人を幸せにする人になろう

大阪市の展示施設

◆今年もまた、《難波宮と大化改新》Ⅱをやることになりました。わたしは、河内の古道や条里や 国・評・五十戸でやる、と宣言。あと2~3本立てて企画案をまとめなければなりません。大阪歴博の難波宮展で、うちの山根徳太郎がもらった難波宮瓦が借り出されて行きました。さらに豊臣石垣公開事業の打ち合わせもしました。なにかと、いろいろあるものです。
◆その時にもらったパンフレットがこれです。やはり古墳時代以来の港湾拠点であり、近世以降の大都市で、いろんな歴史遺産があり、45頁のボリュームになる。それと、いろんなところに考古資料を展示していることがわかった。こんなん、ぜんぜん知りませんでした。1日かけて、ぜんぶまわってもよいかもしれません。区民センターとか、それぞれのところの人々が集まる場所に考古資料がならぶのはとてもいいことだ。が、存在情報がほとんどないように思う。たとえば大阪歴博に行けば、そういう展示施設が案内されているんだろうか。そこの住人で知ってる人は知ってるというのから、すこし歩を進めてほしいと思う。

城陽市下水主(しもみずし)遺跡を見てきました

◆眠い。市大文系のあるプロジェクト案の作成のため、考古にかかわるメモを求められ、こちらと しては考古ではね~、と思いつつ、依頼内容とは異なる年来の構想をまとめたペーパーを、昨晩、3時半まで書いてたもんで。
◆朝、城陽に向かう。9:30前には現地。庄内期の船入遺構というのでしょうか。木津川バタで、そこに流れ込む流路を利用しつつ、護岸をした溜まりを造成したらしい遺構である。どこまで引き込んでいるか、興味のあるところですね。
◆第2京阪と京奈和の連絡道なんだったか、これからの第2名神含め、南山城地域での発掘が続きそうである。現地説明会は5月11日に実施、新聞報道は京都方面にとどまっていたようです。

風力発電は原子力発電に追いついている

◆朝日土曜beに載っていた記事に付されたグラフ。

ベルギーの旅(29)旅の終わり

◆いろんなメモもあったのですが、どこか行ってしまいました 。出てきたら、記事を追加するかも  知れません。翌日5月9日、朝はさて何時だったか、ブリュッセルの空港に向かう。そこからアムステルダム・スキポール。ラーメン店と寿司屋があり、けっこう人気ですよ。われわれもラーメンを食べる。
◆そしてオランダ航空で帰国の途に。翌5月10日朝、関空に着きました。関空の南海ホームで、赤のラピートを見ました。
◆そして、ベルギーでだいたい終わっていた『市大日本史』の校正を、この日、最終確認し、最後の直しを指示して、一区切りとなりました。

ベルギーの旅(28)

◆博物館見学後、ホテルに戻る。だいたいの方向感覚で、適当に(地図はありますが)。工事中の 最高裁判所がランドマークとなっており、それの北側を通るように北西に向かえば到着できるはずだ。ブリュッセル南駅から中央駅方向への鉄道が北東に貫通しているので、そこを越えないようにして、線路にぶつかれば、その南辺沿いを西に向かえば到着できるはず。
◆途中、城壁を発見。これガイドブックにはない。これは内城ののものということになるんでしょうね。どれくらい現在の市街地の中で保存されているのか知らないが、ほぼなさそうなので、これ貴重ではないだろうか。が、とくに看板とかもないようである。これは現市街地の一画の内側にあって、城壁の向こう側にまわれば、外観が見えるかと思いきや、新しい道路と建物で、表通りからはまったく見えない。ひっそりと残っているものらしい。
◆無事帰り着き、荷造りして帰国に備える。

ベルギーの旅(27)

◆グランプレイスの博物館。ブリュッセルの歴史を示す博物館としてはここくらいのよう。旧の建 物の利用なので、4階に区切られ、使い勝手はよくないだろう。ブリュッセ ルの歴史としても、いっぱい示すものはあるだろ   うが。それでも、古地図とか絵図とか模型とか、そんなのを眺めているだけでも、都市としての発展をなんとかたどることができる。古い絵図的な地図では、旧市街も内郭と外郭があったことがわかる。元はより狭い範囲で出発し、その後、拡張したんでしょうね。
◆それとグランプレイスは低く、王宮は高いのだが、それが地形図でよくわかった。出発は河川交通上の交易地といったところなのかもしれません。それが都市的発展の中で斜面を上がっていったらしい。
◆そして年代を見たのだが覚えてないが18世紀だったか、もうちょっと古かったか、いわゆる稜角式の城郭として整備された姿を見る。ネーデルランド時代で、戦乱が耐えなかった頃なんでしょうね。たぶん。
◆展示のところに解説用シートがはさんであり、手にとって読むようになっている。よく理解できなかったが、どうやら、展示にあわせて固定の解説パネルはベルギー南北の公用語で書いてあり、それ以外の英語・ドイツ語のやつを、こういう形で示すようにしているらしい。なーるほど。

ベルギーの旅(26)

◆ブリュッセル南駅に着き、チェックインし、荷物を置いてら、王立美術館をめざす。旧市街を 歩いていくことにする。まずは旧市街南門。これは復元したものですが、例の若葉 マークみたいな南端の角のところに、この門は位置する。
◆町を歩きながら、やはり旧市街には手を付けられないので、公共の土地である旧城壁沿いに、近代に幅のある道路が通されている。旧市街の東側の外郭に沿う道路を北上する。雨が降ってくる。王宮は旧市街の東寄りの高台に作られているが、その一角に王立美術館がある。無事、到着。
◆入ってみると、美術館は3つの複合施設になっているらしい。ガイドブックでは、それぞれ地下でつながっているとも。とにかく、古典絵画、近代絵画、だったか、そして現代?、その3つで、それぞれ入館料を取られる。ブリューゲルとルーベンスの絵画のある古典絵画博物館のチケットを買う。その内部の様子です。美術館など、いつ以来なんだろうか。そういや青森県立美術館に何年か前に行った。ひととおり見ましたよ。
◆ミュージアムショップで、主要作品の日本語の解説本を購入。

ベルギーの旅(25)

◆5月8日、この日、カミサンは午前のセッションで切り上げることにする。というのも、5月5日月 曜日にブリュッセルの博物館がことごとく閉まっていたので、最終日を早 めに切り上げ、午後、ブリュッセル観光の続きをすることに。
◆11:00過ぎには戻ってきたので、チェックアウトし、旧市街を通って駅に向かう。1日目に少し散策して、こっちは様子がわかっていたので。写真は一番のにぎやかな広場。出店がならび、フルーツや菓子や服やアクセサリーや、いろんなものがならぶ。駅に近いところに大聖堂がある。
◆駅に着き列車に乗り込む。今回、パリ-ブリュッセル、ブリュッセル-オステンドの特急なども、すべてネットで予約した。むろん、オレが取ったわけではありませんが。ネットだと、英語表示があるので、簡単だ、とのこと。

ベルギーの旅(24)

◆5月7日。朝食はかなりグッドでした。食べ過ぎ。日なが原稿を書いている。一度海へ出る。良くみると、小さい島が遠くに見えるが、イギリスは見えませんでした。空気が澄んでいると見えるのでしょうか。浜辺からテルマエパレスの全景を(写真)。サーフィンをしている人、それから、なんていうんですかパラセーリング?、なにかと(写真)。
◆昨日は、カミサンは集まりの人々で公式の食事があるのでそっちに行き、一人でしたが、この日は、一緒に晩飯を食べに出る。浜辺を港の方に行く(写真)。途中、シーズンしかやってないと思われる博物館があり、閉館しているのですが、その手前の回廊状のところで写真展をやってました(写真)。見てると、いまのオステンドの風景写真もあるのだが、けっこう過去の戦争関係のもの多い。写真に撮りませんでしたが、店の内部で人が殺されている写真もありました。基本的に第1次世界大戦のようです。レオポルドⅡというコンゴを個人的な植民地にしてゴムを作らせた悪いやつがいるのですが(写真銅像)、徹底的にドイツに抗戦したらしく、ベルギーはひどい目にあったらしい。その記憶がかなり強いようである。写真は、鉄条網で遮って兵士が海に入っているので、たぶん捕虜になった者を、風呂代わりに海に入れているのかな、と想像(写真)。
◆結局、旧市街の方まで散策するも、これはと思う店を探時間も経ち、ホテルに帰ってレストランに行くことにする。ワを頼み、メニューを見てもよくわからんが、前菜の1品とメンは鶏にしたのかな。デジカメを見て、店の人が写真を撮りましょうと申し出、撮ってもらいました。珍しいツーショット写真です。

ベルギーの旅(23)

◆到着。ベルギー1のリゾート地で、浜辺が続く。途中、カジノもあった。とはいえ、この町がにぎ    やかになるのは夏場なので、いまの季節は、浜辺にならぶホテルや、なんというのかな、シーズン貸しのハイツとでもいうのかな、そういうのも外装などを工事しているところもあるなど、まだおとなしい。夏は写真の浜辺にならぶ海小屋のように、おびただしい水着姿の客であふれかえるのであろう。
◆ホテルの名前はテルマエパレス。ちゃんと調べてないが、1930年代に建てられたもの。スウィートルームに案内されたが、ツインベッドが2セット置いてあった。部屋には設計図が額縁に入れて壁に掛けてあり、パリの設計事務所で設計されたようで、サインを見ると、1934年だか、そんな日付だった。ロビーのところにモノクロ写真が拡大してあって、完成して間がない頃のホテルの様子や海水浴客の様子がわかる。全室海に面している。
◆浜辺では高校生がやってきて、いろんな遊びをやって騒いでいる。カミさんはさっそく会場に出向き、こっちは原稿を書きはじめる。途中、海というかホテルの外へ出る。2030年の姿みたいな地図があり、オステンドの位置を確かめる。画像では見えないと思いますが、木枠に地図を金属板に焼き付けたものが2枚ならんでいる。右側の右寄りがオステンドで、右側の木枠近くがダンケルク、左側のまん中くらいがカレーである。その横の海の中を通る線が、英仏の海底トンネル。2030年というのは、どうも海の利用のことのようで、風力発電を示すんだろうなと思われるものが並んでいたり、人工の島を表現したのかと思われるものがあったり、そんな将来像を示しているらしい。
◆この日の夕焼けです。日が沈むのは22:00くらいだったかな?。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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