人を幸せにする人になろう

いや~疲れるわ

◆火曜日の17時から30分。学長・副学長ほか、幹部らの前でプレゼンをする。資料は30部だが、そんなにもおらず、まあこじんまりとした会でした。そんなに緊張はしなかった。時間配分の心配のみ。前に文学部教授会でやっと時と基本は変えていないが、その時は10分で早口。今回は30分あるのでと、すこし欲を出して画像を加えていき、感覚的にはいけると思ったが、そこはできるだけゆっくりとしゃべる、とすると、やはり少し足りなかった。でもラスト3枚はやめたくらいで、本筋はしゃべれた。
◆懇親会付き。ビールを飲みながら、学長とも話をしたり、と。まあ卑弥呼とか古墳とか、まったく関心のないむきもあるだろうが、専門は違ってもけっこう好きな人はいる世界のことをやっているので、30分のあとの30分の質疑も次々発言があり、答え、18時から場所を変えて懇親会となる。そこでも好きな人はいろいろ質問してくる。あ~あ、疲れた。
◆ほんとは博物館実習の授業とダダかぶりだったのだが、なかなかそこはダメとも言えず、受けました。無事終了して、ほっと。
◆さあ、真田丸でんな。

なんとか土日をこなし

◆都市史学会の15分。17分に近くなってしまったかも知れませんが、まあ無事終了。懇親会費を支 払うも、桜井市のパワポ作りのため大学に戻る。22時までにほぼ貼り終わりました。最後の話のところ、右のような「太陽をいだく月」から王と神女の画像を頂戴し、『韓国の歴史』(教科書の日本語訳版)から、三国時代の政治と宗教の分離の話を引いてきた。
◆翌日は9時集合。8:40に桜井駅に降り立つと、箸墓のモニュメントができあがっている。そして開始は9:40にもかかわらず、同じ電車からぞろぞろと参加者が市役所方面に向かう。会場の文化会館に着くと、開場が9:00なのでしょう、列をなして待っていた。参加者は900人くらいという。まあごっついホールです。出番は午後。石野先生の記念講演を会場で聞きながら最終の手を入れ、 10時頃には終了か。50分のところ、5分程度はオーバーしたかな。
◆桜井市 のHさんや所長のTさんと親しく話ができ、とても有益でした。
◆資料で、わたし参考文献を挙げてなかったもんで、やっぱりいるだろうということで加えたため、1頁多くなり、裏に事務局の方で、発表者の年代観の違いを示す図表を入れてくれていた(下)。会場のみなさんにとってわかりやすい措置でした。まあ年代観は違うわけだが、こっちの年代観がどのような手続きで導かれているものか、それを理解してほしいので、資料になかったものもパワポには入れ、構築過程を説明したつもり。それがすべて正しいとはいわないが、論理の筋 道はわかってほしいもの。むろん、論理的には正しくとも、どこかでコケているかもしれませんが。
◆とはいえ、土器をやっているみなさんのベースは、土器型式の変化であり、1型式20年といった目安や、全体の変遷からみた(例えば第Ⅴ様式との対比を含めた)幅の感覚だろう。これに石塚の年輪年代が加わるのではあろう。が、やはり土器では年代は決まらないわけです。箸墓が布留0の真ん中として、それを1990年代の三角縁神獣鏡により250年頃に置くことが確定し、わたしはそれを立脚点にしているのですが、I先生やHさんは、そもそも箸墓が3世紀後半なんです。庄内式の年代幅の理解の前に、箸墓の年代観(布留0まんなかの年代観)が一致していないわけです。置くところが、そもそも下がった位置。
◆もし箸墓以前の布留0古+庄内式の年代幅の感覚が妥当とすると、この網掛け帯の下辺を250年にもってくると、3世紀後半とか中頃に繰り上がる。
◆で、なぜ箸墓が270年頃であったり280年頃であったり、ということが決められるのか、ということ。それはやはり中期の年代観から布留式諸型式を積んでいって、3世紀中頃までは上がらないという、いわば小林行雄のかつての積算とあまり変わらないやりかたとも感じる。布留1式の下限がいつ頃で、2式はいつ頃で、ということの参考になるような年代の定点は、土器の側にはない。晋式帯金具も類例は少ないし、大陸での幅もあるし、決め手にはならない。これもまた三角縁神獣鏡の国産開始時期を考えることで、行燈山が4世紀前葉といったおよその定点がえられるわけです。

外来語

◆1990年代後半、中央官庁にいると、課長補佐クラスがしきりと「スキーム」という。
◆近年は「ミッション」とか「アジェンダ」とか。
◆大学界もしかり、「AI(アクションアイテム)」というのだそうです。「ポートフォリオ」も。それと3ポリ。アドミッションポリシー、カリキュラムポリシー、卒業のはなにポリシーだっけか。いまアホみたいに、3ポリを書き直させている。不毛。
◆これらは世間とは乖離した隠語です。日本語を使え。明治人の方が気骨がある。
◆桜井市のパワポ、7割まで来た。

まったく同感

◆堀田江理さんという方の文章を読みました。南部仏印は最悪、米国が原油を止めるということの 予想すらできず、引き返せるのに引き返せない。参謀本部作戦課、みな出世もしたいし、上にさからえず、また失敗は糊塗する。作戦を練る、意見が違う、激論はする、がとことん勝つ目的を実現するための最良策に到達するまではやらない。案を出す方は競い、上は合理的な判断を下せず(無能)、声の大きいやつに寄り切られる。服部とか辻とか。あとは「戦ってみないとわからない」と「精神論」。これでは絶対に勝てません。これが彼女の言う当事者意識のなさでしょう。流れ・・・。根拠のなさ、先をとことん見極める力もない。ただ組織は肥大し、首相を暗殺したり、永田を惨殺したりする内部者さえ、統制できない軍。こんなものが、わが国の軍隊だったわけである。無駄死に、無駄死に・・・。国のためというのはきれいごと、無謀な作戦を立て、消耗品のように兵士を死なせた上層部は責任を取らない。戦後、国会議員となったりする。
◆話はまったく変わりますが、育休を2年にすると?。なぜこんなバカに法律を作らせるのだろう。現状を分析し、問題を把握し、解決すべき点がどこで、それをどのように法律そして予算で手当てしていくか、という能力の欠けた人々。どこに連れていかれるのか。
◆カジノ。大阪府民をやめよう。あほらし。万博も。

今週も

◆明日の都市史学会のパワポ作成。基本、文字なし。画像のみの15分。
◆今週は、火曜日に博物館実習展《恒藤記念室リニューアル》の設営。水曜日は、朝、真田丸の資料を出し、2つの演習後、堺市の寺山南山の現場を見せてもらう。木曜日は、朝、和泉市府中のFWをし、文化財課で調査成果について話を聞く。午後は、都市史学会のパワポ作成にかかった。
◆本日の金曜日、恒藤展示の手直し。で、パワポ貼り付け完了(終了ではない)が16:05。さて、ここからは桜井市のパワポ作りです。
◆月曜日の立命の準備も、火曜日に向けた資料作りもある・・・

山陰型甑形土器

◆大阪文化財研究所の『葦火』を見ていて、なんじゃこれは。山陰型甑形土器、という名前でしたっけ、弥生後期に出てくる。小野市垂井遺跡にもあったのを記憶している。用途不明、と。でも『葦火』を見ると、畿内で古代で見つかっているものと形がまったく一 緒。でこれは鍛冶炉の煙突と考えられている。

さて資料はできるか

◆ひとまず10日の都市史学会の資料は出しました。次は大阪城ですが・・・
◆やっとこさ、8日6時頃できあがりました。堺市が12月20日までと・・・。〆切に追われています。都市史学会のパワポは8割方できた。明日、一気に桜井市分もやっつけてしまおう。13日は、学長らエライさんを前に30分、研究の話をせよと言われております。

難波宮レーダー

◆2日、探査のための枠取りの測量。大極殿前に基準点がある。
◆そして翌日から探査に着手。宮跡公園内の発掘して朝堂の柱穴が検出されている箇所と、東南部の第5・6・8堂部。近世遺構、軍施設、市営住宅という障害、これらによるガラの多さ、遺構面の深さ、そして掘立柱の柱穴というレーダーでの捕捉実績があまりないもの、という諸条件はあるが、第8堂を探ってやろうというもの。天理大学チームの学生さんらが頑張ってくれております。

生かされてます

◆日曜日はKR研。月曜日は立命に行って、夕方、大歴の委員会で、今日、火曜日は博物館実習。1 週間ほど前に、ようやく会期を決め、今日は大学史に行って借用資料リストを渡し、来週の展示設営の打ち合わせをやって。学生らもパネルや題箋なんかをほぼ仕上げてくれている。みなに生かされて、なんとか日々乗り切っております。その日暮らし。次は2日の測量と、3日の探査と、4日の大阪城の締め切りと・・・。
◆まあ、この間も修士論文2本にむきあっております。
◆自分の研究のエフォートは5%、くらいかな?
◆いつもお世話になっている心の診療所です。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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