人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
いよいよ久津川車塚
◆そんなんで、芝が原の整備は、昨年のいつだったか竣工し、残っていた地形模型も3月に設置され
完了し、その事業報告とまとめ、というのが今日の前半。後半は今年度から久津川車塚の整備にむけて調査に着手する、新しい整備事業の話。わたしは、うっかりそれに乗せられて、測量を始めたわけです。まあでも、切れ目なく車塚の事業の予算化を進め、国庫補助を取り、城陽市も頑張っている。応援せなあかんやろ。
◆今日の会議は、こっちがぼんやりしてたんですが、新しい図をもっていけばよかったのですが持参せず、見ていただくことはできませんでした。西半分、あと数日、早めに出撃したいが、いまの自分の状態からすれば、ちょっと動けないかもしれません。
[追記]で芝が原の報告書を受け取りました。やっぱりマキコさまの写真はグッドです。
◆今日の会議は、こっちがぼんやりしてたんですが、新しい図をもっていけばよかったのですが持参せず、見ていただくことはできませんでした。西半分、あと数日、早めに出撃したいが、いまの自分の状態からすれば、ちょっと動けないかもしれません。
[追記]で芝が原の報告書を受け取りました。やっぱりマキコさまの写真はグッドです。
芝が原模型
◆城陽市の史跡整備委員会に行く。芝が原古墳の史跡整備地
に
設置された 周辺地形模型を初めて見 た。なかなかいいもんですよ。基本的に粘土キューブから等高線をもとに地形を削りだし、古墳等を造形し、仕上げていったもの。ただし、やはり焼き物であり、また地形模型なので厚みが一定でないこともあり、焼き上がるとひずみが生まれる。もともと合体させるときにはぴたっと密着させるものでないのだが(これは雨で溜まらない点では有効)、その隙間の間隔が違っていたり、隣り合っている面での高さの段差も見える。
◆それを見ながら、斎宮の金属模型もあるが、いまの主流はやはり焼き物なんだろうが、いずれ別素材で、3Dプリンタによるものなんかが出てくるのではないかなと。耐久性があるので、屋内模型からかもしれませんが。
◆それを見ながら、斎宮の金属模型もあるが、いまの主流はやはり焼き物なんだろうが、いずれ別素材で、3Dプリンタによるものなんかが出てくるのではないかなと。耐久性があるので、屋内模型からかもしれませんが。
ベルギーの旅(20)
◆北郊のヘーゼル終点で降りると、アトミウムというのがあり
、大きな建物が林立する一
画があ る。1935年の万博の時の建物らしく、いまも国際展示場的に使われてい る。行ったときは、翌日から魚などの海産資源のコンベンションが開催されることになっており、その準備が進められていた。何度か万博があり、1958年の時に作られたシンボルがアトミウムというヤツなのだが、展望台まで行く入場料は高いのでやめる。というか、目的はラーケン王宮の植物園。
◆どこなんかいなと。その前にもっていた地図を紛失し、眺めていた時の記憶で、ラーケンの広大 な公園を横切り、東南だった、ぐらいの間隔で歩いていき、無事、到着し た。![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1400391484?w=150&h=100)
◆この植物園の温室は、年中開けておらず、ちょうど公開期間中だ
ったんだけれども、この日のみ休館ということで門は開いていませんでした。それがわかるのは後刻のことで、入り口はどこかいなと、広大な王宮を囲む外壁沿いに歩く。1935年の万博の時のものだったか、中国の建物と、いちおう日本のかな、五重塔というのが建てられ、それを移建して、いまも東洋文化館みたいに公開しているようだが、これも閉まっている。結局、かなり歩いた後、横をトラムが走っていたので、あきらめて中心部へ戻る(15:35発)。
◆どこなんかいなと。その前にもっていた地図を紛失し、眺めていた時の記憶で、ラーケンの広大 な公園を横切り、東南だった、ぐらいの間隔で歩いていき、無事、到着し た。
◆この植物園の温室は、年中開けておらず、ちょうど公開期間中だ
二次会
◆懇親会のあと、流れでというか、こちらの押しかけだったかも知れません、院生や卒業生が教員抜きで楽しみたいと呑んでいる飲み屋に入る。すいません、でも実に楽しかったわ。1枚、写真を撮っといたらよかったかな、と。
さらに
◆古代の発表。実に明晰な、まったく筋道だった発表であった。
◆畿外とされたところの開発なり知識、そこはなんとなく6世紀の関東の前方後円墳の段階からつながるような気がした。前方後円墳被葬者論はよく知らないが、まだまだ手がついていない関東の開発が5世紀後半以降に進むと、それを担った豪族層は、広大な原野に向かい、それぞれの横の関係をもちながら、自分の入植地で頑張った。そこでの一般成員との関係はむろんあるのだが、どちらかというと豪族層と一般成員の階層差というのか距離が離れていて、入植した豪族層の連帯が強い。それに対して畿内は、地域の有力者と一般成員の共同体的意識が強いのかな、と。相互の利害が強く結びついていて、つきあげも強いのかも知れないが、とにかく豪族層は地域の利益の代表として頑張らねばならないイメージ。お隣の地域との関係もむろんあるが、地域内部の結びつきが何よりも第一、そんなことを考えていました。
◆行基というのはすごいもんだ、と思いましたが、なんで?、偉すぎ?、洗脳?、とか。しかし、活動の中心は和泉なんだということについても注意が必要ですね。大和・河内はそうはいかない。大和・河内ではどうだったのか、その辺が知りたいですね。
◆畿内を動かすには国司ではだめだったとして(和泉では行基がそうした役割を果たした)、そこは国家権力の直接発動の面が強いんですかね。
◆畿外とされたところの開発なり知識、そこはなんとなく6世紀の関東の前方後円墳の段階からつながるような気がした。前方後円墳被葬者論はよく知らないが、まだまだ手がついていない関東の開発が5世紀後半以降に進むと、それを担った豪族層は、広大な原野に向かい、それぞれの横の関係をもちながら、自分の入植地で頑張った。そこでの一般成員との関係はむろんあるのだが、どちらかというと豪族層と一般成員の階層差というのか距離が離れていて、入植した豪族層の連帯が強い。それに対して畿内は、地域の有力者と一般成員の共同体的意識が強いのかな、と。相互の利害が強く結びついていて、つきあげも強いのかも知れないが、とにかく豪族層は地域の利益の代表として頑張らねばならないイメージ。お隣の地域との関係もむろんあるが、地域内部の結びつきが何よりも第一、そんなことを考えていました。
◆行基というのはすごいもんだ、と思いましたが、なんで?、偉すぎ?、洗脳?、とか。しかし、活動の中心は和泉なんだということについても注意が必要ですね。大和・河内はそうはいかない。大和・河内ではどうだったのか、その辺が知りたいですね。
◆畿内を動かすには国司ではだめだったとして(和泉では行基がそうした役割を果たした)、そこは国家権力の直接発動の面が強いんですかね。
もひとつ
◆考古の発表。上町台地またそれを降りた沿岸部の難波津、というのは考古学的には5世紀以降らしく、難波堀江の掘削が転換点なんだな、と学ぶ。淀川・大和川河口部がぐちゃぐしゃで、上町台地よりも北のところに自然河口があった段階は、崇禅寺とか、やっぱりそこが重要。上町台地先端部は高く、見張り施設くらいは想定できるのかもしれないが、のちに外交施設が置かれ、難波宮がそこ立地することになる要件は、堀江の掘削がないとアカンかったんやろう、というのがよくわかった。仁徳くらいでいいんちゃう。
◆もひとつ、なので5世紀には王権拠点になるんだけど、6世紀に難波官家が設置されるそのへんの理解。はじめから王権拠点、意味合いは官家、そこを改めて官家にする意味と実態、例えば遺構の上で充実してくるのかな、とか、そういうところに興味をもつ。
◆もうひとつは、やはり住吉津。住吉津の方で集落遺跡はTK208以降なんだとか、やや遅れると理解しているとのこと。が、やはり住吉大社があそこにある意義は大きい。シワツ道があったことも大きい。なんとなれば、大阪湾岸からの派兵は4世紀中頃にさかのぼると思うので。やはり上町台地や船場あたりにくらべて、住吉大社周辺の発掘調査の量・規模とは違っていて、まだまだわからんぞ、と。
◆もひとつ、なので5世紀には王権拠点になるんだけど、6世紀に難波官家が設置されるそのへんの理解。はじめから王権拠点、意味合いは官家、そこを改めて官家にする意味と実態、例えば遺構の上で充実してくるのかな、とか、そういうところに興味をもつ。
◆もうひとつは、やはり住吉津。住吉津の方で集落遺跡はTK208以降なんだとか、やや遅れると理解しているとのこと。が、やはり住吉大社があそこにある意義は大きい。シワツ道があったことも大きい。なんとなれば、大阪湾岸からの派兵は4世紀中頃にさかのぼると思うので。やはり上町台地や船場あたりにくらべて、住吉大社周辺の発掘調査の量・規模とは違っていて、まだまだわからんぞ、と。
市大日本史学会大会より
◆吉田さんの講演。「全体史」という言葉が印象的。そうですよね。むろん対象として取り上げる
のはある部分なんだが、しかしそれにかかわる全体像を把握したいと。生産の局面、流通の局面、消費の局面。全事象をやっていたら、1人の研究者が一生かかるんだろうが、そこは、しかし自分がまずやるにしても、まず流通を資料に即して明らかにしつつ、なんていうのか、その部分でも深めていくこともできるのだろうが、知りたいのは全体で、一方で、生産や消費面をつかみ、おおよその骨組みをつかみたいんだ、そのように受け取った。むろん1人でやるのでなく、科研などを取り分担して全体像を把握するということも、その先でありうる。
◆そしてまた、そのテーマ、薪炭、のもつ近世江戸という大消費地のなかでのエネルギー問題と捉え、おそらく大きな意味をもっていたはずだと見込み、またそのことを現代の問題にもつながる課題として位置付ける、と。電気とか、ガソリンとか・・・。
◆まあ、とにかく貪欲さを学ぶ。自分に置き換えれば、古墳時代のある部分をやっているとして、あらゆることは同質にはやれないにしても、いろんな研究があり、そういうことは求めれば知ることができるのであり、貪欲に吸収して自分としての全体的な理解を進めたい、と。そのなかで、どうしても不足がある部分があると思ったところに、自分が直接向かうところも見えてくるんだろう。エネルギー問題とか、そういう波及的な意味づけは確かにあるだろうし、歴史学をやる意味もそういうところにあるのかもしれない。けど、どっちかというと、そんなことよりも、研究を推進するエネルギーは個人の興味関心、その時に、出発点となる熱意というか気迫というのか、そこを最後に問うていたように思う。淡白ちゃうか、と。
◆そしてまた、そのテーマ、薪炭、のもつ近世江戸という大消費地のなかでのエネルギー問題と捉え、おそらく大きな意味をもっていたはずだと見込み、またそのことを現代の問題にもつながる課題として位置付ける、と。電気とか、ガソリンとか・・・。
◆まあ、とにかく貪欲さを学ぶ。自分に置き換えれば、古墳時代のある部分をやっているとして、あらゆることは同質にはやれないにしても、いろんな研究があり、そういうことは求めれば知ることができるのであり、貪欲に吸収して自分としての全体的な理解を進めたい、と。そのなかで、どうしても不足がある部分があると思ったところに、自分が直接向かうところも見えてくるんだろう。エネルギー問題とか、そういう波及的な意味づけは確かにあるだろうし、歴史学をやる意味もそういうところにあるのかもしれない。けど、どっちかというと、そんなことよりも、研究を推進するエネルギーは個人の興味関心、その時に、出発点となる熱意というか気迫というのか、そこを最後に問うていたように思う。淡白ちゃうか、と。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。