人を幸せにする人になろう

この人もすごい

◆大洲、行ってみたいですね。

夫婦別姓問題

◆この記事、全く同感ですね。

春成論集

◆5月末〆切で、すでに20日近く経過。春先から少しずつ準備はしてきた。お題は「前方後円墳の型 式」、指定である。昨年、佐紀について設計寸法をまとめた。また12月の近鉄文化サロンの講座で古市・百舌鳥について同じようにやると決め、これまでにもむろんやってはきていたが、佐紀のスタイルでぜんぶやる。で、6月以降、オオヤマトに着手し、6月17日までに6基についてひととおりやる(今日見たら、再度見直して最終調整が必要ですね)。
◆で17日は軽里大塚もやる。昨年12月は、津堂から岡ミサンザイまで。あとボケ山、今城塚、河内大塚山、五条野丸山、平田梅山までやりたいところだが、無理か。まして馬見周辺の第3系列まではいきそうにない(これ来月、王寺町でしゃべらないといけないので、その時にやることにしている)。
◆型式設定のことをどのようにするかを、この間、考えてきた。が、今回の眼目は、ひととおり復元し、それにもとづき各部を計測し設計寸法を考えると、こんなものではないでしょうかという、その提示が主目的でよいかなとは考えている。そこから系列の話はできるだろうが、型式と銘打たれると、なかなかしんどそうである。

2023年6月10日、引っ越し

◆カミサンの研究室引っ越し。この日は運送業者が来て、実験道具などの大型品を含めて、関学に運び出すことになっていたもの。自家用車にも少し積む。が、関学の方の実験の部屋のひとつがすっかり開かないので、特別大きいものは積み残しで、再度の引っ越しも必要なのだが。
◆この日、摂南の通用門の思い鉄扉を開けて、自家用車とトラックを建物の横につける。まだ積み込みの始まる前、鉄扉を開けようとして、レールの位置に右足が入ってしまっていて、力を入れて扉を押して自分の足をひく。ぎゃー。見る見る血が出てきた。
◆なんとか歩ける。また作業もする。激痛はなく骨は大丈夫そうか。結局、関学で昼飯を食ったあと、おそるおそる靴下をはずすと、指2本の先がやられ、それなりの裂傷。それと爪がやられているように見え、これはやばいかな、と。まあでも、大丈夫そうなので、そのままとする。1週間がたち、なんとか直ってきている。年寄りは、落ち着いてゆっくりと、ですね。

2023年6月9日、プレゼン

◆信太貝吹山古墳の測量で、どうも虫か何かに左目の上下を噛まれたようで、その後、腫れてき て、ひどい状態になっていた。ようやく2週間くらいして元に戻る。
◆6月9日は、大学の大型研究費に、大阪の歴史文化研究拠点構想のための研究として申請したが、そのプレゼンテーション。昨年度に続いて2回目。かなり時間をかけ準備し、当日を迎え、5分という短い時間だが語った。
◆1週間後の16日に落とされたことが判明。1000万円が2件、やはりすべて理系である。蓄積型の人文系研究など、新大学には必要ないのでしょうか。大阪「公立」大学として、むろん日本で世界で勝負できる目のある理系の研究を支援する必要は理解できるが、大阪にねざした研究も、もうひとつの柱としてあってしかるべきだが、認められない。

堺、極楽橋

◆大正10年の地図。堺の環濠があり、東西道路がまたぐところにすべて橋 があった。戦時中に道路 を拡幅するなどの変形がなされる前の姿。もっともすべては江戸時代のままではないのだろうが。
◆で、阪神高速堺線を作る直前まで、ほぼこの大正期の環濠と橋の状態は変わらなかったのだろうか。むろん阪堺電車が通るとか、車が通るなどで、拡幅されることは必然とはいえ、およそ環濠に囲まれた姿が残っていたのなら、それを残していれば、堺の町というのが、環濠都市というのがどういうものであったか、それを見ることのできる歴史遺産になったであろうに。環濠、そして内側の土塁、それらは近現代においては不要のものとして取り払われたが、残っていれば重要な観光資源になったはず。

2023年6月5日、堺

◆Fさんの案内で堺のまちあるき。水野鍛錬所というところにいく。包丁を鍛えている職人は堺にま だ多くいるが、刀を作っているのはここだけなのだとか。現役の仕事場を案内してもらう。
◆前に来た時より、町屋がそこここに残っているな、と感じる。
◆本願寺堺別院のところに石碑があり、堺県庁址とある。税所篤はここに通っていたということか。
◆阪神高速横の土居の東ヘリに高まりがあり、見せてもらった断面図からすると、環濠の内側の土塁にあたる。どこまで江戸時代の土塁が残っていて、どこまでがイメージ作りのものか、よくわからん。ある段階で崩されてしまっていたら、阪神高速の工事をやった時に、わざわざ盛り上げる必要はないのかもしれません。なので、いま残る高まりは往時の名残なのかも。これ知らんかった。

大阪湾岸の防砂堤

◆1961年、海に突き出す堤がそちこちに設けられ、南からの海流により砂が北上するのを防いでい る。これ、どこかの時点で実施された公共工事なんだろうが・・・。元をただせば江戸時代?。

大阪の銀行

◆第五国立銀行、大阪→東京、元薩摩藩士らによって設立。1898年に浪速銀行(旧・第三十二国立銀行)に合併。現・三井住友銀行。
◆第十三国立銀行、大阪、1897年に鴻池銀行に業務継承、満期解散。同行は1933年に三十四銀行、山口銀行と合併し三和銀行。現・三菱UFJ銀行。
◆第二十六国立銀行、大阪、元岡山藩士らによって設立。1883年に営業停止、閉鎖。1885年に解散。
◆第三十二国立銀行、大阪、両替商千草屋によって設立。頭取は当主平瀬亀之助。浪速銀行を経て1920年に十五銀行に合併。現・三井住友銀行。
◆第三十四国立銀行、大阪、1933年に鴻池銀行、山口銀行と合併し三和銀行。現・三菱UFJ銀行。
◆第四十二国立銀行、大阪、1901年に任意解散。北浜銀行は1919年に摂陽銀行に改称、1926年に三十四銀行に合併。(三菱UFJ銀行)。
◆第五十一国立銀行、岸和田、1940年に和泉銀行・貝塚銀行・岸和田銀行・寺田銀行と合併し阪南銀行。1945年に住友銀行に合併。現・三井住友銀行。
◆第五十八国立銀行、大阪、1909年に百三十銀行に合併。現・みずほ銀行。
あと3つくらいある。以上、ウィキ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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