人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
ベルギーの旅(22)
◆5月6日、オステンドへ向かう。ブリュッセルから西へ。
8:05発の特急。途中、ゲ
ントとブルー ジュに停車。窓の外の風景を楽しむ。畑地の間に道があり、木がならぶ。 思い出したのは、ネロがパトラッシュに引かせて牛乳の缶を運んでいる映像。こういう道だった。
◆オステンド着は何時くらいだったろう。1時間半くらいだったか。いま駅舎は改装中だった。港町でヨットがならんでいる。少し雨がぱらついていたんですね。トラムも走っているが、研究集会の会場のホテルまで歩けない距離ではないので、町の散策を兼ねて歩いてゆく。とはいえ、地図をみながら最短距離を行ったので、旧市街の中心部には入らず、町歩きとはいかない。荷物もあるし、
早くほっこりしたいものである。
◆オステンド着は何時くらいだったろう。1時間半くらいだったか。いま駅舎は改装中だった。港町でヨットがならんでいる。少し雨がぱらついていたんですね。トラムも走っているが、研究集会の会場のホテルまで歩けない距離ではないので、町の散策を兼ねて歩いてゆく。とはいえ、地図をみながら最短距離を行ったので、旧市街の中心部には入らず、町歩きとはいかない。荷物もあるし、
たま3の朝顔
◆金曜日を埴輪の整理日している。この2週、和泉の講演で自分は参加できなかったが、30日は1日
やった。その前までに比べ、この日はけっこう次々に接合し、終了間際に画期的なホームラン。受け口部分の接合をやっていたのだが、一方で壺部の接合も進んでいたが、両者が合体した。玉3の埴輪が最古の朝顔の形態を取ることは従来から知られてはいたが、これで具体の個体で、その姿を捉えることができた。巴の透孔はかなり間隔が狭く、おそらく6方向くらいになるだろう。円筒部の下、いちばん上のタガまでが来るといいのですが。破片を見ていると、可能性はあると思う。母埴輪整理を再開したが、おそらく週1で、もう2ヶ月くらいやったら、もう限界かなとも。破面の比較的フレッシュな破片が残ってはいるので、まだ着くとは思うが、ほとんど風化した小破片が多いので、どこまで接合するかと思うと、もうあまり先はないようにも思う。
西美濃の旅(2)
◆大垣市の歴史民俗資料館のあと、昼飯を食べ、養老町に向かう。図書館2階の資料館を開けてもらうも、たいした展示はなかった。そのあと象鼻山へ。本日2ヶ目の前方後方墳。登り口から10分ほど山登りをする。院生が報告書を借りてきて持参していた。久しぶりの象鼻山だった。その後も確認調査が続けられ、山頂部はきれいな古墳公園になっている。とくに1号墳の東北側の樹木は伐採され、平野部が見渡せるようにしてある。が、あの鏡や琴柱形石製品は、どこに行ったら見れるのだろうか。金庫に入っているのかも知れませんね。
◆垂井町へ。まず美濃一宮の南宮大社。この一体は、郡家があった場所らしく、壬申の乱のオオアマの陣だったという。そこからまっすぐ北上すれば美濃国府なのだが、展示施設に向かう。タルイピアセンターとかいう名前だったか。図書館脇の展示施設。いや実にちゃんとした施設で、企画展も繰り返し、冊子が蓄積されている。企画展は垂井駅をやってました。図録を2冊購入。そして国府跡へ。御旅神社という名前だが元は総社。そこが国衙正庁である。発掘調査をしている時、一度、見せてもらったことがある。
◆次は不破関資料館(100円)。関ヶ原町の歴史民俗資料館に行ってもいいのだが、先を急ぐ。不破関って、あんなんなんですね。それと名神を越えた北の丘陵上に築地塀跡の高まりが残っているようだ。野磨駅家みたいですね。そこから旧道に出て、そこいらを散策。正庁地点に行くが、畑地。岐阜県が確認調査を実施し、だいたいの範囲は確認したと。普通なら国史跡というところだが、家が貼り付いており、同意が難しかったのかも知れませんね。未確認ですが。
◆ラスト、だいぶ飛びますが、神郷亀塚に行く。途中8号線は込んでいたが、18:00頃には到着。野球をやっていた少年たちに聞くと、ちゃんと知らなかったけど、1人が道案内の表示がある、あれちゃうか、と教えてくれる。こうして神社裏の畑のなかの亀塚古墳に迷いながらも到着。この日、3つめの前方後方墳でした。
◆このへんが五個荘町だったのですね。八日市インターから名神に乗り、学生らを大阪駅で降ろしたのは19:45頃でした。
[追記]写真がありません。昨日、カメラをもって出たのですが、へんなことになり、家に帰り着くと、立体駐車場の自分のハコのところにころがっていました。よくまあ取られなかったものだ。また、自分の車でカメラを轢かなかったものだ。
◆垂井町へ。まず美濃一宮の南宮大社。この一体は、郡家があった場所らしく、壬申の乱のオオアマの陣だったという。そこからまっすぐ北上すれば美濃国府なのだが、展示施設に向かう。タルイピアセンターとかいう名前だったか。図書館脇の展示施設。いや実にちゃんとした施設で、企画展も繰り返し、冊子が蓄積されている。企画展は垂井駅をやってました。図録を2冊購入。そして国府跡へ。御旅神社という名前だが元は総社。そこが国衙正庁である。発掘調査をしている時、一度、見せてもらったことがある。
◆次は不破関資料館(100円)。関ヶ原町の歴史民俗資料館に行ってもいいのだが、先を急ぐ。不破関って、あんなんなんですね。それと名神を越えた北の丘陵上に築地塀跡の高まりが残っているようだ。野磨駅家みたいですね。そこから旧道に出て、そこいらを散策。正庁地点に行くが、畑地。岐阜県が確認調査を実施し、だいたいの範囲は確認したと。普通なら国史跡というところだが、家が貼り付いており、同意が難しかったのかも知れませんね。未確認ですが。
◆ラスト、だいぶ飛びますが、神郷亀塚に行く。途中8号線は込んでいたが、18:00頃には到着。野球をやっていた少年たちに聞くと、ちゃんと知らなかったけど、1人が道案内の表示がある、あれちゃうか、と教えてくれる。こうして神社裏の畑のなかの亀塚古墳に迷いながらも到着。この日、3つめの前方後方墳でした。
◆このへんが五個荘町だったのですね。八日市インターから名神に乗り、学生らを大阪駅で降ろしたのは19:45頃でした。
[追記]写真がありません。昨日、カメラをもって出たのですが、へんなことになり、家に帰り着くと、立体駐車場の自分のハコのところにころがっていました。よくまあ取られなかったものだ。また、自分の車でカメラを轢かなかったものだ。
西美濃の旅(1)
◆天王寺8:30。名神で大垣まで。大垣までの枝線の高速道路がのび、大垣西まで行く。うろうろしながら東山道(中山道)をめざす。入った道が赤坂宿で交差する南北道だったらしく、○○家のごっつい建物の交差点に出る。ちょこっと車を止めさせてもらい、赤坂宿を楽しむ。和菓子屋に寄り、お菓子を4ヶ購入。戻り気味に金山彦神社に寄る。
◆矢道長塚。看板が小さいのひとつでやや寂しい。麦がたわわに実り、一方で田植えのまっさかり。先週くらいから始まったのだろうが、今日明日でほぼ完了というところ。高塚の跡地の標柱も見た。
◆昼飯大塚。例のバーチャルのやつ、どこに行ったら借りられるのですかね。草刈りをしてはりました。墳丘は、おそらく痛んでいるところに土を入れて整形するので大事業だったのでしょう。下段が埋まっている3段築成墳の表示モデルになろう。後円部墳頂はややさびしい。説明板はあるのだが、なんらかの遺構表示がやはりほしい。そこから再度、粉糠山。今回はぐるりと一周めぐる。
◆東山道に出て(ほんとは街道をもうすこし味わいたい)、資料館へ(100円)。そこでいろいろと、パンフを仕入れる。ここは古墳屋としては遊塚の資料がひととおり見れる。2階に昼飯大塚の遺物がすこし展示してある。ここはもとは国分寺の資料館で、半分は民俗資料。がややくたびれている。本当は、たぶん昼飯大塚の整備とともに、この間の古墳や集落遺跡の調査資料を展示する施設が欲しいところ。大垣市内には城があり、赤坂宿もなにか資料館がほしいところだがなく、考古資料は、現実論としては、歴史民俗資料館を建物からリニューアルすることだろうが、なかなかいっぺんにはいかないんでしょうね。それと、ひとつの史跡整備に、あんまり金をかけすぎないことも重要なように思う。手頃なところでの持続が大事かも。
[記事を改めます]
◆矢道長塚。看板が小さいのひとつでやや寂しい。麦がたわわに実り、一方で田植えのまっさかり。先週くらいから始まったのだろうが、今日明日でほぼ完了というところ。高塚の跡地の標柱も見た。
◆昼飯大塚。例のバーチャルのやつ、どこに行ったら借りられるのですかね。草刈りをしてはりました。墳丘は、おそらく痛んでいるところに土を入れて整形するので大事業だったのでしょう。下段が埋まっている3段築成墳の表示モデルになろう。後円部墳頂はややさびしい。説明板はあるのだが、なんらかの遺構表示がやはりほしい。そこから再度、粉糠山。今回はぐるりと一周めぐる。
◆東山道に出て(ほんとは街道をもうすこし味わいたい)、資料館へ(100円)。そこでいろいろと、パンフを仕入れる。ここは古墳屋としては遊塚の資料がひととおり見れる。2階に昼飯大塚の遺物がすこし展示してある。ここはもとは国分寺の資料館で、半分は民俗資料。がややくたびれている。本当は、たぶん昼飯大塚の整備とともに、この間の古墳や集落遺跡の調査資料を展示する施設が欲しいところ。大垣市内には城があり、赤坂宿もなにか資料館がほしいところだがなく、考古資料は、現実論としては、歴史民俗資料館を建物からリニューアルすることだろうが、なかなかいっぺんにはいかないんでしょうね。それと、ひとつの史跡整備に、あんまり金をかけすぎないことも重要なように思う。手頃なところでの持続が大事かも。
[記事を改めます]
足利健亮先生の論文に学ぶ
◆自分の論文をブラッシュアップするのに疲れ、ハクガクレンケイの会議もあって、パラパラといくつかの本をめくっていて、足利先生の河内の古道の論文を見る。面白い!。とくに長尾街道と竹ノ内街道の間の条里地割が南北に長いこと、現存条里に隠れながら先行する大枠の地割や条里が指摘されていること、にびっくり。あとは上町台地から斜めに丹比に向かう道の指摘など。
◆とくに先行地割は、長原遺跡で現存条里と40数mずれていることが発掘で確実に確かめられ、いわゆるシワツ道の問題とともに、河内では、もしかして106m地割があったことを思わせる。足利先生は、長原遺跡の調査のことを晩年には知っていたと思うが、河内について再検討しているのかどうかは定かでない。が、この論文と長原遺跡のことを結びつければ、河内の初期の地割が説明できるのではないかと思う。
◆それにしても、足利先生の論文の書きようが、正直ベースでとても好感を覚え、むろん説得的であるのだ。大学1年前期と、2年の実習でしか接点がなかったが、なつかしく思い出す。
◆とくに先行地割は、長原遺跡で現存条里と40数mずれていることが発掘で確実に確かめられ、いわゆるシワツ道の問題とともに、河内では、もしかして106m地割があったことを思わせる。足利先生は、長原遺跡の調査のことを晩年には知っていたと思うが、河内について再検討しているのかどうかは定かでない。が、この論文と長原遺跡のことを結びつければ、河内の初期の地割が説明できるのではないかと思う。
◆それにしても、足利先生の論文の書きようが、正直ベースでとても好感を覚え、むろん説得的であるのだ。大学1年前期と、2年の実習でしか接点がなかったが、なつかしく思い出す。
箸墓の写真
◆毎日新聞に載っていたと知らされる。調べると、サンケイが写真を公表しているのを見ることができた。優美だ。
ワールドカップ
◆今日のキプロス戦は見なかった。午後、和泉市に行く用ができ、戻ってから、ひたすら論文を直していた。ベルギーで書きはじめたヤツだが、完成度は70%くらいまで来たか。直しても直してもだが、そこはやはりだんだんブラッシュアップされていることは実感できる。註と参考文献を入れつつ直しているが、もうちょっと・・・。
◆で、来月の本戦は、なでしこ同様、ぜんぶ見るんだろう。が、一方で、カミサンの言うこともわかる。国威発揚もいいとこや、と。そうなんだわ。無縁ではありえない。政治的なことではない。君が代が流れ、選手は胸に手をあて、口を動かす人もいる。インタビューすれば「日の丸を背負って戦う」と。それよりも、スタジアムで、テレビで、多くの日本国民がみており、否が応でも国を意識し、もちろん観戦者のほぼ100%は、日本が得点をとれば喜び、試合に勝てば安堵し、なでしこの優勝を賞賛する。ほっといても国民統合とはいかずとも、日本の国民意識が形成される。
◆サッカーに盛り上がる層は言うほど多くはないのだろうが、オリンピックはもっと普遍性があるだろうし、同じ事。そして、それがあかんのか、という意見が大半ではあろう。むろん、ワールドカップでもオリンピックでも、とくに団体戦で、まあサッカーでいいか、韓国とか北朝鮮とか中国とかとやりますわな。スポーツはスポーツと人はいうだろう。公正な審判のもとで、スポーツマンシップにしたがって対戦し、勝っても負けても、そりゃスポーツだと。違いますよね。勝ったら喜び負けたら悔しがるわけだ。もしかしたら選手以上に、見ている側が、日本がアジアでナンバーワンになったら安堵し、韓国や中国に負けると悔しがるのんとちゃいますか。勝ち負けを付けるのがスポーツだ、だがそれゆえに、簡単に国民の意識に訴える力がある。
◆そう思うと、やはりなくてよい、というのに賛同せざるをえない。職業サッカーだけでよいと。国別対抗戦は、世界平和に逆行することかもしれない。ニッポンチャチャチャは、簡単に「日本国万歳」に置き換わり、日本チームに賞賛を送る若者の感情は、他国から攻められたら日本を守るために戦うという意識に、いとも簡単にスライドするんでしょう。「内田かっこいい」と言う女性は、敵機を撃墜したパイロットにも「ステキ」と言うんでしょうな。百害あって一利なし、か。
◆で、来月の本戦は、なでしこ同様、ぜんぶ見るんだろう。が、一方で、カミサンの言うこともわかる。国威発揚もいいとこや、と。そうなんだわ。無縁ではありえない。政治的なことではない。君が代が流れ、選手は胸に手をあて、口を動かす人もいる。インタビューすれば「日の丸を背負って戦う」と。それよりも、スタジアムで、テレビで、多くの日本国民がみており、否が応でも国を意識し、もちろん観戦者のほぼ100%は、日本が得点をとれば喜び、試合に勝てば安堵し、なでしこの優勝を賞賛する。ほっといても国民統合とはいかずとも、日本の国民意識が形成される。
◆サッカーに盛り上がる層は言うほど多くはないのだろうが、オリンピックはもっと普遍性があるだろうし、同じ事。そして、それがあかんのか、という意見が大半ではあろう。むろん、ワールドカップでもオリンピックでも、とくに団体戦で、まあサッカーでいいか、韓国とか北朝鮮とか中国とかとやりますわな。スポーツはスポーツと人はいうだろう。公正な審判のもとで、スポーツマンシップにしたがって対戦し、勝っても負けても、そりゃスポーツだと。違いますよね。勝ったら喜び負けたら悔しがるわけだ。もしかしたら選手以上に、見ている側が、日本がアジアでナンバーワンになったら安堵し、韓国や中国に負けると悔しがるのんとちゃいますか。勝ち負けを付けるのがスポーツだ、だがそれゆえに、簡単に国民の意識に訴える力がある。
◆そう思うと、やはりなくてよい、というのに賛同せざるをえない。職業サッカーだけでよいと。国別対抗戦は、世界平和に逆行することかもしれない。ニッポンチャチャチャは、簡単に「日本国万歳」に置き換わり、日本チームに賞賛を送る若者の感情は、他国から攻められたら日本を守るために戦うという意識に、いとも簡単にスライドするんでしょう。「内田かっこいい」と言う女性は、敵機を撃墜したパイロットにも「ステキ」と言うんでしょうな。百害あって一利なし、か。
ゲンパツ
◆世界に冠たる安全基準を満たし大丈夫だと。そこまでいうなら、広瀬隆は言うだろう、東京湾にどうぞお作り下さい、と。まったくだ。それができたら、大飯も再稼働させたらよい。
◆この国ではメルトダウン事故が起き、帰宅できないエリアができ、いまだ事後の管理がうまくいかず、海に排水している状況でも、なお立ち止まらないらしい。もう一発ないと反省しないのだろう。次は関電エリアなんでしょうね。
◆早く人工光合成技術が実用化されないだろうか。あかん、慢性的に眠い・・・
◆この国ではメルトダウン事故が起き、帰宅できないエリアができ、いまだ事後の管理がうまくいかず、海に排水している状況でも、なお立ち止まらないらしい。もう一発ないと反省しないのだろう。次は関電エリアなんでしょうね。
◆早く人工光合成技術が実用化されないだろうか。あかん、慢性的に眠い・・・
アルツハイマー病研究
◆アルツハイマー病の研究はひどすぎる。33億円を投入し、論文の1本もないという。データ保全を要請された責任者は、書き換えられていることを黙認し、知っていたことを黙っていろと要請。もともと初発からさまざまな疑惑が上がり、内部告発もあったひどいしろもの。問題を指摘していた、東大とはなんのかかわりもない研究者はことごとくはずされたそうな。
◆これってオボちゃんより、よほど組織的な確信犯ちゃいますの。まじめに協力した人もいるであろう。データもぜんぶダメではないはず。が、16%とかいうデータが改竄され、復旧は難しいらしい。33億円を投入した研究の成果、その元データが使えない以上、パー。公金分の24億円分は、国が損失として返却を求めなければウソである。それと会計の徹底チェック。
◆これってオボちゃんより、よほど組織的な確信犯ちゃいますの。まじめに協力した人もいるであろう。データもぜんぶダメではないはず。が、16%とかいうデータが改竄され、復旧は難しいらしい。33億円を投入した研究の成果、その元データが使えない以上、パー。公金分の24億円分は、国が損失として返却を求めなければウソである。それと会計の徹底チェック。
押しつけ憲法
◆押しつけ憲法だと。しかし、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をしたのである。その重みを知らなければならない。押しつけ憲法と主張する側は、戦争責任を明確にすべきなのだ。あんな憲法を呑まされることになったのは、おまえらが無謀にも戦争を引き起こし、条件を提示できる状態はとっくに過ぎ、無条件に降伏するほかなくなるまでやめなかったお前らが悪い、責任取れと。戦犯を断罪した上で、自主憲法案を提出すべし。
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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。