人を幸せにする人になろう

この2日

◆この2日、やらなあかんことをすべて投げ打って、考古学研究の原稿を書き直し、ようやっと12頁に絞り込めた。終わった・・・。で、この2日のロスは、あとあとひびくかもしれないが、ひとくぎりだ。
◆書き直しは勉強になった。これで横穴式石室の研究は正しく軌道修正される?と考えているわけだが、前にも言ったように、実はみんなが思っていることの代弁かもね。
◆既に福島県の福島さんの反論が出ている。大刀の年代観がまったく違うわけだ。こっちは新納さんの議論しか知らないので(6世紀はいっぱい種類があって7世紀には方筒に統一される)、(1)どう違うか、(2)なぜそうなるのか、あれを読んでももうひとつわからん。東日本での実際の出土状況がベースにある、というのはわかる。なんでそうなるのか、が大事なんだろうけれど、どう違ってるのかがまずイメージできない。結論のズレを図示するのがいちばんかも。
◆さてと、勉強になったのは、要するに、丸山の位置づけの違いはひとつの理由だが、根っこは大刀による新納さんの須恵器の年代観なのだということ。最新の論文だけでは、これはわからんかったが。結局、新納さんの基本はそこ。だが、これはなかなか難しい議論だと思う。
◆大刀の10段階区分、単龍そして双龍・頭椎などが加わる、それらの平行関係は装具でわかるという。だが、それは製作年代である。10年刻みという。で、それが横穴式石室から出てくる場合、上限ですよね。伝世を持ち出さずとも、30歳で大刀を入手し、60歳で死んで墓に入ることは普通のこと、つまり死ぬとき、最新の大刀は3型式くらいずれてる(むろん2本目・3本目をもらってもいい。そういうもんなんですかね、1本なんですかね、そういう研究って重要でしょうね。)。なので、石室の年代は、まず須恵器で考え、その須恵器の年代は須恵器側で考えられている年代で考えるべきなんだと思う(新納さんのいうようにその根拠も薄弱なんだろう)。
◆だけど、湯舟坂の大刀があると、そこからはTK43とTK209が出ていて、その10期区分の第6期にあたり製作年代が570年くらいだから(PHALANXでは580年、それを箕谷論文で上げる)、TK43とTK209の境はアバウト570年だと。これ、どうなんでしょうか。
◆新納批判はどうしてもしにくいので、こんなところで書いているが、あんまりコソコソ0474f6e7.jpgやるのは好きでないので、こんどぶつけますよ。もうひとつ、繰り返しになるが、絶対、丸山と石舞台は全然違う、これは間違いない!。石舞台に行けばわかる。
◆もうひとつ斬ると、白石先生も、もう岩屋山の年代については白旗を揚げなければならないだろう。
◆ほんとは、吉備の石室など介在させないで、畿内の石室とか須恵器とか大刀とか、新納VS白石で本人同士がガチンコ勝負して決着をつけてくれりゃいいのである。近年における反論・再反論・再々反論が展開するめずらしい事例であろうが、なかなか書いたものだけでは平行線かな~。どっちかが納得するまでホテルに缶詰にして言い合いをするとか・・・。

2011年2月1日、旧真田山陸軍墓地に行く

◆ここ数日、旧真田山陸軍墓地の原稿を書いていて、ようやく入稿した。そのあと、雄略陵の記事も書いた。いずIMG_4771.JPGれも『ヒストリア』用。で、それに使うために、今日、玉造に行き、陸軍墓地にはじめて足を踏み入れる。中身については、以前、このブログにも、挨拶文を掲載したので省略。
◆そういえば、考古学研究会から査読が帰ってきた。書き直したら載せてくれるらしい。ヒストリア2月号の目処がついたので、これからできれば書き直しにかかりたいが、どうなることやら。査読結果は真摯に受け止めます。いくつか異論はあるが。
◆生前造墓説となると、古墳の築造時期はあいまいになる。が、どうでも解釈できる余地を出すためにやっているのではなく、発想を提案しているつもり(むろん発想のみならずそうだと思っているわけだが)。寿墓の根拠は挙げなかったが、別に書いたものがあるので付け足そう。始皇帝は即位翌年から墳墓の築造に取りかかっている。武寧王陵だって生前に着手している。日本の横穴式石室もそうではないのか。そう考えると、年代がより厳密になってくるこの時期の石室について、すこし考え方を変えないといけない。石室のプロは、その問題はどう考えているのか。
◆学史か・・・。横穴式石室について、いつ造ったのか、そんな議論はあるんだろうか。よく知りません。そりゃもちろんだよね、それを議論する以上、先行研究のチェックは。果たして正面切って、それを問題にしたものがあるんだろうか。
◆蘇我馬子は55年間大臣だった。みなさん死んでから造ると考えているんでしょうか。それらな簡単。そうじゃないとすると、これは大きな問題。半世紀の差が生まれるんだから。で、どの時点かなんて決められっこないから、永遠にあいまい。より難しくなるが、事実はそうなのだから仕方ない。おっとこれは言い過ぎ。だが、寿墓かどうかは、問われなければならないのではないですか。逆に言えば、死んでから造った、なんて証明されているのか。生前造墓と同等にわかっていないと思う。
◆横穴式石室の型式学的研究は一定のところまでできあがっている、それをイジルわけではない。ただ、問題の丸山の石室について、ぜんぜん意見がかみあわないわけだ。オレは丸山=石舞台なんて言ってないんですけどね。少なくとも天王山だ、白石先生のように平林式まで上げることについては、もうすこし詰める必要がある。きっとあがるとは思うが、そこは石室自体からあみださにゃならんから、さらに検討しなきゃならん。石舞台とは全然違う、というのが言いたい(白石先生の見方とまったく同じ)。このブログでも掲げたあの図は、議論となっている袖石、羨道のこと、玄門幅など、実によく示されていると思う(再投稿用に加工したものを再び挙げておく)。

2011年01月31日、考古・卒論修論ごくろうさん会

◆今年は、考古の論文は、卒論1本・修論1本。論文出したあと、一度、飲みに行こうと言っていた。都合がつかず、延期の上、なc4ad6a68.jpgb7718946.JPGんとか流れずに開催された。
◆照屋さんの沖縄料理屋と餃子王もそれぞれ2回やったので、今回は、天王寺か難波で、なにか民族料理をということで、タイ料理になる。
◆飲み放題だと、ふつうの日本の飲み物なので、タイのビールとか焼酎を個別で頼む。セットは、前菜2から3品、そして鍋、デザートであった。けっこう楽しめた。次回は、3月に追いコンでモンゴル料理、といってある。
◆イクシー、息子の卒業式が1月29日にあり、奪われ帰ってこない。イオスキッスは壊れ修理に出し、この日に直ってきたのだが、持っていかなかったのは失敗。画像は携帯で撮ったもの。

今年の卒業生たちと

◆毎年、夏に、卒業アルバム用の写真を撮る。こっちはアルバムはもらえないから(卒業生も申込者ということだろ93c07775.JPGうが)、どんな写真にしあがっているかわからない。貴重な機会なので、今年度は自分のデジカメをもっていく。ならんでいる時に、アルバムカメラマンに撮影して貰った。
◆市大日本史は、各学年10人から15人くらいが標準である。このメンバーでは考古は1人。

河内のワイン

◆こないだ、歩いたとき、カタシモワイナリーのところを通った。これがキングセルビーを作っているところなのだ(玉手山の調査の時、石田さんに差し入れていただいた)。で、貯蔵庫が登録文化財となっていた。これも石田さんの仕事かな。
◆柏原から羽曳野の丘陵地帯の葡萄畑は実にいい。で、前からこの辺のワインメーカーについて整理しておきたいと思っていたが、カタシモワイナリーのホームページで整理してあった。
◆大阪府下の八尾・柏原・羽曳野・太子に7社のワインメーカーがあるそうだ。それすべて「河内のワイン」とはいえる。このうち、銘柄名として「河内ワイン」を使っているのが3社あるとのこと。
1)カタシモワイナリーの「河内ワインレギュラー」・「カタシモ河内ワイン」など、2)(株)河内ワインの「河内ワイン」・「河内葡萄酒」など、そして3)飛鳥ワイン(株)の「河内産ワイン」など、だそうだ。
◆で、(株)河内ワイン、という社名もあるからややこしい。ここは、以前は金徳屋(金徳屋洋酒醸造所)と言っていたものを1996年に社名変更されたらしい。これ駒ヶ谷にあり、行ったことがある。飛鳥ワインは行ったことはないが、上ノ太子にあり、いわゆるグレープ道路(南阪名に乗るためによく通る)沿いの看板は知っている。
◆なので、河内ワインとは、「河内のワイン」という普通名詞でもあるだろうし、商品名であり、会社名でもある、のだそうだ。
◆3社のワインはすべて飲んだことがある。河内国分のお酒の量販店で、地元のワインを置いてあるが、飛鳥ワインはおいしかったように思う。「近つ」で置いてるのは飛鳥ワインでしょうね。だが、柏原市民としては、キングセルビーを飲まなあかんな~。こうした地元のお酒、スーパー(ライフ)にはない。河内のワインも置くべきですよね。なお、駒ヶ谷にはチョーヤ本社があり、これも自宅から至近である。

ビッグバンとビッグアイ

◆こないだ、講演会で泉ヶ丘に行き、びっくりしたのが標記の建物。泉北資料館に坂本寺の瓦や、摩湯山の遺物を学生と実測しに行ったことがあるが、車で通過したためか、まったく気付かなかった。
◆で、このヘンテコなものが、大阪府立大型児童館ビッグバンであり、橋下知事が廃止か売却を指示した典型的なハコモノであることを知る。2008年頃、ビッグバンの名前は耳にしたり、テレビも見たはずだが、泉ヶ丘にあると知らなかった次第。恥ずかしい・・・。1992年度基本構想、着工は1996年、1999開館、171億円だそうである。入館料、大人1000円。さわがれたが存続。
◆一方の隣のビッグアイ、これがこないだの世界遺産講演会の会場だったが、これは国(厚生労働省)が建てたらしい。ホーabout_photo_1.jpgムページから。「国際障害者交流センター(愛称ビッグ・アイ)は、「国連・障害者の十年」を記念して、全国の障害者の「完全参加と平等」の実現を図るシンボル的な意 味を持つ施設として、厚生労働省が整備しました。障害者自らが行う国際交流活動や芸術・文化活動の場、また、障害者のみならず、広く国民の参加する交流の 場として整備され、それらの活動を通じ、障害者の社会参加を促進することを目指しています。」、だ、そうである。
◆ともかく、泉ヶ丘に降り立つと、とにかく立派すぎるこの二つの施設が目につく。

大仙やミサンザイの音波探査はできないか

◆前にニューテクフェアで発表したとき、そのあとポスターのところにいると、声をかけてきた人がいて、水の中はどうするんだ、できたらいいんではないかと言われた。「そうですね、大仙古墳の水面下の状況がわかれば、これは重要だ。」みたいな返事をした。
◆堺市の講演会では、大仙は水深が深く、墳丘長は540mまで行く、としゃべったが、これも裏を取りたいものである。濠内堆積もすごいだろうが。普通に考えれば、音波、ソナーである。宮崎県の女狭穂塚の測量を認めているんだから、できないわけではなかろう。ミサンザイ(履中陵)とともに、たいへん興味がある。
【追記:ハイパースペクトルカメラというのもあるらしい。が透明度がいる?】

また勝った

◆韓国にPK戦で勝つ。これもまたなんというか、味わい深い試合であった。ドキドキハラハラ、このアジアカップはなかなか人を引きつけるね。といったって、これまでのアジアカップ、ずっと見ているわけではないし、見ていた時もあるんだろうが、まったく覚えちゃいない。そう思うと、今回は、見やすい時間帯であるのも理由か、ぜんぶ見ている。で、ここまですべて楽しめました。
◆韓国は力強いわな。韓国に学ぶべきところは多い。ああいう強さを日本が兼ね備えたら、これはすごいもんだろうね。まあしかし、日韓戦は独特ですね。

愛宕塚

◆昨年2009年度、横穴式石室をレーザースキャンしようとした時、石舞台とともに、八尾の愛宕塚についても問いdcd87061.jpg合わせた。そしたら大阪大学がやりましたよ、と。それなら、やってもしゃーないな、と。
◆こないだ、岡山例会の時に、寺前君に聞くと、どうやら工学部かなんかの人がやりたくて考古学研究室に相談があって、愛宕塚を紹介したものだという。成果物はありますか、と聞くと、アウトプットは見たことないと。
◆河内を代表する石室ですよね。前に一度行ったのだが、こないだ歩いた時、再訪。玄室は2段、前壁は1段、羨道はどうだったけかな。とにかく、新しい印象をもち、年代は下がるのかな、と。だけど、たぶんここ、寿命王塚と同じ剣菱をもっていたな、といま思い出す。たぶん6世紀中頃とされているものだろう。石室が新しいけど、やや古い馬具を副葬するというのもありうるが、ちょっと齟齬があるような。ほかに出土物は知られているんだろうか。どのように考えられているのか、一度、調べる必要がある。
◆それと、23日は大阪経済法科大学のところが北端だったが、ここには楽音寺・大竹古墳群がある。前に八尾の歴史民俗資料館で話をしたとき―これ心合寺山古墳の整備完成記念の企画だったが―、この楽音寺・大竹古墳群の前期~中期の古墳がテーマだった。かなり失われたが、まだ前期の前方後円墳がひとつかふたつ、ひとつかな、残っているようで、一度行かなければ、と思っているが果たせていない。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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