人を幸せにする人になろう

やっとこさアドビ入る

◆まあ即クラウドを入れました。年会費を取られ続けるわけだ。アドビがダメになったデスクトップ。壊れて新調したノートPC。なんとか、インストールできました。動きます。あとは慣れですね。インデCS3、イラレCS4、フォトショは何だっけか、ぜんぶ動かないのはいったい何が起こったんですかね。これらはパー。アクロバット10だかは動いてますが。あとはノートPCのモリサワ5書体もパー。さてこれはどうするか。

管野須賀子と伊藤野枝

◆タイトルに惹かれて買い、読みました(ブログの表題は副題)。
◆まったく話は変わり、従軍慰安婦の話。専門家は、専門家的に新しい事実を掘り起こす。がそういうのを読んでいくのは、われわれにはできない。また、そういう個別の事実よりも、多くの者は全体像を知りたいのである。そういうわかりやすくまとめた新書はあるのかな。あるんでしょうね。なので、まずそれを読まないといけませんね。が、内容が古かったりもするのでしょう。研究も日進月歩、10年ごとくらいで改訂し、常に最先端研究をふまえて、それをわかりやすくまとめてほしいもの。
◆とにかく、ある研究者の書いたものによって朝日が記事を書いたが、それが捏造?であることが判明し(学界では問題視されていたらしいが)、それによって、従軍慰安婦が時の政府や軍が主導したということが事実でなくなったわけではない。が、世間的には、従軍慰安婦というものそのものがなかったかのような話にもなったりもする。こうした経緯や現状把握が正確な記述かどうか、不安だが。ともかくも、内務省やら軍が主導し、しかしあからさまにはやれないからこっそりとやり、日本では遊郭に女性を送り込むような仕事をしていたやつらに人を集めさせる。で、都道府県警が、そういうやつを引っ貼ると、政府や軍の指示があって、と答え、それがほんとうかと中央に問い合わせたりする、そういう資料が明らかになっているわけですよね。著書を読むまではやっていないけど、知ってはいます。
◆なんていうのか、やられっぱなしで、学界も組織的にチャウということを突きつける努力をしないといかんのでは、と思うわけです。全体像を!。なかったことにしたい側に対し、反論できないほどの根拠ある否定しようもない事実にもとづく、わかりやすいまとめを望む。
◆松本清張の昭和史発掘。あるもんだから読んでいると、やめられなくなる。陸軍の内部の派閥や対立、いがみあい。こんなんでは勝てないわな、とカミサン。

駆けつけ警護が閣議決定2016年11月15日

◆いずれ自衛隊員の死者が出て、誤射で南スーダン人を殺傷することも起こるのではないか。2014年 の211には行かなかったのかな。小森陽一氏の原稿が『歴史科学』に掲載されているが、わかりやすくタメになった。
◆週刊金曜日編の『日本会議と神社本庁』?をざっと読む。
◆神社本庁おそるべし。今年の正月?、改憲の署名用紙をどっかの神社で見て、唖然としたが、そのことも書いてあった。そして宇佐八幡の宮司の人事介入とか、高松市の宮司の人事介入とか、好き放題やりまくり、の実態を知る。石清水のおっさんは悪人のようである。石清水なんぞ、二度と行くか。とはいえ、みな統括されちまっているから従っているだけなわけだが、本来は神社同業者組合みたいなもんであって、離脱することは可能なのである。いやがらせがネチネチあるが。そしてまっとうな宮司さんの話もある。みな離脱すればよいのである。本来、神社に本山・末寺のような関係はない。どことも地域のまとまりのシンボルとして、祭礼があり、祭りに参加する。地域地域のものであって、地域が支えている。本庁なんぞに統制されるべきものでないし、必要ないわけだ。あほらし、と離脱すればよい。寺より神社が好きだが、それは地域地域の長い歴史のなかで続いてきたもので、歴史的に意味があるからです。が、本庁にも、伊勢神宮にも、明治神宮にも、橿原神宮にも、なんの興味もない。地域の神社が地域のなかで存続していくことを望む。中央の政治屋どもに振り回されたり、使われたりするものではけっしてない。
◆もひとつ1976年だかの元号法制化って、大きいですね。まずは建国記念の日の復活、そして元号法制化、自分らが大人の時代には国旗国歌法案に進み、解釈改憲まで来たわけだ。元号法制化までは、公文書では元号を使うことも決まっていないし、昭和は慣例的に使用していたが、もしかしたら昭和でやめましょう、あとは西暦でということが実現していたかもしれないのである。あるテンちゃんのミヨにひとつの元号を使うことを義務化されてしまったわけだ。

デスクトップが

◆ノートPCは新しく買ったが、旧ノートのデータは復旧するだろうか。だいぶ金がかかる上に、どこまでデータ復旧するかわからん。アドビのソフトも、モリサワの書体もパー。新しいノートPCの環境もままならず。WIN10で、オフィスを認証するのもやっとこさ。アドビソフトもまだ未発注。はよせえ!。
◆そこに、今度はデスクトップのアドビが立ち上がらなくなる。昨日、ヒストリアの原稿をインデザインで組んでいて、保存し、次、立ち上げると、インデが開かん!。フォトショも、イラレも!。身ぐるみはがされた。なんにもできんやないか。
◆というので、一太郎で表画像を貼り込んで見本を作り、ある原稿の入稿作業をしております。やる気がなえる・・・。やっとこさ、ヒストリア10月号が終わりそうである。

調子が・・・

◆11月3456あたり、伏見城の仕事に集中していて、5日は堺に行ったわけだが、6日の塚口先生の会のこ とが完全に頭から抜け落ち(予定表も見ず)、すっぽかしてしまいました。先生には大変失礼なことをしてしまい、また世話役の方にも申し訳ないことをしまいました。丁重にお詫びしないといけません。
◆翌7日は久津川の測量に行ったわけだが、この日、立命館の授業がないと思い込んでおり(後期の予定を学年暦を見ながら記入した段階からなぜかないことになっていて、測量を入れ・・・)。そのあたりから、しばらく低空飛行を続けています。ちゃんと仕事を・・・。
◆写真は銀杏です。

2016年11月13日考古見学会

◆9:00JR福知山線川西池田駅集合。中山寺に横穴式石室を見に行こうとするも、駐車場2000円で断 念。中山荘園古墳。長尾山古墳。移築された長尾山古墳群。川西市文化財資料館。鴨神社。加茂遺跡。勝福寺古墳。多田神社。昼飯。池田市歴史民俗資料館に行くも、企画展で考古展示なし。五月ヶ丘古墳。呉三堂古墳。池田茶臼山古墳。小林一三記念館。田能遺跡。伊丹市立博物館。御願塚古墳。17時前解散。
◆前に新潟県のパンフを紹介したが、兵庫県下でも2か月にわたる全県下における文化・文化財関係で連携して取り組む諸事業をまとめた冊子があったので、もらってきました。

11月7日久津川車塚の測量

◆測量です。あと2~3日。線路東側西北隅の線路際。竹藪の密生地。本日はここをやっつけるぞ、と。立命館の学年暦が今日は振り替えになっているため、ないので、測量作業を入れた。測量は院生・学生等に任せる。Dが器財の説明をしつつ、チビミラーをもち、進めてくれる。こないだもそうだったが、完全に任せて、こっちは伐採。とはいえ、右足が痛くなり、肩が痛くなり、右手首も痛くなり、こういうのも、もはや無理はできないですね。おまけに竹に目をやられ、右目から涙が止まりません。
◆新規杭を打つのも、どう測点を取っていくのか、図面を仕上げるのも、DはDで学ぶべきことはあり、MはMで、学生は学生で。竹藪でなかなか順当に測点を取っていけないが、地形をみながら飛ばしつつ、現場できっちりと図面を仕上げ、また持ち帰って、明瞭な図面としてきれいに整えるのも、すべて勉強である。もうここには来たくないので、最後、すべて測るべき測点をちゃんと取ってあるか、そのことだけ念を押して確認させた。
◆竹の伐採、葉っぱ落としも15:30にはやることがなくなり、休んでいた。1987年、およそ30年前の 丁瓢塚のことを思い出す。あそこも竹が多くて。それと伐採しながら考えていたのは、ず~とあることでした(言いませんけど)。写真奥側の竹の密集地で測量をしています。15時くらいからは、もう薄暗い。脇に大きな柿があり、いっぱい渋柿がなっているんだが、取る人もなく順次落ちている。と思ったら、鳥がやってきてついばんでいました。
◆ここが完了したとすると、あとは線路東の南端部分と、入り口付近の草の密生地部分です。街路はどうするかな、まあええんと違いますかね。

11月5日は堺

◆以前に、岳父を堺に連れて行った話をした。堺で3つくらい転居しているわけだが、2番目の家は 宿院の交差点のところで、空襲にそなえての疎開で道路が拡幅され、3つめの家に転居する。その後、この界隈を昭和12年だったかにスケッチしたものがあり(展示されているのをいつか見た)、それをもとに利晶の杜の博物館で模型が作られる。それを見てもらうことになっていた。ものとスケッチは堺市博から図録になって刊行されており、それを渡してあるのだが、なつかしがって、再訪の話に進んだわけです。
◆さらに年数が経過し、ずいぶんと足腰も弱まり、博物館では車椅子を借りた。前日からは行けなかったので、朝出て、海南東から阪和道に乗り、湾岸線で大浜まで。模型を見てぱっとここ、という反応にはならなかった。90歳を越える姉、もうひとりの姉(向日町)など、住んでいた時により年上の兄弟に聞かないと、確定はできなさそう。まあ、しかし、この写真の正面角から3つの敷地のあるまんなかかな、と。その一部を借りていたのか、全部か、それはわからないが。
◆次は自分の親のところです。11月中に1回行けるかな。

にほんいち明るい経済電波新聞

◆での言葉。元気な会社の社長。
(1)明るい。(2)意志が強い。(3)運があると信じる。(4)縁を大切にする。(5)大きな夢をもつ。だそうです。
◆まったく関係のない話です。ザリガニとウシガエルはマチにいる(田舎にはいない)んだそうです。
◆まったく関係のない話です。カミサンは、いろんなものを作ってもらったり、そうでなくとも会社訪問をすることもあるのですが、その話。日本人の若いモンは実際にモノを作ったりする作業をいやがるんだそうです。PCで制御すれば何でもできると思っているんでしょうか。で、結局、製作の機械を扱ったり検品したりの現場は、外国の人だったりするんだそうです。そういう話をあそこでもここでも聞くと。モノづくり、の将来は暗いですね。体を動かすことを厭う。労働して給料もらって生活して生きていく、そのモトを放棄する。コンビニのバイトでも食っていけると・・・。
◆話は変わりますが、夫婦2人で21時とか22時まで働いていると、まあ外食が多くなる。あるいはスー パーの半額のお寿司とか(時間帯が遅くなればない)というおっさんの食生活となる。が、国分駅前にそう店は多くなく、行くところは、あそこかここか、あっこ、となる。で4日、新規開拓して入った店が、これがよかった。「旨いものを食うために働いている」というのも真理である。写真がうまく撮れませんでしたが、銀杏を焼いたのもよかった。

3D考古学

◆早稲田のJさんから研究会の予稿集の冊子を送っていただきました。世の中はここまで来てるんで すね。遺跡・遺構・遺物とも日進月歩ではあろうが、遺物の整理にどこまで入っていくか、全国のマイブン業界における遺物整理の全体量はかなりのボリュームであり、20年ほど経つと、整理室の風景はすっかり変わっていくことになるかもしれませんね。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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