人を幸せにする人になろう

いや~まいった

◆昨日6月29日だったか、新聞にカシコーケンのレーザーによる古墳の測量記事が出ましたね。今日、カシコーケンのHPに行ったら、リーフレットのPDFが公開されていて、御廟山とコナベの図を見た。もう、手で測る必要がないわな・・・。いろいろ感慨深い。
◆昨日、帰るとカミさんが「新聞見た、あれ惜しかったな」っと。前に衛星の民間利用の公募をJAXAがやってたときに、遺跡探査のネタフリをやった。カミさんが、考古学でやれるやろ、といって、こっちは、埋没した周濠や、城や、なんか大きい構造物で、地下状況がわかるようなネタを作り、パワポも作った。カミさんはJAXAのけっこうエライさんのところに直談判に行き、オレのパワポでプレゼンをやって、むこうも乗り気になって、衛星でなく飛行機でまずやってみようということになり、しかし今回のカシコーケンのようにレーザーによる地表計測でなく、いきなりレーダーかなんかで地下を探りに行き、ついでの飛行機で実験をやったらしい。でも、こっちがやってみたらと提案した対象でなく、飛行機のついでの小さい対象物だったらしく、ぜんぜん効果なし、で立ち消えた。もっとも全然業界の違う世界だし、あんまり意気込んでいたわけではないし、まずはレーザーで測量という発想がそもそもなかったし(木があるから無理やろ、と)、カシコーケンとアジア航測のような、考古学業界の近しいところのタッグでもなく、意気込みが違っていたんだろう。似たような発想でやりかけたが、腰の入れ方が違った。
◆それにしても、こっちは200mだろうが平板ででも(いまはもう平板を使う気がしないが)測ることそのものに意義を見いだしていたところがある。むろんちゃんとした図が欲しい、それで研究するという目的とはいえ、測ることそのものにヤリガイがあった。茶臼山、ちゃんとした図がない、メスリ、ちゃんとした図がない、いっちょう、オラが測ったるか!、と。だがしかし、メスリだって、今度の方法で測量されたら、もはや我が社の図面は用なし、である。
◆以前の業者委託の測量図は、トータルステーションで任意に点をとり(これも手ばかり)、解析して図化する。だいたい角のところが丸まった図になり、ぜんぜん現況をとらえていない使えない図に仕上がる。われわれは、任意でなく、平板と同じく、ひとつの決めた等高線の高さをおっかける、その場で図化する、地形点も入れていく。測量業者丸投げでなく、自分たちが測り、認識した地形変換を書き込み、使える図にするというところに生き甲斐を見いだしていた。だが、今回のような精度高く、周辺も含めてざっくり一辺にデータを取得でき、あのような図が作れるんなら、もはや撤退するしかない。測ることそのものでなく、アウトプットを使って研究する部分に生きなければならない。完全に脱帽・・・。地権者に了解を取り付け、人を集め、杭を打ち、木を切り、線を引いていく、そうした労働は不要なわけだ。金をとってきて、アジア航測に投げればよいのだ。
◆いまある研究費で陵墓図をトレースしていることを、このブログでも書いた。だが、百舌鳥御廟山にしろ、コナベにしろ、陵墓図の1m等高線をなぞること(まだやってないが)は虚しいですね・・・。むろん高額の経費がかかるのだろう、だから一挙に、古市・百舌鳥の陵墓全部のデータがそろうわけではないだろう。だが、時間の問題であろう。路線変更を考えねばならん。


負けましたね

◆パラグアイ、ぜんぜん怖くなかったと思いませんか。もっと前半から球をつないで組み立てればいいのに、ロングボールばっかりで、キープできない。むろん負けなかったのだが、点をとっての勝機はあったのに。駒野じゃなくてトゥーリオに蹴らせばいいのに。精神的に強いヤツでいかなきゃ。
◆ま、しかし、進歩した。日韓大会ではベスト16まで行ったけど負け、今回は負けなかったんだから、次は勝てるよ。さあて、あしたの授業の準備・・・、まだゼロだ・・・、トホホ。

大歴の大会100627@関大

◆部会報告で須恵器の話を聞いた。本報告は途中でウトウト、昨日の酒が・・・。関連報告の十河さんのは、やっぱり面白かった。陶邑のことは、和泉市史の関係で谷山池のことを調べているが、ほとんど先端のことを知らない身には、たいへん面白かった。
◆そのあとミニシンポが始まる前に、司会からコメントを振るからと耳打ちされ、弱った。寝てたし。あわててレジュメに目を通し、何が言えるか考えた。最終的に、ミニシンポの最後、司会が2人の発表者にこれからの課題をという振りで、このまま終わるのかなと思ったら、最後に振られた。もうちょっと前に置いてくれたらいいのに、なんか締めを言わされるのはつらい。
◆なかなか、うまくコメントできず、言い忘れたこともあるので、整理して記したい。
◆まず、倭の陶質土器生産開始期のこと。陶邑については王権主導と言われてきたが、九州や岡山や、この時期に半島に赴いた諸豪族がそれぞれ工人を連れてきて生産を開始していることと、畿内でもあんまりかわりないらしいという話。背後の勢力を古墳で考えるというのも妥当なんだろう。
◆紹介したのは、趙榮済先生が、400年に金官国が高句麗に敗北し、金官国の諸勢力は西方や内陸部に分散し、金官国独占であった陶質土器生産が拡散する。高霊型とか高杯なんぞに見られる地方型というのが成立するのはしばらくあとであって、5世紀第1四半期は「型式乱立期」だと。その意味は、金官国の陶質土器が、各所でそれぞれ継承されて、まとまんない、みたいなイメージ。そういう揺籃期を経て伽耶でも陶質土器生産が定着していくと。つまりまあ、倭での開始期のようなことが、伽耶でもそうなのだ、ということ。で、そうした各所に散って、独自的に作り始めた、そういう段階の技術が、倭に伝わるというイメージである。
◆大庭寺とか大野池とか、陶邑西群は、和泉北部の豪族層によるものじゃないのかという話はとても新鮮。で、その場合、王権は関与があるのかどうか、在地豪族にやらせ、次の段階に直接やりはじめる、というのもあるのかもしれないし、もっと別物としてはっきり性格分けをするのがいいのか。もし、陶邑西群の規模や継続性がほかの地方とは違うとはいえ、基本はやはり豪族主導のものとした場合、それは陶邑と一括しない方がいいかもしれませんね。信太山窯跡群とか、といった話をした。
◆で、TK73型式期こそ、王権がてこ入れした直轄イメージでの生産で、窯の構造や組成など、別系譜のものが新たに導入されている、という話もとても面白かった。そのことを正当に評価しなければならないだろうし、しかし、それが始まっても陶邑西部では先行する生産伝統の延長で継続していて、窯跡構造の統一でいけば6世紀までは独自性が強いし、そのあと光明池-谷山池と西が継続していくとすれば、生産単位としての独自性はずう~と保持していたのかもしれない。
◆ひとつだけ、この時言い忘れたこと、大庭寺とか陶邑西群が伽耶で、杯をかなり作るようになるTK73が百済だという言い方が気になる。百済というのは、酒井さんがTK73のものが栄山江流域のものにたどれる、といったことを言ってるかららしい。だが、TK73、5世紀前半の話ですよね。まだ百済漢城期でしょ、栄山江流域って、西南部だけど、これを百済って言っていいのか?という疑問である。もし器そのものの影響が栄山江流域だっちゅうのがいいとして、それはそれでなんでだろうというのを考えなくちゃいけない。金官国が大打撃を被ったのち、もろもろの伽耶諸勢力との関係が基軸だとは思うが、慕韓(だっけ、栄山流域は)勢力とも意外に早くから関係を保持していたのかもしれない、などなど。
◆たいへん勉強になった大会であった。ほんとは懇親会に出て、発表者のみなさんとお話しすべきところだし、学会の役員をやっている者として出席が勉めなのだが、昨日の酒で頭がいたく、どうにも早く帰りたかったので、失礼した。

歴史学教室ハイキング(060626)神戸、雨

◆恒例行事、今年は神戸。垂水駅集合、雨のなか歩いて五色塚、駅に戻り、元町、南下して神戸華僑歴史博物館、昼飯含めて自由行動。午後、神戸モスクで再集合、白鶴酒造資料館、最後は深江生活文化史料館、梅田で飲み会、でした。7a60c8b9.JPG
◆いちいちは記さない。ひ1b0840c9.JPGとつだけ。元町駅に降り立ったとき、思い出した。そうだ、D1の時、兵庫県史編纂室の嘱託となり、1年間、前半は週3日、後半は週4日、ここで降りて通ってた・・・ということを。元町と聞いても、まったく忘却の彼方であったが、改札を出て、北側のコンクリート擁壁があって看板があり、西側の階段を見たとき、思い出したのである。デジャブ・・・。で自由行動の時、勤務地を見に行った。なんとかたどりついた。川崎重工のビル。1990年度は、考古資料編のほかに、まだ何冊か残りがあったのだろう。参事というエラそうな人が一人おり、課長補佐クラスの人がいじめられていた。で、各巻担当がおり大学院生が何人か。事業終了と同時にそのご解散したのだろう。あの時のネガはどこへ行ったんでしょうね。自分が撮影した写真のべた焼きを、出るときにひととおりコピーした。それはいまも製本して残してある。
◆右の写真は、ご愛敬。思わず撮っちまった!
◆飲み会後、2次会へ行くことになり、天王寺で、、、飲み過ぎ・・・

安福寺石棺のレーザースキャン

◆今日(06月25日)、安福寺の割竹形石棺(重要文化財)のレーザースキャンをやりました。牧野については、昨日、5d598f00.JPG99c335f3.JPGA3で二つ折りのパンフの校正が来たので、一部直し、印刷に取りかかってもらった。7月1日にできるという。でも、安福寺のスキャン作業を見ていて、これは数年後の玉手山3号墳の本報告にむけての作業だが、これも陰影図ができたら、同じようにパンフレットを作ろうと思った。なので、牧野の寄贈先への送付はやめ、寝かしておこう。新納さんだけには送っておこうかな・・・。

平成教育委員会だったと思うが

◆国ごとの気質を示す笑い話。豪華客船が座礁したかなんかで、小型の救助用のカッターが下にいるとかという状況で、船長は客に海に飛び込ませないといけない。で・・・
◆アメリカ人には「海に飛び込んだら英雄になれますよ!」
◆イギリス人には「海に飛び込んだらジェントルマンになれますよ!」
◆ドイツ人には「海に飛び込むことが規則になっています!」
◆イタリア人には「海に飛び込んだら女にもてますよ!」
◆さて、日本人にはどう言ったでしょうか? 答え 「みんな海に飛び込んでますよ!」
おもしろい話である。

どうでもいい独り言

◆最近、調子がよくない。ワールドカップがあることもあり、ダラダラしている。眠い。気力がない。まあしかし、研究費があり、バイトの学生が仕事をしてくれる。うちは、自分の所の研究室の調査およびその整理については、いっさい謝金を出すことはありません。どこでもそうだろうが、そんな金はどこにもない。ただし、自分の個人研究にかかわる諸作業など、学生をただ働きさせるわけにはいかないものは謝金を出す。なので研究費がなくとも、研究室調査分の整理作業の進展は関係なく進めが、一方で個人研究にかかわる分は、金がなければ自分でやるか自腹を切ってやってもらうかしかない。なので、今年はたいへんありがたく、いろんな作業、テキストの打ち込みから、測量図のトレースやら、着実に進んでいくのがウレシイ。
◆これもしかし、今ようやっとだ。1人でシコシコではなく、研究費をとってきてバイトを確保して仕事を進めることができるようになったのは。ここ数年といってもいい。もうすこし前から、まだ院生が多くいた段階で、そうした配慮ができていればよかったのだけど。大学に来て10年、前半の反省の上に、ようやく今がある。
◆いろんな方から、本を送ったことに対する礼状が届けられ、うれしい。都出先生からは、いつも一番にハガキが届く。シンプルだが、よかった点、新鮮だった点を短く指摘していただく。高校時代の恩師、是川先生からの手紙がとてもよかった。心のこもった文面、よくわたしの状況をわかっていただいていること、端的によかった部分を指摘してあり、グッときた。
◆この年になって、印刷物を送った時、偉い先生ほど反応が早くきちんと礼状が届く、ということがよくわかる。年齢とは関係がなく、若い奴でもデキルやつほどきちんと反応する。が、概して若い奴はなんにも言ってこない場合が多い。ああ、自分もそうだったと思う。抜き刷りやいろんなものを目上の方などから送っていただきながら、なんの礼状も出してこなかったと反省する。
◆ようやっと、送っていただいたものに、きちんと礼状を出すようになった。今回、玉1と吉川の本で、前から著書などをいただきながら礼を失してきた方にも、お返しすることができた。ただ、年賀状はまだ確立していない。いまだに名簿が未整備なのだ。なので、いつも年末になるとうっとおしい。今年も部分に終わってしまった。ええかげん、どっかで名簿をきちんとして・・・と思いつつ、この年になってしまった。
◆アメリカが土壇場で1点を入れて、スロベニアを勝ち点で逆転し決勝トーナメントに進出した。いや~、嫌いな国だが、底力あるよな。そのへんは流石である。

感情と論理

◆カミさんとのケンカは、感情と論理の問題。感情を大事にする女性と、論理を大事にする男、といったらフェミニストから反対を受けるのだろう。それはわかっているが、あるように思う。コトは、男社会だから、選挙案内が世帯主宛に送られてくることに対する違和感を、男はわからないというのも事実なんだが、ここでいいたいのはそれだけではない普遍性をもつように思うのだ。男だって感情的だし、女だって論理的思考をするのは当たり前。だが、なにをよしとするかという場合に、男は筋が通っていればいい、女はそうではなくてもうちょっとエモーショナルな部分を大事にする。例えばだ、普天間代替地について、男は日米安保があるやろ、どっかに代替地がいるんや、ここは条件的にみあっていて、また地域振興策も提示されていて、よくはないがいたしかたないのではと考えたりするのではないか、それに対して女は事故があったらたいへんやし、とにかく戦争につながるおそれがあるような危険な施設はイヤヤ、と。
◆今日、カミさんと話をしていて、むこうは涙を流して反論する、ショックや。そのとき考えたこと、論理がすべてではない、とういうことだ。この世は論理的整合性(ようは理屈)のみで動き決まっていくわけではない、人間の感情や気持ち、そういうものが大きいということもまた認識すべきだ、ということ。ちょっと新納さんのまとめていた歴史の話にも通じるような気がした。社会は因果関係で説明できるものばかりでなく、個人、個性、感情、そうしたものも、この世界が動かす大きなファクターであり、歴史学は、そうしたところに目を向けるようになってきているということを解説するもの。
◆自分に言い聞かさなければならない、論理がすべてではない。論理は半分、感性が半分だと。例えば人を説得するときにも、論理的な合理性の観点からの説明とともに、情に訴えるというのが大きく働くのである。どっちかだけでもだめ、両方なんだ。結婚生活も、いや男と女、女は愛を求める。例えばだ、子供のめんどうを見る、皿を洗う、風呂を沸かす、洗濯物をたたむ、むろんそうした実際のことがらもシェアしなければならない、でもそれだけではないのである。よくある構図、おれは働いてるけど、家のこともやってるやん、何が不満なんか?との男の主張、しかしそうした家事への協力をイヤイヤやってるなら、それは女に見透かされているのである。あんまりできないでごめんな、おまえばっかり苦労させているな、ありがとうな、そういう心のこもった言葉や、言動の背後にある愛情を女は感じ求めているのである。これ真理ですよね。オレも遅まきながら文化庁時代にそれを突きつけられ、思い知ることになるが、しかしコペルニクス的には改善せず、いまもいろいろ文句を言われる。前に比べたらだいぶよくなったけどね、とは言われるが、今日、改めて認識させられた。
◆そういう男と女がこの世にいるのがいいんだと思う。どうなんでしょう、国会議員は定数を削減すべきだが、とにかく定員の半分を男、半分を女としてもいいのではないか。政治は論理的な側面は強いだろうが、しかし日本国のあり方を決めていく上で、男の論理では片手落ちであり、女のセンシティヴさをきちんと導入し、両者相まってコトを決めていくということがまっとうなのではないか、と思う。
◆いや~恥ずかしい話を書きました。人間としての権利を共有しながら、しかし価値基準が違うことをそのまま認めて、両方を大事にする社会を実現することが望ましいのでは。ちゃんちゃん。

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HN:
雲楽
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60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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