人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2016年10月14日丹後
◆旧野田川町の丹後ちりめん歴史館を見学したあと、旧加悦町の伝建「ちりめん街道」を散策す る。織機の音がそちこちから聞こえてくる。旧尾藤家住宅の見学や、杉本家や西山工場など。
◆そのあと加悦鉄道資料館に行けばよかったが、宮津に向かう。途中、ニシガキで魚や寿司を買う。
◆宮津。いまはやっていない資料館の入っている「歴史の館」をのぞく。ここに掲示されている宮津のまちあるきマップがいいんですけど、そのあと駅の観光案内所でもらったマップは、より詳しいが単色のマップだった。近世城郭があり、城下町なんだが、核としての城がない。川筋のところに雰囲気を出す塀と、移建された門があるのみ。川の東側、小学校などになっており、川べりで解 説板かと思われるものを見かけたが、車で通過したのでわからず。まちあるきは、インターチェンジから海へまっすぐにつながる南北道の西側、円弧をえがく2本の街路沿いが雰囲気がよくのこっており、重文になっている旧三上家住宅などを見学し、帰途につく。
◆そのあと加悦鉄道資料館に行けばよかったが、宮津に向かう。途中、ニシガキで魚や寿司を買う。
◆宮津。いまはやっていない資料館の入っている「歴史の館」をのぞく。ここに掲示されている宮津のまちあるきマップがいいんですけど、そのあと駅の観光案内所でもらったマップは、より詳しいが単色のマップだった。近世城郭があり、城下町なんだが、核としての城がない。川筋のところに雰囲気を出す塀と、移建された門があるのみ。川の東側、小学校などになっており、川べりで解 説板かと思われるものを見かけたが、車で通過したのでわからず。まちあるきは、インターチェンジから海へまっすぐにつながる南北道の西側、円弧をえがく2本の街路沿いが雰囲気がよくのこっており、重文になっている旧三上家住宅などを見学し、帰途につく。
網野銚子山古墳を見る 記事№3500
◆来週行けないので、金曜日にでかける。京都縦貫道をはじめて使う。前方部前面ほか、整備に必要な確認調査のだめ押しの調査。昨年前方部東北の周溝コーナーがきれいに検出され、今回の調査とあわせて、東側側面の外縁区画の状況がとらえられてきつつある。墳端は畑地としての開墾等で削り込まれているため、基底部含めて既に失われており、定点はえられないものの、下面テラス、下段斜面、裾部と、新たな測量図にもとづく全体的な斜面やテラス面の寸法と、発掘で確認された墳丘残存面の推移から、一定の無理のない推定復元はできるだろう。
◆午後、秋晴れの中、加悦にむかう。
◆午後、秋晴れの中、加悦にむかう。
大阪市の博物館群の独立行政法人化+府立博物館も
しばらく前に新聞発表されていました。大阪市のHPから。
見直しの方向性
・博物館施設(大阪歴史博物館、市立美術館、東洋陶磁美術館、自然史博物館、市立科学館)を一体運営する地方独立行政法人を設立する
※大阪城天守閣については、大阪城公園の観光拠点化を推進するため、大阪城公園パークマネジメント事業を導入するのに伴い、公園と一体管理を行うため対象外とする
・なお、府の3博物館(近つ飛鳥博物館、弥生文化博物館、日本民家集落博物館)も一体運営の対象とする
・動物園は、当面、利用者目線での課題改善と並行して「天王寺動物園のあり方」の検討を進める。あり方の検討結果を踏まえて、経営形態を改めて検討
実現時期等
地方独立行政法人設立(平成31年度)
目的・意義
大規模展覧会の誘致・開催等により都市魅力の向上に貢献
自主性の発揮や民間等の積極活用による利用者サービスの向上
サービス向上による増収と経費の見直しで、公費支出を抑制
業務改善サイクルの確立と、成果公表による透明性の向上
地域の自然や文化遺産を次世代に確実かつ安全に継承
見直しの方向性
・博物館施設(大阪歴史博物館、市立美術館、東洋陶磁美術館、自然史博物館、市立科学館)を一体運営する地方独立行政法人を設立する
※大阪城天守閣については、大阪城公園の観光拠点化を推進するため、大阪城公園パークマネジメント事業を導入するのに伴い、公園と一体管理を行うため対象外とする
・なお、府の3博物館(近つ飛鳥博物館、弥生文化博物館、日本民家集落博物館)も一体運営の対象とする
・動物園は、当面、利用者目線での課題改善と並行して「天王寺動物園のあり方」の検討を進める。あり方の検討結果を踏まえて、経営形態を改めて検討
実現時期等
地方独立行政法人設立(平成31年度)
目的・意義
大規模展覧会の誘致・開催等により都市魅力の向上に貢献
自主性の発揮や民間等の積極活用による利用者サービスの向上
サービス向上による増収と経費の見直しで、公費支出を抑制
業務改善サイクルの確立と、成果公表による透明性の向上
地域の自然や文化遺産を次世代に確実かつ安全に継承
こんなん出てきました
◆今日は立命館の授業があり、行きたかった国際平和ミュージアムにはじめて寄ってみました。が、ボ リュームが大きく、授業前の時間だけでとても見切ることはできない。何回か、必要ですね。これ以外、3連休の間、せっせと仕事をこなすも終わりません。
◆ちょっと研究室の模様替えというか、あまりに増えていく物資、これらが雑然とそちこちに積みあがっているので、仕事に飽きたら片付けなどしています。で、こんなんが出てきました。市大・府大統合にかかわる文学部の会議に金曜日出たところですが、なにかの役に立つかもしれません。この会議、2時間の予定でしたが、博物館展示論の第1回があったため、半分で抜ける。まあ、なかなか発言しにくい。自分が抜ける時間も迫り、発言を求めて1回しゃべりましたが、なので後半戦がどうなったかはわかりません。11月に梅田でやるイベントのチラシも掲げておきます。
◆ちょっと研究室の模様替えというか、あまりに増えていく物資、これらが雑然とそちこちに積みあがっているので、仕事に飽きたら片付けなどしています。で、こんなんが出てきました。市大・府大統合にかかわる文学部の会議に金曜日出たところですが、なにかの役に立つかもしれません。この会議、2時間の予定でしたが、博物館展示論の第1回があったため、半分で抜ける。まあ、なかなか発言しにくい。自分が抜ける時間も迫り、発言を求めて1回しゃべりましたが、なので後半戦がどうなったかはわかりません。11月に梅田でやるイベントのチラシも掲げておきます。
ことのついで
◆同じ『空からみた古墳』の津堂城山です。この写真は、その後、『日本の古墳』や『大観』にも 再掲されているのかもしれませんが・・・。よく見ると、前方部前端、ソイルマークあるんちゃう?、と。塚口先生の古稀記念論集に津堂について書きましたが(もうすぐですね)、一所懸命、復元をやってみたわけです。が、前端、どうすりゃいいのさ、探査の反応によりかかったわけで、それも間違いではないわけですが、ラインが見えるんとちゃいますかと。とくに手前、同じ1枚の田んぼですよねと、ところが墳丘側は白い。後円部の東側もそのように見える。そして全面調査された島も、うっすら白いやん!、と。反対側はなんか正方形の区画になってるで、と。いかがでしょうか。
【追記】『日本の古墳』と『大観』は別の写真でした。でもわかりませんでした。『空からみた古墳』の撮影時の条件が良かったんでしょう。
【追記】『日本の古墳』と『大観』は別の写真でした。でもわかりませんでした。『空からみた古墳』の撮影時の条件が良かったんでしょう。
もひとつ帝塚山
◆末永先生の航空写真。『大観』には1カット。上田宏範さんの文献に挿図として『古墳の航空写真 集』からということで挙がっている写真があり、こっちの写真の方が撮影は古い。この本、1980年刊行で、古本で2万~3万するんですね。で1957『空からみた古墳』をくっていると、『写真集』と同じ時期の別写真か、と思われるものがありました。東側面に張り付いている、畑地より古墳沿いの部分、これが平坦なのか斜面なのか、気になりますね。いまの入り口前にある道路をはさんで、向かいの緑地も。
◆2000年に測量した時、市文協で、過去の試掘の高さデータも教えてもらいながら、結局どこかわからなくなり、『報告書』で公表されている範囲でしか、周囲の深さを確認できなかったような、かすかな記憶もある。古い写真を集めることなどを含め、帝塚山古墳について、まだやれることはあるようです。こないだは、5世紀第2半期から中頃でアナ窯段階とした。その先は明確には言わなかったが、3段で大きくなれば、見た目はかなりイメージが変わり、誉田御廟山型なのかな、と思い始めています。
◆2000年に測量した時、市文協で、過去の試掘の高さデータも教えてもらいながら、結局どこかわからなくなり、『報告書』で公表されている範囲でしか、周囲の深さを確認できなかったような、かすかな記憶もある。古い写真を集めることなどを含め、帝塚山古墳について、まだやれることはあるようです。こないだは、5世紀第2半期から中頃でアナ窯段階とした。その先は明確には言わなかったが、3段で大きくなれば、見た目はかなりイメージが変わり、誉田御廟山型なのかな、と思い始めています。
すみよし歴史案内人の会の学習会
◆で、帝塚山古墳の話をしました。昔の資料を取り出し、それ以外にもいろいろ資料を作り、とに かく知っていることを洗いざらいしゃべることと、その元になる資料をできるだけたくさん提供し、使ってもらえるように努める。本日の11時ごろになんとか終え、使った画像でパワポを組み、あとはしゃべり・・・。
◆会場に12:40頃にはついたか。みなさん熱心に聞いていただけました。「その時代」の話は最後にちょこっとだけ、あとはひたすら帝塚山古墳に即した話。
◆『市大日本史』の第3号は印刷が粗悪で不鮮明。埴輪もつぶれています。トレース図をスキャンしたので再掲します。
◆堅田先生に、明治の大演習の記念碑を立てる時に、朱が出て、それを見たことがあるとの話を、当時うかがったが、その話もした。いつ、どこで、ということを聞いておかないといけなかったで すね(これも『市大日本史』の文末に追記しておいたから、そういえばそうだったな、という話で、読み返すまで忘れていた)。
◆字大帝塚の巨大古墳はあまり根拠がない。梅原先生が報告している小帝塚(ほんとはこっちが大きいと記載されているが)の位置もわかった(図の丸のところです)。
◆会場に12:40頃にはついたか。みなさん熱心に聞いていただけました。「その時代」の話は最後にちょこっとだけ、あとはひたすら帝塚山古墳に即した話。
◆『市大日本史』の第3号は印刷が粗悪で不鮮明。埴輪もつぶれています。トレース図をスキャンしたので再掲します。
◆堅田先生に、明治の大演習の記念碑を立てる時に、朱が出て、それを見たことがあるとの話を、当時うかがったが、その話もした。いつ、どこで、ということを聞いておかないといけなかったで すね(これも『市大日本史』の文末に追記しておいたから、そういえばそうだったな、という話で、読み返すまで忘れていた)。
◆字大帝塚の巨大古墳はあまり根拠がない。梅原先生が報告している小帝塚(ほんとはこっちが大きいと記載されているが)の位置もわかった(図の丸のところです)。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。