人を幸せにする人になろう

高遠さんの話

◆昨日、報道するラジオで高遠さんがイラクの話をしていた。戦争を放棄した日本への親日感情がかなり強い。それは幻想ではあっても、世界的に平和主義は伝わっている、そのことの重要性は計り知れない。が、サマワに自衛隊が入り、迷彩服の軍人が降り立った瞬間に、ひどい爆撃をするアメリカ軍になぜ日本は追随し、軍隊を送り込むのかと、親日が反日へと転じた、と。同盟国アメリカは、イラクが大量破壊兵器を作っていると、あとでウソだったことを理由に軍隊を送り込み、ふつうの人々をあまた殺害する、とんでもない敵国でしかない。戦争は人殺しである。そのアメリカに賛同し、軍隊を送り込んだ時、幻滅へと転じた。そして拘束される。
◆同じ時期に人道支援のためにイラクに入っていたいろんな国の人々が拘束されるが、銃を携行している人間は殺され、丸腰の人は解放されている。これも象徴的。自衛隊は使わないことが原則でも武装して降り立った、その瞬間に標的になるのである。丸腰がいかに大切か、それすなわち、なにかあったら自分たちを撃つ人間なのか、そうでないのかという判断はそこにあるわけだ。「正義」とか、国際貢献(いやアメリカ追随)というタテマエはあれ、いざとなったら自分たちを撃つ側なのか、難民たちの生活を支える支援に来てくれている人なのか、それが対応を決める。
◆サダムフセイン時代は政教分離が進み、スンニ派とシーア派の対立はない。それがほんの2006年くらいまで、民衆はみなそう言っていた。両者の夫婦も珍しくはないと。それがいまは憎しみに変わった。それはシーア派政権が作った反テロ法という、礼状なしで拘束できる法律により、スンニ派の宗教的指導者が惨殺され、1日に70人から100人くらいが拘束され、多くが殺害される。それがついに、融和的だった、事実なかった宗教対立を新たに作り出す。もはや戻れないであろう。
◆元凶は、シーア派政権とそれを支えたアメリカなのだろう。なぜか、いろんな理由が言われているらしいが、結論は言えない、わからないというのが真相らしい。しかしまあ、スンニ派だったサダムフセイン政権を打倒した以上、中心勢力はシーア派になるのだろうし、諸民族の参加した国づくりはタテマエであって、それに乗じて勢力を拡大しようという民衆とは遊離したシーア派政権派と、アメリカが結託しているのであろう。広瀬隆的な類推をすれば、平和になれば困るのであろう、対立を作り出し、武器を売って儲けたい側の思惑が働いているのであろう。
◆卑弥呼共立はもはやないのだろう。分裂するしかないか。

日本考古学への遺言

◆山中先生の意向で、『異貌』2冊が送られてきた。30号に書いたものがあり、これは昨年刊行され ていたのだが、31号に亡くなる2ヶ月前に書いた表題のものが掲載予定で、刊行されたら、2冊を卒業生等に送るように指示していたらしい。
◆昨日、行き帰りで読んでいました。先行研究を無視する者は研究者として失格にせよ、というのが結論である。

7月3日全史協近畿地区協議会総会

◆午前は研究会。東海地域の集落遺跡研究についての院生の発表。12:30がリミット。城陽に出かけ る。傘を取りに戻り、杉本町で電車が行ってしまい、13:00近くになる。い つもは、車で行かない時は学研都市線で行くのだが、鶴橋から西大寺に向かう。急行の乗り継ぎもよく、なんとか15時からのしゃべりの30分前に寺田駅に降り立つ。
◆40分ではやはり終わらず45分くらいにはなったが、しゃべる。そのあと文化庁マイブンの調査官。いや~ちゃんとしてますわ。
◆むかし文化庁1年目で関東ブロックの研修会で静岡に行き、大知波峠廃寺をネタに山岳寺院をテーマだったとき、自分は発表するわけではないけど、冒頭で挨拶させられ、いまやっている調査研究を話し、これで終わりかと思いきや、研修会後の挨拶を振られ、まいったことがあった。こういうのも慣れなんでしょうが、最初のやつが自分のなかで記憶に残ってます。
◆17時までのところで、芝ケ原ネタでの企画展を見る。常設のところで、床の航空写真で水路を見てました。東側の山からの水路が西に配されている。興味がある。クリクマの大渠も(ちゃんと城陽市史を読んでませんが)。
◆京都駅前のホテルで懇親会。城陽市長さんが寄ってきて、市大の東洋史を出たそうで、ナカムラクンはどうしているかと聞かれ、いろいろと話をする。そのあと2次会にも行き、22:00の特急で八木まわりで帰る。

全史協近畿地区協議会

◆あした、研修会でしゃべる。安請け合いはするものではない。が、これも仕事。呼んでもらえる うちがハナ。資料をちゃんと準備することはあきらめました(すいません)。まずパワポを作ることにしする。昨日から作り始め、いま2日の13:46、いちおう終わりました。あいかわらずの111枚・・・。時間は40分。ちょっと頑張っても半分にはならんわな~。
◆ひとまずここで、資料作りに転じよう。18:00終了。
◆再びパワポに戻り、手直し。21:00。94枚か。あんまり減ってない・・・。あ~あ、日が暮れた。

6月29日大歴大会

◆朝8:45に関学集合というので、Fさんの追加史料300部刷ったものをもってでかける。会場は予定 していたところから、より大きな会場に変更されていた。投影の機器せっと、討論時のセッティング準備、マイクテスト、お客さんが次々に来場、そこそこ埋まった。
◆準備会の効果もあり、なんとか短い時間だが要領よく発表をしていただき、最後の横田先生のは少しのびたが(話はバツグンに面白い)、全体で10分オーバー程度で、おしりを10分のばして、討論をなんとか30分確保。仁木さんが要を得た質問をぶつけ、ひととおり報告者に振って答えてほぼ時間ながら、発表でははっきりしていなかった点も引き出され、とてもよかった。

6月28日れきはく研究会

◆結局は、イメージも固まらないまま・・・。金曜日の夜もがんばりはきかない、年です。当日、プリ ンタ持参で新幹線に乗り、なんとか車中でレジュメだけは最後までつくる。プリンタの調子も悪く、結局は打ち出してもらい、コピーし、なんとか・・・。
◆まあ、発表自体はあんなもん。が、やはり窮すれば通ずというのか、なんとはなく、どう攻めるか、という方針のイメージは作る。あとは実際やることですな。〆切は1年先というから、その間に、せっせと纒向型前方後円墳の勉強を続けよう。それと、やはり個別の地域に即した出現状況もやってみたいものである。

ヤフオクの鏡

◆昨日、なので26日か、博物館勤務の先輩から電話があり、ひとつは仕事の話なのだが、もうひとつ、ヤフオクに出ている鏡を見ろ、と。見ました。いい画像鏡やないですが。1000円スタートで、いま10万円、あと3日。このまま待って、もうちょい上乗せして買おうか、と心も動く。
◆ところがです。昨日帰り際に見ると、20万円に、そして本日27日21:30、いま見ると54万円に跳ね上がっているではないか。さようなら~。

だいたい漢尺で説明できると思うけど

◆まあちょっとやってます。纒向石塚は後円部直径45歩、前方部長22.5歩でいけそうである。ちゃ んと2:1。まあこれですべて通るわけではもちろんない。が後円部径や墳丘長には、一定の規格がありそうですが、ヤマトの規範性をどう読み取ればいいんでしょうね。

纒向型前方後円墳で勝負?

◆なにをすればしいのか、いろいろ考えつつ、ひとつは3世紀前半古墳時代論でもいいかなと。みな 箸墓は卑弥呼墓で、倭国王に担ぎ出されたのは2世紀末ないし3世紀初頭で、それがひとつの転換であるということは認めてるんだろう。ただし、纒向型前方後円墳というのが、纒向地域にあるものの時期がわからん(前は、ですよ)、前方部の長い短いがある、だから規範としてはやはり弱い。へたすりゃ、円形墓が瀬戸内から畿内に波及し、多元的に円丘墓に前方部をつけるものが生まれていてよい、という傾きをもつ。都出先生のものを読んでも、円と方の対峙のなかでシンボル的な意味を帯びるとは書いてあるが、文脈は上に近く、そうなると北條さんの議論と近くなる。対局は寺澤さん。
◆そんなんで、3世紀はじめに画期があるんだろうとは思っても、考古学的には顕著でない、やっぱり3世紀後半という議論になる。画文帯神獣鏡の話は認められていると思うが、それは鏡の話。やっぱり前方後円墳を作る作らないが大きい。そこんところ、むろんできあがっているものの多様性は認めざるをえないのだが、そこに円形墓を採用し、なんか突出部をつけるみたいなことが同調的に起こってくる、なんかあるんやろうけど一応それぞれ、という話なのか、前方後円墳の規範はヤマトにあって、それを受け入れた、ただし実際の姿形はいろいろ(あるいは規格といえる面もある)のか、というのが分かれ目。
◆それでは規格性でひとまず攻めようかと・・・。

ようやっと資料を

◆伏見城の資料、土曜日〆切でお願いし、日曜日に作業をして、月曜日に事務局の阪大に データを送信するという腹づもりだった。が、土曜日の新旧合同委員会で、大会議案等は日曜日の22時までと言われ、月曜日言うてたやん!。なんとか月曜日の12時にしてもらうも、なんとか2人分までそろえたが、あとお二方がまだ。16時と言われ、うちお一人の史料部分だけもらって作成、なんとか15時に送信。で、藤井寺の現場を見に行く。
◆これで終わり。あとは追加資料で、と思っていたら、歯抜けはイカン、そろえよ、本日24日10時まで待つと・・・、とほほ。が、原稿は来てないし、レキハクの発表準備をやり・・・。結局、メールに返事をもらうことが金輪際ない人に電話をし、絶対間に合わないことを確認、もうお一人の分は、なんとか手直しをして(でも史料と図まで)、なんとか送信し、まあ一段落。
◆こないだ、29日の大歴の特別部会の取材を受け、材料を提供したら、カラーで掲載したようです。これが今日の夕刊。

プラグイン

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索