人を幸せにする人になろう

「地の利」論

◆なぜヤマト国が倭国の中心になるのか、大きな課題である。地の利論というのがあるのだが、どうも納得できない。列島の中心に位置し、日本海側を含め、東西日本をつなぐ位置にあることは確かだ。有利に働く要素であることは認める。
◆まず、交易ネットワークができると、その上で、その位置故に重要性を増し、中心へと躍り出ると言われると違和感が大きい。
◆まず、なぜに交易ネットワークができるのか。例えば鉄、需要が高まり、素材が十分入ってくるなら、北部九州はじゃんじゃん製品を作れば、冨が集積することになる。排他的に独占するより(自分の所の消費は既に十分なんでしょうね)、交易で儲けた方がいい、ということなんだろうか。そのへん、なにか契機があってできてくるものなのか、自ずから生まれてくるものなんだろうか、いま考えている。
◆もしかして、競合みたいなものを考えなくても、全国需要がネットワークを作りあげるのかな、とも思う。だが、そうしてネットワークができるとして、みなフラットな関係ではないと思うのだ。弥生後期の広域地域圏にも大小や権力の集中度の強弱とか、自ずから差はある。要するに、ヤマト国が一定の求心力をもつ、なにがしか必然性があったんだろうと思うわけです。たまたま、近畿地方の土地柄がよかった故に、求心力をもっていくようになる、という言い方は間違っていると思うわけ。そんなんじゃないだろうと。
◆熊本県の鍛冶炉とかすごいですね。徳島もすごいらしい。淡路の鍛冶工房も、あれは阿波ですけね。熊本というと、クナ国?。数少ない九州説で行けば、たぶん安本説なので、筑後がヤマタイ国とみてるんだろう。そうすると東遷説?。いつなんどき東遷するんですかね。まあ、それはおいておいて・・・。ネギタさんの『日本考古学』の論文を教えてもらう。そうなんですよ。前に野磨駅家の調査で、弥生のカンカンに焼けた炉を見たことがあって、それが頭から離れません。鍛冶炉って、見たことのない者には、よく焼けてるな~、くらいで認識されていないものもあると思いますよ。
◆このへんも揺れがあります。きっとある、と思ってはいるのですが、しかし熊本に比べるとな~、と。が、それはそれで、潤沢に素材もあるし、技術もあり、鉄器が作れると、という環境は、逆に社会を変えないのかも、と。必需品だが、遠隔地にしかなく、なんとか確保せなあかん、という必要性こそが社会を変える原動力になっている可能性もあるのでは、とか。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(9)

体力的には朱雀門をめざせるのだが、雨も降ってきたしここまでとする。郡山の城下町に入 る。頑張って外堀公園とかを確保し整備しているし、また町中についても一定の整備が進められている。紺屋というのに前は入ったが、今回はパス。郡山城下町については、前に歴史学のハイキングで見学した。
◆大和郡山駅15時過ぎに到達。八木に出て、16時から店をあける飲み屋に10分前に入れてもらい、1時間ほど飲み、帰りました。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(8)

◆そして羅城門。佐保川をわたる東西道路の橋の欄干北面に看板が取り付けてある。そこか ら北側にむけてパチリ。画像を拡大してみると朱雀門が確かにある。
◆橋の高架下にも看板があるが、まあ目立たない。羅城門自体は、川でやられ、土手が乗り、ほとんど表示できないわけだ。ガイドマップを見ると、昭和10年に佐保川の底で礎石が露出したらしい。脇の公園に行けば、もうちと説明があるのだろうか、単なる公園なのか。行かなかった。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(7)

◆次に稗田の環濠集落。前に歴史学のハイキングで来たことがある。東南の神社はなんとなく記憶して いるが、やっぱり連れて行ってもらうのでは、ほとんど覚えてませんね。 環濠集落の典型としてよく知られているところ。再掘削とか整備事業も進められたようで、いまは環濠にとりまかれた集落の姿をほぼ見ることができる。
◆そこから、西に郡山市街に向かわず、佐保川東岸の下三橋の新興住宅地を抜けて、羅城門をめざす。そうか、ここが下三橋遺跡なのですね。
◆途中、佐保川に出て、土手沿いを北上し、羅城門をめざす。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(6)

◆嫁取り橋を渡るところから、西名阪と京奈和ジャンクションの工事現場となる。八条北遺跡はこ こ。大和郡山市に入る。川は西へ南へと流れる(分水嶺の逆)。
◆工事現場を抜けた次の集落は伊豆七条町(写真)。これも環濠集落だったんですね。ガイドマップをみると、いくつも環濠の表示がある。
◆さらに行くと、西側にいい集落が見えてくる。地図を見ると番条町という。川に沿って集落があり、北の森は神社だろう(熊野神社)。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(5)

◆二階堂駅を過ぎたところで茶店があり入る。八木からここまでほぼ店なし(飲み食いするなら田原本だ が、結局、歩いた範囲ではなかったような・・・)。ここまでで12時過ぎ。八木の交流館を出たのが9:40くらいで、約2時間。店に入ったのは、12:30くらいだったのだろう。2時間歩くと、体が中から熱く、冷房の効いた茶店でアイスコーヒーが必要。
◆下ツ道ガイドマップでは「ぼな~る」という名前で出ていた店で、いまは名前を「赤いそら豆」に変えて、喫茶&ギャラリーになっている。店の名前を変えてからだったか、3週年ということで、コーヒー100円とのこと。レ~コ2杯で200円でした。趣味でやっている店で、いろいろ話をする。民話の手作り本を渡される。
◆カミサンいわく、こういうのも年をとる効能だ、と。若い頃は「かまわないで」オーラを出していたと。そうなんでしょうか。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(4)

◆天理市に入る。庵治町。稲が育っている。そのむこうに集落。なんとなく見たことがあるような情景、デジャブ。単に集落があり、その南にタンボが広がっているというだけのことではあるのだが。そう、和泉市和気町を歩いていた時の風景を思い出していた。
◆そこを進むと、前に見た風景。そう、以前に初瀬川をさかのぼった時に到 達したところである。ゴミ焼却場や光洋の工場がある。この橋渡ったなという筋が、実は下ツ道だった。大和川を渡ると、下ツ道をはさんで、東が天理市、西が川西町。しばらくいくと二階堂。
◆写真は二階堂の村の中。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(3)

◆まあ下ツ道を歩いている人はいない。田原本の町中で1グループとすれ違ったのみだった。横大路は伊勢街 道でもあり、歩く人が多いのだが・・・。
◆田原本の本町とは別に、北に新町ができるようだが、そこにある竹村家というのが江戸期の建物なのだが、ぼろぼろで応急措置をしてあるが、手がついていない。緊急課題のようである。
◆田原本を抜け、米川を東にわたり、北上を続ける。今里に入り、杵築神社に立ち寄る。これは近かったからで、今回は北上を課題とし、脇にそれて神社等に立ち寄ることはほとんどしなかった。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(2)

◆ゴールを決めず北上する。国道24号線を横切り、橿原の市街地を抜ける。ほぼ米川がオンライ ンで北上しており、その西堤を歩く。
◆なんとなく見たことがあるようなところとなり、ここはどこやと住所表記を見ると秦庄。おや、ではO氏宅があるのではと思ったが、見あたらず。ひとつ西側に入ったところなんだろうとは思うが、そのまま北上する。前に唐古鍵Mで下ツ道ガイドマップをもらう。これはよくできたもので持って歩けるが、なくなった段階で増し刷りなし。これもったいないと思う(掲載許可の問題があるんだろう)。これ研究室にあり、もっていなかった。交流館でそのコピーをもらう。
◆次は田原本。前にも感じたが、ほんとうに田原本は、あちこちに説明板を立てている。そういう 点でとても進んでいる。田原本の町では、下ツ道というか中街道は東側を通っており、お茶でもと駅前までうろうろし、町歩きとなる。近鉄線のむこうにも鉄道があり、なんやあれというので、西田原本駅で王寺まで行けると説明する。
◆田原本は平野氏5000石の陣屋のあった町。途中、和菓子屋で「若あゆ」などを買って食べる。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(1)

◆今日は休む。どこか歩きに行こうということで、京橋から京街道を枚方までという案も浮かんだが調べていないし、下ツ道にする。8:00に家を出て、10分の急行で八木駅着、八木の辻にすぐに到着。交差点を掃除してはる方がいる、と思ったら東北角地のところが「八木の辻交流館」となっていた。
◆何年か前に横大路を歩いた時はまだできていなかったもの。9:00オープンで、まだ早かったが、どうぞということで上がり込み、丁寧に解説をしていただいた。話をしていると1時間くらい経過した。
◆2年前に住んでおられた方がお亡くなりになり、橿原市が土地を購入、建物は寄贈を受け、改修しオープンしたとのこと。八木は伝建になっているわけではないが、まちなみをアピールしていこうという活動が始まっている。

◆横大路との交差点角地の建物はベストポジション、ここを橿原市が取得したことは意義深い。ここから桜井をめざすのも、その先の伊勢をめざすのもよい、明日香に下るのでも、田原本、はたまた平城京をめざすのもよい。八木は橿原市の中心部、ターミナル駅があり便利、多くの町屋のほとんどは人が暮らしている。雰囲気はあるが空き家だらけというのではない。駅前から少し入れば、昔ながらのたたずまいが残っている。
◆貸し会場でも利用しており、畝傍高校は、毎年、カルタ大会をやるそうだ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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