人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
別の話
◆これも今日の朝刊。顔は残酷なまでにその人の内面を表す、のだそうです。おお~こわ~。いい顔してる、というのはとてもいいことですね。おだやかな顔をしていたいものです。
やってもやっても
◆まあ前期は火と水がヤマなので、木・金とようやく時間がある。で雑用を次々こなすが、おわら ない。恒藤の展示に行かないし、伏見城はさらに遠い。バランスを取り、手を抜くとことは手を抜いて、勝負するところは時期を逸せずやる、動物的に動きましょうかね。
◆そんなんで、飽きてきたので、ブログを。小熊の論壇時評は面白い。自民党元都議の話。任期中の実績は次の選挙の当落にまったく関係なし、大事なのは地元行事や冠婚葬祭への出席だ、と。これまた日本的風景ですね。そして、右の新聞記事。これを若者は、組織依存を保守、不特定多数に改革を呼号するのが、自分たちの方を向いていると受け取るという解釈を示す。なるほど。
◆で何が大事か、人間は人間に動かされる、ということだ、と。例えば演説。なんか決まりきった「日本を前へ」でしたか、このまま前進とか、決めたキーワードを繰り返す、あんまり中身の切実性はない、あるいは大きい声で「清き一票を」とか「送り出してください」とか20世紀的選挙戦でのやり方を繰り返すだけでは、人は引き付けられないだろう。どれだけ真剣に現状を憂えているか、心配しているか、そういう本人の内から出る言葉でボクトツと話す、そういうものに共感する日本人であってほしいもの。
◆組織票みたいなものが保守というのは確かな感覚かもしれませんね。本人が実際どう思うかは別で、創価学会から電話がかかってきたから、とか、自民党が動員したなんとか業界ぐるみで職場を通してよろしく、とか、そんなんで投票行動をやっていること自体が、時代遅れのムラ社会的ありようですね。無党派層の増加は健全なことなんだろう。
◆そんなんで、飽きてきたので、ブログを。小熊の論壇時評は面白い。自民党元都議の話。任期中の実績は次の選挙の当落にまったく関係なし、大事なのは地元行事や冠婚葬祭への出席だ、と。これまた日本的風景ですね。そして、右の新聞記事。これを若者は、組織依存を保守、不特定多数に改革を呼号するのが、自分たちの方を向いていると受け取るという解釈を示す。なるほど。
◆で何が大事か、人間は人間に動かされる、ということだ、と。例えば演説。なんか決まりきった「日本を前へ」でしたか、このまま前進とか、決めたキーワードを繰り返す、あんまり中身の切実性はない、あるいは大きい声で「清き一票を」とか「送り出してください」とか20世紀的選挙戦でのやり方を繰り返すだけでは、人は引き付けられないだろう。どれだけ真剣に現状を憂えているか、心配しているか、そういう本人の内から出る言葉でボクトツと話す、そういうものに共感する日本人であってほしいもの。
◆組織票みたいなものが保守というのは確かな感覚かもしれませんね。本人が実際どう思うかは別で、創価学会から電話がかかってきたから、とか、自民党が動員したなんとか業界ぐるみで職場を通してよろしく、とか、そんなんで投票行動をやっていること自体が、時代遅れのムラ社会的ありようですね。無党派層の増加は健全なことなんだろう。
2016年6月29日
◆そんなんで、7世紀の寺院や宮殿やらにどっぷり浸りたいところだが、恒藤記念室の展示もヤマ場となり、大歴事務局の引き継ぎの算段をしないといけないし、ともかく疲弊していて精神的にもしんどく、昨日の授業などもヘロヘロだったが、やや回復してきたか。
2016年6月26日は大歴大会
◆朝9時、関学集合と言われ、へろへろやし、お酒は飲めなくなるが車で行く。大阪市大の新庶務委員と なった院生も、来年のために今年の大会の仕事を割り振られており、こっちも見ておく必要がある。とはいえ15分程度遅刻。ほぼ300名の参加者だったそうです。
◆総会。大阪市大への事務局移動が正式に決まる。
◆午後からの考古部会は3人による鏡の発表で、やはりマニアック。まあしかし、研究は進みますね。可能な限り説得的で、かつわかりやすい結論図が、自分の認識の上でも、人を説得する上でも、そして使ってもらえるものになるうえでも、大切かと思う。これまでの鏡研究や倭国史にどういう理解の変化をもたらすかは、みな意識しているが、熟成するにも時間を要するし、展望してもらえばいいのでは。
◆懇親会。最後のところで、新事務局長として挨拶させられた。まあしかし、この1ヶ月ほど、あれこれ大歴の庶務の仕事を知るにつけ、2年間は大変やな、といまさらながらに認識し、ポカをしないように、「つつがなく」やりおおせることに腐心しないといけません。
◆総会。大阪市大への事務局移動が正式に決まる。
◆午後からの考古部会は3人による鏡の発表で、やはりマニアック。まあしかし、研究は進みますね。可能な限り説得的で、かつわかりやすい結論図が、自分の認識の上でも、人を説得する上でも、そして使ってもらえるものになるうえでも、大切かと思う。これまでの鏡研究や倭国史にどういう理解の変化をもたらすかは、みな意識しているが、熟成するにも時間を要するし、展望してもらえばいいのでは。
◆懇親会。最後のところで、新事務局長として挨拶させられた。まあしかし、この1ヶ月ほど、あれこれ大歴の庶務の仕事を知るにつけ、2年間は大変やな、といまさらながらに認識し、ポカをしないように、「つつがなく」やりおおせることに腐心しないといけません。
しつこいですが
◆大宝令。「およそ地計らむことは5尺を歩とせよ。300歩を里とせよ。」。1歩は1.78m、1里は532.5m。まず、(1)この1尺は、その前にある規定で大尺(高麗尺)である。この規定の本質は、(2)土地の計量には歩数を用いるということ。
◆(3)1里とか2里というのも、7世紀には見えず(岸)、8世紀以降らしい(町も)。(4)大宝令からしばらくした713年に大尺は廃止され小尺に統一され、本来の6尺1歩に戻す。701年雑令を713年格で言い直せば、「6尺を1歩、360歩を1里とせよ」となる(1里の長さは変わる)。
◆7世紀は、地を計るには歩数が用いられ、それは高麗尺の6尺1歩2.13mなのである。横大路上で下ツ道と中ツ道の間隔は1000歩として定められた、通り(「里」はまだない)。飛鳥寺も、百済大寺も、難波宮京も、藤原宮京も。
◆問題はどこまでが歩数で、どこからが尺数か、である。近世八尾街道と長尾街道(古代丹比道)の間は1700歩3.6㎞。条里は50m106.5m+α。藤原京条坊は250歩532.5m、難波京条坊は125歩266.3m(これ250歩かもしれませんよ)。その先、実際に道路の幅員を定めるため両側溝を掘る場合、歩数なのか、尺数なのか。藤原条坊道路では大尺45・25・20尺と尺数とされているようです(ちなみに丈も大宝令段階からなんでしょう。10尺を丈とするというのは中国的10進法なんでしょうか)。どこまでが歩数でどこからが尺数なのか・・・。
◆建物は尺数です、古墳時代の昔から。難波宮の場合は唐尺。たぶん百済大寺や山田寺も。飛鳥寺の建物は高麗尺とされるから、どこかで寺院建築は高麗尺から唐尺になっているはず。
◆難波宮京に話を戻すと、なので朝堂院の幅はなんとか歩、だが建物は唐尺。つまり、広域の範囲を設定するような土木的作業は歩数でやって大枠を決め、実際にそこに大極殿やら回廊やらを設計する建築(作事)からは尺数による。したがって端数調整はありうる。柱間を等間で割り付けていったとすると、最初の例えば回廊内の南北長の割り付けが、最終的には短くなったり長くなったりすることもあるんだろうな、と。大枠の割り付けと実際の建築設計とが、そうした関係で実施されている、ということを言いたい、論じたいわけです。
◆いずれにしても、難波宮の条坊が小尺の900尺というのは、2重に間違っている。大尺でないといけないし、尺数でなく歩数でしょ、と。125歩やと。がしかし、これが受け入れられないわけです。まあ、論文を書くしかないですね。
◆また寺院などの建築の図をあさっているが、建築屋は大尺の寸法を記入してくれるんだけど、歩数にはまったく関心をもたない、土木屋じゃないから。建物の柱位置とか基壇とか、最終的に仕上がったものを大尺でこうだという結論は、むろんそれでいいんでしょうが、わたしの関心は、その手前のところの大枠の割り付けは歩数で設定されてるんとちゃうか、というもの。具体にやってみると、たとえば寺院であれば、回廊の内側で割り付けてるんかな、という印象がある。
◆(3)1里とか2里というのも、7世紀には見えず(岸)、8世紀以降らしい(町も)。(4)大宝令からしばらくした713年に大尺は廃止され小尺に統一され、本来の6尺1歩に戻す。701年雑令を713年格で言い直せば、「6尺を1歩、360歩を1里とせよ」となる(1里の長さは変わる)。
◆7世紀は、地を計るには歩数が用いられ、それは高麗尺の6尺1歩2.13mなのである。横大路上で下ツ道と中ツ道の間隔は1000歩として定められた、通り(「里」はまだない)。飛鳥寺も、百済大寺も、難波宮京も、藤原宮京も。
◆問題はどこまでが歩数で、どこからが尺数か、である。近世八尾街道と長尾街道(古代丹比道)の間は1700歩3.6㎞。条里は50m106.5m+α。藤原京条坊は250歩532.5m、難波京条坊は125歩266.3m(これ250歩かもしれませんよ)。その先、実際に道路の幅員を定めるため両側溝を掘る場合、歩数なのか、尺数なのか。藤原条坊道路では大尺45・25・20尺と尺数とされているようです(ちなみに丈も大宝令段階からなんでしょう。10尺を丈とするというのは中国的10進法なんでしょうか)。どこまでが歩数でどこからが尺数なのか・・・。
◆建物は尺数です、古墳時代の昔から。難波宮の場合は唐尺。たぶん百済大寺や山田寺も。飛鳥寺の建物は高麗尺とされるから、どこかで寺院建築は高麗尺から唐尺になっているはず。
◆難波宮京に話を戻すと、なので朝堂院の幅はなんとか歩、だが建物は唐尺。つまり、広域の範囲を設定するような土木的作業は歩数でやって大枠を決め、実際にそこに大極殿やら回廊やらを設計する建築(作事)からは尺数による。したがって端数調整はありうる。柱間を等間で割り付けていったとすると、最初の例えば回廊内の南北長の割り付けが、最終的には短くなったり長くなったりすることもあるんだろうな、と。大枠の割り付けと実際の建築設計とが、そうした関係で実施されている、ということを言いたい、論じたいわけです。
◆いずれにしても、難波宮の条坊が小尺の900尺というのは、2重に間違っている。大尺でないといけないし、尺数でなく歩数でしょ、と。125歩やと。がしかし、これが受け入れられないわけです。まあ、論文を書くしかないですね。
◆また寺院などの建築の図をあさっているが、建築屋は大尺の寸法を記入してくれるんだけど、歩数にはまったく関心をもたない、土木屋じゃないから。建物の柱位置とか基壇とか、最終的に仕上がったものを大尺でこうだという結論は、むろんそれでいいんでしょうが、わたしの関心は、その手前のところの大枠の割り付けは歩数で設定されてるんとちゃうか、というもの。具体にやってみると、たとえば寺院であれば、回廊の内側で割り付けてるんかな、という印象がある。
2016年6月25日、坪井先生のお別れ会
◆500人くらい集まっただろうか。まったくの普段着で、黒や灰の人々ばかりで、後ろの方に控えていた。鈴木嘉吉さんのお別 れの言葉はなかなかよかった。献杯となり会食。参会者の方々のスピーチが始まるが、ここまでくると誰も聞いていない。O先生の挨拶を前に聞きに行く。しばらく後、H先生が大声を上げ・・・、唖然。参会者のみなさん、顔は覚えているが、名前を思い出すのに一苦労。
◆すんなりと戻ってきて研究室にいます。『考古ボーイの70年』を取り出すと、自分の名前が書いてあった。1999年発行。文化庁でいちばん下のわたしにも下さったのですね。覚えていないが、速報展の打ち合わせ会の時だろうか。ありがたや。
◆坪井先生のお仕事は多くの人が語っている。大学や研究所や文化庁の大先輩であり、直接のつきあいはわずかであれ、とても親しみのもてる先輩であり、多くのものを与えてもらっているのだと思う。書き残されたものから、これからだって学ぶことはできる。後輩であるわれわれは、考古学を学び文化財行政にかかわる人材を送り出し、また文化・文化財を大切にする普及活動を進めることが務めですね。大正10年生まれ、42年あまり上の大先輩の逝去である。
◆ところで、従四位が贈られたとのこと。これにはびっくり、まだそんなんあんの、と。戦前の官人はみな位をもち、肩書に書いているが、これ戦後も生き残っているんですね。いまはあれでしょうか、ぜんぶ没後の叙位なんですかね。大阪府のMさんが、「文化財や」と。坪井さんで従四位だ、主権者たる国民は99%無位ですね。まあこんなのは、伊藤博文が敷いたレールなんでしょうね。
◆実測図にケバを入れるようにしたのは坪井さんだそうです。
◆すんなりと戻ってきて研究室にいます。『考古ボーイの70年』を取り出すと、自分の名前が書いてあった。1999年発行。文化庁でいちばん下のわたしにも下さったのですね。覚えていないが、速報展の打ち合わせ会の時だろうか。ありがたや。
◆坪井先生のお仕事は多くの人が語っている。大学や研究所や文化庁の大先輩であり、直接のつきあいはわずかであれ、とても親しみのもてる先輩であり、多くのものを与えてもらっているのだと思う。書き残されたものから、これからだって学ぶことはできる。後輩であるわれわれは、考古学を学び文化財行政にかかわる人材を送り出し、また文化・文化財を大切にする普及活動を進めることが務めですね。大正10年生まれ、42年あまり上の大先輩の逝去である。
◆ところで、従四位が贈られたとのこと。これにはびっくり、まだそんなんあんの、と。戦前の官人はみな位をもち、肩書に書いているが、これ戦後も生き残っているんですね。いまはあれでしょうか、ぜんぶ没後の叙位なんですかね。大阪府のMさんが、「文化財や」と。坪井さんで従四位だ、主権者たる国民は99%無位ですね。まあこんなのは、伊藤博文が敷いたレールなんでしょうね。
◆実測図にケバを入れるようにしたのは坪井さんだそうです。
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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。