人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
「地の利」論
◆なぜヤマト国が倭国の中心になるのか、大きな課題である。地の利論というのがあるのだが、どうも納得できない。列島の中心に位置し、日本海側を含め、東西日本をつなぐ位置にあることは確かだ。有利に働く要素であることは認める。
◆まず、交易ネットワークができると、その上で、その位置故に重要性を増し、中心へと躍り出ると言われると違和感が大きい。
◆まず、なぜに交易ネットワークができるのか。例えば鉄、需要が高まり、素材が十分入ってくるなら、北部九州はじゃんじゃん製品を作れば、冨が集積することになる。排他的に独占するより(自分の所の消費は既に十分なんでしょうね)、交易で儲けた方がいい、ということなんだろうか。そのへん、なにか契機があってできてくるものなのか、自ずから生まれてくるものなんだろうか、いま考えている。
◆もしかして、競合みたいなものを考えなくても、全国需要がネットワークを作りあげるのかな、とも思う。だが、そうしてネットワークができるとして、みなフラットな関係ではないと思うのだ。弥生後期の広域地域圏にも大小や権力の集中度の強弱とか、自ずから差はある。要するに、ヤマト国が一定の求心力をもつ、なにがしか必然性があったんだろうと思うわけです。たまたま、近畿地方の土地柄がよかった故に、求心力をもっていくようになる、という言い方は間違っていると思うわけ。そんなんじゃないだろうと。
◆熊本県の鍛冶炉とかすごいですね。徳島もすごいらしい。淡路の鍛冶工房も、あれは阿波ですけね。熊本というと、クナ国?。数少ない九州説で行けば、たぶん安本説なので、筑後がヤマタイ国とみてるんだろう。そうすると東遷説?。いつなんどき東遷するんですかね。まあ、それはおいておいて・・・。ネギタさんの『日本考古学』の論文を教えてもらう。そうなんですよ。前に野磨駅家の調査で、弥生のカンカンに焼けた炉を見たことがあって、それが頭から離れません。鍛冶炉って、見たことのない者には、よく焼けてるな~、くらいで認識されていないものもあると思いますよ。
◆このへんも揺れがあります。きっとある、と思ってはいるのですが、しかし熊本に比べるとな~、と。が、それはそれで、潤沢に素材もあるし、技術もあり、鉄器が作れると、という環境は、逆に社会を変えないのかも、と。必需品だが、遠隔地にしかなく、なんとか確保せなあかん、という必要性こそが社会を変える原動力になっている可能性もあるのでは、とか。
◆まず、交易ネットワークができると、その上で、その位置故に重要性を増し、中心へと躍り出ると言われると違和感が大きい。
◆まず、なぜに交易ネットワークができるのか。例えば鉄、需要が高まり、素材が十分入ってくるなら、北部九州はじゃんじゃん製品を作れば、冨が集積することになる。排他的に独占するより(自分の所の消費は既に十分なんでしょうね)、交易で儲けた方がいい、ということなんだろうか。そのへん、なにか契機があってできてくるものなのか、自ずから生まれてくるものなんだろうか、いま考えている。
◆もしかして、競合みたいなものを考えなくても、全国需要がネットワークを作りあげるのかな、とも思う。だが、そうしてネットワークができるとして、みなフラットな関係ではないと思うのだ。弥生後期の広域地域圏にも大小や権力の集中度の強弱とか、自ずから差はある。要するに、ヤマト国が一定の求心力をもつ、なにがしか必然性があったんだろうと思うわけです。たまたま、近畿地方の土地柄がよかった故に、求心力をもっていくようになる、という言い方は間違っていると思うわけ。そんなんじゃないだろうと。
◆熊本県の鍛冶炉とかすごいですね。徳島もすごいらしい。淡路の鍛冶工房も、あれは阿波ですけね。熊本というと、クナ国?。数少ない九州説で行けば、たぶん安本説なので、筑後がヤマタイ国とみてるんだろう。そうすると東遷説?。いつなんどき東遷するんですかね。まあ、それはおいておいて・・・。ネギタさんの『日本考古学』の論文を教えてもらう。そうなんですよ。前に野磨駅家の調査で、弥生のカンカンに焼けた炉を見たことがあって、それが頭から離れません。鍛冶炉って、見たことのない者には、よく焼けてるな~、くらいで認識されていないものもあると思いますよ。
◆このへんも揺れがあります。きっとある、と思ってはいるのですが、しかし熊本に比べるとな~、と。が、それはそれで、潤沢に素材もあるし、技術もあり、鉄器が作れると、という環境は、逆に社会を変えないのかも、と。必需品だが、遠隔地にしかなく、なんとか確保せなあかん、という必要性こそが社会を変える原動力になっている可能性もあるのでは、とか。
2014年7月6日(土)下ツ道を行く(5)
◆二階堂駅を過ぎたところで茶店があり入る。八木からここまでほぼ店なし(飲み食いするなら田原本だ が、結局、歩いた範囲ではなかったような・・・)。ここまでで12時過ぎ。八木の交流館を出たのが9:40くらいで、約2時間。店に入ったのは、12:30くらいだったのだろう。2時間歩くと、体が中から熱く、冷房の効いた茶店でアイスコーヒーが必要。
◆下ツ道ガイドマップでは「ぼな~る」という名前で出ていた店で、いまは名前を「赤いそら豆」に変えて、喫茶&ギャラリーになっている。店の名前を変えてからだったか、3週年ということで、コーヒー100円とのこと。レ~コ2杯で200円でした。趣味でやっている店で、いろいろ話をする。民話の手作り本を渡される。
◆カミサンいわく、こういうのも年をとる効能だ、と。若い頃は「かまわないで」オーラを出していたと。そうなんでしょうか。
◆下ツ道ガイドマップでは「ぼな~る」という名前で出ていた店で、いまは名前を「赤いそら豆」に変えて、喫茶&ギャラリーになっている。店の名前を変えてからだったか、3週年ということで、コーヒー100円とのこと。レ~コ2杯で200円でした。趣味でやっている店で、いろいろ話をする。民話の手作り本を渡される。
◆カミサンいわく、こういうのも年をとる効能だ、と。若い頃は「かまわないで」オーラを出していたと。そうなんでしょうか。
2014年7月6日(土)下ツ道を行く(2)
◆ゴールを決めず北上する。国道24号線を横切り、橿原の市街地を抜ける。ほぼ米川がオンライ ンで北上しており、その西堤を歩く。
◆なんとなく見たことがあるようなところとなり、ここはどこやと住所表記を見ると秦庄。おや、ではO氏宅があるのではと思ったが、見あたらず。ひとつ西側に入ったところなんだろうとは思うが、そのまま北上する。前に唐古鍵Mで下ツ道ガイドマップをもらう。これはよくできたもので持って歩けるが、なくなった段階で増し刷りなし。これもったいないと思う(掲載許可の問題があるんだろう)。これ研究室にあり、もっていなかった。交流館でそのコピーをもらう。
◆次は田原本。前にも感じたが、ほんとうに田原本は、あちこちに説明板を立てている。そういう 点でとても進んでいる。田原本の町では、下ツ道というか中街道は東側を通っており、お茶でもと駅前までうろうろし、町歩きとなる。近鉄線のむこうにも鉄道があり、なんやあれというので、西田原本駅で王寺まで行けると説明する。
◆田原本は平野氏5000石の陣屋のあった町。途中、和菓子屋で「若あゆ」などを買って食べる。
◆なんとなく見たことがあるようなところとなり、ここはどこやと住所表記を見ると秦庄。おや、ではO氏宅があるのではと思ったが、見あたらず。ひとつ西側に入ったところなんだろうとは思うが、そのまま北上する。前に唐古鍵Mで下ツ道ガイドマップをもらう。これはよくできたもので持って歩けるが、なくなった段階で増し刷りなし。これもったいないと思う(掲載許可の問題があるんだろう)。これ研究室にあり、もっていなかった。交流館でそのコピーをもらう。
◆次は田原本。前にも感じたが、ほんとうに田原本は、あちこちに説明板を立てている。そういう 点でとても進んでいる。田原本の町では、下ツ道というか中街道は東側を通っており、お茶でもと駅前までうろうろし、町歩きとなる。近鉄線のむこうにも鉄道があり、なんやあれというので、西田原本駅で王寺まで行けると説明する。
◆田原本は平野氏5000石の陣屋のあった町。途中、和菓子屋で「若あゆ」などを買って食べる。
2014年7月6日(土)下ツ道を行く(1)
◆今日は休む。どこか歩きに行こうということで、京橋から京街道を枚方までという案も浮かんだが調べていないし、下ツ道にする。8:00に家を出て、10分の急行で八木駅着、八木の辻にすぐに到着。交差点を掃除してはる方がいる、と思ったら東北角地のところが「八木の辻交流館」となっていた。
◆何年か前に横大路を歩いた時はまだできていなかったもの。9:00オープンで、まだ早かったが、どうぞということで上がり込み、丁寧に解説をしていただいた。話をしていると1時間くらい経過した。
◆2年前に住んでおられた方がお亡くなりになり、橿原市が土地を購入、建物は寄贈を受け、改修しオープンしたとのこと。八木は伝建になっているわけではないが、まちなみをアピールしていこうという活動が始まっている。
◆横大路との交差点角地の建物はベストポジション、ここを橿原市が取得したことは意義深い。ここから桜井をめざすのも、その先の伊勢をめざすのもよい、明日香に下るのでも、田原本、はたまた平城京をめざすのもよい。八木は橿原市の中心部、ターミナル駅があり便利、多くの町屋のほとんどは人が暮らしている。雰囲気はあるが空き家だらけというのではない。駅前から少し入れば、昔ながらのたたずまいが残っている。
◆貸し会場でも利用しており、畝傍高校は、毎年、カルタ大会をやるそうだ。
◆何年か前に横大路を歩いた時はまだできていなかったもの。9:00オープンで、まだ早かったが、どうぞということで上がり込み、丁寧に解説をしていただいた。話をしていると1時間くらい経過した。
◆2年前に住んでおられた方がお亡くなりになり、橿原市が土地を購入、建物は寄贈を受け、改修しオープンしたとのこと。八木は伝建になっているわけではないが、まちなみをアピールしていこうという活動が始まっている。
◆横大路との交差点角地の建物はベストポジション、ここを橿原市が取得したことは意義深い。ここから桜井をめざすのも、その先の伊勢をめざすのもよい、明日香に下るのでも、田原本、はたまた平城京をめざすのもよい。八木は橿原市の中心部、ターミナル駅があり便利、多くの町屋のほとんどは人が暮らしている。雰囲気はあるが空き家だらけというのではない。駅前から少し入れば、昔ながらのたたずまいが残っている。
◆貸し会場でも利用しており、畝傍高校は、毎年、カルタ大会をやるそうだ。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。