人を幸せにする人になろう

2016年1月23日(金曜日)クスコからタクシーで遺跡をいくつか

◆10:30頃にクスコ空港に着く。コカの葉が置いてあり、これを噛んで高山病を防ぐのだとか。
◆国内の幹線鉄道はあるが、都市部における公共交通機関としての鉄道や地下鉄や路面電車やらは発達していない。マチュピチュには鉄道の駅があり、ペルーレイルで行くのだが、実はクスコ市街からは出ていない(ポロイという駅までの移動が必要)。敷設はされており、貨車としては使っているとのことだが、客車としては市街地外縁の貧困層の居住域を通るところでしばしば止められるため、廃止になったのだそうである。なので空港に着くと(リマ空港でも同じだが)、とにかくタクシーの呼び込みに囲まれることになる。
◆今回は、ポロイからでなく、近傍の遺跡を見るため、途中のオリャンタイタンボ駅から鉄道に乗る計画。クスコ空港のタクシー窓口で、どこをどうまわり、どこまで、カネはなんぼという交渉が なされ(むろん照屋さん)、タクシーに乗り込む。チンチェーロ・モライ・オリャンタイタンボ遺跡をまわる予定。クスコ市街地を抜け車は進む。写真はクスコの露店の写真。
◆ペルーの国産車はないらしい。日本車・韓国車がけっこう多い。そしてボロボロのものも少なくない。それと先住民の独特のカラフルな衣、丈の高い帽子、荷物をかかえたおばさんの姿が、マチ・ムラの景観となっている。

2016年1月23日(金曜日)クスコへむかう

◆前日23時にリマ空港に着き、タクシーで当山ペンションにむかい、まずはひと眠りする。翌日23 日、ほぼ9時代のLCペルー便でクスコに向かう。朝、当山ペンションの朝ごはんをかきこみ、外でタクシーを拾おうとするも、空港に行くのを何台かに断られるが(込むから)、なんとかタクシーに乗る。外はかなりの霧。飛行機が欠航になることもあるというから心配も。が、まあ日本の盆地の霧と同じく、日が高くなってくると晴れてきた。9:25くらいに離陸。アンデス山脈を越える。
◆クスコは標高3400m。天気よく、クスコ市街が近づき、街並みが見えてくる。基本、瓦を葺いた斜め屋根か、簡易な鉄筋の平屋根、壁はレンガが多く、要するに赤い。オレンジ色に近い茶色い色調。また日干し煉瓦も多い。そして鉄筋コンクリートも増えているらしい。が、それらは建築途中かいなと思ってしまうように、上に鉄筋をのばした状態の建物が「ほとんど」である(税金の関係とも聞くが、正確には確かめてない)。
◆ペルー国内がいくつの州に分かれているのか今知らないが、クスコはクスコ州の州都である。そしてインカ帝国の都。盆地の街だが、いま肥大化した市街地は周囲の丘陵斜面に広がっている。プサンを思い出す。

2016年12月28日(水曜日)

◆たいがいwifiがあるが、日々ぐっすり眠り、毎日の記事を書くということはできず、またリマの当山ペンションで旅の終わり近くの、帰国予告の記事となりました。
◆昨日27日の朝、クンツゥルワシを離れ、カハマルカ、そし夜、リマに入りました。本日28日という か、29日の0時台の飛行機で帰る予定で、28日は1日リマです。27日昨晩、海外青年協力隊のみなさんと食事しながら、28日の行動についての話にもなり、車で1時間ほどの遺跡見学を午前に入れることになりました。
◆とにかく、もうすぐ帰国します。マチュピチュが有名ではあるが、インカ時代だけでも当たり前ですがいっぱい遺跡があり、紀元前1000年紀以降、見るべき遺跡が多すぎます。ぜんぜん体系化された知識を仕込んでいないし、行動できる範囲の見学ではありますが、遺跡を見ておきたいと思います。

◆写真はレベッカさんの店で、27日の朝食後に撮った記念写真です。

ひとまずリマに無事たどりつく

◆いま日本の真裏のペルーです。現地時間の23日午前4時。時差は日本より14時間遅れ。日本時間が午後6時=18時なので18-14で4時。伊丹から成 田に行き、成田からヒューストンまでが11時間半だったか。そこからリマまで6時間。照屋さんが空港に迎えに来てくれ、タクシーで当山ペンションへ。スペイン語でタクシーの運ちゃんと値段交渉、いやたいしたもんですね。すっかりお任せの旅です。明日は1日かけてクスコからマチュピチュ村に移動して泊、次の日がマチュピチュ攻めです。高山病で死にませんように。
◆出たのが22日の14時。そこから日が変わるまで10時間+時差分の14時間で24時間。ということで、22日は38時間あったようです。

AIの性能を上げている場合でない・・・と

◆最近よく見かけるようになりましたね。東大合格をめざすロボットを開発している話。しかし、それをやっている人が、やめにする、と。それは、東大合格より、ロボットの特性をのばす方面で開発を進めるということなんだが、一方で、この取り組みから、いまの中高生の読解力の危機感を覚え、急務だという記事。ちなみに、カミサンいわく。読解力以前に会話力さえない、と。話が通じないのだ。読む以前。

 新井教授が問題視するのは「AIが問題文の意味を理解していないにもかかわらず、どうして8割もの高校生がAIに敗れてしまったのか」という点だ。
 1つの考え方として「AIが得意とする計算や暗記が人間は苦手」というものがあるが、新井教授は「中高生も、AIと同様に教科書や問題文が読めていないのでは」という懸念をもとに、全国1万5000人の中高校生を対象として「日本語の文を読んで意味が理解できているか」という調査を2015年から開始した。
 例えば「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている」という例文から「オセアニアに広がっているのは(   )である」という文の空欄にあてはまるものを選ぶ問題がある。
 文章をしっかり読めば、答えがキリスト教であることは明白だ。しかし、全国約1000人の中高生のうち、約3割が正答を選べなかったという。他にも問題文に回答が書いてあるような同様の問題で、文章を正しく読み取れない生徒が一定の割合で存在しているという。

◆これ信じられませんね。だけど、こんな短文でも、読もうとしなんでしょうね。声出して読め、といいたいわな。それでわからんかったらどうしようもないけど、まあわかるやろ。目で追うかもしれないが、読む、ということをやってないわけだ。ながめている、字を追う、が彼らにとっては長すぎるんだ。マンガの吹き出しくらいでないと・・・。

このところ

◆このところ、22;30とか23時に帰り、飯を食い、こたつを入れて潜り込み、新聞か『昭和史発掘』を読んでいると、すぐに眠りに落ち、そのまま寝ていることが続いています。布団で寝ていません。疲れてるな~、と。

恒藤展

◆今年度の博物館実習展は、12月に恒藤、1月10日から文・理の独自展、あわせて2時期3つとなっ た。恒藤は前期にやり終えるつもりが力及ばず未完で、後期も大学史の後半戦で学内標本で進めるつもりが、挫折し、元気がなくなり、実習生にとっても、決められた路線でもこっちが準備や配慮を行き届かせれば可能だったかもしれないが、こっちがそうもいかず、従来の文理それぞれでテーマを決めてやる路線に戻す。いろんな理由で、つまり第1弾恒藤の完成にこっちも頭がいっぱいだとか、こないだの学長前プレゼンとの重なりとか、結局は、かなり任せきり状態。昨日はパネルを作って、年明けの10日は配置のみ、との予定であったが、まだまだそこまでいかなかった。とはいえ、両方について、出してくる案や文章になんとか意見を言い、履修生等も受け止めてくれた。「ほったらかしやん」、というイメージは払拭できたかな。まあ、そんな心配せんでも、むしろそれくらいでも、自主的に進めくれている。あんまり口をはさまず、要所で確認し意見を言う、というのがよいのかもしれませんね。
◆とはいえ、12月は例年(ここ5年ですが)実習展とのつきあいで、かなりの労力を使う。本来はパンフレットをそのあとこっちが作って、なんとか会期中の途中に配置するのだが、力尽きて、今年は早々に断念した。ムラがあるのはよくありませんね。去年は思いの外うまくいったのだが、そのエネルギーはもうないかも。
◆今年の特殊事情があり、これは来年にも続くのではあるが、平常に戻った時、1年かけて準備するのがよいかな、とも思う。そして実習展の準備のなかで実務実習とやらを(例えば写真撮影とか)入れていければ、実践的かなとも。しかし、まあ疲れる。定年までやり続けるパワーはないかも。もっと老練になって、自分が動かずとも要所を締め、自走するようにもっていくような力量がつくのでしょうか。博物館課程に、文学部のほかの先生もかかわらせるようなことも、考えていかなければなりません。マンネリになるだろうし。嫌いではないがオーバーワークになると続かんし。

吉田晶先生の原稿

◆吉田先生がお亡くなりになったのは2013年。いま『市大日本史』の仕事をしていると、ふと第12 号の先生の論文を紹介したくなる。2009年。美濃国戸籍に関する長大な力作。先生の原稿が届いたとき、編集としてはうれしいような、半面、たいへんだ!、と思った記憶がある。前年の講演からたいへん準備をいただいていたもので、当日、時間について事務局がどう伝えていたか不明ながら、いつ終わるんかいな、というもので、途中で終わりの時間を聞き、はしょられた。それが原稿になり、膨大な表を含む40頁の大作となった。先生のことだから、その後も書かれたものもあるのだろうが、最晩年の、まとまった論文としては、もしかしたら最後のものか、とも・・・。
◆いま、年内に片づけるべきことを、大学に泊まり、ぜんぶやろうとしております。どうなりますか。

なんとか真田山シンポをクリアし

◆12月17日の土曜日、真田丸シンポが無事、終わりました。持ち時間40分、やはりちょっとオー バーか。パワポやっとこさ作ったものの、練りがあまりない分、舞台でのしゃべりが円滑でなく、言おうと思っていた必要なことで言い切れなかった点もある。まあ、しかしあんなもんだわ。
◆絵図にある姿、最終の姿なんだろうけど、3つの馬出し曲輪とされているものが、みな慶長3年にできたのかどうかは、大手口をのぞけばわかっているわけではないなと。大手の空堀はそれにふさわしいが、あと2つはどうなのかなと。難波宮の古い調査で検出された堀の落ち1か所は原典にあたることができなかった。準備を通して大いに大坂城の勉強ができた。
◆懇親会。同じ日、都城制研究会例会も行われていて、同じ飲み屋に突入。真田丸グループが終了し、そっちになだれこみ、さらに2次会へ行き、なんとか帰り着きました。
◆聞きそびれたのは、南外堀の南側のくぼみが旧地形なのかどうか、ということ。なんであんなん なんだろうかな、と。

カジノ

◆関連記事。このならびで日本は賭博に甘い、との論も。エロ本もです。コンビニに堂々と、どこ でも露出して並んでいるなんて、外国人はどう受け止めているんでしょうか。
◆それはそれとして。経済とは人が生きていくためのカネの回転として、これも貧困対策とか、格差是正こそ正当な道だろうに。人が生きていくためのさまざまな活動があり、いろんな品物やサービスを提供する側があり、必要とする側が購入し、そうした循環のなかで収入を得て、食べ物を買い、子どもを育て、再生産していくもの。大企業や優良企業があることによる雇用があることに越したことはないかもしれないが、別になくとも、人口にみあった職があって、それぞれの収入を支え合うものになってればいいわけです。ある意味、カネのめぐり総量でさえない。回転。貧困層対策をほったらかしにして、さらにカネを巻き上げる仕組みを喜んで導入しようとする神経がわからん。パチンコです。膨大なカネがどちらかというと貧困層から、さらにむしりとる装置として、すっかり定着している。
◆法律ができ、大阪府がまっさきにでも沿岸にIRをと打ち上げるなら、やはり住民票を移すことを考えよう。

プラグイン

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索