人を幸せにする人になろう

2023年10月21・22日、教室旅行

◆久しぶりに参加した。岐阜方面。8時に大学を出発。小牧山城、可児市ジロベエ古墳、八百津の杉 原千畝記念館→高山泊。翌日朝から、松倉城、高山市内自由行動、白川郷、大阪21時前。なかなか1泊2日で遠出はしんどい。【写真】小牧山城。

2023年10月15日、富山県埋文センター

◆小雨模様。午前、富山県埋文センターへバスに乗って行く。「黄泉の国」という古墳の展示で、 ええ資料がざっと並べられていました。いい展示ですわ。これが企画展だが、もうひとつは、テーマ展というのか、文化庁補助による重要考古資料の紹介図説作成事業にともない、まとめた冊子にもとづく展示をしているよう。古墳時代集落遺跡の出土品でした。そして常設展では、小竹貝塚の展示があり、これもボリュームがあり充実している。
◆企画展のおわりのところ、そして常設のところで、人骨の分析を進めているのが印象的だった。ゲノム 解析を金沢大学と、複顔を科博と、コラーゲン分析は北海道方面でしたっけ・・・、そういう最新の成果をまとめている。うち、骨はあるけど、やってないな~と・・・。

倉吉

◆この間、倉吉に行きました。目的はデンケン。何度か学生らと行ったが、博物館や遺跡をまわっ ており、デンケンを歩くことができていなかった。古民家の転用がかなり進んでいる印象。雑貨屋や飲食店がかなり充実している。
◆3年前からやっている倉吉ビールの工房に入り、カウンターでビールを飲む。隣の方が、親しげに話をしてきて、その話題からすると大学の理?工学?の先生かな、と。田舎が倉吉から西に行ったところで、今住んでいるのは大阪北部という。もしかして阪大?。この人は、田舎に帰るたびにここに来て、7~8種くらいあるビールを順に楽しむのだという。ビール工房では、わさびの風味をつけたビールの開発を目指したが、わさびの殺菌作用のため発酵が進まず失敗したのだとか。この人は、クラファンとかやってくれたらお金出します よ、とも(自分もビール作りをやりたくて一時は真剣に考えたのだとか)。帰りの鳥取からの特急の時間の関係で、先に帰られました。帰り際に社長に渡していた名刺を見せてもらったら、阪大名誉教授でした。
◆大阪の淀屋橋を作った淀屋は、米相場を荷う豪商だったが、幕府に目を付けられつぶされる。が、その前に番頭?を倉吉に送り(もとの出身?)、倉吉の淀屋として存続する。そこへも足をのばす(写真下)。


基金設定時の適当さ

◆この適当さ。これからすると、執行分だって、上からふってきたダブダブで、無駄にドブに捨て られ、何物にもなっていないのではないか。どこでもそうだが、文科省が重点施策をぶち上げ、このために国立大学の運営費を削り倒してきた。億という金が垂れ流された研究成果が、ほんとに金に見合ったものになっているか、ちゃんと検証してください。重点、重点というやつは、使い切れない金が降ってきて、その執行にあくせくし、その使途はあまあまですよ。付けたら執行しないといけないから。そういういらんことをせず、ちゃんと国立大学に元の予算を付けた方が、よほど研究は進みます。日本の研究力が落ちているとすれば、文科省の金の使い方に問題があるのだ。

資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか

◆という、ちくま新書をざっと読みました。

2023年10月14日、富山に向かう

◆カミサンに付いていくだけですが。ある原稿を完成させようと思っています。サンダーバード45号。敦賀を過ぎた。いま21時。
【追記】一応、原稿はほぼ形をなし、10月18日には提出。また、挿図をだいたい組んで、完成してはいないがフレーム取りしてもらえるよう、挿図案も提出した。原稿は2つあって、第1次もまた編集サイドの手が入るだろうが一段落し、次は冒頭の総論の原稿です。

摩湯山のトレース

◆摩湯山の図は、周辺については道路の輪郭を入れた程度だった。科研で 周囲の地上レーザー測量を加えた。墳丘本体は対象外だが、レーザーの届く範囲で墳丘斜面裾部にも一部等高線がおよぶ。納品されたものは、われわれの図とレイヤーを別にして重ねてある。それを等高線データとして統合しようと、納品された直後に一定の作業をやった。しかしこれが、レーザーの等高線と問題なく結べるかといえばそうではない。矛盾もある。レーザー測量自体のデータ量の精粗からくるガタツキの多い箇所もある。その難しさに、ある程度までやって放置していた。
◆それを取り出してきて、とにかく公表できる図に仕上げたいと、この数日やっていました。墳丘は基本的にわれわれの測量が正しいとして処理する。ようやく、ひと通り仕上がった。完成ではなく、再度、調整が必要だが。あとは25㎝コンタの処理。われわれの測量は50㎝コンタで、一部が25㎝。地上レーザーは25㎝間隔のアウトプット。測量するからには25㎝でやりたかったのはヤマヤマなれど、200mもあれば、倍の作業量はやれない。なので、今回の調整処理は25㎝についてもやったが、これは最終的なアウトプットとしては落とすしかないか、な。つらいですね。

2023年10月6日 京丹後の史跡整備委員会

◆今日は、京丹後市の史跡整備委員会。久しぶりに鉄道で行くことにする。
◆午後の会議には8時代の電車でよかったのだが、1限の授業に出勤するカミサンと河内国分発6:23の急行に乗る。大阪駅で福知山線に乗り換えたのが、ほぼ7時。新三田まで同行し、こっちはそのまま乗っていく。広野・相野・藍本など、一駅ずつ味わう。篠山口着が8:15。乗り継ぎの福知山行きは8:37発で、駅を出たところで一服。その先は、谷川・柏原・石生・黒井・市島・丹波竹田、で、福知山着は9:29。篠山口からはノートPCを取り出して和泉市史の原稿を書く。
◆福知山で、京都丹後鉄道の宮津行きは10:20発。宮津に11:04に着く。予定していたのは、宮津駅 12:22発で網野駅13:12着なので、ここで1時間20分ほど待機する。さすがは城下町で、駅前の道路に沿う古くからの店たちがあり(いまは閉まっているものが多いにせよ)。
◆整備事業は2024年度までで、25年春のオープニングにむけて、予定案が出る。文化財活用課となり、その職員も配置し、けっこう最先端をいっているようにも思う。地元委員の活用案もここしばらく多くの案が出され、整備された網野銚子山古墳を使った、地元の主体的で持続的な取り組みが期待されるところだ。

考古学研究会は存続する?

◆最新号に出たグラフ。 ちょっとわからんのは収入の急激な下降はどういう理由なのだろうか。2022年度に会員は54人減って、4000円会員として21.6万円の減少ですよね。少し説明不足ではないだろうか。
◆大きな学会だったから、事務所もあるし事務員も置いていて、大阪歴史学会とは比較できませんが・・・。普通やるなら、印刷費をいろいろな会社に見積もってもらうだろう。むろん、いまのところとは長い付き合いであるし、良心的な価格である、ここは見直せない、との意見はあろうが。大歴は、一度、印刷の質を上げたが、アルバイト事務員を置くため泣く泣く戻されました。通信費の内訳もわからんが、会費発送費はどのくらいを占めるのでしょうか。これも工夫できる余地はあるだろう。
◆会員維持は、大学の先生に入会を強く勧めるよう依頼するとか。あるいは会員でないが大会に来た人に、お茶を渡して「なぜ入会しないか」聞き取り調査をするとか。

N先生の論文

◆日本側には、例えば応神の事績について、「年代記のような元となる史料は存在していたようであるが、やはり干支などは含まれていなかった」とする。神功49年の記事の内容については、日本側の伝承と百済系資料が対応する稀有なものだった。それは「百済系史料を介して干支年を知ることのできる、きわめて重要な定点」になった。しかし百済系資料も「暦年代を知ることのできる確実な手がかりは含まれていなかったのだろう」。そのために、「結果として暦年代より干支二巡分古く位置付けられることになったものと思われる。」とある。
◆実際の応神即位は385年になるというのが、前の論文の結論でしたが、それは研究の結果導かれるのであって、編者は応神が4世紀後葉くらいの人であるということもわかってはおらず、『日本書紀』で270年~310年の在位になっちゃった、ということのようである。
◆允恭が412年~453年の42年、反正が406年から410年の5年、履中が400年から405年の6年、仁徳が313年から399年の87年、応神が270年~310年の41年。もう1度、応神紀の論文を読まないといけないが、5世紀中頃までは暦年代はおよそたどれていた。しかしそこから先、なぜ120年古くなるのか。それを「結果」と片付けることができるのか。例えばなぜ60年の範囲にならなかったのか。
◆とにかく決めた応神紀をもとに、「百済系史料を介して」知ることのできた「干支年」から神功49年条の記事が、その該当干支年次に配置された、ということなんですかね。頭が悪いので・・・。
◆で、神功紀は、まあ適当に69年取ることにしたから、応神元年の1年前からだから、201年から269年になったと。で、なんかしらん中国の『三国志』の『魏書(志)』に倭の女王の記事があるから、該当する神功39年条などに分註として入れる措置が取られた、と。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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