人を幸せにする人になろう

ヒストリアの発送

◆火曜日・水曜日・木曜日と、大歴事務局の仕事の比重が高まる。とくに、事務局発送をしてきた会誌を、印刷会社発送に切り替える提案をするための資料作り、に時間を取られる。希望としては、来週の委員会で承認をえて、8月号から、もうそうしたい、と。経費はむろんかかる。従来の学生などの臨時アルバイトの謝金と比べて、年間〓万円余計にかかる。
◆しかしまあ、固定事務局を置けず、大学もちまわりでの体制で、庶務委員になってもらう院生も少なくなっている現在、庶務委員の労力をできるだけ軽減することは、うちの大学の問題だけでなく、今後も繰り返される移転先の事務局運営にとっても、たぶんやっておいた方がいい措置。従来よりも、それほど大きな経費がかかるわけでもなく、いずれ切り替えるなら、早くやってしまうに越したことはない。

ついでに造出陰影図

◆去年はとにかく、経費的な問題で計測作業だけやってもらっていた。年度が変わり、これについ ては、科研の分担金で発注することにし、葺石の平面・立面陰影図、および造り出し上面の陰影図をお願いした。まだ完全に上がっていないが、平面は上面といわず全部の陰影図が作られている。横からの、造り出しの起伏もなかなかに美しい(オレンジのやつ)。

久津川車塚の発掘2016の案内

◆8月1日、人力掘削開始。9月中旬、終了予定。造り出し北辺と後円部との谷間、下段テラス面(ほ ぼ削平されている見込み)。そして埋葬施設の確認(陥没埴輪をぜんぶ上げ、一部下げて寸止め)。余裕があれば、中段斜面、中段テラス面と上段くびれ部裾の検出、という予定。
◆右の足がまだ痛く、完全に走ったり飛んだりはできない。2か月ほどまえは、けっこう痛くて病院に行こうかと思ったが、それに比べるとマシになってきた。とはいえ、ここで無理すると、一生、足を引きずりそうである。もう52歳だし、今年の夏は「口で掘る」ことにしよう。

あかん大阪城の仕事で時間が・・・

◆おーぷんきゃんぱす、陵墓シンポ、大歴事務局の仕事、久津川車塚、あれやこれやが襲ってきて、全部はできん!。試験が二つ、答案をいつ読むのだろう。で、今日は朝から大歴関係で郵便局廻りをし、そのあと大阪城の8月1日からのサウンディングのことをやっていると、もう夕方。いまから博物館概論の試験ですわ。

で大阪城

◆ひとまず山里の現状測量(見積もり35万円)。本丸の石垣の計測は継続したいが、前にも書いたが、ドローンでとは思うが・・・。本腰を入れるには・・・。ごまめの歯ぎしり・・・。金を取ってきて、さっさとやる、というのがベストですかね。
◆大阪城にかかわって以来、機会あるごとにアジっていることを、『秀吉と大坂』で文章にもしたが・・・。宇治市Sさんの話ではないが、文化財は厳選されたものを守る時代ではなくなり、町づくりとして取り組む時代になっている。一方では観光圧力も働きがちだし、活用!活用!活用!といわれがち、が、残していくことそのものが重要であるというのも真理。文化財の専門は、遺構の保存を前提としつつ、その意味や魅力を加えていく味付けの実を、都市計画の庁内議論のなかで一歩ずつ進めていく、のが役割なんだろう。
◆とはいえ、そもそも、開発に対応する受け身的な行政から、そこここにある歴史や文化を大事にしていこう、それを現代社会に活かしていこうという、合意がなければ始まらない。実際には、観光!観光!というなかで進んでいる面は否めないわけだが、そういう力が働かなければ、やりたいこともできないわけです。地域の魅力を、歴史や文化を、というベクトルがそもそもなければ、古いままということになる。
◆金沢城の話をいろいろ聞くと、いくつかの段階で、いろんなファクターが働き、そのなかで調査研究所の組織化や、事業認定や、いまのポジションを積み上げてきている。局面局面で、機会をのがさず文化財の実を獲得していった、そのへんの県文化財の判断に敬意を表したい。県の最初の石垣調査は1990年代初頭のようで、おそらく金沢大学の移転話とパラレルなんだろうが、完全移転して、建物撤去に5年、で、2001年に調査研究室で出発して15年、これだけの成果を挙げているわけだ。先のことはわからない面もあるというが、積み上げている実績は無視できないだろうし、当面は極端な情勢変化はないのでは。

石垣と考古学者

◆金沢城でお世話になったお礼のメールをして、帰ってきた返信です。すいません、紹介させてもらいます。「城郭整備、特に石垣整備は解体修理が避けられないだけに、遺構のもつ歴史情報がどれほど繊細で、その保存が如何に重要かを誰よりもよく知っている考古学研究者が、もっと声を大にして発言してほしい」。
◆安全を考えると、危険なところは解体修理せざるをえない。一方で、石垣には、過去の修理など、実に豊富な情報があり、丁寧な発掘でそれを取り出す機会にもなる一方で、重なりをもつ遺構の履歴を消してしまう、という行為にもなってしまう。安全性の声が高まると、解体修理への圧力が高まる。しかし、ほんとうのところ、どこまで危ないのか、ということがどれほど追及されて、バックデータをふまえて、ここまでやらなあかんか、ということが決められているのか、という問題なんだろう。こないだ行ったときも、「将来に委ねる」という言葉が印象的でした。むろん、そういう側でも、この程度だから100年200年は大丈夫、といったデータは必要ではあろう。そのへんは経年的変化を正確につかまえられるのか、という課題が、金沢城で取り組もうとしているものであり、技術的な問題でもあるわけだ。
◆安全対策、といわれると、なかなか反論しにくい、という面が実際にはあるのでしょう。緊急 性のあるところには注意をむけるとして、全体として急がなくてもいい、じっくり観察しデータを整えておく、ひとまず安定している孕みを、なにがなんでも直すことはなく「将来に委ねる」、といった姿勢も必要なんでしょう。
◆岡山城では、解体修理すると平成の石垣になる、ということで、詰め物をして対応している話を前に岡山市教委の人に聞いた。これについても、その手法もだんだんうまくなってきて、なかなか見た目ではわからないように上手になっている、といった話も聞いた。間詰め石の落下、草が生えてくる、という点でも、この石垣の隙間に樹脂?をつめていく方法はいいのではないか、と思った。隙間を強化しておくわけで、石と石が接しているところはそのままだし、すべてをパックするわけではなく、水はちゃんと抜けるわけで。そのへんの判断について、また機会があれば聞いてみよう。文化庁が石垣整備の研究会を開催しており、来年1月は金沢城である。行ってみたいが、平日で教授会もあり・・・
◆自分がどこまで首をつっこめるかは、?、であるが。また、こう書いてきて、どこかの古墳のことが頭に浮かんだ。

7月25日、その後、現場・宿舎機材の準備

◆倉庫から、発掘機材はテントくらいだが、あとは鍋釜、食器、扇風機など、宿舎関係の機材を出 してきて、搬出準備を行う。テントが汚いので、文学部棟の南で水をかけて洗う。途中、大学の園芸係の軽トラが通りかかり、われわれがチマチマやっているのを見かねて、園芸用の大型ホースを貸してくれました。全身、濡れましたが・・・。
◆もちろん、洗って倉庫に入れるべきところであることは言うまでもありません。しかし、はたと。そうか、去年は、自分は入院していて、院生らが片づけてくれたんだ、と。いつものことながら少人数でやっているが、昨年10月の片づけ、さぞかし大変であったろう。

2016年7月25日KR14埴輪整理

◆袋ナンバー、残る35、50~65、67~69を完了し、ひととおり終了した。本日は、ゲスト参加1名 も加わりました。
◆そのあと、これまでは日付を基準とした通し番号だったが、それを、北区、南区、東拡張区、西拡張区、の4区に分けて収納するところまでをやりました。

旧兵庫県山東町の陶棺

◆うちにあるんです。何年か前(4年以内)、接合をやって展示台まで準備した。昨日、立命館大の学生が卒論で見に来ました。でいろいろ教えてくれました。京都府大の学生が、『東山古墳群Ⅱ』のなかで、実測図を載せているとのこと。2000年に赴任したわたしは知りません。刊行が2001年3月のようなので、資料調査は1999年とかなのでしょう。
◆いまは新たに整備した301考古学研究展示室に展示しています。

大仙古墳の水深についての音波探査をするのだそうです

◆こないだ、大阪府大で、大仙の音波探査がやれませんかね~、としゃべったところ(府大さんに水を向けたつもり)。宮内庁さんが実際にやるという。将来的には水を抜くことも考えているという。この時も、大仙の486mという数字はまったく意味ありませんよ、推定540m、水深は深いとしゃべった。水深が深いという事実は、梅原先生が書いてたと記憶していたが、確認すると「土量計算上は」ということらしい。自分の誤りか、別のところで誰かが書いていたものか、とにかく今確かに引用できるような文献を把握していない。これはまずいですね。が、大仙が誉田御廟山の胴を引き延ばした、という見方は誤りと確信しており、仲津山からその墳形が来ているとみているので、その比較からは540mありうる、というのがわたしの意見。こないだの講演会で、「生きているうちにそれが検証されることはないだろう」と言ったが、もしかすると、生きているうちに水深そのものはわかるようになるかもしれません。
◆しかし一方で、江戸時代に黒鍬者が堀さらえをやっている記録がある。とはいえ浚渫の範囲内とは思うが、手が加わっている以上、水深がわかっても慎重さもまた必要でしょうね。いずれにしても、ソナーで、水際など垂直にえぐられているところはそうとして、その下部にのびる斜面が検出でき、濠底に移行する様子がとらえられれば、自分の見解がどこまで妥当なのか、誤っているのか、一定の判断はできるだろう。楽しみにしておこう。
◆それと、今日の朝日新聞で、毎日が報道した、地元教委や研究者と協力して「管理していくという方針を示した」と書いてあるので、前に書いたことも公式見解のようである。こないだの陵墓懇談会の議事録を見ると、自然系の話とも受け取れる説明だったようだが、これも読み直してみよう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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