人を幸せにする人になろう

松岳山2日目(3月28日)

◆岸本・濱道・道上(~17)・藤林(~15)
◆P8にトータルステーションをセット。墳頂部をまわす。東側が測りにくくなってからは、西側のみ降ろしてゆく。測78dfc74d.jpgり残しはあるが、13:30にトータルステーションをP7に据え、道沿いにまず北側を測る。測れる範囲で66.5mまで降ろし、そのあと南側に転じる。墳頂部から降りてくる範囲と下部を測るが、中位の高さを埋めることなく18時に終了。
◆この間、奈文研のトータルステーションをP6に据え、前方部側に基準点を3点打つ。勝手がわからないが、まあボタンをさわっていると、なんとかなる。ただし、P7を後視点としてセットし、座標を測り込むと、東西で3㎝違う。なんで?。きっとプリズム常数かと思ったが、ライカGPR1は-34㎜で間違っていないはずだが、合わない。これで3点の座標をいちおう測り込んだが、怪しいので、今晩、再度、機械のチェックをしよう。3㎝違っても、なんとかなるだろうが、順々に基準点を打っていって、進みながら後視点をチェックしてきて、数㎜程度の誤差で済んでいるのに3㎝は大きい。
◆もうひとつ、墳頂から各方面に降ろしていくために、墳頂縁部に3本杭を打つ。P8の本体から、チビミラーで座標を出したが、やはりこれは明日、ミラーをちゃんと立てて測り直そう。
◆本日の面積は、A2で13枚分(100分の1)の測る範囲中、1枚分の1/7か。1/91か・・・。先は長い!

松岳山初日(2011年03月27日)

fc5cd761.jpg◆岸本・道上
◆国分神社から松岳山登り口に沿う形で、杭を9本打ち、水準はレベルで上げて、とりあえずの最低のスタート体制までもってくる。ここまでで16時をまわる。このあと1時間半ほど、墳頂部の測量、石棺、等高線2本(25㎝間隔)をまわして終わる。まあまあ。
◆終了後、ブランシェタカギで、コーヒーを飲みながら、図を直し、座標データ、水準データの整理。水準値の計算の検算をやると、最後の最後、墳頂の杭の高さを出すところでミス!。なので、今日の1時間半分はパーですな。石棺の位置などのXYはかわらんし、単点は高さを修正すればよいが、等高線2本は消した。まあ、あした。

なんやかや

◆24日は、朝、松岳山の地権者1人の同意取り。OK。9dcde5a5.jpg
◆それから奈文研へ行き、測量器財を借用し、それから石切劔箭神社で鏡11面の撮影。
◆そのあとは卒業式のパーティー。終電まで呑む。
◆25日は、大阪市立大学と大阪市博物館協会との包括提携調印式に代理で出席。そのあと、関空へ娘の迎えに行く。この間、息子は中期日程で合格した大阪府立大学に行くか浪人するか812b1f62.jpgで悩み、浪人を選択。まあ、もう1年、頑張れ。浪人も悪くない。
◆家に娘を送り届けた後、大学にとって返し、岸和田の歴史講座の準備。資料作りはおおむね最後まで行くが未完。パワポは前のを流用するつもりだが手つかず。家に帰って資料を完成させたが息切れで寝る。
◆26日、630に家を出て、大学に7時過ぎに入り、資料の印刷100部。9時に久米田なので、電車の中でパワポをいじり、到着してからも、開始10時までいじり、なんとか・・・。10時から1時間シャベリ、1時間現地。昼を食べて、14時から繰り返し、16時過ぎに終了。大学に着いたのは18時前か。
◆それから松岳山の測量器財の積み込み。基準点測量の座標が出たので、地図上で座標を切り、紙割りを決め、明日の測量予定箇所の1枚を画板に貼り込む。
◆毎度、測量の前日はへとへとだが、今回は、準備がぜんぜんだし、泊まりがけ体制がとれないので、まったく外には声をかけていない。対象がでかいのに、我が社の学生はごく少数。なので気楽ではあるが、なかなか終わらないだろう。苦しむに違いない。まあ、苦労して自力でやるのもよかろう。敵は春、つまり生えてくる葉っぱである。それでなくとも、けっこう常緑樹が多い。研究費で伐採をかけることもできたのだが、話を整えるのがぎりぎりだし、まあしゃーない。明日から、歩みはトロイと思うが、速報をお届けしたい。

2011年03月20日、よみうりシンポ

◆大阪駅から歩き、会場の読売大阪ビルにたどりつく。着いてから、パワポがまだできていないので、しばらくc8c63b3a.jpg9afc6985.JPG作成。もっとも既存のものの圧縮。
◆13時開始、1番バッターで約35分、5分オーバーしたが無事終了。圧縮が十分でなかったので、駆け足。だが、飛ばすところは飛ばしてポイントは押さえたと思う。和田アツム先生の梁書の話はおもしろかった。石野先生の、丸太垣ではない、鏡は破砕だ、というのは十分受け止める必要はある。棺形態が割竹形でない、というのも重要。シンポでは、意見の違いはあれ、石野先生の意見を尊重するよう心がけた。
◆わたしの主張は、弥生の研究における後期の畿内ブロック、魏志倭人伝の邪馬台国、古墳から考えられてきたヤマト政権は、みなつがなるものだという、あたりまえの話。ヤマト国は3世紀にできたわけではない、1世紀である。ヤマト政権は邪馬台国をどう引き継いだか、という設定自体に違和感があったが、まあ結論はそういうこと。
◆終了後、石野先生と鶴橋のミンミンで餃子を食べながら呑む。こんな機会はめったにないから。石野さんは大阪市大の福井市糞置庄の発掘に参加していることを知る。
◆帰って、カミさんに「まあまあうまくいったよ」というと、「いま躁やからな」とひとこと。確かに・・・。いまメールを見たら、聞いていた人から、お褒めのメールを受けとった。ありがたい話である。さて、次は26日に岸和田で摩湯山の話、こっちは準備ゼロだが、なんとか・・・。

頭がすっきり

76d658a4.JPG◆脳みそのことではない。3ヶ月切っていない髪の毛のこと。今日、朝から国分神社に行き、基準点測量に立ち会う。古墳の上は立木があって、GPSはしんどいので、やむなく境内地に3カ所設定し、やってもらう。墳丘に振り込んでいかなければならないが仕方なし。
◆そのあと地権者をまわる。不在その他もあった。また明日、続きを・・・。
◆次に、4月17日の大歴検討会の会場である松原市商工会議所会館に行くが、改装中で事務が締まっていて、会場費の支払いはできなかった。
◆最後、天王寺にまわり、松岳山の地権者で、大阪市阿倍野区の方が1人いて、そこに挨拶に行き了解をもらってから大学に行く。
◆で、杉本町で散髪をしたわけだ(あした、シンポジウムもあるし・・・)。さてと、今日の松岳山のことを整理した上で、明日の準備にかかるとしよう。

あーあ疲れた

◆このところ土日もなく、出張もあり、疲れ気味。帰ると23時ころ、原発が気になるのでニュースを見る。だいたいすぐに1時にはなり、時には3時くらいに。なので、慢性的な睡眠不足といったところ。
◆考古学研究会事務局から、6月号掲載とのハガキをいただいた。
◆この1週間のうち2日、あるところの前方後円墳の測量の手伝いに2日ほど行く。測量するのは久しぶりだ。前方部を仕上げた。来週の水曜日には、松岳山古墳の測量にむけて、学生にトータルステーションをさわらせることにしているが、長らくボタンをさわっていないので、どうなることか。まったくの素人なので、まずレベルからだ。
◆いよいよ、20日はよみうりのシンポ。昨日の高槻市の会議で、和田萃先生と少しこの件でしゃべる。3人のレジュメが家に送られてきて、自分のもの、今回用に6頁分に縮めたのに、印刷されていたのは前の12頁モノ。古いヤツのPDFを送ってしまったようだ。しゃべりは35分なので、その分量にパワポを加工し、桜井茶臼山古墳の石室など、カラー画像を新たに取り込んで整備しなければならない。が、まあ前日だ。
◆その前日となる明日は、松岳山の地権者まわり。国分神社さんには了解をもらったが、その直後からあわただしく、その他のところを回れていない。明日は、基準点測量に業者がくるので、それに立ち会い、そのあとほとんど近場におられる他の地権者をまわる。さて、うまくコトが運びますかどうか。1人のみ大阪市阿倍野区に在住の方もおられ、国分周辺が終わり次第、天王寺に行こう。手土産も買った。明日は勝負ですな。で、夕方から翌日のシンポの準備か・・・。休めん!

光合成

◆3月18日、大阪市立大学重点研究の今年度総括報告会で、15分の発表をする。ほんとうは、次年度以降どうするか、いまのままでは、各自が好きなことをやっており、これでは共同研究にならないわけだ。学問的な成果物(ちまたの多くのシンポジウムの記録でなく)を明確に目標に掲げ、各自の研究はほっといてもやるから、そうではなく、やはり共通の研究のなかである部分を分担して進めていく必要がある。オレはこういう提案がある、という中身にしたかったのだが、前半部の、今年度、実際になにをやったか、の部分で息切れして終わってしまった。もうひとつ、これまでほとんどなかった大阪市とのタイアップがこの3月末に実現するので、これから共同研究を具体的に考えていくことになるのだが、そのワーキングに入っているので、たぶんそれが核になっていくだろう。なので、いまの段階では、具体的提案がまだ煮詰まっていないことにもよる。
◆さてと、この成果報告会に複合先端研究の理学部の先生2名が加わって(ジョイントをめざしているらしい)、彼らの報告を聞いた。それによると、鉄や銅といった普遍的金属を触媒とする光合成による燃料電池でエネルギー問題を解決しようという研究をしているとのこと。諸外国がやはり先行しており、日本はやや遅れているらしいが、これに大阪市大理学部の複合先端研究組織が取り組んでいる、ようだ。これは夢のようなプロジェクトだが、実現可能なように聞こえた。JSTはじめ、膨大な研究費を獲得しているのだという。化石燃料にも原子力にも依存しない新しいエネルギー源ができれば、これは世界を救うことになる。レアメタルや資源産出地に限らない、どこにでもあるもので燃料が獲得でき、かつCO2も削減されるのだ。その実用開発に期待しよう。
◆なお終了後、同僚の早瀬先生が、原子力問題で書評を書いていると教えてもらった。さっそくにコピーして読む。教室旅行で、若狭明通寺のご住職の話を紹介したが、そもそもこの企画を持ち込んだのが早瀬先生である。この先生、紀伊国屋の書評ブログをやっており、1週間に1冊の書評を書いている。すさまじい読書量である。アドレスを示すので、興味ある方はご覧下さい。http://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/

2011年03月17日、高槻市の整備委員会

◆朝10時から。今日の出席は、原口先生・水野先生、和田萃先生、和2ff0870f.JPG249b28be.JPG晴吾先生、増淵さん。
◆安満遺跡の追加指定の件、今城塚古墳の整備および博物館竣工の件、闘鶏山古墳の調査の件、以上、案件は三つ。そのあと、3月26日の内覧会に向けて急ピッチで準備の進む展示をざっと見せていただき、そのあと現地に行き、形象埴輪群の復元を見る。
◆大王墓の調査そして史跡整備まで、ここまでの15年くらいにわたる高槻市の馬力に敬意を表したい。博物館も、しろあと歴史館と住み分け、古墳時代が中心にはなるが、古い時期の考古資料を展示する施設として、実に立派なものである。4月1日から一般公開が始まる。
◆森田さんの発言、「埋文センターができた1975年に就職し、この3月で定年を迎えるが、今城塚古墳の整備を成し遂げ、あとの者に託す。この36年間(になるのかな)、日本の埋文行政の歩みとともに、掘りまくった。だが、これからは、もう発掘も少ない。インフラも整い、宅地開発もいきついた。これから普及啓発やと。そのための施設も作った」、なかなか味わい深い言葉である。11d76ce2.JPG5df1f401.JPG
◆形象埴輪200本だそうである。これは圧巻!いちはやくその画像を紹介しておこう。
◆そのあと、高槻市のもっている鏡の写真を撮影させていただく。弁天山C1、郡家車塚のものは、展示室にセットされていたが、申し訳ないことに出していただいた。そのあと、埋文センターに移動して、そっちに保管している鏡を撮影した。1600近くまでかかる。

仕事も手がつかないが

◆原発、なんとかなることを祈るしかない。
◆昨晩の静岡東部の地震、あの震源地は富士山ですよね。

03月12日、試験監督のあと

◆市大の大学入試、2次後期の試験監督。小論文で昼までで終わり。息子はどうなるか知らんが、東北各大学ほか、首都圏の大学入試にも大きくひびく。東北地方は後期はなしでしょうね。首都圏でも、やめてセンターのみという発表もあった。うちの子のところも、時間を2時間ずらしたが、東京に出てこれなかった人がいるとなると、再試験でしょ。そうなると、合格発表がずれ込む。入学手続きがずれ込む。へたしたら年度が変わる。大学の事務はたいへんである。
◆というのは大学に身を置くものの心配だが、なによりも東北沿岸部の被害である。1000人は越すのは確実だが、たぶん万人になるだろう(3/13,4:00)。
◆昔、家族で東北貧乏旅行(車の中での野宿)をしたとき、間に1泊のみ民宿を入れたのが、宮古の北の田老町。この時、10mの防潮堤、これはいったいなんだ、と思った。そうすると、繰り返し津波の被害を受け、これだけのことをやっている、という説明を受けた。帰ってきて、中学校の地図帳を開くと、この田老町の解説があった。そういう有名なところだったのである。ここも壊滅したという。
◆原発は、最悪の状況はなんとか回避した様子ですね。
◆そんなんで、試験監督のあと、研究室にいたけど、仕事になりはしない。ネットでもテレビ、NHKとTBS・フジのニュースが同時配信されていて、それをずっとみていた。13日は加古川なので、12日のうちに加古川に帰るつもりにしており、そんなんで職場にいても仕事は手につかないので(よみうりの資料は出した、それだけ)、早めに杉本町を出た。
◆ネットでのテレビのニュースを見ていると、ツイッターが流れる。「やべえ」とか「メルトダウン」とか、「あの解説者、話下手すぎ~」とか、いい気分ではない。「よし、みんなで被災地に行こう」なんて呼びかけるヤツはいないんだろうか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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