人を幸せにする人になろう

2016年5月30日KR14埴輪整理

◆前半はKRでない埴輪の洗浄。
◆後半は、先週に続き、140~159の箱の残りをやり完了する。形象PU78~81。154袋に家形埴輪片多し。

2016年5月23日KR14埴輪整理

◆140~159箱に着手。8割方、注記、分類、ピックアップ終了。形象PU67~77。

歴史館いずみさの

◆泉南市で展示を見て、もう帰る予定だったが、歴史館いずみさので企画展《下田遺跡》をやって いるというので、近くだし行く。駐車場から遠い・・・。ネーミングライツというんですか、へんてこりんな名前が冠でのっかっている。また、この4月から指定管理に。日根野荘を中心テーマに据えた常設、奥の下田遺跡の展示。日根野が重要文化的景観になったりして、新しい情報も入り口付近にあるも、日根野自体、もうすこし展示の工夫はできるのでは?と思った。経費削減で空調なし、展示室はやや暑い。
◆さあ帰ろうと出て行くと、向こうから学芸員のHさん。こんにちわ、と。いまどこにいるんですかと聞くと、あっち。市役所という意味でしょうかね。で、3月までの勤務地である歴史館に資料調査に行くのだとか。なんでしょうか、これは。

大学院の授業で

◆発表が一巡し、今年度は履修生も少ないので、外に行くことをはさんでいくことにする。中世のH 君が日根野のことをやっているので、泉南とし、淡輪から北上すること に。授業の替わりなので、午前くらいで。
◆西陵→公民館で埴輪→淡輪ミサンザイ→陪冢→海会寺→泉南市埋文センター→歴史館いずみさの。
◆西陵はけっこうきれいでした。所有者の縄張りというより順路としてかと思うが、ロープが張り巡らされている。前方部東南のコーナーから入り、墳頂を前方部から後円部へ。テラス面もきれいである。海会寺は東側の屋敷地にも行くが、ここ重なって建物が出てきていないようで、一時的なのでしょうか。窯跡もあり、海会寺の遺物はやはりなかなかのものですね。フロントのところで、地域展をやっていて古い写真などが展示してあった。和泉砂川の砂川にはむかし遊園地があったそうで、そのマップなどがならべてあった。

【展示を紹介する新聞記事から】砂川遊園は、昭和5年に阪和電鉄が、当時の阪和天王寺-阪和東和歌山駅間が開通したことを機に、沿線の娯楽施設として開発した。場所は、泉南市の景勝地として知られる「砂川奇勝」がある砂川地区。大阪は当時、産業と文化が華やかな「大(だい)大阪時代」で、大々的にオープンした。当時の新聞広告によると、昭和10年に児童対象の「砂川児童遊園」が開園。翌11年に「砂川遊園」として全面開業した。園内にはステージやグラウンド、大食堂、モンキーハウス、ボートハウス、貸しボート、展望台、飛行船塔などを備えていた。ゲートや囲いもなく、入場無料 だったとされる。周辺にはウメやサクラ、チューリップ、ボタンなどの花園もあった。開業後は、大阪や和歌山などから大勢の来場者でにぎわい、最寄り駅の切 符売り場には行列ができる人気をみせた。しかし、昔の新聞の記録などによると、戦争を機に資材提供などを要請された影響などで運営が困難になり、最終的に閉園を余儀なくされた。

◆だそうです。

おもしろい報告書

◆藤井寺市から岡ミサンザイ古墳の報告書を送っていただいた。ありがとうございます。雄略陵説   がまとめのところに書いてある。が、本のタイトルは・・・。「いま宮内庁が仲哀天皇陵としている古墳」というのが表に来る。

1981年7月29日玉丘古墳石棺略測

◆高校3年の夏休みでしょうか。ノートが出てきました。がスキャンして捨てることにします。

2016年5月28日近鉄文化サロン

◆かろうじてクリア。でも瓦の勉強になったか。道路との関係は昔から言われていることではある が、瓦はいちおう「昔取った杵柄」というヤツで、船橋廃寺式はとても面白そうではある。広野廃寺も道路の屈折部だろうし、姫寺、海龍王寺、高麗寺も。
◆法円坂廃寺は重要ですね。難波津のランドマークだ。四天王寺より古い。難波宮造営で解体されたんでしょうね。
◆奈良の寺がよくわからん。『蓮華百相』くらいしか見てないけど。分布図に番号はあっても寺院名がなく・・・

ああ近鉄文化サロン・・・

◆今晩は徹夜だ~。瓦からみた大阪の古道。そうYさんの論文を紹介し、あわせてオリジナルを加え てと、構想はあるものの、熟成時間なし。明日は午前・・・。とほほです。
◆難波大道の幅員は側溝心で高麗尺9歩のようです。

2016年5月21日篠山

◆金曜日の晩に加古川に帰り、翌日、篠山にでかける。途中、闘竜灘に寄る。むかし、京都から家 に帰るのに国道372だったか、バイクで往復していたが、それで篠山に到達 する。篠山には、大昔に1度、兵庫県史の時に1度、行ったきり。町歩きはしたことがない。
◆お城があり、周囲に町場がある。北側が中心部で、広いメインストリートがあるが、一帯は古い町割りが残り、古民家もそこそこ残っている。『月刊文化財』で古い民家の活用による保存の取り組みが進んでいるというので、足を伸ばした。東南側に商家の伝建があり、歩いてまわりきれなかったので、夕方、駐車場にもどってから車で通過する。
◆北側の町場を中心に、昼を食べ、コーヒーをのみ、古道具屋を除き、酒蔵見学をして、旧役場のみやげもの売り場で買い物をして、歴史美術館へ行き、城のまわりをまわって西側のお徒士町武家屋敷を見て、戻ってきた。再建された御殿には行けず。
◆またコメントを書きます。

5月16日久津川整理

◆取り上げ番号1から19の箱を処理。161から179の箱を処理(少し残る)。
◆165は柵形埴輪が集中。とげとげ多し。また円筒埴輪のしっかりした稜をもつ突帯でなく丸い突帯のもの、なかには2本接近するものがあり、色合いもやや暗い焼き上がりで共通する胴部片があり、楕円形柵形埴輪片がまとまっている。大きな形象埴輪は番号をあたえ写真を撮っている。なかに立体的に接合できたものもあるので挙げておきます。
◆だんだん目が慣れてくると、いまはまだ注記しているので、あくまで袋単位での接合だが、この相棒あったよなと思うところもある。まあ、それはあとにとっておきましょう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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