人を幸せにする人になろう

歴博の古墳の共同研究

◆昨年度までの3年間の弥生に続き、今年度から3カ年の古墳の共同研究のメンバーによばれた。ありがたいことである。その第1回目が、12・13日と19・20日、都合が合わないので、2回に分けることになる。オレは前半組になったが、その後、13日がダメになり、土曜日の1日だけで日帰りした。
◆歴博の代表側からの趣旨説明と、参加者の簡単なプレゼン、そしてどのように研究を進めていくかの自由討論で、けっこう有意義だったと思う。
◆さてと、『市大日本史』の追い込みが佳境で、船橋のネットカフェでメールチェック、校正が届いていたら執筆者に転送、あるいはこっちで点検の上、直し指示というのを、行きの12時頃と、返りの17時頃、2回やった。だが、まだまだ・・・トホホ。新幹線では条里の原稿を書いていたが、こちらもトホホ。ま、くたびれた。
◆23:30に返ってきてメールチェックすると、どばっと校正が来ていて、プリントし、点検し、スキャンスナップがあるが、赤をデジカメで撮って印刷屋に返送し、というのをやっていたら、3時をまわる。

はははしもと

◆リバティについて書いたが、昨日ぐらいから、らしいが、ピース含めて、橋下市長が近現代史博物館?を作ると、そう9dee2c91.JPGいう構想をぶちあげている、という連絡が入った。返ってきて新聞を読む。近現代史が疎かにされている、いろんな考え方を並記し考えさせる、そういう言い方は賢いのだろう。が、実態は、「新しい教科書をつくる会」のメンバーなどを入れて、橋下構想にそって新しい施設をどういうものにするか検討する、すなわち、いまのリバティやピースは偏っていて、自虐史観だと、「つくる会」の主張のようなものを入れなければならない、入ってくる、というわけだ。
◆そりゃ両論併記ではなく、確実に「つくる会」のような考えを公式に導入するということだ。われわれの常識からすると、例えば戦争の加害者責任があるといっても、さまざまな考え方の幅がある、だが侵略戦争であって、そういう日本がダメダメだという立場から、そういうことを十分自覚して謙虚にならんといかんとか、そういう幅はあるだろうが、しかし先の戦争でとくにアジアにおいて甚大な被害をもたらしたという認識は、よほどの右寄りでない限り共有できる事実である(なぜなら、そうしたことは日本列島で生じたのでない、中国大陸で生じたこと。なぜ日本軍が中国にいるのか、その1点で弁明は不可能である)。それに対して、「つくる会」に賛同する意見は、あなどれないが、それほど多くの支持を集めているわけではない極論である。それを並べるというのは、99:1を50:50にするという意味である。
◆大阪歴史学会の代表委員から電話があり、要するにレッカキョウとも足並みをそろえつつモノ申し、こうした動きに反対していかなければならないと。2008年、大阪府の博物館の時を思い出す。あれから4年、今回は、実働部隊は別にいてくれるであろうが、やはり戦わなければならないだろう。前と違うのは、文化施設に投入している予算に対して入館者などの効果は見合っているのか、廃止もありだ、減額する、というのではないことだ。弥生博や近つの問題とは違う。費用対効果を問うとしても文化施設としては認めている。今回はそうでなく、近現代史の博物館?構想というのは、まったく市長の思想信条に直結し、自分としてカクアラネバナラナイという問題意識をもっていることだ。だから、強烈に事業を進めるだろう。
◆自分の考えに沿ったものを、可能なら任期中に実現させるといった決意に現れているように、もうかっているかとか、金かかりすぎなんとちゃうというのとは性格が違う。いまのはアカン。こういうものを作らなアカンという考えが明確な分、それを推進する意志は強く、公的発言とはウラハラに、あまり聞く耳もたずに「こういうものを」という指示を飛ばすに違いない。抵抗運動に取り組まなアカンと覚悟せねばならないだろう。
【追記】維新タイムズというヤツが新聞折り込みで入っていた。

琉球国の独立

◆1972年5月15日、沖縄、復帰・・・。誰かさんの誕生日です。それはさておき、新聞記事。沖縄の、大学生?、とにかく若者がみな、異口同音に日本から独立すべきということを口にするという。ショック。いまうちの大学で考古学をやっている学生がいるが、彼女に言ったことがある。「沖縄は独立を考えていいのではないか。だが、日本国憲法には、独立するための規定はないね~」と。
◆れっきとした独立王国であった琉球国は、明治になっての琉球処分で日本国に編入されたという意味で、北海道とも異なる。独立すれば、日米安保にしたがって米軍基地を置いている日本国は、本土に基地を移転せざるをえないだろう、と。経済的には弱いかも知れないが、観光立国をめざすのは可能だろうと。だが、その学生は考えたこともない、と。
◆で、田中琢の書いていることも紹介した。田中の書いたのはこういうことだ。戦前、考古学的に別の文化、たとえば台湾に近いだの、という見解に対し、沖縄の研究者?が、イヤ違う、はじめから日本なんだと。これが意外でした。とはいえ琉球処分から時間が経過したあとのこと、もはや親清派も少ないのだろうが、でも日本に編入されてしまったが、もとは別の独立国なんだ、といって独自性を主張するかと思えばさにあらず、沖縄は昔から日本であったかということを主張するその心情に対し、田中ミガクが言及したもの。
◆だが、この数年で違ってきている、ということのようだ。。普天間の問題が大きいんだろう。鳩山だ。最低県外って言いながら、そんなことは守られない、ということに辟易しているわけだ。
◆オレが独立を言うのはどうでもいいが、いまの沖縄の若者が口をそろえてそう主張することは重い。ただちにいまの沖縄の政治家や大人たちをも巻きこむものにならないにせよ、いずれ無視できない声として高まっていく予感がする。新聞記事を読んで、そんな感慨を覚えた。

農業人口の減少

◆弥生の授業で、稲作の話をしたのだが、その冒頭で農業人口の激減のグラフを見せた。ネットで拾ったもの。どことも、JFOOD002_600j.jpg現代化は著しいだろうが、たぶん程度が違うだろう。日本では急速に農業人口が減少し、過疎化が進展する。なぜ日本ではそうなったのか。むろん工業化、経済成長の源泉は、世界から資源を輸入し、さまざまな製品を作り輸出した、それが飛躍的な経済成長をもたらし、冨をもたらし、所得が増えた。そうした製造業やサービス業やら、需要が高く報酬も上がり続ける成長産業が人を吸収していったということだろう。
◆が、もっと多角的に見ていく必要があるようにも思う。いろんな要因が重なっているのだろう。敗戦後、復員したものを含め、食っていかなければならないという要素、農業の機械化がどのように進展したか知らぬが、もはやみんなが参加してというのでなくなり、次男や三男は戦前以上に外に出ざるをえなかったとか。むろん、朝鮮戦争の特需もある。冷戦により米国が日本を早く独立させたこととか、etc。おっと、その前に、こうした産業構造の急速な変化ということ自体を、客観的に他国と比較して、事実として確認する必要がある。
 

大阪城の石垣スキャンによる動画ができあがりました

◆表題の通り。動画とそこから取った画像が送られてきた。図面としての陰影図はないので、これも経費がかかるのかも9eec16f4.jpgしれないが、どこか1面は作ってもらおう。こんな動画ができるし、正確な実測図が作成できることを示したい。場所は南面内堀、桜門の東側である。
◆ちなみに草が生えてますよね。南面の石垣はほぼ草がなかったのに、予定していた日に実施できず、1週間ずれただけでこうなった。ちゃんと冬場にやらんといかん。
 

発掘された日本列島展2012

◆最近は遠のいているが、今回は堺市博物館に来るようなので、行ってみよう。その前に、毎年、陵墓懇談会で7月に東aed472de.JPG京に行くので、早朝に出て、江戸博に行くことも不可能ではない。江戸博も、それこそ列島展をやっていた1999年が最後になるかな。10数年行っていない。1993年にできて、もしかしたら、その年に行ったかもしれない。これは奈文研の展示委員会の仕事で行った記憶がある。
◆とにかく、堺市には学生を連れて行くことにしよう。

せっかくなので

◆伊藤純さんにもらったので、大阪歴博のタワー展のチラシを挙げておく。通天閣ができて100年だそうである。スカツec43bcb6.JPGリーもできて確かにタイムリーだが・・・。考えてみれば、大阪歴博の特別展に行ったことがない!。ごめんなさい。でもね~、特展1000円、常設+特展で1500円でしょ。タワー、面白げ、と思って行く人は一定数いるだろうが、まあ学生が1000円出して入ることはないだろう。800円だろうが600円だろうが、入館者数にあまり変わりはないのかもしれない。500円で倍入るか、300円で3倍入るか、といわれれば?ではあるが、感覚的には600円くらいがせいぜいちゃうか、と思うが。
◆あんまり、こういうことを書くと怒られそうではある。むろん経営的な面も必要なので、入館料でいくら稼げるかは重要だろうが、一方で入館者数も問題だろうに。手頃価格であればこそ、時々の特別展の開催を電車の釣り広告などで見て、大きな決意でなく、気軽に「ま行ってみよか」と、繰り返しやってきてくれるようにも思うのだが。
◆オレとしては、別にエッフェル塔など、どうでもよく、天王寺の内国勧業博覧会およびその跡地利用としての、新世界の計画や天王寺公園の成立など、そういうことが勉強できるようなら行ってみたいと思うのだが。スカイツリーの2m模型が展示される!といった触れ込みで呼び込もうとしているのを見ると、いったいどんな展示なのか?と思ってしまう。300円とか500円程度なら、ま、なんでもいいけど行ってみようという気になるが、1000円となると考えてしまうことになる(招待券もらっています・・・)。
 

大阪城の紀州御殿

◆展示パネルに大阪城本丸に移築された紀州和歌山城の本丸御殿の写真があったのでパチリ。大阪城の御殿ねらace6f691.JPGいで、天理大学のみなさんにレーダー探査をやっていただいたが、その解析のためにも、大阪城の御殿絵図とともに、紀州御殿がどのようにあそこに建っていたのか、押さえておく必要がある。地形図では見たことはあったが、写真があったので、これはと思って写真を撮らせてもらった。この仕事も6月に天理大学で検討会をやって、うちの大学のプロジェクトチーム内で発表しないといけないので、ぼちぼち手をつけないといけない。
◆話はかわるが、大工棟梁中井家の一括資料が、住まいのミュージアムに寄贈?寄託?されたという新聞記事をこのあいだ見た。谷先生の写真入りだったか。これはすごいコレクションになるのだろう。
◆また話は変わるが、リバティへの補助金を大阪市が打ち切るという発表が新聞報道されていた。大阪府もやめると。閉館か。リバティには行ったことがないのだが、あれは大阪の具体的な部落差別、皮革産業などを出発点としたものという。ホームページから以下抜粋(開館は1985年だそうだ)。

基本理念 1人権に関する総合博物館 現在、我が国には5000を越える博物館が存在すると言われている。そのなかで、部落問題をはじめとする日本社会の歴史と文化に根ざした人権問題を総合的 に対象として、調査研究と資料の収集・保存、展示公開をおこなうことによって、人権思想の普及と人間性豊かな文化の発展に貢献することを目的とする博物館 は数少ない。したがって、当館は、「人権に関する総合的博物館」と言えよう。当館は、その存在と事業・運営を通じて、大阪を拠点にしながら日本・世界に向 けて人権尊重のメッセージを発信する。

◆ということだが、市長には不満らしい。これからの運営が成り立つのか、厳しい局面を迎えるだろう。まずなによりも一度、足を運ばなければなるまい。



博物館実習Ⅰ

◆博物館実習Ⅰ(学内実習)で、まず3館の見学実習を課しているが、今日は大阪歴史博物館を見学してもらって、わ1b1fa5ba.JPGりと細かく挙げておいたチェック項目にしたがったレポートを出してもらい、それをもとに意見交換する回が今日だった。はじめてのことで、どうなるかと思ったが、なかなかよかった。1対28人(受講生)でやっても益はないので、5人グループになってもらい、各班ごとにまずは意見を述べあい、それをグループ発表して貰う方式を取った。30分ばかりのグループ討論を見ていると、みな積極的に意見を表明しあっていて、なかなかいい風景だった。
◆自分が見てきてまとめたレポートがあり、グループ内で違う意見も聞き、そしてまた全体討論でもさまざまな見方を知ることで、気がつかなかった新たな発見もあるだろう。
◆そのために、自分自身も改めてじっくりと大阪歴博を見る必要があり、過日訪れた。3時間を要した。伊藤純さんに偶然でくわし、学芸の部屋でお茶をいただいた。また伊藤さんと大阪市の文化財の話をいろいろする。
◆もはやオレが改めていうことではないが、やはり考古博物館として企画がスタートしたことで、近世・近現代はすこぶる弱い。また、中世も石山本願寺以降、そこは天守閣があるものだから、城下町の調査成果などが取り上げられてはいるが、豊臣大阪城や城下町作り、そして徳川へというのも、概略は示されても、正面切っての本格的なものは天守閣に譲っているため弱い。
◆そして近世、近現代、大阪市の歴史博物館だから、ふつうは都道府県立レベルの総合歴史博物館であるべきだし、近世大坂、近代化など、いくらでも取り上げるべきことがらはあるが、おざなり感は否めない。そこはしかし器はあるのだ。模型などを中心とする各フロアの半分はそのままにせざるをえないだろうが、西半分の資料展示は、いくらでもやりかえられるだろうに。そこは図体がでかく、常設展示リニューアル委員みたいな権威ある専門家集団のご意見を聞きながら、というこed9beb22.JPGとになるのかもしれないが、果たして学芸員はそれでいいのか。大きな改変は一定年限が経過しないと見直さないのだろうが、そんなことあらへんだろう。近世・近現代専門の学芸員は、あれで満足なんだろうか。博物館内部でプロジェクトチームを作って青写真を描き、できるところから展示替えをしてパネルを作ってやりかえていけばいいのに、と思う。
◆みんなの意見を聞いていて、例えば、法円坂の倉庫群、博物館の前に表示しているのだが、あそこに倉庫が並んでいたということが伝わっていないようだし、10階の後期難波宮のところで、説明が流れて?窓が開いて実際に難波宮が眼下に見下ろせるというシカケも理解していない者もいるようだし、8階だか、なにわ考古研究所が手前にあって、奥で企画展をやっているのがわかりにくく、通り過ぎる人がいるのではないかという指摘には、なるほどと思った。企画展では建築家の展示をやていて、とても面白かったが(写真)。法円坂の倉庫は、子供が広場で走り回るということもあるのかもしれないが、あんまりいないですよね。全部に丈50㎝程度の柱をにょきにょき取り付けても、あの広大な空間利用に大きな影響はないのではないか。などなど、いろいろ考えるところがあって面白かった。

大阪中央郵便局の足場

◆解体のための足場が組まれているとの「守る会」からの連絡を受けたのは4月末。昨日だったか、新聞に小さく記事が5f9c531e.JPG出ていた。見逃してしまうほどの扱い。で、本日、神戸大学に行った返り、中央郵便局に向かう。これまでも駅から見たことはあったが、近くまで行ったことはなかった。
◆大阪駅がリニューアルされ、西側の連絡通路みたいなところを通ったのも初めてか。で、梅田北ヤードでは、ごっついビルが1棟できあがりつつある。大阪駅のリニューアルもよく知らないが、北ヤードを意識して、北側への展開も意識してのものなんだろうということを実感する。北ヤードの展開は時間のかかることではあろうが、南面がかならずしも正面ではないほどの北側の発展が今後予測される。南側も、確かにホテルをはじめ高層化によるリニューアルが著しいが、しかし今後は北側の展開が急速に進み、高層ビルが林立する景観となるのに対し、南側はより落ち着きのある景観を維持していく意義はあるように感じた。
◆モダニズム建築、ぱっと見たら1970年代に建てられたんとちゃうんか、とも見られる中央郵便局、それが昭和10年代の建築物であることの先進性、建築学的な重要性、価値が理解されにくいのであろう。いかにもというレンガ建築でなく・・・。それゆえ文化財側の意識や働きかけが必要なのだろうが。登録にすらなっていない。
【追記】その後、2日続けて写真入りで解体への記事。守る会の長山さんの話。もっとも、なんとかするため、守る会の側が記者に働きかけてはいるんだろうが、新聞って、なんで解体が始まろうといういう段にならないと報道しないのだろうか。

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HN:
雲楽
年齢:
60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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