人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
もう終わらないと
◆必要なのは、地域の文化財への愛情、またそれをいまの社会に活かしたいという熱意・志、そして地元の人たちと対話していく力。いい話をいっぱい聞きました。
◆それと正確ではないが、自分が向き合っている身近な現場、これらをつないでいくこと、人々と対話していくこと、そういうことが、世界平和にもつながっていくんだ、という猪名川町の担当者の言葉に感動!。
◆カミさん曰く、第1、心の健康、第2、コミュニケーション力。
◆それと、勉強は入ってからすればいい、とも。あるいは懇親会の時に、実測とか、そんなの関係ねえ、と。市町村の担当者と、調査組織での採用基準はもちろん違うだろうが。ここでは文化財行政担当者に求められるもの、が主題。
◆それと正確ではないが、自分が向き合っている身近な現場、これらをつないでいくこと、人々と対話していくこと、そういうことが、世界平和にもつながっていくんだ、という猪名川町の担当者の言葉に感動!。
◆カミさん曰く、第1、心の健康、第2、コミュニケーション力。
◆それと、勉強は入ってからすればいい、とも。あるいは懇親会の時に、実測とか、そんなの関係ねえ、と。市町村の担当者と、調査組織での採用基準はもちろん違うだろうが。ここでは文化財行政担当者に求められるもの、が主題。
兵庫県の歴史文化遺産
◆まあ書ききれはしませんが。兵庫県の「歴史文化遺産」という言葉、これは使わせてもらおう。世間一般では広く「文化遺産」の方が使われているようにも思う。人間の活動が形成してきたもののすべて、これは広義の「文化」ですよね。かなり幅広く捉えうる。一方、実際的に主に取り扱うのは、遺跡とか神社仏閣、近代建築、街並み、文書などなど、歴史的に残されてきたもので、しっくりくるのは「歴史遺産」。
◆要するに、文化財専門職が相手にするのは何か、ということ。文化財でもいいんだけど、指定物件?というイメージがつきまとい、狭いわけです。なので、「歴史遺産」がいいのかなと思うが、文化>歴史だろうし(突き詰めればほぼイコールかも)、やはり狭義の感じがないではない。「文化遺産」には、狭義の文化(文学とか音楽とか)でなく、広義の文化、すなわち人間活動により生み出されたすべてという意味合いをもたせうる。とはいえ、「文化遺産」は文化遺産で、能とか文楽とか、といったイメージを引き起こしやすいし、歴史をつけたい気持ちはぬぐえない。
◆兵庫県が「歴史文化遺産」という言葉を採用した経過の中でも、いろんな議論があったことだろう(それは知りません)。文化財の専門職が扱うトータルとして、「歴史文化遺産」というのは、いいんでは、と思った次第。
◆要するに、文化財専門職が相手にするのは何か、ということ。文化財でもいいんだけど、指定物件?というイメージがつきまとい、狭いわけです。なので、「歴史遺産」がいいのかなと思うが、文化>歴史だろうし(突き詰めればほぼイコールかも)、やはり狭義の感じがないではない。「文化遺産」には、狭義の文化(文学とか音楽とか)でなく、広義の文化、すなわち人間活動により生み出されたすべてという意味合いをもたせうる。とはいえ、「文化遺産」は文化遺産で、能とか文楽とか、といったイメージを引き起こしやすいし、歴史をつけたい気持ちはぬぐえない。
◆兵庫県が「歴史文化遺産」という言葉を採用した経過の中でも、いろんな議論があったことだろう(それは知りません)。文化財の専門職が扱うトータルとして、「歴史文化遺産」というのは、いいんでは、と思った次第。
2017年1月22日近畿地区文化財専門職説明会開催される(続)
◆各発表やディスカッションを聞いて、いろんな感想をもち、マメなメモはないが、感じたこと をまとめておきたいものだが・・・。
◆説明会では、考古畑で文化財の担当者になり、遺跡の調査にもかかわるんだけれど、実際には市町村担当者はあらゆる文化財を扱うことになる。夏の準備会の時にそのことをしっかり押さえないとと発言した記憶があるが、発表者が実際やっていることをしゃべると、自ずからそうなった。市町村の規模により差はあれ、遺跡から出発して、ほっといてもなんでもやらないといけなくなる、それはその通り。仕事だから好き嫌いでなくやらないといけないし、やっていくと多くの人は面白くなって、ひいてはいろんなものが残る地域全体のことを考えるようになる(事務的に仕方なくやっている人もいるのかもしれないが)。
◆なんとなく違和感めいたものを感じた点もある。経験を積むなかで考古畑出身のものが遺跡から文化財全般の広がりを身に着けていく、さらに人づくり・町づくり、地域づくりという境地に到達していく、というのが実情なんだろうとは思う。市町村のベテランの、長年の経験から認識されてきた役割、文化財専門職の仕事はそういうものだ、というところから話をはじめる必要があると思った。
◆市町村の担当者が、自分たちのところにある有形無形あらゆる文化財をカバーし、その価値をちゃんと知っていることにもとづき、それを現在の地域社会に活かしていく、そういう仕事だ、ということを打ち出すわけです。もはや発掘ばかりやっていた時代は過ぎ、各市町村担当者が仕事を重ねてきて、地域づくりなんだというところに行きついている人がいっぱいいるわけです。その到達点をしっかりまとめ、掲げる必要があるだろう。
◆そして人づくり・町づくり、地域づくりを、具体的事例にもとづき明確な仕事イメージを示す必要がある。考古・遺跡だけでなく、説明看板や整備した史跡のイベントだけでなく、地域の人々が自分たちのものと意識し、国史跡もあっていいが、むしろそうでない遺跡だったり民俗だったり古民家や古文書といったものを、守っていったり、勉強会をしたり、自分たちが向き合うことをサポートした実績例など、である。
◆別の話。大学側で考古学で論文を書くとなると、その性質上、特定の材料を突き詰めていく、ということになる。いろんな遺跡から地域史を描く論文もあるだろうが、概して専門分化した特定のことになる場合が多いだろう。でも一方、文化財専門職はそうでなく、むしろあらゆるものをトータルに扱う能力を求められる。むろん、特定のテーマで資料をもとに論を立てる専門的な研究能力が、文化財専門職として(あるいは博物館学芸員として)、いろんな文化財を取り扱い、一定の専門的理解を身に着ける応用能力になるんだろうとは思う。でもベクトルは違うな、とも思う。ある遺物を自分の研究テーマとして持続してやっていく、むろんそれは自由だしあっていい。が、文化財専門職、職というものはプロになるということで、ふつうは自分が向き合う文化財をちゃんと理解し価値判断できる学びに自ずからなっていくもので、その積み重ねにより文化財のプロになっていくのだと思う。
◆誰かが言っていたように、調査に参加しそれを取りまとめていくという経験は(発掘に限らない)、文化財専門職としてやっていくための直接的な力となりますね。
◆説明会では、考古畑で文化財の担当者になり、遺跡の調査にもかかわるんだけれど、実際には市町村担当者はあらゆる文化財を扱うことになる。夏の準備会の時にそのことをしっかり押さえないとと発言した記憶があるが、発表者が実際やっていることをしゃべると、自ずからそうなった。市町村の規模により差はあれ、遺跡から出発して、ほっといてもなんでもやらないといけなくなる、それはその通り。仕事だから好き嫌いでなくやらないといけないし、やっていくと多くの人は面白くなって、ひいてはいろんなものが残る地域全体のことを考えるようになる(事務的に仕方なくやっている人もいるのかもしれないが)。
◆なんとなく違和感めいたものを感じた点もある。経験を積むなかで考古畑出身のものが遺跡から文化財全般の広がりを身に着けていく、さらに人づくり・町づくり、地域づくりという境地に到達していく、というのが実情なんだろうとは思う。市町村のベテランの、長年の経験から認識されてきた役割、文化財専門職の仕事はそういうものだ、というところから話をはじめる必要があると思った。
◆市町村の担当者が、自分たちのところにある有形無形あらゆる文化財をカバーし、その価値をちゃんと知っていることにもとづき、それを現在の地域社会に活かしていく、そういう仕事だ、ということを打ち出すわけです。もはや発掘ばかりやっていた時代は過ぎ、各市町村担当者が仕事を重ねてきて、地域づくりなんだというところに行きついている人がいっぱいいるわけです。その到達点をしっかりまとめ、掲げる必要があるだろう。
◆そして人づくり・町づくり、地域づくりを、具体的事例にもとづき明確な仕事イメージを示す必要がある。考古・遺跡だけでなく、説明看板や整備した史跡のイベントだけでなく、地域の人々が自分たちのものと意識し、国史跡もあっていいが、むしろそうでない遺跡だったり民俗だったり古民家や古文書といったものを、守っていったり、勉強会をしたり、自分たちが向き合うことをサポートした実績例など、である。
◆別の話。大学側で考古学で論文を書くとなると、その性質上、特定の材料を突き詰めていく、ということになる。いろんな遺跡から地域史を描く論文もあるだろうが、概して専門分化した特定のことになる場合が多いだろう。でも一方、文化財専門職はそうでなく、むしろあらゆるものをトータルに扱う能力を求められる。むろん、特定のテーマで資料をもとに論を立てる専門的な研究能力が、文化財専門職として(あるいは博物館学芸員として)、いろんな文化財を取り扱い、一定の専門的理解を身に着ける応用能力になるんだろうとは思う。でもベクトルは違うな、とも思う。ある遺物を自分の研究テーマとして持続してやっていく、むろんそれは自由だしあっていい。が、文化財専門職、職というものはプロになるということで、ふつうは自分が向き合う文化財をちゃんと理解し価値判断できる学びに自ずからなっていくもので、その積み重ねにより文化財のプロになっていくのだと思う。
◆誰かが言っていたように、調査に参加しそれを取りまとめていくという経験は(発掘に限らない)、文化財専門職としてやっていくための直接的な力となりますね。
2017年1月22日近畿地区文化財専門職説明会開催される
◆N大Sさん、O大Fさん、このお二方が近畿にいることは大きいですね。昨年の文化庁主催の説明会を承けて、継続してやっていければとの呼びかけが、近畿25大学によびかけられ、準備会を経て、昨年と同じ時期の1月22日、説明会が開催された。話題にもなったが、近畿地区の大学では、1人という零細なところが多く、自分のところでやれることには限界があるなか、こうした呼びかけで、年にそう何回も機会を設けられるわけでないが、こうして集まり、学生らを文化財関係の職に送り出していくことについて議論する、それだけでも重要なこと。
◆そして25大学という大学側の発意で、説明会を継続していく必要性を議論し、実施に進んだ。大学側は基本はそれぞれで、一部で連携があるという程度だが、それが一緒にやっていこうという枠組みができたことが大きい。
◆そして、近畿2府4県+三重県の行政担当者と一緒になってやっていきましょうという形態ができあがったことも実に画期的だろう。
◆学生・院生も多く参加し、行政担当者+学生・院生+大学教員が一緒になり、懇親会も盛り上がった。年1回でよい、続けていきましょう。文化財専門職の説明会をベースに、そのさらなる企画の充実はもちろん、都道府県の調査成果の発表や、大学側の研究発表とか、いろんな発展性も今後ありうるであろう。無理せず継続し、ゆっくりと進化していきたい。その枠組みができたことがまずは意義深い。
◆午前の会議のなかで、大学教員の発言に刺激を受けました。というよりも、みなさん学生・院生に向き合っているなかで思うところを発言しているのに、発言する中身がない自分を反省する。
◆そして25大学という大学側の発意で、説明会を継続していく必要性を議論し、実施に進んだ。大学側は基本はそれぞれで、一部で連携があるという程度だが、それが一緒にやっていこうという枠組みができたことが大きい。
◆そして、近畿2府4県+三重県の行政担当者と一緒になってやっていきましょうという形態ができあがったことも実に画期的だろう。
◆学生・院生も多く参加し、行政担当者+学生・院生+大学教員が一緒になり、懇親会も盛り上がった。年1回でよい、続けていきましょう。文化財専門職の説明会をベースに、そのさらなる企画の充実はもちろん、都道府県の調査成果の発表や、大学側の研究発表とか、いろんな発展性も今後ありうるであろう。無理せず継続し、ゆっくりと進化していきたい。その枠組みができたことがまずは意義深い。
◆午前の会議のなかで、大学教員の発言に刺激を受けました。というよりも、みなさん学生・院生に向き合っているなかで思うところを発言しているのに、発言する中身がない自分を反省する。
そんなんで
◆会場500キャパが満杯。申し込みが260名だったか。あとは市民大学の科目になっていたようで、1日目と、2 日目午前前半までは、市民のみなさんも200名以上が参加していたこともあってギューギュー。
◆なんでお前がおんねん、というところだが、お城の仕事も増えてきているという以上に、遺跡の種別は違えども、解体とか修理といった文化財の残し方にかかわる研究会として、とても興味深いものでした。解体が絶対ダメというわけではないし、できるだけのことをやって積み直したものがニセモノと断じることもできない、ということも学びました。
◆情報交換会も200。文化庁関係者や講師は別にして、一般参加者はランダムに席を割り振られ、途中、まあ入り乱れてくるわけですが。脇田修先生と同じテーブルでした。あと姫路市の城郭研究室長さんや、石川県の金沢城・兼六園管理事務所長さんと、話をしたりする。そもそもこの研究会 は、文化庁が音頭を取って全国の城郭をもつ自治体担当者を集めるものだが、それだけでなく、石垣修復を担う石工さんも加わっているものです。石工さんらの会員も100名を超えるとのこと。また、この研究会を通して研修を重ねていることが、仕事を請ける条件的なものになっているのだとか。そして空間文化のMさんとか、施工管理するコンサルさんもメンバーとなっている。
◆2003年にスタートして今回が14回目とのこと。記念物課は『石垣整備の手引き』を2015年に刊行している。
◆なんでお前がおんねん、というところだが、お城の仕事も増えてきているという以上に、遺跡の種別は違えども、解体とか修理といった文化財の残し方にかかわる研究会として、とても興味深いものでした。解体が絶対ダメというわけではないし、できるだけのことをやって積み直したものがニセモノと断じることもできない、ということも学びました。
◆情報交換会も200。文化庁関係者や講師は別にして、一般参加者はランダムに席を割り振られ、途中、まあ入り乱れてくるわけですが。脇田修先生と同じテーブルでした。あと姫路市の城郭研究室長さんや、石川県の金沢城・兼六園管理事務所長さんと、話をしたりする。そもそもこの研究会 は、文化庁が音頭を取って全国の城郭をもつ自治体担当者を集めるものだが、それだけでなく、石垣修復を担う石工さんも加わっているものです。石工さんらの会員も100名を超えるとのこと。また、この研究会を通して研修を重ねていることが、仕事を請ける条件的なものになっているのだとか。そして空間文化のMさんとか、施工管理するコンサルさんもメンバーとなっている。
◆2003年にスタートして今回が14回目とのこと。記念物課は『石垣整備の手引き』を2015年に刊行している。
2017年1月19・20日金沢の石垣研究会
◆昨年、金沢城の石垣を見せてもらった時から、年明けの研究会に来ませんか、とお誘いをいた だいていて、その趣旨文を読むととても興味深い内容だったので、参加する。前日の18日の夜に入り、翌日午前は、金沢の町歩き。去年は東側の伝建の方を歩いたので(夜ですが)、足軽資料館、高田家跡、野村家跡、長町武家屋敷休憩館、金沢市老舗記念館、前田土佐守家資料館と、長町一帯を歩きました。そして、にし茶屋街に足を延ばした後、会場にむかう。
◆大阪城の豊臣石垣でご一緒させていただいている土木工学の西形先生、奈良大の坂井さんの基調講演2本、2日目の金沢城・盛岡城・岡山城・和歌山城、そして熊本城の報告、すべてが充実していて、ぜんぜん専門外であるが、石垣の保存にどう取り組んできたか、ということを知るには、とても有意義なものとなりました。書き始めると、学んだことはいっぱいなので、とても無理です。が、どことも都市公園として市長部局が公園として管理しており、文化財側で調査をやり、両面で進めていこうとなってきたのは、最近のことなのだそうです。それでも石垣修理は早くから行われてきたと思うが、そこでは文化財があまりかかわらない形で進められてきたようだ。そして史跡整備をして活用するということは、どうやら平成以後、つまりフルレキ以降とのこと。とはいえ、その段階では、発掘調査をするということが、そもそも認知されなかったらしい。なんでせなあかんの、と。
◆金沢城でもそうであったとのこと。そして石垣に対する発掘調査のノウハウも最初はない。し かし発掘すると、いろんなことがわかってくる。そして危なそうな石垣をどう手当てしていくのか、ということについても、従来からの?解体修理について作法が確立していくとともに、考古の側の調査が蓄積される中で、解体せずに手当てしていく選択が、それぞれのところで石垣に向き合うなかで模索されていった様子を知ることができた。今回のテーマは、現状把握をちゃんとやって、それにもとづき(ハラミなどの要因の追及、いまどのくらい実際に危ないのかを客観的に捉えるのはまだまだ課題にせよ)手当の方法を選択していく、というものであった。紙上参加の甲府城の話もよかった。日常のメンテをやっていくことが、経費のかかる大掛かりな修復等をせずに維持できていくことにつながる(ディスカッション時の西形先生の話)、ということも。
◆大阪城の豊臣石垣でご一緒させていただいている土木工学の西形先生、奈良大の坂井さんの基調講演2本、2日目の金沢城・盛岡城・岡山城・和歌山城、そして熊本城の報告、すべてが充実していて、ぜんぜん専門外であるが、石垣の保存にどう取り組んできたか、ということを知るには、とても有意義なものとなりました。書き始めると、学んだことはいっぱいなので、とても無理です。が、どことも都市公園として市長部局が公園として管理しており、文化財側で調査をやり、両面で進めていこうとなってきたのは、最近のことなのだそうです。それでも石垣修理は早くから行われてきたと思うが、そこでは文化財があまりかかわらない形で進められてきたようだ。そして史跡整備をして活用するということは、どうやら平成以後、つまりフルレキ以降とのこと。とはいえ、その段階では、発掘調査をするということが、そもそも認知されなかったらしい。なんでせなあかんの、と。
◆金沢城でもそうであったとのこと。そして石垣に対する発掘調査のノウハウも最初はない。し かし発掘すると、いろんなことがわかってくる。そして危なそうな石垣をどう手当てしていくのか、ということについても、従来からの?解体修理について作法が確立していくとともに、考古の側の調査が蓄積される中で、解体せずに手当てしていく選択が、それぞれのところで石垣に向き合うなかで模索されていった様子を知ることができた。今回のテーマは、現状把握をちゃんとやって、それにもとづき(ハラミなどの要因の追及、いまどのくらい実際に危ないのかを客観的に捉えるのはまだまだ課題にせよ)手当の方法を選択していく、というものであった。紙上参加の甲府城の話もよかった。日常のメンテをやっていくことが、経費のかかる大掛かりな修復等をせずに維持できていくことにつながる(ディスカッション時の西形先生の話)、ということも。
さむい
◆センター試験の期間、寒波到来で、たいへんな寒さでした。年寄りにはきつく、ついつい縮こま ります。試験に従事された全国のみなさま、ほんとうにお疲れ様でした。
◆翌日、立命館。京都も雪が降ったので、車で行くのはやめる。西院まで行ってタクシーに乗りました。天気は晴れ、雪がとけつつありましたが、大通りはともかく、大学に近づいていく大きくない道や路地などはシャーベット状態でした。昨年内14回で、新年1回で終わりのはずなのですが、1回、わたしのボケで休講になってしまったので、来週の23日が最終回となります。そんなんで、いつもは14時にはうちの大学にたどりつき、研究会となるのですが、この日は14:30となりました。
◆翌日、立命館。京都も雪が降ったので、車で行くのはやめる。西院まで行ってタクシーに乗りました。天気は晴れ、雪がとけつつありましたが、大通りはともかく、大学に近づいていく大きくない道や路地などはシャーベット状態でした。昨年内14回で、新年1回で終わりのはずなのですが、1回、わたしのボケで休講になってしまったので、来週の23日が最終回となります。そんなんで、いつもは14時にはうちの大学にたどりつき、研究会となるのですが、この日は14:30となりました。
2017年1月15日奈良歴史ネットワーク
◆代表から8月の陵墓シンポの時に頼まれ、この内容でということだったが、その後もほかの講演会に来られ、この話も・・・、とリクエストに応じていると、やや膨らみ気味。案の定、13:45から、15:15くらいと言われていたが10分ほどオーバー。また最後のあたりはけっこうスライドを飛ばす。
◆この団体、京奈和による平城宮跡の保存や、若草山の、なんでしたかモノレールでしたか、保存運動に熱心に取り組んでおられる。ちゃんと認識しておりませんでした。すいません。
◆平城宮京域については、平城宮跡の地下を通す案が撤回され、2005年に、平城宮跡の約1km東側にずらし、平城ニュータウン付近から新大宮駅付近を通過して奈良市八条まで至る約5kmをトンネルにする案となったそうです(ウィキによる)。なお、景観を考慮したトンネル案により経費はかなりのものとなり、地元負担が600億円となるそうです(だったか)。現時点では、いちおうの決着を見ているようだが、これだけの経費をそうそう出せるはずもなく、事業は止まっている状態だそうです。
◆250人ほどのみなさんに来ていただき、会場は満杯でした。
◆この団体、京奈和による平城宮跡の保存や、若草山の、なんでしたかモノレールでしたか、保存運動に熱心に取り組んでおられる。ちゃんと認識しておりませんでした。すいません。
◆平城宮京域については、平城宮跡の地下を通す案が撤回され、2005年に、平城宮跡の約1km東側にずらし、平城ニュータウン付近から新大宮駅付近を通過して奈良市八条まで至る約5kmをトンネルにする案となったそうです(ウィキによる)。なお、景観を考慮したトンネル案により経費はかなりのものとなり、地元負担が600億円となるそうです(だったか)。現時点では、いちおうの決着を見ているようだが、これだけの経費をそうそう出せるはずもなく、事業は止まっている状態だそうです。
◆250人ほどのみなさんに来ていただき、会場は満杯でした。
2017年1月14日考古研の先輩との呑み会
◆イタリアからZさんが帰国し、T大学Kさんからメールが入り、梅田ででの飲み会に誘われる。翌 日、奈良歴史遺産市民ネットワークの講演があって、資料はぎりぎりでもいいからと言われ、それでも印刷があるし、なんとか12日に出したものの、パワポの準備が終わるかなと思っていた。が、なんとかセンター試験1日目だったこの日、準備に目途がついたので参加することに。
◆考古業界のKさんはともかく、ZさんやFさんやMさん、そしてSさん、最後に会ったのはいつだったか。平成3年より前だろう。四半世紀以上!。学部時代からすればみな年齢が30年加算され・・・。画像をかなり落としますので、お許しを。
◆グランフロントのところで2次会。あっという間に時間が過ぎ、高安までしか帰れず、タクシーで帰る。
◆考古業界のKさんはともかく、ZさんやFさんやMさん、そしてSさん、最後に会ったのはいつだったか。平成3年より前だろう。四半世紀以上!。学部時代からすればみな年齢が30年加算され・・・。画像をかなり落としますので、お許しを。
◆グランフロントのところで2次会。あっという間に時間が過ぎ、高安までしか帰れず、タクシーで帰る。
正月鬱
◆なるものがあるそうですが、結構、毎年、そんな感じです。前はもっと躁鬱がはげしかったのですが、さすがにいまはムラがあまりなくなっております。規則正しい生活、太陽を浴びること、体を動かすことが、大事なのだそうです。
◆年末にしゃかりきで片づけておくべきことを、ペルーに行く日の午前まで(前の晩は徹夜)やり、ようやく飛行機に乗りました。帰ってきて、3日までは実家まわり、4日から出勤し、ボケ~としているのでなく、最低のことはやっておりましたが、この間できていないことをバッサバッサ片づける気力がなく、無気力な状態でした。それでも溜まっているメールをぜんぶ処理できてはいませんが、きんきんのことはやり、週が開けると学期が再開し、授業も始まりました。昨日の授業も、心がそんな状態なので、話をするパワーが落ちていて、元気ないな~、と思われるようなしゃべりだったと思います。
◆しかしそれでも動いていくものは動いていく。昨日の5限は博物館実習展の展示替え。これも、年明けから10日の展示替えにむけて、履修生にいろいろ指示すべきだったのですが、これも十分にやれてないまま直前となりました。祝日の9日には、理系チームとは、この日にやらなしゃーないやろと12月最後に伝え、彼らはやってくれました。で当日、朝から文系チームもパネル作りに取りかかりました。午後の早い時期、大学史に電話し、今日の展示替えは無理かもしれませんと伝えたような状況で、きびしいのではないかと思っておりました。しかし、文・理それぞれ10人あまりの各チームが、それぞれしゃかりきで最後の文章の点検をやっては打ち出しパネル貼りを進めていくと、けっこう積み上がっていくものです。むろん、それまでに仕上げ近くまでもってきてくれているからこそ、であることは言うまでもありません。で、その進捗を見て、これはいける、5限の18時までを含めて作業をすればできると踏み、大学史に再度連絡し、やりますと伝え、恒藤班にも予定通り撤収をする連絡をしました。最終的に、昨日は20:30までかかりましたが(理系はより早くに完成)、ひととおりの展示を終えました(本日11日に不足の3枚を加えましたが)。
◆履修生達と展示作業をやって、こっちも元気をもらいました。理系のある学生は、パネルボード6枚分のパネル展示ではありますが、貼り進めできあがってくるのを見て「感動してます」と。後期、取り組んできてもらったことが形になっていくことが、やはり履修生に達成感をもたらせてくれます。例年以上に十分なことをやってやれなかったのですが、昨日の彼ら彼女らの最終的な追い込み作業の姿に、改めて市大生の力そしてパワフルさに感動しました。
◆年末にしゃかりきで片づけておくべきことを、ペルーに行く日の午前まで(前の晩は徹夜)やり、ようやく飛行機に乗りました。帰ってきて、3日までは実家まわり、4日から出勤し、ボケ~としているのでなく、最低のことはやっておりましたが、この間できていないことをバッサバッサ片づける気力がなく、無気力な状態でした。それでも溜まっているメールをぜんぶ処理できてはいませんが、きんきんのことはやり、週が開けると学期が再開し、授業も始まりました。昨日の授業も、心がそんな状態なので、話をするパワーが落ちていて、元気ないな~、と思われるようなしゃべりだったと思います。
◆しかしそれでも動いていくものは動いていく。昨日の5限は博物館実習展の展示替え。これも、年明けから10日の展示替えにむけて、履修生にいろいろ指示すべきだったのですが、これも十分にやれてないまま直前となりました。祝日の9日には、理系チームとは、この日にやらなしゃーないやろと12月最後に伝え、彼らはやってくれました。で当日、朝から文系チームもパネル作りに取りかかりました。午後の早い時期、大学史に電話し、今日の展示替えは無理かもしれませんと伝えたような状況で、きびしいのではないかと思っておりました。しかし、文・理それぞれ10人あまりの各チームが、それぞれしゃかりきで最後の文章の点検をやっては打ち出しパネル貼りを進めていくと、けっこう積み上がっていくものです。むろん、それまでに仕上げ近くまでもってきてくれているからこそ、であることは言うまでもありません。で、その進捗を見て、これはいける、5限の18時までを含めて作業をすればできると踏み、大学史に再度連絡し、やりますと伝え、恒藤班にも予定通り撤収をする連絡をしました。最終的に、昨日は20:30までかかりましたが(理系はより早くに完成)、ひととおりの展示を終えました(本日11日に不足の3枚を加えましたが)。
◆履修生達と展示作業をやって、こっちも元気をもらいました。理系のある学生は、パネルボード6枚分のパネル展示ではありますが、貼り進めできあがってくるのを見て「感動してます」と。後期、取り組んできてもらったことが形になっていくことが、やはり履修生に達成感をもたらせてくれます。例年以上に十分なことをやってやれなかったのですが、昨日の彼ら彼女らの最終的な追い込み作業の姿に、改めて市大生の力そしてパワフルさに感動しました。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。