人を幸せにする人になろう

文化の日に駆けつけ警護の記事

◆11月に入りました。秋晴れです。こんな日は、まちあるきをしたいものです。が、学祭期間になり、ここで稼がな、と仕事をしております。とはいえ、行事なし、というものではないが、比較的ゆったり。歴史は変化への適応の歩みともいえる。ゆっくりと変わっていきたいものである。このままでは生き残れないといった脅迫で、為政者があれこれ動かそうとしても、それに踊らされず、成り行きを見定めて、少しずつ適応していけばよい。こちょこちょ変えるな。現状の点検は必要だし、手を打たなければならないだろうし、とはいえ優先順位もあるし、ほっとけば調和していくものもある。何もしないというのとは別。人間の意志と行動こそ、次の創造につながるだろう。チャレンジである。大事なのは、どのような意志をもつかだろう。
◆防衛大臣が「神武天皇の偉業に立ち戻り・・・」と、明治節復活の集会で呼びかけたという。日本の歴史教育は何なんでしょうか。こんなアホ、とほっとけばいいというものでもない。いろいろ書こうとも思ったが、

さてここからは大歴ですわ

◆いや~、明日も予定がきっちりあり、夕刻の委員会に向けて今晩中に資料を作らないといけません。月曜の夜は恒藤・・・。伏見城のプレッシャーもきつくなってきているが、3・4・5・6日は、いくらか仕事が入っているし、堺にも行かないといけないのですが、残りの時間はすべて伏見城にあてる決意ですので・・・。

2016年10月30日KR研(久津川車塚古墳研究会)

◆夏季の現場のあと、この月イチ研究会を再開する。本報告はかなり先だが、遺構のトレー ス・記述は、その年度のなかでストックしていく大方針で(2015も追いつく!)、今年度から概報もあり、そうした報告作業の進捗、記録類や遺物の整理作業の進捗を確認しつつ、研究会を続けている。
◆前期はこれまでの久津川古墳群また車塚にかかわる過去の調査成果などを共有しあってきたが、後期は2015・2016報告にむけて、原稿担当者がそれぞれ報告していくことになりそう。城陽市の担当者お2人を含め、毎回、院生・学生が集まっている。
◆研究会は、立命館のNさんが主導し、勉強会メニューや整理作業の仕切りもしてくれている。これにうちの道上氏がサポートに付く。
◆今回は、2016のトレース分担決め、2016の葺石の検討、埋葬施設の検討、2017調査区の意見交換などを行った。プラスこないだの木津でしゃべったことの概略を短くしゃべる。立命卒論組も提出したあと1月から2015に取り組んでくれ、2016主力の3回生のメンバーもそれぞれ役割をもち、2016をまとめてくれることが、スケジュールともども確認された。城陽市側と相談しながら、こうした基本方針を立てたことが、今日の最大の収穫である。こうした打ち合わせ、研究会の発表も、いや~、ちゃんとしてる。なかなかいい感じです。うちの院生・学生も、一緒に掘った仲間とともに成長してほしいものである。
◆少し時間が足りず、線路東側の残りの測量のことと(市大側で日程は決めている)、2015の遺物整理の話ができなかった。後者は日程調整が必要。なお、概報のイメージを作る宿題がまわってきた(11月研究会までに)。それと本報告の本文書きに先立ち、トレースも80%くらいできあがってきているので、挿図の図割りをしないといけない。そういう面でも、月1回の研究会という機会は重要である。

10月29日は三重大学

◆奈良女・三重大・京都府大でやってきた合同卒論中間発表会に参加させてもらうことになり、昨年は奈良女に、そして今年度は三重大ということで行ってまいりました。うちは4回生がいないので、M1に発表してもらう。朝、国分を出て12時前には着き、昼飯を食べ、13時から開始。
◆なかなかありがたい機会である。三重大は伊勢湾に面し、安濃川?に面した、河口部の海端。春は潮干狩り、夏は海水浴ができるのでは?、と思うが、どうなんでしょう。2回ほど、もうちょっと南だが潮干狩りに行ったことがあります。
◆懇親会にも行きたいところですが、翌日がKR研なので、すぐに帰ってきました。

10月28日金曜日は大学史の会議と高槻市

◆9:20から大学史移転のWGの会議、そのまま大学史運営委員会。これで昼。そこから高槻へ。大学史の、恒藤記念室を含む展示設計のプレッシャーも、なかなかのものである。
◆大阪城の表面波調査は、木金で計画されていて、この日も高槻市の会議から大阪城へ向かうつもりにしていたが、予定の調査が木曜日に終了したので、大学に戻る気力もなく帰宅。そのまま爆睡。ああ、大歴の仕事をせなあかんのに・・・。

10月27日大阪城表面波探査

◆聚楽第の堀が、つまりは平面形や構造がわかったという新聞記事はいつだったか。これを豊臣大 坂城本丸の、内に入り込む3段構成で深さ10mの堀をつかめないか、ということでお願いしたもの。文理で取り組むこの事業の推進者であるNさんと、理学部のMさんでセッティングされたもので、どんなものか見たいし、昨日、17時からの現場に行きました。
◆結果はすぐわかるようだし、楽しみにしておこう。大きな掛矢で2mごとに舗装された地面を叩いて、振動を2mごとに配置された受信機でつかまえて地下構造をさぐるもの。測線3本が、わりあいあっという間に(2時間かかっていないのではないか)終了した。学生・院生等が叩き役だが、大きな振動を与えるほど深い情報がえられるので、どこまでの深さが探索できたか、というところ。
◆カミサンのところに新潟大の古生物の人が計測に来ており、様子をのぞきにくることになってい たが、意外に早く終わってしまい、到着したのは片づけたあと、写真を撮っている時でした。解散後、天満橋で飲み会。

槇尾川沿いの水利

◆大学院演習でちょっとしゃべれということになり、これまで作ってきた図をがっちゃんこして、 理解しているところを説明。しかし、池田下・芦部・伯太、今年の肥子も含め、現地調査時の元図もあるとはいえ、記憶はあやしく、正確な現状認識がちゃんとできているかといえば、できていない。たとえば写真も撮ってきてはいるが、どこのポイントがどの写真ということを含め、正式な調査報告書にまとめ上げる、という作業をやっとかないといけない。その都度の合同調査時の時点でしっかりまとめておく、というのは大前提。ある時点からは『市大日本史』にまとめの図が掲載されるようになってはいるが、こちらが手を入れたものもあるが、担当班の図をそのまま載せている場合、線や面の網などの関係で実はよくわからなかったりする。自分の資料を取りだしても、歩いて確認した線なのか、絵図なのか、地籍図なのか、聞き取りなのか、よくわからなくなる。
◆近世の人に、村の絵図や水利争論の図があるかどうかは、もうひとつ次の時点で突き合わせるとして、まずは再度、現地をぜんぶ歩いて、池田の一ノ井からすべて系統的に踏破し、必要な写真を残し、やり直したいところである。おおよそはわかっているのだが、決定版の図を作ろうとすると、あいまいな部分、未確認の部分などが出てくる。完全とはいえないとしても、そして現代の付け替えはあるにしても、ともあれ現状はこうだ、という決定版までいかないと、認識のレベルがもうひとつアップしないと感じる。さて・・・、来年、前期にでも授業で・・・。
◆もひとついうと、こういう作業は、古墳時代後期、古代の理解にかかわっている。そして、ということはその後の歴史を通して、地域社会の骨格として決定的に必要なのだと思う。が、いずれ手遅れになるだろう。タンボが少なくなっても、1枚あるだけでも用水はなかなかつぶれない、という面もある。が、いつまでもそうではないし、見えなくなり、付け替えられ、なくなり、と。そして肥子でもそうだが、水利組合はもうなく、伝えられてきた水利関係資料はどこにいったかわからなくなっている。歴史地理のものを読んでいると、図が載っていたりするが、概して図が小さい。誰かが既に同じような作業をやっている地域もあるわけだが、元データがなにで、どこまでのことをやってできあがった図か、そこまではわからない。『和泉郡の条里』のレベルで(1/8000)、まとめあげ、のちのち参照してもらえるものを。河内の平野でもどこでも、これは文化財の仕事だと思うんですけどね。水利調査といえば、荘園調査が行われた特定地域しか、こうしたものは作成されにくい。

万博よりも

◆母親が息子を殺して自殺。1歳児が未確認なまま手当をもらっていた容疑で親が逮捕され、その子は行方不明。その下には釣り人を突き落とした中学生の処分記事。このあいだは大阪府警が、沖縄で「この土人が」と差別丸出しの発言(府知事はよくやっていると)。大阪の貧困、子どもの貧困、学力の低さ、犯罪の多さ、すべてはつながっているわけです。これをいかにマシにしていくか総合的対策を打ち出すのが大阪府市の最大の課題だと思っています。万博よりも。
◆同じ朝刊に沖縄独立学会なるもので、まじめな議論が重ねられていることを知る。
◆世界の男女格差で144ヶ国中101位だとか。育休期間延長という発想は、さらに位置を下げることになるだろう。
◆新共通テストの記述式の実現は厳しいと。そんなこと今更だし、民間調査の前に、そういう方向を検討しようという時期に文科省が現実性の確認をちゃんとすべきですよね。審議会などでエライ先生が提言する、もっともかもしれないが、実際にそういう方向に舵を切るかどうかは、慎重にプロフェッショナルが検討することが必要。この議論、どこまで議論が進み、後戻りできないものかわからないが、出願先の大学が採点する方向が出され、ますます現実性が薄くなってきた。2020年度に始まる新共通テストなるものは、2019年1月が最初ということかな。ここまでやってきた以上、なにがしか変えたものにせなあかんのでしょうね。しかしそもそも論として、ぜんぜんダメ、機能していないものは早く変えていく必要があるが、入試制度なるものはあまり変更するものではないし、ベストではないにせよ、そう悪くはないのだ。大きく変える理由や必然性はなく、中身をどうやって充実させていくかというところに腐心すべきものだろう。
◆中国の選挙妨害の話も興味深い。

11月に稼がな

◆次のピークは12月。10日に都市史学会。11日に桜井市、17日に真田丸シンポ。一方で博物館実習 の展示もヤマバを迎えそう。発表関係は11月にせっせと準備だな。
◆ちなみに、11月12日に梅田で市大文学部の店を開きます。これはこれで、ディスプレイ関係がまわってきそうだが。題して《文学部の逆襲》。

ほんでもってゴクローサン会

◆もう一人の講師は大手前大のMさん、Kさんと同級生で、わたしはその下。なので、カミさんが呑 みたいと。なので、終わったらいっぱいやりませんか、と提案すると成立。駅前で17:15くらいから関係者の呑み会のスタート。いや~実に楽しく、お酒も進みました。帰る頃には、翌日の立命館の授業の準備が頭をよぎる。なんとか資料は前日午前に作り上げPDFにしておいたので、コンビニででも刷ることができる。パワポは、天理のパワポを流用。5回目の10月23日は、祭政分権王制の話をする回になるので(ちなみに「祭」が上位にあることこそ倭王権の特質なので、以前は「政祭」としたが博士論文段階で「祭政」に改めている)。
◆天理駅に降り立つとこんな看板がありました。それと文化センターには内山永久寺の江戸期の大 伽藍の様子の図絵が掲示してあり、パチリと。
◆で翌日は立命館。資料を刷ったが、ミスしてました(配り直しです)。立命事務室でパワポの最終調整をした。終了後、本務校に14時に到着。研究会。終了は17時過ぎ。そこからこの2日間の整理をしました(とはいえどっか出かけた場合はガイドマップなどの資料の整理と写真の整理などが発生しますが、要するにこのブログを書くという行為です)。なんとか土日を乗り切りました。さて、今週は、大歴の仕事!、ですね。先週、ほとんどメールもチェックできてないし。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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