人を幸せにする人になろう

最後は柏原市立歴史資料館

◆近つを15時ごろに出て、柏原市の歴史資料館に向かう。安福寺展である。玉手山7号墳の調査にあた り、ご住職のOさんに大変お世話になりました。江戸期に安福寺の再興を果たしたカオク上人、尾張徳川光友の帰依など、当時、いろいろと学びました。所領宛行などの重要書類が、三つ葉葵の専用保存箱に入れられて大切に保管されてきたため、とても文書がよい状態で残っている。そうした安福寺に伝わる史資料が、初めてまとまった形で出品された展示である。
◆入っていくと企画展示室前に、この展示を担当したOさんがおり、Y館長さんやK君も出てこられ(みなさん土曜出勤なんだそうです)、3人付で説明をいただくという、とても贅沢な見学となりました。
◆国分に戻り、あじもりに直行し、完全休養の1日が終わりました。

近つへ

◆弥生博でK君に会い、午後は近つに行くという。こちらは三重県美杉村に行こ うかな、くらいのバクとしたプランだったので、近つに行くことにした。
◆前に河内国分にあった蕎麦屋さんが、河南町に移転しており、移転案内のあった直後に訪ねてみたが、まだ店はできていなかった。が、調べてみると営業中とのことで、そこに行き、お昼を取り、近つへ。
◆展示を見ていると、学芸員のI君と会う。この日14時からI君による企画展の解説が予定されており、ちょうど時間がきたので参加する。シシヨ塚の資料とか、難波宮の漆運搬土器とか、大園遺跡の埴輪とか、5世紀後葉の須恵器とか、確かに「ええもん」見せてもらいました。

2023年8月〓日、博物館資料館3か所

◆まず弥生。これは見に行かねばと思っていたもの。1982年の近畿道の調査のビデオ35分モノ、これ見ごたえあり ます。DVDにして売ればいいのに。
◆さて、弥生後期のところのパネルを見る。前半部では弥生時代後期の変化を概観し、後半はそこから考えられる弥生後期社会の理解について書いている。が、前と後ろが、すんなりとつながるようには思えない。学問はむろん論拠があってのことで、歴史学では史資料の制約を受ける。見つかっていないもので議論はできない。だが、推測してはいけないというものではない。前半部に書かれている後期社会の変化を押さえることで、そこからどういう社会に変容していたのかを類推するのは必要なことだ。「政治性」とまで言ってもいる。しかし、特定の個人に権力が集中する様子はないと・・・。結局は王墓が確かめられない、ということですよね。でも、中期末の王族墓ですら、加美や田能くらいしかわかっていないのでは。近畿地方にはたくさんの拠点集落があって、一般成員の集団墓とは別に王族墓があったはずだと思うが、それが見つかっている事例はわずか。後期の王墓が、例えば河内平野のどこかにあるとしても、それに当たることはかなり確率の低いものだろう。だからいないと考えるか、総合的に考えてヤマト国王はどこかに眠っているはずと考えるか、だ。
◆『纒向学研究』に書いたことを繰り返すが、なぜに多くの拠点集落が廃絶していき、畿内第Ⅴ様式土器に斉一化するのか、この最も重要な2つの現象をどう理解するか、そこに解があり、理解を出すべきだろう。わたしは、ともに強い強制力が働かなければ、生じないと思うわけです。

2023年8月4日、午後は綿業会館の見学

◆場所を移動して綿業会館。
◆8月4日には、そのあと職場に戻り、15時から会議があり、もうへろへろになりました。

2023年8月4日(金)、都市大阪の形成過程

◆既に挙げた地図は、この日のセミナーで発表するために作ってきたもの。大阪生まれ、大阪育ちではない。大阪のことは勉強して、ガイドさんたちから話を聞いて、少しずつ身に着けようとしている。基本的なところを時系列で確認していく、というのが、考えた上での発表内容。
◆前日までにカラーコピー12枚の資料を作る。残り3枚、これが当日朝となり、結局、遅刻!。資料も綴じていないし、惨憺たる状態。なんとか1時間程度しゃべる。これまでのガイドプラス講座の履修生40人ほどに集まっていただくという、大事にしないといけないセミナーだったのに。でも、みなさん、会場からいろいろ発言をいただき、なんとか無事に乗り切ることができました。世話役のみなさま、ありがとうございました。

確かに暑い

◆8月2日の新聞記事。過去最も暑い7月であったという。

次は大正10年

◆大都市である大阪市には、大正10年の、国の1万1がある。2枚目は御堂 筋拡幅などの詳細図。
◆これに、あと戦災図と、1961年に、大阪府域全体を空中写真から作った1/3000地図をもとに作った集合図1万1の図を出したが、省略する。

次は明治30年と42年

◆明治30年は大阪市の第1次市域拡張(合併)。明治42年は正式2万分1。 明治42年図では、中津川の流路を直線化した新淀川の開削が誕生し、また大阪築港ができあがっている。この防波堤は、犬島の花崗岩を水没させて作ったのだとか。

次は明治18年と19年

◆明治18年は仮製図2万1、明治19年の大阪実測図は1/5000。 

プラグイン

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
6 7 8 9 10
12 14 15 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索