人を幸せにする人になろう

茅原大墓古墳

◆箸墓古墳の横を通り、茅原大墓古墳に向かう。前方部が2段あり、その両サイドから渡り土手がのびる。渡り土手の定型化というのもある と思うが、定まるまではいろんなところにくっつけるのでしょうか。盾持ち人がいる。中期初頭とのこと。

2023年11月23日、桜井市埋文センター

◆考古の見学会でオオヤマトを行く。桜井駅に集合。まずは桜井市埋文センターで埴輪の展示を見 る。メスリ、楕円筒のなんとか、茅原大墓、後期のもの、埴輪の勉強になりました。
【写真】これは常設の小立古墳のもの。

網野の原稿

◆およそ書けた。2023年11月23日、8:30。書けば書くほど、チェックポイントが出てきて、それに対応する図を作り、重ね合わせたりの作業をする。200m級の前方後円墳の墳丘を復元し、各部寸法などを復元し、これを記載し、さらにはモデルとなっている倭国王墓の設計を検討した上で比較し、どのように複製しているかを点検しまとめることは、1本の論文となる。枚数制限なしで書くとなると、どこまでやればゴールなのか泥沼化するかもしれないが、10頁分という与えられた枠組みで、やることはやれたのではないか。
◆締め切りまで、しばらく寝かせておこうか。

ようやく回復

◆条里制研見学会の頃からなので、体調が回復するまで2週間を要した。年ですね。今週は、授業調整日ということで、祝日のひっかからない火曜日と水曜日の授業がなく、木曜日も祝日なので、1週間ほっこり休み。原稿を書かな。
◆網野の原稿が80%まで仕上がってきた。もうちょいですね。
◆条里制研の見学会の翌日の11月6日は鈴鹿市の調査指導。朝、大学に行き、少し仕事をし、鶴橋から特急に乗るが、名張のところで、なんだっけか信号かなにかの不良で、運転取りやめとなりおろされる。同乗していたO先生とN先生と、急行を乗り継いで白子駅に到達したのは1時間遅れくらいだったか。雨も降ってきて現地は難渋しました。

大学の研究力は落ちるわな

◆『化学と工業』から。ほんと。予算執行のシステム入力は、ぜんぶ教員がやれというのが大学の 方針。こないだの研究室旅行の出張書類、何10頁のもマニュアルを参照し、同僚の先生の打ち出しももらっていたので、それをもとに入力画面で取り組むが、1時間やってもできない。旅行者コードというのがわかってないと先にいけない。経理にSOSを出し教えてもらい、翌週、それにもとづきやるも、第2日目の入力にどう進むかわからず、再度SOS。経理の人から電話が入り「行きます」、と。で、やってもらいました。あほなことです。
◆大学事務。昔は主みたいなベテランがいましたよね。そういうのが弊害をもたらす要素になりうることは理解できるが、そこは組織の問題。だがいまは、事務の世界でそんなプロを育てるという意識はまったくありませんね。

阪神タイガース優勝

◆第5戦まで、終わってから結果を見るだけ。いや結果すら、いつもカミサンが「負けたで」「勝ったで」と教えられた。で土曜日の第6戦は初めて帰りの車でラジオをつけ、帰ってからも家のラジオで聞いていたが、敗色濃厚となり消す。で、日曜日はまったく確認せず。この時も、カミサンに結果を伝えられた。
◆いまから38年前は1985年で、岡山の吉備津の合宿所にいた。楯築第5次調査。この日、Mさんがちらし寿司を作る。

2023年11月5日、近江国府界隈

◆条里制研の現地見学会に参加する。カミサンもエントリーしていたが、風邪をひき、寝込み、1人と なる。マニアックな、とても楽しい時間でした。が、年寄りには13時から17時はちときつい。で、こっちも風邪をうつされるている可能性があるので、おとなしく帰る。が、翌日発熱、39度。薬を飲んで38度くらいにはなったが。そんなんで、いま8日だが、まだのどが痛く、鼻をたらし、せき込み・・・。
◆さて5限の準備にかかろう。

教室旅行についていま少し

◆富山までの高速道路は、長良川沿いの郡上八幡―白川郷のルートで、そこから東の飛騨川沿いの 高山市に入る。朝から城攻め。松倉城跡。教育委員会の方に丁寧に説明をいただく。クマよけの鈴を身に着けている。城下の部分は、いま飛騨の里という観光施設になっていて、1971年にできたそうだ。まだまだ埋蔵文化財、しかも中世期の遺跡への意識はほとんどなかったのだろう。どこまで残っているのか、ほぼ壊れたのか。朝早く、駐車場に着いたときは誰もいなかったが、山から下りてきた時の様子では、観光地として成功しているよう。なので残存状況の確認調査などもできないのだろう。
◆晴れ渡ってきて北アルプスがよく見える。
◆駅前の駐車場にバスを止め、そこから自由行動。北の端から南まで町歩きをすることにする。南の方が、陣屋があり人でにぎわうが、逆から行く。ぶらぶらと公開されている町屋に立ち寄り、途中、食事もし、南にたどりつく頃には集合時間が迫っている。がしかし陣屋を見ないわけにもいかない。金を払い、10分でかけめぐる。まあ、よく残っているもんですね。日本でここしか残っていないのだっけか。そこから駅前のバス停までが距離があり、速足、途中走りを入れながら、遅れずに到達。しかし、学生らの半分くらいは遅刻していた。
◆大観光地のハイシーズンで、観光客だらけ。外国人多し。
◆そこから白川郷。なんとも言えない観光地。世界遺産というテーマパークですね。どこまで住んでいる人がいるのだろうか。あんまりいないのでは。生活から切り離された残骸。また、こんな観光地に教室旅行で行かなくてもいいのに、と思う。

次郎兵衛塚1号墳

◆さかのぼり、教室旅行で、可児市の次郎兵衛塚1号墳を見学した。見事な終末期方墳である。 川べりで、5世紀後葉くらいから古墳が築造されるという。それが7世紀にいきなりこんなものが出てくる。木曽川と飛騨川の合流点で、渡しがあったところ、地名は川合(どこかで聞いた名前と同じです)。30mあって7世紀前半と思うが・・・。

大山崎歴史資料館

◆16時過ぎにすべりこんだか。館長Fさんがいて、実に丁寧に説明をいただいた。これ、館長の思い 入れのある展示のようで、熱がすごかった。いまサントリーの醸造所になっているところに江戸時代まで寺院があったこと、その前身は古代までさかのぼることなど、とても勉強になった。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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