人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2016年6月13日(月)KR14埴輪整理
◆この日、大歴の委員会があり、総会資料の作成で、自分は不参加(ごめんな)。
◆袋ナンバー、106、119・120、123・124、126-128、131、133-137をやっつける。スターは形象89~98誕生。
◆袋ナンバー、106、119・120、123・124、126-128、131、133-137をやっつける。スターは形象89~98誕生。
坪井清足氏
◆土曜日に偲ぶ会?があり、大学院説明会の役を代わってもらい出席の返事をしたが、どんな会になるんだろうか。世代が違うので接点はわずか。研究所にいた時、山本瓦工業さんがいたので瓦業者の集まりか何かの会合ではじめて会った記憶がある(奈良ホテル?)。次は東京に居たとき、例年の速報展について、大阪文化財センターが全埋協の代表で、打ち合わせの会議でご一緒するようになる。がその程度。一度、それこそ奈良ホテルの瓦の会合の時に、葉巻に興味を示すと、「ほれ」と差し出されて吸ったことがあった。2008年に至り、大阪府の博物館問題の時に、役割上、坪井先生に2度ほど電話した。
◆『古代追跡』によると、1986年ナブンケン所長を退いており、これが大学4年生に上がる頃のことなので、大先輩ではあっても接点はないわけである。
◆『古代追跡』を読むとなかなか楽しい。直接よく知っているわけではないが、なかなかストレートだし、伝わるものがある。晩年、いまの埋文行政に対する批判的な発言を聞いたような気がするが・・・。研究所そして文化庁で、日本のマイブン行政の基本を組み立てた大先達である。
◆『古代追跡』によると、1986年ナブンケン所長を退いており、これが大学4年生に上がる頃のことなので、大先輩ではあっても接点はないわけである。
◆『古代追跡』を読むとなかなか楽しい。直接よく知っているわけではないが、なかなかストレートだし、伝わるものがある。晩年、いまの埋文行政に対する批判的な発言を聞いたような気がするが・・・。研究所そして文化庁で、日本のマイブン行政の基本を組み立てた大先達である。
どちらも
◆いや~反骨の記録は勇気づけられますね。戦前の日本にも敢然と反論した人があったことを、 さまざまな人材を取り上げてくれており知ることができる。なかには殴り殺された人もいるが。出石出身の国会議員が、国会の場で堂々と日中戦争を批判していたなんて。それを国会が除名する。出席305人中、反対した者は7名だけという。みな軍部をおそれて戦争のことに踏み込まないことに対し「臆病千万!」と。
◆恒藤が滝川事件で辞めたとき、『改造』だったかに寄せた文「死して生きる途」。これもタイトルからしてかっこよろしい。己の信条や正義に反することに、いまどれだけ徹底抗戦できるだろうか。いや家族もいるし、ローンもあるし、でなく、「それはおかしい」と堂々と表明する気概を、お前はもっているか、と自問する。
◆長沼裁判の記録も、実に生々しく、法曹世界が腐っていることがよくわかる。3権分立など虚像であることはみな知っている通り。そこでもまた、司法修習生を修了し、裁判官を希望しながら、青法協に入っていることによる不採用、それに抗議した代表者の罷免、現役裁判官の不継続。みな最高裁の命令で、直属の上司等は彼らに言い渡す。そして、「あいつはいい裁判官になったのに」とか、「いちばんできるやつを切った」とか。彼ら小市民は、司法の世界で給料をもらっており、最高裁に対し「そんなアホな」という抗議ができない、のである。
◆どこぞの関大の先生が、東日本大震災のあと、さらに巨大な防潮堤を作るという国の審議会の引いたレールの通り見解をまとめ、事後、学会で、あれは間違いだったとほざく。いかに反論できないかを弁明する。御用学者だらけ。御用裁判官だらけ。強いものにはまかれる者ばかり。
◆といったことを見てくると、ここから先は自分の問題である。ひとつは安保関連法に対し、どう自分は行動するのか、といったこと。あるいは学内で、考古学の世界で、埋文の世界で、程度は違っても似た局面はありうる。その時、自分がどう行動できるか、どう発言できるか、ということだ。まあ、銃やナイフを突きつけられるわけではない、陰湿ないじめにあうわけでも、家族に危害をかけられるわけでもない(そこまでいったらホンモノ、効いているということだが)、そんなに恐れるものはないのである。
◆恒藤が滝川事件で辞めたとき、『改造』だったかに寄せた文「死して生きる途」。これもタイトルからしてかっこよろしい。己の信条や正義に反することに、いまどれだけ徹底抗戦できるだろうか。いや家族もいるし、ローンもあるし、でなく、「それはおかしい」と堂々と表明する気概を、お前はもっているか、と自問する。
◆長沼裁判の記録も、実に生々しく、法曹世界が腐っていることがよくわかる。3権分立など虚像であることはみな知っている通り。そこでもまた、司法修習生を修了し、裁判官を希望しながら、青法協に入っていることによる不採用、それに抗議した代表者の罷免、現役裁判官の不継続。みな最高裁の命令で、直属の上司等は彼らに言い渡す。そして、「あいつはいい裁判官になったのに」とか、「いちばんできるやつを切った」とか。彼ら小市民は、司法の世界で給料をもらっており、最高裁に対し「そんなアホな」という抗議ができない、のである。
◆どこぞの関大の先生が、東日本大震災のあと、さらに巨大な防潮堤を作るという国の審議会の引いたレールの通り見解をまとめ、事後、学会で、あれは間違いだったとほざく。いかに反論できないかを弁明する。御用学者だらけ。御用裁判官だらけ。強いものにはまかれる者ばかり。
◆といったことを見てくると、ここから先は自分の問題である。ひとつは安保関連法に対し、どう自分は行動するのか、といったこと。あるいは学内で、考古学の世界で、埋文の世界で、程度は違っても似た局面はありうる。その時、自分がどう行動できるか、どう発言できるか、ということだ。まあ、銃やナイフを突きつけられるわけではない、陰湿ないじめにあうわけでも、家族に危害をかけられるわけでもない(そこまでいったらホンモノ、効いているということだが)、そんなに恐れるものはないのである。
京大事件
◆昨年の大阪商大事件の記憶もさめやらぬまま、恒藤記念室の展示に向かっているわけです。朝日 の〈反骨の記録〉を楽しみにしている(長沼裁判も)。京大滝川事件で、恥ずかしながら恒藤と末川が大阪商大に来た、ということしか知らんかったわけですが、21人のうち18人までが立命に行ったわけで、大阪商大河田学長の見識もさることながら、本流はごっそりと受け入れた立命なわけだ。佐々木惣一は直後に学長、戦後、末川も立命に移り学長になる。まあ、大阪商大の影は薄い・・・。文部省のターゲットも実は末川だ、という話もどこかで聞いたようにも・・・。恒藤も特高がマークはしていたらしいが・・・。
◆反骨の記録に取り上げられると聞いているが、大阪商大としては、むしろ商大事件が重要なのだろう。恒藤や末川もいるが、彼らは京大でやられ、戦中は雌伏している様相。表だっての言論を控えざるをえないのも残念ながらやむをえない。それより商大としては、商大事件の、より若手の反戦思想こそ、確かに取り上げるべき価値があるんだろう。
◆末川の『彼の歩んだ道』は大学時代に古本でたまたま買っていて、いまでも持っているが、当時のことにはあまりふれない。よくはわからんが、思想のコアはあまり表にせず、どう対抗していくかを考え、やることをやったというところなのかもしれない。
◆反骨の記録に取り上げられると聞いているが、大阪商大としては、むしろ商大事件が重要なのだろう。恒藤や末川もいるが、彼らは京大でやられ、戦中は雌伏している様相。表だっての言論を控えざるをえないのも残念ながらやむをえない。それより商大としては、商大事件の、より若手の反戦思想こそ、確かに取り上げるべき価値があるんだろう。
◆末川の『彼の歩んだ道』は大学時代に古本でたまたま買っていて、いまでも持っているが、当時のことにはあまりふれない。よくはわからんが、思想のコアはあまり表にせず、どう対抗していくかを考え、やることをやったというところなのかもしれない。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(01/27)
(01/16)
(01/13)
(01/11)
(01/05)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。