人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2016年8月16日(第3週火曜日)
◆曇り。自分。長友。道上・阿部(市大)、大澤・安藤・木下・森・水谷(立命)、泉・田 口(奈良大)。
◆朝、車の中で、中段テラス面の調査のことを考えていた。本日1日、いろいろ考えてはみたが、やはり無理しないのがよいかも、と(理由は最後に)。
◆木下が谷筋を下るも、両サイドが間に合っていないので、昨日ほぼ西端までたどりついたので、谷筋下半部で出てきた列石両サイドに人を配置する。長友さん、大澤は、木下とともに裾部沿いの石出し(扇風機倒れ、破損。おNEWとなる)。泉・森・水谷は上の目地だし。自分と安藤・田口で後円部斜面、道上・阿部で造り出し北斜面(写真1)。転落石との判断は慎重にとも思っていたが、谷筋列石でメドが立っており、その両 サイドでしっかりかみ合った葺石面が問題なく出てくる。転落石上面で止めていた両サイドの高まりも、浮き具合や埴輪の入り、葺石面が見えてくるとその面を参考に、あまり悩むことなくはずせる。
◆後円部斜面については(写真2)、左側では2重に見える列石があり(その東(左)側も大型の石)、列石を境に西(右)側では拳大の礫となる。その西では石が再び大きくなり、後円部の円弧にあわせた放射状の列石かと思われるものを確認した。
◆造り出し北斜面でも、後円部斜面に比べて、ややランダムな感はあるが、葺石面が検出されてきた(写真3)(人手の関係で、途中に下げ切れていない高まりが残っているので、明日、そこを やっつける必要がある)。
◆谷筋を中心に転落した埴輪片がかなり出土。囲形埴輪よりもだいぶ下った位置で、破片もそう大きくなく、立っていたものが倒れたのでなく、上からのものと判断される。コンテナ1箱程度。網代の破片もあり、囲いにやはり家がともなうと思われる。
◆谷筋部では、昼頃か、列石が途切れた。大石があり、その下に立てたような石の押さえがくる。ほぼくびれ部の位置とみてよいだろう。造り出し北辺裾かとも考えていた東西に横置きされた2石の位置とも見合うところである。問題は、そこから両側へ、つまり後円部裾と造り出し北辺の基底石のならびが、現時点では明瞭でないことである。後円部側は、それなりに大きい石が円弧を描いて伸びているようにも見え、その推定で大 きく間違いはないだろう。が、造り出しの開始地点、また北辺列は、現時点ではなんともいえない。先に書いた東西方向の2石は調査区にほぼ平行するが、もう少し偏した石の並びがあるようにも思うし、さらに葺石の傾斜からすると、さらに振ったラインがあるようにも見える(写真4)。
◆そして基底石が不明瞭な問題とかかわり、墳端外の石敷きの理解がある。昨日?やってきた感じでは、浮いている石はあるとしても、とくに南半では、多くはかなりかみ合ったようにキチキチに検出され、これははずせないだろうと考えた。その石も小さくなく、そうすることで基底石の下半部が隠され、基底石の並びが明瞭に見えないということもあるのだろう。一方で「はずれないか」との見方もある。また、昨年の西斜面では、基底石は 明瞭でなく、傾斜が水平に移行しつつ一続きのようになっていた。丁寧に基底石かもという石の下をさぐり、また石敷きの石をほじり、埴輪のカミ具合などから、慎重に考えていく必要がある。石が淡紫灰色の堆積土に埋もれていても、底面が地山に接していれば、それは問題ないわけだが、本日、石敷石かと思われるものが抜けている箇所の断面観察では、少なくともそこに接する部位では、いま残している石は浮くように見える。悩ましいところである。本日の終了後の写真を最後に示しておく(写真5)。
◆最後に、大学に戻り、ノートにアラアラ落とした調査区図を、(座標値は控えてあるので)改めて1/50の略図に作成し、昨年の調査区と重ねてみた。5月8日に今年の調査区の案を示した。むろんそこでは、造り出しがどこまで北にのびるか、後円部径の推定復元径、誉田御廟山などを参考に、一応の推定をして、それが収まるように設定したわけです。が、今の南壁は当初案よりかなり北に位置していることが判明した。造り出し西北隅角は入っていない?。反省・・・。どうもならないが、大げさなことはできないものの、少しほじくることは考えなければならないだろう。いずいれにしても、今の調査区で北辺を確認するのが先決です。
◆朝、車の中で、中段テラス面の調査のことを考えていた。本日1日、いろいろ考えてはみたが、やはり無理しないのがよいかも、と(理由は最後に)。
◆木下が谷筋を下るも、両サイドが間に合っていないので、昨日ほぼ西端までたどりついたので、谷筋下半部で出てきた列石両サイドに人を配置する。長友さん、大澤は、木下とともに裾部沿いの石出し(扇風機倒れ、破損。おNEWとなる)。泉・森・水谷は上の目地だし。自分と安藤・田口で後円部斜面、道上・阿部で造り出し北斜面(写真1)。転落石との判断は慎重にとも思っていたが、谷筋列石でメドが立っており、その両 サイドでしっかりかみ合った葺石面が問題なく出てくる。転落石上面で止めていた両サイドの高まりも、浮き具合や埴輪の入り、葺石面が見えてくるとその面を参考に、あまり悩むことなくはずせる。
◆後円部斜面については(写真2)、左側では2重に見える列石があり(その東(左)側も大型の石)、列石を境に西(右)側では拳大の礫となる。その西では石が再び大きくなり、後円部の円弧にあわせた放射状の列石かと思われるものを確認した。
◆造り出し北斜面でも、後円部斜面に比べて、ややランダムな感はあるが、葺石面が検出されてきた(写真3)(人手の関係で、途中に下げ切れていない高まりが残っているので、明日、そこを やっつける必要がある)。
◆谷筋を中心に転落した埴輪片がかなり出土。囲形埴輪よりもだいぶ下った位置で、破片もそう大きくなく、立っていたものが倒れたのでなく、上からのものと判断される。コンテナ1箱程度。網代の破片もあり、囲いにやはり家がともなうと思われる。
◆谷筋部では、昼頃か、列石が途切れた。大石があり、その下に立てたような石の押さえがくる。ほぼくびれ部の位置とみてよいだろう。造り出し北辺裾かとも考えていた東西に横置きされた2石の位置とも見合うところである。問題は、そこから両側へ、つまり後円部裾と造り出し北辺の基底石のならびが、現時点では明瞭でないことである。後円部側は、それなりに大きい石が円弧を描いて伸びているようにも見え、その推定で大 きく間違いはないだろう。が、造り出しの開始地点、また北辺列は、現時点ではなんともいえない。先に書いた東西方向の2石は調査区にほぼ平行するが、もう少し偏した石の並びがあるようにも思うし、さらに葺石の傾斜からすると、さらに振ったラインがあるようにも見える(写真4)。
◆そして基底石が不明瞭な問題とかかわり、墳端外の石敷きの理解がある。昨日?やってきた感じでは、浮いている石はあるとしても、とくに南半では、多くはかなりかみ合ったようにキチキチに検出され、これははずせないだろうと考えた。その石も小さくなく、そうすることで基底石の下半部が隠され、基底石の並びが明瞭に見えないということもあるのだろう。一方で「はずれないか」との見方もある。また、昨年の西斜面では、基底石は 明瞭でなく、傾斜が水平に移行しつつ一続きのようになっていた。丁寧に基底石かもという石の下をさぐり、また石敷きの石をほじり、埴輪のカミ具合などから、慎重に考えていく必要がある。石が淡紫灰色の堆積土に埋もれていても、底面が地山に接していれば、それは問題ないわけだが、本日、石敷石かと思われるものが抜けている箇所の断面観察では、少なくともそこに接する部位では、いま残している石は浮くように見える。悩ましいところである。本日の終了後の写真を最後に示しておく(写真5)。
◆最後に、大学に戻り、ノートにアラアラ落とした調査区図を、(座標値は控えてあるので)改めて1/50の略図に作成し、昨年の調査区と重ねてみた。5月8日に今年の調査区の案を示した。むろんそこでは、造り出しがどこまで北にのびるか、後円部径の推定復元径、誉田御廟山などを参考に、一応の推定をして、それが収まるように設定したわけです。が、今の南壁は当初案よりかなり北に位置していることが判明した。造り出し西北隅角は入っていない?。反省・・・。どうもならないが、大げさなことはできないものの、少しほじくることは考えなければならないだろう。いずいれにしても、今の調査区で北辺を確認するのが先決です。
2016年8月15日(月)敗戦の日
◆くもり。前日の雨で水が斜面を流れ調査区西端には泥。自分。長友。道上・阿部(市大)、大澤・安藤・木下+3回生3人(立命)、泉・田口(奈良大)、相馬(近大)。アラアラ班・目地班・谷筋班の3つでスタート。
◆アラアラ班は、ひたすら調査区西端をめざすチーム(道上・阿部・大澤・田口・相馬)。 写真上左は、第1Q終了後の11時頃。写真中央部に、縦に置かれた石が2ヶ。もしかして造り出し北辺裾部か、と。写真上右は、第2Q終了後のお昼の写真。さきほどの大きい石が一定集中するとともに、それより下方では、ほぼ密に石がかみあって石敷状に次々に現れてきた。こいつら生きてるよな。そしてその下の写真は第4Q途中の15時40頃。石敷石が続いたあと 、石が途切れてきた。遊離した形の石がとびとびにある。濠底である。で、ほぼアラアラが西端までたどりつく。で、正丁4人で、西端に排水溝の意味を兼ねてサブトレを入れ、濠内堆積の下の地山を10㎝ほど掘り抜くところまで深掘りをしてもらう。で、その断面を見ながら打って返し、地山上面までの削り出しにかかり、本日は終了となる。いや~、1日でたどり着きましたよ。
◆埴輪集中部をやっていたチーム(安藤・木下・泉)の方はよく知らんが、埴輪集中部で見えなくなっていた谷筋列石の続きを確認し、それを出していく。埴輪片が入り、列石両 側には本来の葺石と考えられる原位置の石も確認された。またまた谷筋部を深掘りした形となり、両側にここまで検出してきた石群が高く聳え、やはり転石上面で止めている状況であることがはっきりした。明日、両側の葺石面をちゃんと出していきながら、下がっていけば、くびれ部の姿も拝めるかも知れない。この列石の方向は、調査区のほぼセンターで、金曜日は北にかなり振れるかと心配したが、大丈夫だ。
◆アラアラ班は、ひたすら調査区西端をめざすチーム(道上・阿部・大澤・田口・相馬)。 写真上左は、第1Q終了後の11時頃。写真中央部に、縦に置かれた石が2ヶ。もしかして造り出し北辺裾部か、と。写真上右は、第2Q終了後のお昼の写真。さきほどの大きい石が一定集中するとともに、それより下方では、ほぼ密に石がかみあって石敷状に次々に現れてきた。こいつら生きてるよな。そしてその下の写真は第4Q途中の15時40頃。石敷石が続いたあと 、石が途切れてきた。遊離した形の石がとびとびにある。濠底である。で、ほぼアラアラが西端までたどりつく。で、正丁4人で、西端に排水溝の意味を兼ねてサブトレを入れ、濠内堆積の下の地山を10㎝ほど掘り抜くところまで深掘りをしてもらう。で、その断面を見ながら打って返し、地山上面までの削り出しにかかり、本日は終了となる。いや~、1日でたどり着きましたよ。
◆埴輪集中部をやっていたチーム(安藤・木下・泉)の方はよく知らんが、埴輪集中部で見えなくなっていた谷筋列石の続きを確認し、それを出していく。埴輪片が入り、列石両 側には本来の葺石と考えられる原位置の石も確認された。またまた谷筋部を深掘りした形となり、両側にここまで検出してきた石群が高く聳え、やはり転石上面で止めている状況であることがはっきりした。明日、両側の葺石面をちゃんと出していきながら、下がっていけば、くびれ部の姿も拝めるかも知れない。この列石の方向は、調査区のほぼセンターで、金曜日は北にかなり振れるかと心配したが、大丈夫だ。
◆なお、朝から調査区高い側の葺石について、フォトスキャン用の写真撮影を行った。9点のシールを貼った単点を設け座標計測を行った。
2016年8月12日(金)久津川車塚
◆晴れ。自分。道上・阿部(市大)、大澤・園原・吉村・安藤・木下・3回生もう一人・吉田(立 命)、泉・田口(奈良大)、相馬(近大)。
◆石との戦いを継続。みな手首が痛い。造り出し北斜面は、昨日に続いて斜面下方におよび谷筋部の緩斜面部に達する。後円部斜面は、調査区上方の壁沿いの石を出し、屈曲部におよび、屈曲部から下の緩斜面部に達する。全体としてみれば、斜面部、「囲い」のある緩斜面部と、明瞭に画されるわけではないようではあるが、しかし次々に葺石が積み重なる斜面部から、転石が堆積している緩斜面部に移行してきている。これら転石があるために、より平坦に見えているわけで、これらをはずしていけば、谷筋部の石集積だった、ということになるのかもしれないが。埴輪集中部の上で検出している谷筋列石も、埴輪が途切れたあたりから下で見えてきてはいない。 谷筋ラインは、途中で屈曲するように前は見えたが、そうでもないように思われる。その延長方向はけっこう北壁に近いあたりまで進みそうで、くびれ部が調査区に収まっているか、微妙かもしれない(コンマ1を起用する必要もあるかもしれない)。
◆「囲い」を据えている集中部は、谷筋直交方向に見える石のならびがあり、それと直交するような谷筋平行の造り出し北斜面側の、比較的大きな石の列が認められる。が、後円部斜面側および谷筋下方側ではよくわからない。転石が埴輪を壊し、集中部にいくつか入り込んでいて、こうした石の隙間に埴輪片が入り込んでいる。現状で、「囲い」裾片で、立った状態の原位置と思われるものはない。全体にいま露呈させている埴輪たちは高く、もうひとつ下に、「囲い」を据える平場があり、そこに残る裾部片が出てく るのかもしれない。石や埴輪片を除くと、遺構としてすっきりした空間 が検出されるのかも、そこに原位置埴輪があるのかどうかも、現状では不明。ミーティングでは、いますこし石をはずす精査をして、そこで記録という話になった。早めにやって図面を書いて取り上げて、下に進む必要がある。
◆葺石検出の全体状況を示しておきます。アラアラ出し、上に戻って目地のほじくり、それの繰り返しであるが、調査区の半分近くまでは進んできた。来週もアラアラ出しを進め、くびれ部、造り出し北辺裾ラインを捉えられれば、ほぼゴールが見えてくる。墳端外の石敷きはあるとみるべきで、基底石の外にきっちり残る石敷石と、上からの転石および石敷きでも遊離したもの、これらの峻別が課題となるが、まずは基底ラインの目途が早めに立てば、と思う。
◆石との戦いを継続。みな手首が痛い。造り出し北斜面は、昨日に続いて斜面下方におよび谷筋部の緩斜面部に達する。後円部斜面は、調査区上方の壁沿いの石を出し、屈曲部におよび、屈曲部から下の緩斜面部に達する。全体としてみれば、斜面部、「囲い」のある緩斜面部と、明瞭に画されるわけではないようではあるが、しかし次々に葺石が積み重なる斜面部から、転石が堆積している緩斜面部に移行してきている。これら転石があるために、より平坦に見えているわけで、これらをはずしていけば、谷筋部の石集積だった、ということになるのかもしれないが。埴輪集中部の上で検出している谷筋列石も、埴輪が途切れたあたりから下で見えてきてはいない。 谷筋ラインは、途中で屈曲するように前は見えたが、そうでもないように思われる。その延長方向はけっこう北壁に近いあたりまで進みそうで、くびれ部が調査区に収まっているか、微妙かもしれない(コンマ1を起用する必要もあるかもしれない)。
◆「囲い」を据えている集中部は、谷筋直交方向に見える石のならびがあり、それと直交するような谷筋平行の造り出し北斜面側の、比較的大きな石の列が認められる。が、後円部斜面側および谷筋下方側ではよくわからない。転石が埴輪を壊し、集中部にいくつか入り込んでいて、こうした石の隙間に埴輪片が入り込んでいる。現状で、「囲い」裾片で、立った状態の原位置と思われるものはない。全体にいま露呈させている埴輪たちは高く、もうひとつ下に、「囲い」を据える平場があり、そこに残る裾部片が出てく るのかもしれない。石や埴輪片を除くと、遺構としてすっきりした空間 が検出されるのかも、そこに原位置埴輪があるのかどうかも、現状では不明。ミーティングでは、いますこし石をはずす精査をして、そこで記録という話になった。早めにやって図面を書いて取り上げて、下に進む必要がある。
◆葺石検出の全体状況を示しておきます。アラアラ出し、上に戻って目地のほじくり、それの繰り返しであるが、調査区の半分近くまでは進んできた。来週もアラアラ出しを進め、くびれ部、造り出し北辺裾ラインを捉えられれば、ほぼゴールが見えてくる。墳端外の石敷きはあるとみるべきで、基底石の外にきっちり残る石敷石と、上からの転石および石敷きでも遊離したもの、これらの峻別が課題となるが、まずは基底ラインの目途が早めに立てば、と思う。
8月11日(山の日)久津川車塚
◆世間は休み。晴。自分。造り出し北斜面、道上・阿部(市大)、コンマ1・吉村・木下(立命)、相馬(近大)、田口(奈良大)。谷筋部、園原・土井・安藤(立命)、泉(奈良大)。来客、大阪府原田氏。
◆今日は人数おり、北斜面の黄色土と転石を、ざっくり・ひととおり剥いでくれました(写真1、15:58)。い や~、たいへんな土量を稼いでくれ、西寄りでも列石がきれいにでてきました。いちばん斜面長の長いところで、ここがアラアラ、生きた葺石面まで露呈させることができたことは大きい。
◆谷筋部は、昨日まで囲いの両側に堆積土の山が残っていたが(写真2、10:46)、両側とも下がった。とくに後円部斜面側では、この堆積土の下から埴輪片が顔をのぞかせていたが、「囲い」までの間、密に埴輪片が連続する様相を露呈させることができた。囲いの角部、入口部、建物の支えと考えている斜め柱が新たに6本出て、計7本となる(一部は鰹木とも)。また棟の鰭飾りかと思われる破片もあり、家が、とも思うが、現時点では「囲い」破片かと思われるものが多い。「囲い」は大きそう。
◆本日、掘っていく中で、後円部側・造り出し北斜面側とも、縦の列石が、この埴輪集中部で斜面から平坦面に移行し、造り出し谷筋の途中に平場が設けられているらしいとの見込みとなる。後円部側・造り出し斜面側とも、縦列石以外には、斜面裾に石が横にきれいに通るという状況ではないが、全体として平場となっている。そしてよく見ると、谷筋に直交して列石があり、「囲い」を据える空間を画しているらしい、ということがわかってきた。こうした谷筋途中の「囲い」を据える平場は、心合寺山でも検出されているらしい。いまのところ谷筋上方側の直交方向のみで、後円部側で谷筋平行のならびかと思われる石がある段階で、「囲い」を据え置く空間が列石で方形に画されているかどうかはわからない。また、平場といっているものが、どういう範囲で、どういう形状で、どのように下位と区別されているのか、あるいはダラダラまた斜面に移行するのか、そのへん は定かでない。が、およそ明日、判明するだろう。滝があって水車形埴輪があって、ウソですよ~。
◆「囲い」そのものも、埴輪片は倒れている状況で、裾部が立っていると認められるものはない。また石と埴輪もかみあっているようなところもある。据え置くには平坦にしつらえていると思われるが、現状は石があり、埴輪片が散乱している。石をどこまではずしたらいいのか(その前に図面がいる?)、もうすこし谷筋下方も掘り上がり、石と埴輪のからみ具合を把握して、平場や「囲い」の囲みや、原位置のものなどがわかってきた段階で、次の手を考える必要がある。埴輪片は造り出し北斜面側にはあまりなく、後円部斜面側に倒れたものと思われる。
◆本日の作業終了時点で写真を取っていませんが、15:59段階の谷筋部の写真を出しておきます(写真3)。本日・そして明日は、前半戦の山場かもしれません(後半はくびれ部の検出でしょう)。後円部側の葺石はかなり出してきており、本日、先にも書いたが、造り出し北斜面の葺石がほぼほぼ出てきて、谷筋まで両側の斜面がもっとも長いところが大きく進展した。全体の1/3くらい、あるいはそれを越えるところくらいまでは来たか。まだ手の着いていない西側の深掘り部は、ほぼ緩やかな底面で、幅も限定された範囲である。来週いっぱいで、おおよそゴールできるかも知れない。
◆今日は人数おり、北斜面の黄色土と転石を、ざっくり・ひととおり剥いでくれました(写真1、15:58)。い や~、たいへんな土量を稼いでくれ、西寄りでも列石がきれいにでてきました。いちばん斜面長の長いところで、ここがアラアラ、生きた葺石面まで露呈させることができたことは大きい。
◆谷筋部は、昨日まで囲いの両側に堆積土の山が残っていたが(写真2、10:46)、両側とも下がった。とくに後円部斜面側では、この堆積土の下から埴輪片が顔をのぞかせていたが、「囲い」までの間、密に埴輪片が連続する様相を露呈させることができた。囲いの角部、入口部、建物の支えと考えている斜め柱が新たに6本出て、計7本となる(一部は鰹木とも)。また棟の鰭飾りかと思われる破片もあり、家が、とも思うが、現時点では「囲い」破片かと思われるものが多い。「囲い」は大きそう。
◆本日、掘っていく中で、後円部側・造り出し北斜面側とも、縦の列石が、この埴輪集中部で斜面から平坦面に移行し、造り出し谷筋の途中に平場が設けられているらしいとの見込みとなる。後円部側・造り出し斜面側とも、縦列石以外には、斜面裾に石が横にきれいに通るという状況ではないが、全体として平場となっている。そしてよく見ると、谷筋に直交して列石があり、「囲い」を据える空間を画しているらしい、ということがわかってきた。こうした谷筋途中の「囲い」を据える平場は、心合寺山でも検出されているらしい。いまのところ谷筋上方側の直交方向のみで、後円部側で谷筋平行のならびかと思われる石がある段階で、「囲い」を据え置く空間が列石で方形に画されているかどうかはわからない。また、平場といっているものが、どういう範囲で、どういう形状で、どのように下位と区別されているのか、あるいはダラダラまた斜面に移行するのか、そのへん は定かでない。が、およそ明日、判明するだろう。滝があって水車形埴輪があって、ウソですよ~。
◆「囲い」そのものも、埴輪片は倒れている状況で、裾部が立っていると認められるものはない。また石と埴輪もかみあっているようなところもある。据え置くには平坦にしつらえていると思われるが、現状は石があり、埴輪片が散乱している。石をどこまではずしたらいいのか(その前に図面がいる?)、もうすこし谷筋下方も掘り上がり、石と埴輪のからみ具合を把握して、平場や「囲い」の囲みや、原位置のものなどがわかってきた段階で、次の手を考える必要がある。埴輪片は造り出し北斜面側にはあまりなく、後円部斜面側に倒れたものと思われる。
◆本日の作業終了時点で写真を取っていませんが、15:59段階の谷筋部の写真を出しておきます(写真3)。本日・そして明日は、前半戦の山場かもしれません(後半はくびれ部の検出でしょう)。後円部側の葺石はかなり出してきており、本日、先にも書いたが、造り出し北斜面の葺石がほぼほぼ出てきて、谷筋まで両側の斜面がもっとも長いところが大きく進展した。全体の1/3くらい、あるいはそれを越えるところくらいまでは来たか。まだ手の着いていない西側の深掘り部は、ほぼ緩やかな底面で、幅も限定された範囲である。来週いっぱいで、おおよそゴールできるかも知れない。
だましだまし
◆まあ、なんとかやっております。葺石をやっつける見込みが甘く、今週あと2日と第3週で、なんとか墳端までたどりつければ、というところか。テント小が経年劣化で折れ、ぼろぼろになってはいるが、「だましだまし」使っている。洗濯機の水漏れもあるが、「だましだまし」使っている。早め早めに手をうち、やれることをやっていこう。
◆また大久保湯さんにお世話になっております。いま大人1人430円!。調査費に占める風呂代はかなりのものである。が、現場終了後、銭湯で学生等と汗を流すのも、これはこれで楽しいことである。わたしは通いにしており、風呂のあと、マツヤスーパーまで送っていき、「また明日」と。返ると19時半とか20時です。
◆月曜日は大久保湯さんは定休日で、梅の湯に行きます。今週の月曜日、学生が体重計に乗ると99.6㎏、服を着て、玄関口の古い体重計に乗ると、1まわりして0.1トンとなりました。
◆また大久保湯さんにお世話になっております。いま大人1人430円!。調査費に占める風呂代はかなりのものである。が、現場終了後、銭湯で学生等と汗を流すのも、これはこれで楽しいことである。わたしは通いにしており、風呂のあと、マツヤスーパーまで送っていき、「また明日」と。返ると19時半とか20時です。
◆月曜日は大久保湯さんは定休日で、梅の湯に行きます。今週の月曜日、学生が体重計に乗ると99.6㎏、服を着て、玄関口の古い体重計に乗ると、1まわりして0.1トンとなりました。
2016年8月10日(水)久津川車塚
◆晴れが続きます。城陽市担当者。自分、道上・阿部・伊藤(市大)、園原・安藤・木下(立命)、泉(奈良大)、相馬(近大)。朝イチで、道路をはさんで向かいのお宅の井戸から水を引かせてもらう(きのうの夕方に話がついていた)。
◆葺石斜面をある程度降りてくるが、谷部の進捗がやや遅れているので、園原を起用し、一気に戦線を下げにかかる。とはいえ斜面上方での、目地出しの甘いところをホジホジする部隊も必要で、なかなか一線になって下がる体制にならない。排土も上と下に分かれると、チリトリで上は上でさばくようにはするものの、やはりかぶってくる。そこで、コーナンに走り、集塵機を購入、第2Qに導入する。こりゃいいわ。
◆そこで昼休みに、もう1台買いに走る。在庫なく、頼み込んで展示品を売ってもらう。あわせて石の目地を出すのに、適当な金属製二又の草抜き道具を買い込む。午後は、集塵機2台体制で進める。造り出し北辺の、囲形埴輪い沿いの黄色土の高まりを一気に削ると、累々と葺石面が現れる。園原も谷部をすっきりと仕上げる。谷部の列石が見事にならんでおります(写真上)。また同様に、囲形埴輪の反対側、後円部側にも黄色土の高まりがあり、谷部上方から削り落とす。谷部をはさんで両翼に人が展開しつつ、谷部に人を集め、戦線がそろうようにもっていく。
◆後円部側の黄色土を除去していくと、埴輪片が累々と出土し始める。センター谷部でも降りてくると、傾斜がさらに緩やかになり平坦に近くなり、その平坦部に囲形埴輪が据えてあるように思われる(コンパネのところ)。後円部側の新たに姿を見せる埴輪片も板状で、囲いとか家になるのかもしれないが、まだよくわからない。谷部に囲いがあり、間に黄色土の山があり、囲いと反対側の後円部斜面側の黄色土下位から新たな埴輪片が出ており、少々距離がある。囲いの部位から後円部側に倒れ込んだものかもしれないが、まだわかりません(明日になれば、およそわかるだろう)。
◆というわけで、センター谷部では、囲形埴輪の位置にほぼ近づくところまで降りてきた。目地をほじほじし、大変な手間であるが、石が累々と積み重ねられ、ぎっちりと残っている姿が露呈されてきている(写真上)。
◆昨日以来だが、続々と縦の列石が検出されている。列石は人頭大ほどで、間の葺石は拳大である。
◆葺石斜面をある程度降りてくるが、谷部の進捗がやや遅れているので、園原を起用し、一気に戦線を下げにかかる。とはいえ斜面上方での、目地出しの甘いところをホジホジする部隊も必要で、なかなか一線になって下がる体制にならない。排土も上と下に分かれると、チリトリで上は上でさばくようにはするものの、やはりかぶってくる。そこで、コーナンに走り、集塵機を購入、第2Qに導入する。こりゃいいわ。
◆そこで昼休みに、もう1台買いに走る。在庫なく、頼み込んで展示品を売ってもらう。あわせて石の目地を出すのに、適当な金属製二又の草抜き道具を買い込む。午後は、集塵機2台体制で進める。造り出し北辺の、囲形埴輪い沿いの黄色土の高まりを一気に削ると、累々と葺石面が現れる。園原も谷部をすっきりと仕上げる。谷部の列石が見事にならんでおります(写真上)。また同様に、囲形埴輪の反対側、後円部側にも黄色土の高まりがあり、谷部上方から削り落とす。谷部をはさんで両翼に人が展開しつつ、谷部に人を集め、戦線がそろうようにもっていく。
◆後円部側の黄色土を除去していくと、埴輪片が累々と出土し始める。センター谷部でも降りてくると、傾斜がさらに緩やかになり平坦に近くなり、その平坦部に囲形埴輪が据えてあるように思われる(コンパネのところ)。後円部側の新たに姿を見せる埴輪片も板状で、囲いとか家になるのかもしれないが、まだよくわからない。谷部に囲いがあり、間に黄色土の山があり、囲いと反対側の後円部斜面側の黄色土下位から新たな埴輪片が出ており、少々距離がある。囲いの部位から後円部側に倒れ込んだものかもしれないが、まだわかりません(明日になれば、およそわかるだろう)。
◆というわけで、センター谷部では、囲形埴輪の位置にほぼ近づくところまで降りてきた。目地をほじほじし、大変な手間であるが、石が累々と積み重ねられ、ぎっちりと残っている姿が露呈されてきている(写真上)。
◆昨日以来だが、続々と縦の列石が検出されている。列石は人頭大ほどで、間の葺石は拳大である。
2016年8月9日(火曜日)久津川車塚
◆晴れ 城陽市担当者、工藤さん。自分、道上・阿部・伊藤(市大)、園原・武嗣(100)・安藤・木下・日下(立命)、泉・田口(奈良大)、相馬(近大)
◆写真がない(イオスキス、SDなくてもシャッター降りるのね)。全員、葺石。昨日、テント小が破損するも、だましだまし何とかおっ立てる(突っ張り棒)。後円部側は、ある高さまで、ひととおりの石出し、ほぼ完了。撹乱穴も掘り上げ、その周囲の葺石の石出しを進める。撹乱穴の北側の石どもは、一旦は残すが、最終的には、ずった程度でなく動いた残存と認定し、ほぼ撤去した。造り出し北面の石出しも進む。
◆なかなか足並みもそろわなかったが、石出しの甘い上部に人を貼り付け、上から一定範囲は石出し完了とし、あとは下っていく筋道をなんとかつけようとした1日であった。
◆午前中、調査区の測量をした。深掘り、約4m(3m94cm)、石の天場から西側調査区下 端まで、水平距離で17.5m。1日1m下がって17日かかる・・・。見取り図はこれで描ける(写真)。
◆あと、水の確保の話が着く。で、終了後、大学に行き、ホースリールを積み込んだ。明日はプールをふくらますところから始めよう。
◆写真がない(イオスキス、SDなくてもシャッター降りるのね)。全員、葺石。昨日、テント小が破損するも、だましだまし何とかおっ立てる(突っ張り棒)。後円部側は、ある高さまで、ひととおりの石出し、ほぼ完了。撹乱穴も掘り上げ、その周囲の葺石の石出しを進める。撹乱穴の北側の石どもは、一旦は残すが、最終的には、ずった程度でなく動いた残存と認定し、ほぼ撤去した。造り出し北面の石出しも進む。
◆なかなか足並みもそろわなかったが、石出しの甘い上部に人を貼り付け、上から一定範囲は石出し完了とし、あとは下っていく筋道をなんとかつけようとした1日であった。
◆午前中、調査区の測量をした。深掘り、約4m(3m94cm)、石の天場から西側調査区下 端まで、水平距離で17.5m。1日1m下がって17日かかる・・・。見取り図はこれで描ける(写真)。
◆あと、水の確保の話が着く。で、終了後、大学に行き、ホースリールを積み込んだ。明日はプールをふくらますところから始めよう。
夏休み
◆そんなんで、大歴の8月号発送の仕事と、大学の公務2つ、以外はもうしません。夏休み。現場に集中する。メールも見たくない。急な用があれば携帯に電話してください。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。