人を幸せにする人になろう

5月9日と11日久津川埴輪

◆9日は定例の月曜整理作業。取り上げ番号180から215の箱を処理。11日の考古学実習も。

大化前代の上町台地

◆12月に都市史学会というのがあって、実行委委員会に入っているのですが、その会合が5月17日夜 にありました。話題提供せよとのこと。上町台地科研の本をざっと読むくらいのことしかできませんでしたが・・・。もひとつ『市大日 本史』の積山論文、難波宮下層遺跡についての良質のまとめで勉強になります。そういうもので、最近の古いところを紹介する。
◆いや~6世紀の難波官家というか、それをも含む「難波郡コホリ」の研究がかなり進展していて、難波宮前史というか、その前提として、飛鳥とともに(6世紀以前は飛鳥より)都市的発展を遂げていることを学ぶ。
◆かつ比べるべきは那津官家ですね。奈良盆地の王権本拠地があって、難波があって那津がある。

四天王寺東方の難波京条坊

◆です。この古い研究があって、戦後、難波宮の所在判明、その中軸がこれに合ってくるとわかっ てくるわけです。古い研究について、原著論文を読んだことはないが、一度、見ておかないといけませんね。

渋谷向山の本来の姿

◆『ヒストリア』に出したもの。

市大日本史学会おわり

◆また新鮮なうちに杉本さんの講演については、改めて詳しく書いておきたいと思います。エッセンスだけ。いや~すべて納得です。現状認識と、自分たちがやるべきこと、それを実現するためにはどう変えないといけないか。その先、どこまでうまくまわるかどうか、それは未知だし、筋道をつけ、後継に継承していき、それぞれが現状からよかれと思うことを進めるしかない。動かなければ今となにも変わらないわけです。やるしかない。
◆文化財保護法だけで、どんどんマンションが建っていくことを止められやしないわけである。市民にとって地域にとって大事なのは広い文化遺産であって(文化財はその一部に含まれる)、それが文化財保護の仕事である。それはイコール地域づくり、まちづくりであり、狭い文化財保護でない。だから都市整備部局と一緒にやる、文化財が扇の要となり、文化・歴史・伝統を市の政策の基軸に据える・・・、すごいです。
◆懇親会から戻り、午前中に刷っていた明日の資料のホッチキス留めをやり、だいたい準備も終えたので、帰ります。明日は貝塚。水間鉄道や町歩きが楽しみである。

5月13日の金曜日・・・市大日本史納品

◆今年もまた、なんとか大会前日に納品されました。

仕事があるのはいいことだが

◆水曜日が終わって一息、科研の計画を少し考え、いくつかの教育委員会に連絡を取ったりする。 木曜日、土曜日のこともあるが、日曜日の現地見学検討会の資料作りをしたり。15時から大学史の移転WGの会合、2時間強。まあ、いろいろとあら~な。
◆メールで兵庫県のヘリテージマネージャー大会という案内をいただく。ちょうど月刊文化財の最新巻を見ていると、特集のタイトルが「NPOと文化財、歴史と文化を地域の元気に!」というので、尾道や篠山やら、民家の保存への取り組みを興味深く見る。指定主義でなく、50年経過したものは歴史建造物としてとらえ、それを転用したりするなどの活用によって保存をはかり、まちなみとしての維持をめざすという取り組みが、そこここで行われている様子を知る。さっそくに博物館概論で紹介しようとパワポの1枚に加えたが、時間切れで、来週回し。と思っていたら、兵庫県のこうした取り組みがあることを、このチラシによって知った次第。

なんとか桃山の2回も終え

◆今日が本来の和泉市域の耕地開発の話。池田谷でやった、9世紀谷山池、12世紀の梨本池、納花村の成立までは、資料は作ったが、到達せず。パワポに適当に図をならべ、説明を加え、1時間半のなかでは軽部池の話で終わりました。表題そのものが6・7世紀の耕地開発(1回目は古墳時代の話)としていたわけだが、ほぼそこまでの話はできたかなと。いや~『和泉市史テーマ編』の時、とにかく等高線をなぞっていたことを思い出す。もう原稿を切る!、といわれながらも、図2枚ができないと、この原稿は成立せず、労力の大半は図の作成にかかった。
◆で、これまで合同調査で入った村の水利は『市大日本史』にまとめられているが、そうでない村はわからんわけです。が、これもグーグルアースで水路を辿りました。現地調査という余裕はまったくありませんでした。合同調査に入った村以外についても、各村の水利組合の方に話を聞いていくというのを市史編纂に提案し、坂本について実現したが、それっきりでしたね。
◆今後、残る府中編というのが待っている。国府河頭井という用水路。これが泉大津の豊中にどうつながり、泉大津側ではどうなっているのか知りたいところであるが、独自に動くほどの余裕もなく、機会を求めるほかはありません。

今年の博物館実習Ⅰは

◆大学史資料室の移転にともなう展示リニューアル。これ自身は大学史運営委員会マターで、実際には下部のWGで昨年来設計を練っているもの。が具体の展示部分の予算もなく外注などできず、WGメンバーでもあるこちらが、実習でやります、としたもの。大きくは3つあり、6階の部屋を、恒藤記念室(復旧ではある)として1/3、大学史資料の展示1/3、研究資料や機器1/3+廊下、というのがいまのところの目算。
◆1回目、およそのことを説明し、いまの学情1階の大学史の通史展示を見てもらい、レポート。第2回は、実際の上のようなやるべきことは横に置き、市大ミュージアム構想を班に分かれて考えてもらい、班ごとにレポート。第3回は、各班の発表と質疑をし、さらに内容を深めてもらって構想を最終的にまとめてもらう(まだ提出されたものをまとめられていません)。で、本日、5月10日の第4回は、上の区分のうち、前期を恒藤+大学史に一応あてており、目録もそろって取り組みやすい恒藤から、ということで、7つの班の役割分担を決めてそれにむかってもらう。ただちに図書館へ行くのもそれでよし(実際そういう班もあり)。来週は5分ほどで、概略プレゼンしてもらい、みなで恒藤の理解を深めたい。実際の展示は生涯を追う形で配列し、いくつかの局面でパネルもいるだろう。各班での調べは最終的にそうした形でまとめられ、そこに目録から展示物を選択する2つの班の概要報告とともに、何週かを重ねた上で、実際の展示プランにむかいたい。
◆大学史には週1回打ち合わせに行き、意思疎通をはかりつつ・・・。ぜんぶ1年でできなくてもいいと言われている。後期の学術標本の展示も、WGでは建築の先生から廊下の木枠の設計が示されているが、今年度予算は要求額通りは当然なく、別途の学内予算を今年度要求して後期の廊下を含めた展示が可能なようにもっていこうという算段。が絵を描いても、年度中に実現するかどうかはわからず、2年かけてということになるのかもしれない。なので、すべてしょい込むコトはないわけだが、こっちはこっちで、一定の形にしていくことを現時点では考えている。すべて手作り!。

いくつかは前進

◆14日の市大日本史学会、15日の貝塚の現地見学検討会、まではゆっくりはできない。本日8日、や れていなかったことを、ひとつひとつ、いくつかはこなせた。火曜日の桃山の授業で気が重いが、20:30となり、今日は帰ろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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