人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
赤留比売命神社
◆神社の説明看板。![7c0c0d55.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1339313911?w=150&h=111)
当社の祭神、赤留比売命は新羅から来た女神で天之日矛の妻と伝える。 当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳かでないが、平安時代につくられた延喜式神名帳に、当社が記載されている。 俗に三十歩社と呼ばれるのは、古来から祈雨の神とされ、室町時代の応永年間(1394~)に干ばつがあり、僧の覚証が雨乞いのため、法華経三十部を読経し霊験を得た故事によるとか、当時の境内地の広さが三十歩であったのによると伝える。またかって住吉大社の末社であった由縁で、七月三十一日に行われる同社の例大祭「荒和大祓」に、当地の七名家より桔梗の造花を捧げる慣習となっている。社殿背後の土塁と松山池は環濠集落の名残が見られる数少ない場所の一つである。
◆だそうである。ここは環濠のへりで、広い公園になっている。ここなんかは、土塁は変形し、環濠は遺構表示にすぎないが、環濠を再生することはできないものか。可能性があるとしたら、ここですね。
当社の祭神、赤留比売命は新羅から来た女神で天之日矛の妻と伝える。 当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳かでないが、平安時代につくられた延喜式神名帳に、当社が記載されている。 俗に三十歩社と呼ばれるのは、古来から祈雨の神とされ、室町時代の応永年間(1394~)に干ばつがあり、僧の覚証が雨乞いのため、法華経三十部を読経し霊験を得た故事によるとか、当時の境内地の広さが三十歩であったのによると伝える。またかって住吉大社の末社であった由縁で、七月三十一日に行われる同社の例大祭「荒和大祓」に、当地の七名家より桔梗の造花を捧げる慣習となっている。社殿背後の土塁と松山池は環濠集落の名残が見られる数少ない場所の一つである。
◆だそうである。ここは環濠のへりで、広い公園になっている。ここなんかは、土塁は変形し、環濠は遺構表示にすぎないが、環濠を再生することはできないものか。可能性があるとしたら、ここですね。
平野の町
◆商店街は、シャッターが下りているところも多く、日曜日だからということもあるが、貼り紙を見ていると、やはり営業をや
めたところも少なくない。先週の、きらら九条商店街などはまだまだ買い物客でにぎわって
いるが、そうはいかない。スーパーに押されているであろう。しかし、今井町や五條新町のようにはいかないにしても、街路は碁盤目に通っており、古い家屋もまだところどころにはある。町全体を博物館にしようというコンセプトで取り組んでいる。新しい家屋に建て替えられたところが多く、町並みとしてある一筋は観光スポットとして売り出せる、というものでもないが、だんじりのところで触れたように、町共同体がまだ息づいていることは大きい。
◆大阪市とか平野区というのでなしに、住民主体で町づくりに取り組んでいる様子が見て取れる。レトロな感じもよく残っており、全興寺のような取り組みもある。文化財的にどうというのでなしに、行ってみたらオモロイ、という場所にしようとする路線はいいのではないか。むろん、そのなかにスポット的に古い建築物があるとか、環濠があるとか、そういう面でも取り組める余地はまだまだあるだろうし。なかなか味わい深いところだ。
◆大阪市とか平野区というのでなしに、住民主体で町づくりに取り組んでいる様子が見て取れる。レトロな感じもよく残っており、全興寺のような取り組みもある。文化財的にどうというのでなしに、行ってみたらオモロイ、という場所にしようとする路線はいいのではないか。むろん、そのなかにスポット的に古い建築物があるとか、環濠があるとか、そういう面でも取り組める余地はまだまだあるだろうし。なかなか味わい深いところだ。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。