あるいは無視?)になろう、それは甘んじて受けるしかない。ある日、ホテルで死んでいた、といった松本清張の小説のようにならないことを祈る(さすがにそこまでアカラサマな証拠隠滅はしないだろうが)。
◆普通の人々は「そうだったんだろうな」、と事実として受け止める。が、省内を調べたが確認できなかったとか、これは公文書とはいえないとか、アカラサマなスットボケが、まかり通るいまの日本社会のおかしさである。検察官の一人一人はどうなっとるんか。文科省に乗り込んで、書類をおさえてほしいものだ。あまりにも政治家に働きかけて便宜をはかってもらうことが、当たり前すぎる世の中を作ってきてしまったんだろう。
◆南スーダンから自衛隊が帰国したとか。日誌を書いても捨てられますよ。捨てていいのか。森友にカケに、これだけの馬鹿にした答弁が繰り返されながら、追い込めない・・・。絶望的ですな。
◆普通の人々は「そうだったんだろうな」、と事実として受け止める。が、省内を調べたが確認できなかったとか、これは公文書とはいえないとか、アカラサマなスットボケが、まかり通るいまの日本社会のおかしさである。検察官の一人一人はどうなっとるんか。文科省に乗り込んで、書類をおさえてほしいものだ。あまりにも政治家に働きかけて便宜をはかってもらうことが、当たり前すぎる世の中を作ってきてしまったんだろう。
◆南スーダンから自衛隊が帰国したとか。日誌を書いても捨てられますよ。捨てていいのか。森友にカケに、これだけの馬鹿にした答弁が繰り返されながら、追い込めない・・・。絶望的ですな。
なんとか
◆N先生が前方後円墳の設計原理に迫っている。最初の頃から、これに学び、自分の2系統の説明もつけられるのではないかと思っていた。岡山・造山は興味深く読む。作山になるとちょっと・・・、で、上石津ミサンザイはダメだろうと。下段の理解、尺度があまりにも23㎝より大きい。違和感が大きかった。
◆斜面の寸法を、角度を含めて、定めていく方法をN先生は見つけた。が、全体の寸法が与えられ、それをどのように割り付けるのか。後円部、接続部、前方部。一定の伝統の上に大枠を算出しつつ、N先生の指摘の通り、それに見合うように単位を決める、というのはおそらくいいのだろう。が、そっから先は、いろんな調整が入ってくるように思う。
◆いずれにしても、OP値が1.5が基準で、1.25と1.75もあるということになり、これすなわち前方部 の長さなので、ここらへんに2系列を解く鍵がある、ということは推測できた。要するにOP値設定の設計伝統の違いということが検証されればよい。上田宏範先生の6:1:3は重要でしたね。主系列は12:3:6、副系列は12:2:6(6:1:3)、ということで説明できるとの見込みをえた。
◆とはいえ、まだまだ。ひとまず上石津ミサンザイの、N先生とは異なる設計案を示しておきます。むろん、副系列です。尺度は23.1㎝です。
◆斜面の寸法を、角度を含めて、定めていく方法をN先生は見つけた。が、全体の寸法が与えられ、それをどのように割り付けるのか。後円部、接続部、前方部。一定の伝統の上に大枠を算出しつつ、N先生の指摘の通り、それに見合うように単位を決める、というのはおそらくいいのだろう。が、そっから先は、いろんな調整が入ってくるように思う。
◆いずれにしても、OP値が1.5が基準で、1.25と1.75もあるということになり、これすなわち前方部 の長さなので、ここらへんに2系列を解く鍵がある、ということは推測できた。要するにOP値設定の設計伝統の違いということが検証されればよい。上田宏範先生の6:1:3は重要でしたね。主系列は12:3:6、副系列は12:2:6(6:1:3)、ということで説明できるとの見込みをえた。
◆とはいえ、まだまだ。ひとまず上石津ミサンザイの、N先生とは異なる設計案を示しておきます。むろん、副系列です。尺度は23.1㎝です。
昨日はおねえさんの壮行会
◆6月から三重県S市の文化財担当嘱託として、この春に修了したSさんを送り出す壮行会を、杉本駅前で行いました。5月には、同じく修了したYさんが大阪府T市で仕事に従事しております。2人とも既卒者だが、大学院で学びたいと大阪市大の修士課程に入学した。きしくも、ともに弥生後期、一緒に勉強させてもらいました。ともに正職ではないが、大学院を出て、この世界で仕事をしたいと、それぞれの道を歩み始めました。それぞれの職場で、現場に、資料整理に、多くを学んで力をつけて、正職をめざしてほしい。応援しております。
◆なんでカメラをもっていかなかったか・・・
◆なんでカメラをもっていかなかったか・・・
市大医学部の古人骨600体
◆学長裁量経費に申請せよ、4月の後半だったかにお達しを受け、市大日本史学会まで身動き取れず、締切間際にばたばたと共同研究者に連絡し、本日、わたしの代表で古人骨整理の申請書を出しました。どうなるかはわからないが、申請書を書くという行為の意味はありますね。こんだけ大事や、ちゃんと整理して、写真も撮って、目録を作らなあかん、と書いていると、そういう気持ちになる。そういう気になると、たとえダメであっても、やらなあかん気持ちになる(むろん他の研究費申請もすればいいのだが)。
◆まあ、いろんな仕事にかかわれることは、自分の首を絞めることになるとはいえ、悪くはない。
◆おかげで明日の近鉄文化サロンの準備が・・・。20:30、なんとか整えました。
◆査読を返すのと、むろん大歴の仕事がまっている(6月末の大会運営にむけて)。土日は大歴の仕事に集中です。
◆まあ、いろんな仕事にかかわれることは、自分の首を絞めることになるとはいえ、悪くはない。
◆おかげで明日の近鉄文化サロンの準備が・・・。20:30、なんとか整えました。
◆査読を返すのと、むろん大歴の仕事がまっている(6月末の大会運営にむけて)。土日は大歴の仕事に集中です。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。