人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
南北市テキ―長崎県埋蔵文化財センター情報誌
◆2月発行の創刊号が送られてきた。たぶん個人宛だったと思う。文化庁にいるとき、原の辻の史跡指定にかか
わったからだろうか。岡村道雄主任からあんたやれと言われ、原の辻に何度か行き、文化財保護審議会の書類を作った。むろん、いちばんたいへんだったのは長崎県の担当の方だ。広大な面積、関係する土地所有者は膨大、登記簿上、名義変更されていなければ、子孫の全員に権利があるものだから、全員から同意をとってもらう。申請書も分厚く、ひとつひとつ一緒に点検した。
◆ほ場整備で丘陵裾部で環濠が検出されたことをきっかけに、範囲確認調査をして指定範囲を定める調査が続けられた。オレがかかわったのはほんの終盤だろう。板付空港からプロペラ機で壱岐に飛ぶ。2回だったか、3回だったか。船付き場の調査を見ることができた。その後、調査は壱岐の古墳に転じていて、6世紀の大型古墳が次々に発掘され、そうした調査も見せていただいた。
◆この創刊号に、安楽さんがコラムを書いている。原の辻にナベヅルが飛来するのだそうだ。それに添えてあ
る写真を見て、復元された建物がならぶ遺跡の現在を知る。パッと見では、吉野ヶ里と区別がつかないような気もするが・・・。ともかくも、博物館もオープンしたというし、再訪してみたいものである。
◆ほ場整備で丘陵裾部で環濠が検出されたことをきっかけに、範囲確認調査をして指定範囲を定める調査が続けられた。オレがかかわったのはほんの終盤だろう。板付空港からプロペラ機で壱岐に飛ぶ。2回だったか、3回だったか。船付き場の調査を見ることができた。その後、調査は壱岐の古墳に転じていて、6世紀の大型古墳が次々に発掘され、そうした調査も見せていただいた。
◆この創刊号に、安楽さんがコラムを書いている。原の辻にナベヅルが飛来するのだそうだ。それに添えてあ
誉田御廟山に入ります
◆02月24日、誉田御廟山古墳に入ります。堤の上だけですが。大阪歴史学会から、これまでずっとオレが入って
おり、少し申し訳ないところで、いずれほかの人に入ってもらう必要がある。が、日取りが正式に決まるのが遅いので、なかなか頼みにくい面もある。こっちも大学行事とバッティングしたらアウト(当然、休暇をとっている)。
◆まあどうなんでしょうか。堤の幅広さを体感することと、本体を堤から眺めることくらいだろうか。それと断層が走っていて、段差になっているところがあるという。それは見たい。内濠の状況も。本体を眺めるのは、確かにふだん見ることができない世界なので、楽しみではある。どれくらい墳丘斜面が見通せるのか、デカくて距離があることもあり、なかなか雰囲気は予想できない。双眼鏡がいるかもね。そうか、濠底の深さにびっくりするかもしれないな。仲津山でもけっこうなものだが、さらに深いのだろう。それだけ掘削したのか、という感動が味わえるかもしれない。
◆まあどうなんでしょうか。堤の幅広さを体感することと、本体を堤から眺めることくらいだろうか。それと断層が走っていて、段差になっているところがあるという。それは見たい。内濠の状況も。本体を眺めるのは、確かにふだん見ることができない世界なので、楽しみではある。どれくらい墳丘斜面が見通せるのか、デカくて距離があることもあり、なかなか雰囲気は予想できない。双眼鏡がいるかもね。そうか、濠底の深さにびっくりするかもしれないな。仲津山でもけっこうなものだが、さらに深いのだろう。それだけ掘削したのか、という感動が味わえるかもしれない。
眼鏡は不便です・・・
◆なくした老眼鏡をもう一度作り、今度は紐をつけている(別になくしたのは紐がなかったからではない)。これ、眼鏡屋の推薦もあって、近・近というヤツ。老眼鏡なのだが、レンズの下が度がきつく本を読むため、半ばから上がパソコン用となっている。
◆前に作った時もうそうして、秋になくす前まで使ってみて、オレのような怠惰な人間にとっては、着けたりはずしたりするのがメンドクサイので、再び作るときに、上はダテ眼鏡にした方がいいのではないかと相談したのだけれど、目に悪いとかなんとかいわれて、そのままとした。
◆本を読むときに、ウルトラセブンのように老眼鏡をかけると集中しているような気持ちにはなる。一方で、なにか視野が狭くなっているような気がする。ほんとの視野のみならず、思考の幅という意味だ。で、着けたりはずしたりするのがめんどう。またメンドウなので、着けたまま廊下をうろうろしていると、遠くから歩いてくる人の顔がわからないのだ。日常生活は、裸眼で1.5はあり、まったく眼鏡なしで支障はなく、むしろ遠くなどは人よりもよく見える。だが、研究室でなんかやっていて眼鏡をつけて、そのまま外に行くと、そんなことにもなる。
◆なにか、大きな問題を考えたりするには眼鏡がない方がよいように思うのだが、でなにかメモを作ろうとパソコンに向かうとなると、とたんに眼鏡がいる。そうすると特定のことについて、いま目の前のことについては集中できるような気になるのだが、いろんな課題がおろそかになるような・・・。眼鏡は不便である。
◆前に作った時もうそうして、秋になくす前まで使ってみて、オレのような怠惰な人間にとっては、着けたりはずしたりするのがメンドクサイので、再び作るときに、上はダテ眼鏡にした方がいいのではないかと相談したのだけれど、目に悪いとかなんとかいわれて、そのままとした。
◆本を読むときに、ウルトラセブンのように老眼鏡をかけると集中しているような気持ちにはなる。一方で、なにか視野が狭くなっているような気がする。ほんとの視野のみならず、思考の幅という意味だ。で、着けたりはずしたりするのがめんどう。またメンドウなので、着けたまま廊下をうろうろしていると、遠くから歩いてくる人の顔がわからないのだ。日常生活は、裸眼で1.5はあり、まったく眼鏡なしで支障はなく、むしろ遠くなどは人よりもよく見える。だが、研究室でなんかやっていて眼鏡をつけて、そのまま外に行くと、そんなことにもなる。
◆なにか、大きな問題を考えたりするには眼鏡がない方がよいように思うのだが、でなにかメモを作ろうとパソコンに向かうとなると、とたんに眼鏡がいる。そうすると特定のことについて、いま目の前のことについては集中できるような気になるのだが、いろんな課題がおろそかになるような・・・。眼鏡は不便である。
イクシーが新しくなる
◆前のイクシーを息子に取られたので、新しく買うことにする。そんな高機能でなくていいので、カタログを見ていると、4種類出ていたが、いちばん機能的には低いものにした。ごっついズームや、フルハイビジョン動画なんて必要ない。それでも前のより画素数なんかはいいんだろう(たぶん)。1万2000円。安くなりましたね。SDカードやUSBメモリなども。
◆で、堺市の履中陵陪塚、寺山南山の調査指導の現場で、初デビューを果たした。だが、シャッターを切ろうとすると、カードが異常ですという表示が出る。あきらめかけたが、SDカードを抜いて再セットしたら、なんとか撮影できた。マシンも薄くなり、また軽い。
◆さてと、補講をしたもんだから、先週水曜日に授業の定期試験が2つあり、答案の束が2つある。が、卒論・修論を読むのが優先。試問が終わったので、答案の採点にかからなければいけないが、成績の〆切は今週である。通常よりも試験が1週間ずれているのでこうなる。
◆ともかくも、今週は、火・水が試問、両日、朝から晩まで。で、木・金が大学院入試。自分の授業の答案の採点もして、明日・金曜日に成績票をすべて提出し、院試も終われば、ホット一息である。
◆で、堺市の履中陵陪塚、寺山南山の調査指導の現場で、初デビューを果たした。だが、シャッターを切ろうとすると、カードが異常ですという表示が出る。あきらめかけたが、SDカードを抜いて再セットしたら、なんとか撮影できた。マシンも薄くなり、また軽い。
◆さてと、補講をしたもんだから、先週水曜日に授業の定期試験が2つあり、答案の束が2つある。が、卒論・修論を読むのが優先。試問が終わったので、答案の採点にかからなければいけないが、成績の〆切は今週である。通常よりも試験が1週間ずれているのでこうなる。
◆ともかくも、今週は、火・水が試問、両日、朝から晩まで。で、木・金が大学院入試。自分の授業の答案の採点もして、明日・金曜日に成績票をすべて提出し、院試も終われば、ホット一息である。
試問が終わって歴史の教員で呑む
◆2011年02月16日。毎年、恒例。実質、みなが集まって呑むのは、この1回。杉本町のいわし亭。西洋史にドイツ史の先生が2年前に着任し、昨年は東洋史にインド史の先生が着任し、この日の飲み会では、英語の話やら、イギリス人、フランス人、アメリカ人、インド人、中国人の話やら。
◆日本人の研究は概して緻密であるが、外国ではホラをいかに吹くかみたいな研究だ、といったこととか。西洋史の先生が、最初は日本語で考えそれを英語にする努力をするが、その段階から進んで、英語で考えるようになると、そこは母語でない悲しさか、思考の制約をうけてしまうというのだ。似たような話は前にもどっかでよんだような。インド史の先生はさらに上をいくようだ。
◆で、ここからが塚田先生の話。歴史は眠らないというNHKの番組で(前は市民大学とか言ったはず)、東大の村井章介氏と同時通訳で有名な鳥飼玖美子さんが2月の講師だそうで、鳥飼さんは4回しゃべるのだがテーマが「英語・愛憎の二百年」ということで、江戸時代以来の日本人の英語習得の歴史を語っているそうだ。そのなかで、現在のコミュニケーション重視の英語習得がいかにダメか、ということを言っているらしい。塚田先生はむろんそれに賛成しているわけである。どんなことが書いてあるか、それは読んでみないとわからないが、英語の達人がそういうことを言うことを、もっと汲むべきなんだろう。
◆市大では4月から入学者全員にTOEICをやらせるだの、という話が進んでいる。この日の晩、また別のところでは、理系の大学院入試の話なのだったか、使う語句を出して、なにか文章をまとめさせる問題が出たが、書けないのだそうだ。
◆本多勝一は日本の作文教育がぜんぜんなっていないということを早くから指摘していた。振り返れば、自分が高校生の時はひどかったが、『日本語の作文技術』などに学びながら、自分で文章を書くことでだんだん身につけてきた。この間、添削みたいな指導はまったくなかった。多くの人も、みな我流で、必要性から文章を書き、それぞれ書けるようになっていったのだろう。いまは意識的に文章を書かせないと、大学4年を過ごしても、ほっといたら、ろくに文章もかけないままなんだろう。卒論とかを読んでいて、そこは文学部だから、まあまあだが、やはりなかには、まとまった文章を書いたことがないんだろうな~、というものがある。
◆本多の言うように、論理的でわかりやすい文章というのは、ひとつの技術であり、それは小学校からきちんとやるべきだろう。英語よりも日本語でちゃんと文章が書けることことの方が重要だ。
◆日本人の研究は概して緻密であるが、外国ではホラをいかに吹くかみたいな研究だ、といったこととか。西洋史の先生が、最初は日本語で考えそれを英語にする努力をするが、その段階から進んで、英語で考えるようになると、そこは母語でない悲しさか、思考の制約をうけてしまうというのだ。似たような話は前にもどっかでよんだような。インド史の先生はさらに上をいくようだ。
◆で、ここからが塚田先生の話。歴史は眠らないというNHKの番組で(前は市民大学とか言ったはず)、東大の村井章介氏と同時通訳で有名な鳥飼玖美子さんが2月の講師だそうで、鳥飼さんは4回しゃべるのだがテーマが「英語・愛憎の二百年」ということで、江戸時代以来の日本人の英語習得の歴史を語っているそうだ。そのなかで、現在のコミュニケーション重視の英語習得がいかにダメか、ということを言っているらしい。塚田先生はむろんそれに賛成しているわけである。どんなことが書いてあるか、それは読んでみないとわからないが、英語の達人がそういうことを言うことを、もっと汲むべきなんだろう。
◆市大では4月から入学者全員にTOEICをやらせるだの、という話が進んでいる。この日の晩、また別のところでは、理系の大学院入試の話なのだったか、使う語句を出して、なにか文章をまとめさせる問題が出たが、書けないのだそうだ。
◆本多勝一は日本の作文教育がぜんぜんなっていないということを早くから指摘していた。振り返れば、自分が高校生の時はひどかったが、『日本語の作文技術』などに学びながら、自分で文章を書くことでだんだん身につけてきた。この間、添削みたいな指導はまったくなかった。多くの人も、みな我流で、必要性から文章を書き、それぞれ書けるようになっていったのだろう。いまは意識的に文章を書かせないと、大学4年を過ごしても、ほっといたら、ろくに文章もかけないままなんだろう。卒論とかを読んでいて、そこは文学部だから、まあまあだが、やはりなかには、まとまった文章を書いたことがないんだろうな~、というものがある。
◆本多の言うように、論理的でわかりやすい文章というのは、ひとつの技術であり、それは小学校からきちんとやるべきだろう。英語よりも日本語でちゃんと文章が書けることことの方が重要だ。
口頭試問の準備
◆修論8本、「蝦夷との38年戦争」、「戦国期城下町と変容」、「古代の軍制」、「能登・畠山氏の研究」、考古「古代の集落論」、「戦国期・織豊期の近江での流通」、「織田政権の領国統治」、「若狭の中世寺院」。
◆卒論7本、「隼人の話」、「古代のヌヒ」、「任那復興」、考古「日本刀」、「中世スカンジナビアの都市」、「大阪の特定の町の近代史」、「京都における銀の貨幣化」。
◆卒論を終えて、修論にかかるが、みな力作なので、ひととおり読むのも時間がかかる(カッコはむろん正式な題目ではありません)。読んでから、試問で聞いてみることを考える。むろん議論に即した疑義や確認もあるし、本質的なとらえ方を問うもの、取り扱っている時期の前後とのつながりなど、限られた時間のなかで聞いておきたいことを考える。
◆市大の日本史の1人の教員として担当はこんなところだ。修論は副査でなくても全員分読む。卒論は日本史コース12人分+2部4本だが、うち7本が担当(世界史1本含む)。ほかのところのことは知らないが、うちの場合、こんなです。
◆これって勉強になりますよ。のちのち役に立ちそうなものは副本を取ってある。このへんは考古で複数教員がいて、考古の論文ばっかり読んでいるのとは違う。自ずから指向性が違ってくるでしょ。むろん、ふだんから学部の演習や大学院の演習でも、古代史や中世史などのことを、学生の発表から学んでいる。これが性にあっているというか、楽しいわけである。
◆卒論7本、「隼人の話」、「古代のヌヒ」、「任那復興」、考古「日本刀」、「中世スカンジナビアの都市」、「大阪の特定の町の近代史」、「京都における銀の貨幣化」。
◆卒論を終えて、修論にかかるが、みな力作なので、ひととおり読むのも時間がかかる(カッコはむろん正式な題目ではありません)。読んでから、試問で聞いてみることを考える。むろん議論に即した疑義や確認もあるし、本質的なとらえ方を問うもの、取り扱っている時期の前後とのつながりなど、限られた時間のなかで聞いておきたいことを考える。
◆市大の日本史の1人の教員として担当はこんなところだ。修論は副査でなくても全員分読む。卒論は日本史コース12人分+2部4本だが、うち7本が担当(世界史1本含む)。ほかのところのことは知らないが、うちの場合、こんなです。
◆これって勉強になりますよ。のちのち役に立ちそうなものは副本を取ってある。このへんは考古で複数教員がいて、考古の論文ばっかり読んでいるのとは違う。自ずから指向性が違ってくるでしょ。むろん、ふだんから学部の演習や大学院の演習でも、古代史や中世史などのことを、学生の発表から学んでいる。これが性にあっているというか、楽しいわけである。
倭国は卑弥呼共立にはじまる
◆どうなんでしょうね。神武天皇を打破するためには、初代倭王は卑弥呼だ、ということが教科書に載るところまでいかなきゃならんのでしょう。神武が橿原宮で即位したというフィクションを、みな信じちゃいないが、日本の国民に対し、戦争の持続を回避するために卑弥呼を共立することで国が生まれたんだ、ということをハッキリさせないといけない。ハッキリしているんだが、それがキッチリ、シャーシャーと、淡々と明記されるべきであろう。第2代も女王なんだよと。
◆それは遠からず可能かもしれない。そうすると、2月11日の建国記念の日は見直さざるをえない。そんなことはどうでもいい、という立場もありうるが、考古学をやっている者としては、戦うべき課題ではないだろうか。
◆それは遠からず可能かもしれない。そうすると、2月11日の建国記念の日は見直さざるをえない。そんなことはどうでもいい、という立場もありうるが、考古学をやっている者としては、戦うべき課題ではないだろうか。
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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。