人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
玉1の歩み
◆まあ、専任教員が複数いて、大学院生がたくさんいる大企業に比べると、うちは院生1人、学部生数人の零細企業なので、こんなペースだ。本格化したのは10月くらいだから約1年半だ(3月末には本作りとしては決着していたので)。
2009年
◆09月24日 岡村印刷にフォントについて確認。埴輪図レイアウト直し、通し番号振り、文章の実測図番号を通し番号に変換。新たなマスターで第1章と第2章をやり直す。
◆09月18日 第1章、新マスターで置き換え。測量図、等高線の手直し。
◆09月17日 坂本鏡について泉屋に電話。埴輪・土器の図面の版組み(渋谷の石枕も)。岡村印刷にインデザイン送る。有馬君に渋谷向山のデータ送る。奥田初校作成・送付。
◆09月14日 埴輪の図面組み。インデザイン入稿と見積もりについて岡村印刷と相談。
◆09日07日 埴輪の図面組み(インクトレースしたものをスキャンし、イラストレーターで版組み)の仕上げにかかる。いちいちは記さないが、9月に入り、ほぼ玉1に集中し、作業を進めている。
◆09月02日 若杉君の埴輪事実記載原稿到着(遅い!)。下垣原稿2本インデザイン(校正依頼)。
◆08月31日 河内の遺跡分布図・玉手山古墳群分布図。青木・北山原稿調整(入稿前の校正依頼)。
◆08月30日 下垣君の原稿2本着。
◆08 月20日 柏原市測量図に周囲の街路を加える。近鉄地形図に大阪府調査区を記入。
◆08 月06日~19日 朝顔形埴輪の石膏入れ。
◆08 月03日 ?
◆08 月01日 埴輪の記述ラスト。
◆07月29日 埴輪の図面組続き。
◆07月22日 埴輪の図面組続き。
◆07月15日 近鉄+大阪府の図完了。埴輪のトレース図のスキャン。
◆07月11日 埴輪の事実記載ほぼ完了。
※この間、第1章から第2章、かなり手を入れる。
◆07月08日 摩湯山完了。近鉄地形図に大阪府玉1測量図をはめ込む。
◆07月07日 大阪府に借りた玉手廃寺・片山廃寺の焼き付け上がってくる。
◆06月29日 摩湯山測量図のトレース、ほぼ墳丘部は終了。
◆06月22日 近鉄不動産の地形図トレース完了。摩湯山測量図のトレースにかかる。
◆06月15日 大阪府の玉1測量図のトレース完了。近鉄不動産の地形図トレース。
◆06日08日 渋谷向山(トレンチ記入・縦横断面図作成)ほぼ完了。近鉄不動産の図トレース。
◆06月03日 近鉄不動産の地形図の合成・トレース開始。
◆05月25日 渋谷向山の測量図トレース(ほぼ全体図は完了)。玉手廃寺の原図合成。
◆05月20日 玉手廃寺の原図合成。
◆05月11日 渋谷向山の測量図のトレース。
◆05月08日 府調査事務所で玉手山関係の図面とネガをかり出す。玉1の測量原図が見つかる。また、近鉄不動産が開発前に作成したと思われる地形図の青焼きもあった。
◆04月27日 渋谷向山古墳の埴輪、トレース。完了。渋谷向山の測量図処理にかかる。
◆04月20日 渋谷向山古墳の埴輪、版組み、トレース。
◆04月18日 製塩土器の検討。
◆04月13日 1/500成果図、側面図を含めて完了。
◆04月06日 1/500成果図作成続き、柏原市調査区も東側面図と南側面図に投影するよう立面に入れ込む。
◆04月05日 3号墳埴輪洗いのあと、1号墳埴輪追加分実測。渋谷向山埴輪の反転。
◆04月01日 1/500成果図作成続き、平面に続き、側面図の作成にかかる。調査区立面を縦断・横断に投影。
◆03月30日 守田さんに借りた古い35㎜フィルムの焼き付け上がり。1~3号墳の写った宅地開発前の側面写真あり。
◆03月28日 考察原稿2編をインデザイン編集。13トレ埴輪の記述。
◆03月25日・26日 宮内庁書陵部で渋谷向山古墳の埴輪の資料調査(3)。
◆03月16日 1号墳の測量図に、発掘座標にしたがって各調査区を落とし込んだ1/500図を作成する。
◆03月15日 埴輪以外の弥生土器・土師器・須恵器・製塩土器・瓦などの整理を再開した。
◆03月11日 1号墳・2号墳の墳丘測量図の作成(2基合成1/1000,1号1/600,2号1/500)。これまでの挿図をすべてインデザインに組み込み、第1章~第3章までを更新する。
◆03月07日 埴輪の事実記載の原稿。
◆03月04日 渋谷向山古墳の埴輪製図完成(1頁大2枚)。
◆03月01日 世界測地系にもとづく基準点測量。
◆02月24日 渋谷向山古墳の埴輪製図着手〔所〕。
◆02月04日 13トレ関係挿図完成(1/50,中段1/25,下段1/10)。奥田尚氏の挿図作成。河内平野の地形図修正。
◆02月03日 北山峰生氏の石枕の考察原稿が届く。
◆01月28日 13トレ関係の挿図作成。
◆01月21日 13トレ関係挿図着手。
◆01月14日 河内平野の地形図。
◆01月12日 奥田尚氏の原稿届く。
2008年
◆年末、図版写真の焼き付けが完了する。
◆12月25日 大阪府教育委員会埋文事務所で、玉手山関係の図と写真を閲覧する。
◆12月15日 13トレの原稿とイラストレーターのデータ届く。青木君の白色円礫の考察原稿が届く。
進捗状況をメールで配信。
※この間、作業を進めてきましたが、ブログを更新していませんでした。すいません。
◆10月24日 墳丘復元案を作成する。
◆10月23日 過去の調査、柏原市分の原稿をまとまって書く。
◆10月22日 第14トレンチ・第15トレンチの調査区挿図(1/50)。第10トレンチのデジタルトレース、座標・標高等の仕様を定める。
◆10月17日 図版割り付け完了(遺物写真をのぞいて)。カラー4プレート、モノクロ33プレート。
◆10月16日 図版キャプション入力・図版目次作成。
◆10月15日 調査区挿図(1/50)をデジタルトレースすることとし、本日から作業開始。第10トレンチから。
図版掲載の発掘写真焼き付けの準備。
◆10月08日 写真図版のレイアウトをインデザイン上で進める。墳丘写真、後円部調査箇所まで完了。
◆10月07日 『玉手山1号墳の研究』ファイルを作成。 現在までに集まっている(途中のものを含む)原稿の整理。
◆08月10日 世界測地系でのGPSによる基準点を業者により設置する。
◆06月06日 渋谷向山の過去の調査について、原稿をまとめることが了解される。
◆06月06日 大阪府教育委員会に府教委調査時の記録類の探索を依頼。
オオヤマトの見学会
◆前から企画していた、うちの考古学の学生との見学会をオオヤマトでやった。06月05日土曜、天気良く、暑かっ
た。3回生3人、院生1人と、計5人だった(2回生は参加なし)。
◆前日、18:00から資料を作り始めた。こんなパンフを作るのを学生にやらせるのも勉強なのだが、参加した3回生は、今年度になってから考古を志望するようになり、むろん歓迎すべきなのだが、前年度の学生が卒業して途切れ、連続的な継承ができない状態なので、今年度から体制を新たに構築中というところである。前年度は、毎週木曜日に研究会を開催し、土曜日には作業を行い、定型的な体制ができあがっていたのだが、今年度はまだそこまでいってない。一緒に酒を飲んで親しくなるところから始めている状態だからだ。
◆9:30近鉄天理駅集合、結局、車で行くことにした。まず赤土山古墳。整備されたばかり。ほかもそうだが、こ
の3月にまとめて説明看板を天理市が設置したみたいで、きれいな看板がそちこちに立っていた。
◆そのあと石上神宮、みんなニワトリの写真をとる。それから天理教本部、宗教都市を見せる。参考館。ここで既に13:00に近くなる。
◆お昼を食べて、西山古墳。まあでかい。それから塚穴山古墳。けっこう、みなさんに感激してもらった。そりゃ立派な石室だ。いったい誰の墓なんでしょうね。3次元計測をやってもいいかなと思った。
◆そのあと西乗鞍。すごいわ。あの高さは尋常じゃない。物部のアラカイではないかと思った。で、東乗鞍。25年ほど前に来たことがある。狭い入り口から石室に入った記憶がかすかにある。
どっから入るのかわからず、時間も押しているので飛ば
そうかと思ったが、照屋さんが「行きたい」というので、たどり着く。なんとか石室の入り口に到着するが、これは女の子3人にはきついな、と思ったが、そこに業界人2人が現れ、懐中電灯をもってやってくる。1人が案内人で、1人が案内されている。会話からすると近畿ではないように思う。その人の案内があり、明かりもできたので、5人、みな斜面をずりずりと石室に入る。そこには阿蘇ピンク石の古い家形石棺が、25年前と変わらずにあった。思いもよらず、みな感激の声。塚穴山といい、東乗鞍といい、こっちはどういう反応が返ってくるか、まったく未知数だったが、よかった。
◆それから西山塚と西殿塚、でもう16:00なので、黒塚展示館と桜井市のセンターの展示室に行き、17:00後、
大神神社、そっから、遺跡をまだ見るならそれもできると、移動する。桜井市のセンターにたどり着いたのは16:45で既に電灯を消していたが、15分見せてと頼み込むと、出てきたのが岩崎君で、親切に解説してもらった。
◆大神神社にお参りし、そのあと車で箸墓のまわりをまわり、約束したかき氷をおごる。
◆そのあと、河内国分に戻り、車をおいて、あじときちりで飲み会。いや~、みなさん、よく呑み、よく食べる。楽しかった。
◆まあ、うちの中世史のように院生がたくさんいて、しっかりと事前勉強をやって資料集を作り、というのもうらやましいが、こっちはそうはいかない。別に資料がなくってもいい、大事なのは現地を見ること、ほとんど遺跡を見て回ることのない学生たちを連れ出し、とにかく遺跡をみてまわることそのものが大事だ、ということを改めて思った。準備が・・・と思って滞るよりも、月1回、気軽に出掛けることにしよう。
◆前日、18:00から資料を作り始めた。こんなパンフを作るのを学生にやらせるのも勉強なのだが、参加した3回生は、今年度になってから考古を志望するようになり、むろん歓迎すべきなのだが、前年度の学生が卒業して途切れ、連続的な継承ができない状態なので、今年度から体制を新たに構築中というところである。前年度は、毎週木曜日に研究会を開催し、土曜日には作業を行い、定型的な体制ができあがっていたのだが、今年度はまだそこまでいってない。一緒に酒を飲んで親しくなるところから始めている状態だからだ。
◆9:30近鉄天理駅集合、結局、車で行くことにした。まず赤土山古墳。整備されたばかり。ほかもそうだが、こ
◆そのあと石上神宮、みんなニワトリの写真をとる。それから天理教本部、宗教都市を見せる。参考館。ここで既に13:00に近くなる。
◆お昼を食べて、西山古墳。まあでかい。それから塚穴山古墳。けっこう、みなさんに感激してもらった。そりゃ立派な石室だ。いったい誰の墓なんでしょうね。3次元計測をやってもいいかなと思った。
◆そのあと西乗鞍。すごいわ。あの高さは尋常じゃない。物部のアラカイではないかと思った。で、東乗鞍。25年ほど前に来たことがある。狭い入り口から石室に入った記憶がかすかにある。
◆それから西山塚と西殿塚、でもう16:00なので、黒塚展示館と桜井市のセンターの展示室に行き、17:00後、
◆大神神社にお参りし、そのあと車で箸墓のまわりをまわり、約束したかき氷をおごる。
◆そのあと、河内国分に戻り、車をおいて、あじときちりで飲み会。いや~、みなさん、よく呑み、よく食べる。楽しかった。
◆まあ、うちの中世史のように院生がたくさんいて、しっかりと事前勉強をやって資料集を作り、というのもうらやましいが、こっちはそうはいかない。別に資料がなくってもいい、大事なのは現地を見ること、ほとんど遺跡を見て回ることのない学生たちを連れ出し、とにかく遺跡をみてまわることそのものが大事だ、ということを改めて思った。準備が・・・と思って滞るよりも、月1回、気軽に出掛けることにしよう。
十河さんの河内大塚山、安閑未完陵説について
◆これまた大歴ネタだが、第3回立ち入りの『ヒストリア』の報告記事をなんとか書いた。で、立ち入り前の自分の見解、立ち入りの結果報告に加え、十河さんの重要な研究成果を紹介した。
◆やっとちゃんと十河さんの論文を読んだが、これはやはりスゴイ。明日の授業でも取り上げることにしたが、文献では意見が分かれ、議論が出尽くし、平行線の感がある「辛亥の変」について、考古学が決定的な根拠を提示するものだからだ。今後、文献における、継体朝から欽明朝への転換の議論において、十河さんの論文を無視しては話は進まないだろう。なので、なにがなんでも6月号に間に合わせ、十河さんの論文を紹介しようと思っていたが、なんとか書いた。反応が楽しみである。と同時に、こうした重要な研究を、十河さんには、改めて『ヒストリア』でまとめてほしいと思う。ちょっと水を向けてみよう。文献史の連中をハッとさせる必要がある。
◆『ヒストリア』記事のなかで、自分のオリジナルといえば、そういう十河さんの研究からすれば、辛亥の変とは、安閑の殺害なんではないかと思う。とはいえ、百済王暦やそんな細かいことはオレには無理だし、考古学では扱えない。しかし、事実は、今城塚は埴輪が配列され、慶長地震で石室は吹っ飛んでいるとはいえ、埋葬が完了している。それに対し、300mを越える巨大前方後円墳の築造に着手し、埴輪も準備され焼かれながら、供給されずに終わったのであるから、大塚山古墳へ葬られるはずの人物、それが安閑なのだが、それが最終的に、大后とともに高屋陵に合葬されたことからすれば、継体没後、大兄である安閑が即位したが、蘇我に排除された、というのが事実なんだろう。『百済本紀』の記事の関係や年代論のような細かいことの整合性はよくわからんが、まあそれは餅屋に任せればよい。それよりも、日置荘西町埴輪窯の研究、大塚山古墳が供給先であることなど、考古学的な追求を進めた十河さんの研究がよほど重要である。
◆やっとちゃんと十河さんの論文を読んだが、これはやはりスゴイ。明日の授業でも取り上げることにしたが、文献では意見が分かれ、議論が出尽くし、平行線の感がある「辛亥の変」について、考古学が決定的な根拠を提示するものだからだ。今後、文献における、継体朝から欽明朝への転換の議論において、十河さんの論文を無視しては話は進まないだろう。なので、なにがなんでも6月号に間に合わせ、十河さんの論文を紹介しようと思っていたが、なんとか書いた。反応が楽しみである。と同時に、こうした重要な研究を、十河さんには、改めて『ヒストリア』でまとめてほしいと思う。ちょっと水を向けてみよう。文献史の連中をハッとさせる必要がある。
◆『ヒストリア』記事のなかで、自分のオリジナルといえば、そういう十河さんの研究からすれば、辛亥の変とは、安閑の殺害なんではないかと思う。とはいえ、百済王暦やそんな細かいことはオレには無理だし、考古学では扱えない。しかし、事実は、今城塚は埴輪が配列され、慶長地震で石室は吹っ飛んでいるとはいえ、埋葬が完了している。それに対し、300mを越える巨大前方後円墳の築造に着手し、埴輪も準備され焼かれながら、供給されずに終わったのであるから、大塚山古墳へ葬られるはずの人物、それが安閑なのだが、それが最終的に、大后とともに高屋陵に合葬されたことからすれば、継体没後、大兄である安閑が即位したが、蘇我に排除された、というのが事実なんだろう。『百済本紀』の記事の関係や年代論のような細かいことの整合性はよくわからんが、まあそれは餅屋に任せればよい。それよりも、日置荘西町埴輪窯の研究、大塚山古墳が供給先であることなど、考古学的な追求を進めた十河さんの研究がよほど重要である。
大歴の現地見学検討会
◆5月29日、伏見城で見学検討会をやった。朝、桃山御陵前で参加者を待っていると、ぞくぞくと人が集まって
くる。せいぜい100名、だが、資料は150刷っておこうと、前日の晩、作成したが、それは集合時間の10:00よりも20分前にはなくなった・・・。結局、250参加、午後は270という。
◆それからが大変。資料はないし、会場の呉竹のキャパは120くらい。車で行ってたので、四条烏丸のキンコーズに走り、資料を100部増し刷り発注、それから呉竹にとって返し、会場の相談。椅子を後に60ほどならべ、前のほうにゴザを敷いて、床に座ってもらうことに。立ち見がそれでも出たが、おおむね収容した。
◆おそるべし伏見城である。見通しが甘い。それでも資料がまわらなかった人に記帳してもらい、後日、60部を送った。
◆翌月曜日の委員会で、こうした学会の現地見学検討会は、伏見城は特例としても、学会と市民をつなぐ重要な手段であり、テーマ設定は人気取りでなく学術的な見地から選定する必要はあるが、きちんと宣伝して人に来ていただくことは、学会として重要な社会的活動だ、これからは年2回でもいいのではと、自分の首を締めるような提案をしてみた。これは前から思っていることだが、毎度、企画に難渋することを考えると冒険だが、やっていいんではないかな。
◆それと、この会を通じて、あとの懇親会の場を通じて、伏見城プロジェクトを立ち上げる話を進めている。どこぞの学会は、一緒にやろうという誘いを断ってきた。まあよい。図体がでかくてフットワークが軽くない学会は、放っておこう。主力は中世の城郭史の人たちにやってもらうしかないが、オレは、宮内庁との話し合いや、京都府・京都市との合意形成で動きたいと思う。まあ、あんまり欲張らず、伏見城の基礎的調査を大阪歴史学会が音頭をとって数年やって、そのあとは専門家が進めたらいいと思っている。
◆それからが大変。資料はないし、会場の呉竹のキャパは120くらい。車で行ってたので、四条烏丸のキンコーズに走り、資料を100部増し刷り発注、それから呉竹にとって返し、会場の相談。椅子を後に60ほどならべ、前のほうにゴザを敷いて、床に座ってもらうことに。立ち見がそれでも出たが、おおむね収容した。
◆おそるべし伏見城である。見通しが甘い。それでも資料がまわらなかった人に記帳してもらい、後日、60部を送った。
◆翌月曜日の委員会で、こうした学会の現地見学検討会は、伏見城は特例としても、学会と市民をつなぐ重要な手段であり、テーマ設定は人気取りでなく学術的な見地から選定する必要はあるが、きちんと宣伝して人に来ていただくことは、学会として重要な社会的活動だ、これからは年2回でもいいのではと、自分の首を締めるような提案をしてみた。これは前から思っていることだが、毎度、企画に難渋することを考えると冒険だが、やっていいんではないかな。
◆それと、この会を通じて、あとの懇親会の場を通じて、伏見城プロジェクトを立ち上げる話を進めている。どこぞの学会は、一緒にやろうという誘いを断ってきた。まあよい。図体がでかくてフットワークが軽くない学会は、放っておこう。主力は中世の城郭史の人たちにやってもらうしかないが、オレは、宮内庁との話し合いや、京都府・京都市との合意形成で動きたいと思う。まあ、あんまり欲張らず、伏見城の基礎的調査を大阪歴史学会が音頭をとって数年やって、そのあとは専門家が進めたらいいと思っている。
ひさしぶりに
◆家が無線になって快適になったが、このブログの更新は久しぶりである。前は5月25日。
◆さて、菅内閣に変わりましたね。鳩山と小沢が退場した。もうひとり、うるさいのがいる。もと自民党の亀井静香だ。仙石官房長官はいいんではないですか。少なくとも平野君より人望がぜったいあるよな。
◆あしたはいよいよ玉1が納品される。楽しみだ。
◆ということで、これから少しブログを書こう(2010年06月08日)。
◆さて、菅内閣に変わりましたね。鳩山と小沢が退場した。もうひとり、うるさいのがいる。もと自民党の亀井静香だ。仙石官房長官はいいんではないですか。少なくとも平野君より人望がぜったいあるよな。
◆あしたはいよいよ玉1が納品される。楽しみだ。
◆ということで、これから少しブログを書こう(2010年06月08日)。
いくつか
◆めでたく車の3年間のローンが完済となった。で、車検だ。金がかかる。
◆ミドリ電化に行き、前からの懸案だった、家のパソコンを無線にする。快適。
◆高梨学術奨励金も採択され、3連勝となる。
◆玉手山3号墳の概報の編集も、今日でほぼ終えた。1号墳と同時にできあがりそうだ。
◆次は、牧野古墳のパンフレットにとりかかろう。A3で2つ折り、まあ1日仕事だ。
◆ミドリ電化に行き、前からの懸案だった、家のパソコンを無線にする。快適。
◆高梨学術奨励金も採択され、3連勝となる。
◆玉手山3号墳の概報の編集も、今日でほぼ終えた。1号墳と同時にできあがりそうだ。
◆次は、牧野古墳のパンフレットにとりかかろう。A3で2つ折り、まあ1日仕事だ。
田植え
◆22日、カミさんの和歌山の実家で田植えをする。岳父は80歳、小学校教諭の傍ら、家の田をずっと作り続け
ている。さすがに、本人も、まわりも、心配になり、今年は手伝ってくれと要請され、こっちも願ったり叶ったりで、前から約束していた。
◆田はもっとあるが、だんだん縮小し休ませている田も少なくなく、いまは3枚分。あわせて1反くらいという。だいたい、家族4人、どのくらいの田があれば、どのくらい米が取れて、食っていけるかも、現代のわれわれはほとんど知らない。近世史の人間はわかっていて、こないだも、江戸時代の普通の農民は、どれくらいの田をもっているのか尋ねてみたところだ。
◆だいぶ前に田植えを一度やったが、なかなか機械をおもうように操れなかった。その時は、見ちゃいられない、といった感じで、結局、義父がやったように思う。今回、前のトラウマがあっ
て、まずまっすぐに植える以前に、機械を操る練習がしたいと主張したが、結局は、まあやりながら慣れるしかないということで、こっちは、苗を置かないでいくらか練習したかったが、いきなり本番となった。まあ確かに、2回端から端へ植えてみると、もう大丈夫。簡単だった。案ずるより産むが易し、だ。
◆むしろ、植えてきた苗と間隔をあわせ、かつまっすぐに進むことが難しい。これは、轍をあわせて折り返すこと、かつボーリングのスパットと同じで目標を見定める必要がある。とはいえ、起伏のある表面に沿って進む機械は左右にも傾く。それをコントロールするには、しっかりハンドルを調整しなければならない。
◆まあしかし、あっという間に終わった。いい経験をさせてもらった。
◆田はもっとあるが、だんだん縮小し休ませている田も少なくなく、いまは3枚分。あわせて1反くらいという。だいたい、家族4人、どのくらいの田があれば、どのくらい米が取れて、食っていけるかも、現代のわれわれはほとんど知らない。近世史の人間はわかっていて、こないだも、江戸時代の普通の農民は、どれくらいの田をもっているのか尋ねてみたところだ。
◆だいぶ前に田植えを一度やったが、なかなか機械をおもうように操れなかった。その時は、見ちゃいられない、といった感じで、結局、義父がやったように思う。今回、前のトラウマがあっ
◆むしろ、植えてきた苗と間隔をあわせ、かつまっすぐに進むことが難しい。これは、轍をあわせて折り返すこと、かつボーリングのスパットと同じで目標を見定める必要がある。とはいえ、起伏のある表面に沿って進む機械は左右にも傾く。それをコントロールするには、しっかりハンドルを調整しなければならない。
◆まあしかし、あっという間に終わった。いい経験をさせてもらった。
河内の葡萄栽培とワイン醸造
◆河内のあのあたりを歩いていると、葡萄畑が美しい。小さな実がつ
きはじめ、ひとつひとつ焼けないように紙をか
けている。ビニールは、天気がよいと、めくり上げ、風も入れてやる。
◆たぶん、営業的にも一定の採算ベースに乗っているのだろう。勝沼はだめになってきているらしいが、河内ワインはもっと大阪として支援してもいいと思う。ワインは柏原ワイン、河内ワイン、飛鳥ワイン、とどうやら大きく三つはあるらしい。こないだ飲んだのは、どれだったか。900円のロゼと白はけっこういけましたよ。こないだ、NHKのニュースでも、ヘリコプターから河内の葡萄畑を映していました。![73f374d2.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1274271748?w=150&h=112)
◆千客万来がいいわけではないが、カミさんが言うには、前にカリフォルニアの
ワイナリーに言ったとき、直営の酒場というのかレストランがあって、お客がやってきて、ワインを飲むと。そういうのを作ったらいいのにと。どこか、一面葡萄畑という景観の一等地に、そこにワイナリーがあり、レストランがあり、そこに畜産農家などもかかわって、チーズや肉やらも出し、柏原駅や国分から送迎バスを出すような、そんな一大観光地にすることもできるだろうにと。
◆つけたし、飛鳥あたりでは、畑を見ると、無数にサヌカイトが落ちている。そして、住宅地に入り、その石垣を見てると、かなりの割合でサヌカイト礫なんだ、これが。
◆もうひとつ。橋の欄干、これ通法寺に向かうところにあった。二上山なんでしょうね。なかなかいい。
◆たぶん、営業的にも一定の採算ベースに乗っているのだろう。勝沼はだめになってきているらしいが、河内ワインはもっと大阪として支援してもいいと思う。ワインは柏原ワイン、河内ワイン、飛鳥ワイン、とどうやら大きく三つはあるらしい。こないだ飲んだのは、どれだったか。900円のロゼと白はけっこういけましたよ。こないだ、NHKのニュースでも、ヘリコプターから河内の葡萄畑を映していました。
◆千客万来がいいわけではないが、カミさんが言うには、前にカリフォルニアの
◆つけたし、飛鳥あたりでは、畑を見ると、無数にサヌカイトが落ちている。そして、住宅地に入り、その石垣を見てると、かなりの割合でサヌカイト礫なんだ、これが。
◆もうひとつ。橋の欄干、これ通法寺に向かうところにあった。二上山なんでしょうね。なかなかいい。
近つ飛鳥まで歩く
◆5月16日、近つ飛鳥の展示を見に、家からカミさんと歩く。出発は遅く11時。自宅から駒ヶ谷へ抜け、竹之内
街道に沿って飛鳥へ(写真は飛鳥川)。
◆まず駒ヶ谷の杜本神社へ。もとは、飛鳥戸氏を祭る神社とか。その参道沿いに寄附者の名前。これがおもしろい。金銅さん、真銅さん、麻野さん、この3つが有力。それにしても、金銅さん、真銅さんって、いったい・・・。古墳時代に金属加工をしていたのかな~、なんて想像する。
◆飛鳥、観音塚古墳に立ち寄り、途中で飛鳥戸神社による(写真)。前から行ってみたかったところだ。岸俊男だったか、編戸が渡来人に始まるのではという見解のもとになったもの。そして百済の昆支を祭り、息子の東城王はここ河内で育ち、百済王となる。東城王は殺害され、異母兄の武寧王が百済を中興する。いま住む人の血筋をさか
のぼると、百済王室にまでたどりつくかも。いまはちっちゃい、実にちゃちい神社だが、韓国の人が訪ねてきた新聞記事が貼ってあった。ところで、飛鳥戸神社の寄附者一覧によると、飛鳥では仲村さんばっかり。仲村トオルはここの出身だったりして。ちがうか。
◆で、地図を持たず太子町に突入し、用命陵のところを南下して、と思ってたら、道を間違い、結局、敏達陵のある西側に出てしまい、近つへ。驚いた。駐車場があふれている(写真)。きっと講演会なんやで、水野先生とか・・・、といってると、ほんとうにその通りであった。ハヤシライスを食べて特別展を見る。なにがよかったかな。並んでるのは、ケイ甲に馬具に、似たようなもの。似たようなものであるところに意味があるんだろうが。石人と石馬がよかったかな。図録もいろいろ勉強になりました。![13854225.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1274270727?w=150&h=112)
◆帰りも歩きを選択。通法寺跡。源頼なんとか(義家の父)の屋敷は、八幡宮の西だったかな。河内源氏の本拠の発掘調査はどこまで進んでるんだろうか、ちょっと調べてみようと思った。通法寺は前に、御嶺山古墳を探し回ったときに立ち寄ったが、墓はなんか谷間の暗~いところで、気味悪い、くらいの印象を受けたが、羽曳野市にとっては、大きな歴史遺産が眠っていると言える。
◆そして壺井八幡神社に寄ってから、国分に戻り(19時)、酒屋で地元のワインを2本買い、今日はイタリアンということで楽しくやりました。歩きすぎて、足が痛い。
◆まず駒ヶ谷の杜本神社へ。もとは、飛鳥戸氏を祭る神社とか。その参道沿いに寄附者の名前。これがおもしろい。金銅さん、真銅さん、麻野さん、この3つが有力。それにしても、金銅さん、真銅さんって、いったい・・・。古墳時代に金属加工をしていたのかな~、なんて想像する。
◆飛鳥、観音塚古墳に立ち寄り、途中で飛鳥戸神社による(写真)。前から行ってみたかったところだ。岸俊男だったか、編戸が渡来人に始まるのではという見解のもとになったもの。そして百済の昆支を祭り、息子の東城王はここ河内で育ち、百済王となる。東城王は殺害され、異母兄の武寧王が百済を中興する。いま住む人の血筋をさか
◆で、地図を持たず太子町に突入し、用命陵のところを南下して、と思ってたら、道を間違い、結局、敏達陵のある西側に出てしまい、近つへ。驚いた。駐車場があふれている(写真)。きっと講演会なんやで、水野先生とか・・・、といってると、ほんとうにその通りであった。ハヤシライスを食べて特別展を見る。なにがよかったかな。並んでるのは、ケイ甲に馬具に、似たようなもの。似たようなものであるところに意味があるんだろうが。石人と石馬がよかったかな。図録もいろいろ勉強になりました。
◆帰りも歩きを選択。通法寺跡。源頼なんとか(義家の父)の屋敷は、八幡宮の西だったかな。河内源氏の本拠の発掘調査はどこまで進んでるんだろうか、ちょっと調べてみようと思った。通法寺は前に、御嶺山古墳を探し回ったときに立ち寄ったが、墓はなんか谷間の暗~いところで、気味悪い、くらいの印象を受けたが、羽曳野市にとっては、大きな歴史遺産が眠っていると言える。
◆そして壺井八幡神社に寄ってから、国分に戻り(19時)、酒屋で地元のワインを2本買い、今日はイタリアンということで楽しくやりました。歩きすぎて、足が痛い。
パソコンと複合機
◆科研と福武で研究費は潤沢。で、バイトも4人使っている。福武は、陵墓を全部デジタルトレースし、キャドデー
タにし、3Dを作り、3Dプリンタで模型を作るというもの。ちょっと1年では無理かもしれないが、いいところいくだろう。
◆で、パソコンを新しくした。ウィン7で、64ビット。すこぶる早い。イラレでもインデザインでも、クリックすると、すっと立ち上がる。だが64ビットの弊害は、これまでの機器があわないのだ。ドライバーは、ウィン7用も出ているが、32ビットで、64ビットはなかったりする。で、カミさんが、周辺機器も新しくしたら、というので、カラーレーザ、スキャナ、ファックスの複合機を買った。これに書類のPDF化のためにスキャンスナップを入れていたので、すべて1台となる。スキャンが300dpiなので、報告書用は前のをまだ使わなきゃならないが。![002.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1274268110?w=150&h=89)
◆今日の授業用に、昨日、スキャンをしていて、めっちゃ快適でした。進化したものだ。こうして、前のデスクトップは、バイト用とし、各種調査データは、すべてそこに放り込んで専用機にした。こうした分化もすごい合理的。あっちこっちに調査データが分散していたが、すべて前のデスクトップに、遺跡ごとにフォルダを作り整理した。いましばらく、新環境に慣れるまで、あっちのパソコンにいったり、難があろうが、全体としてすこぶる快適だ。
◆ちなみに、下の画像が、試験的に行ったメスリの3Dデータによる石膏模型だ。これについては、京都大学工学研究科の援助をえている。データを渡してやってもらったが、測量業者のキャドデータで、そのままいかなかったらしく、さわっているうちに、反転したらしい。それと色もつけていて、彩色されるはずだが、色の乗せ方が、そのままではだめらしく、いまは無地。これも改良を加えていこう。、
◆で、パソコンを新しくした。ウィン7で、64ビット。すこぶる早い。イラレでもインデザインでも、クリックすると、すっと立ち上がる。だが64ビットの弊害は、これまでの機器があわないのだ。ドライバーは、ウィン7用も出ているが、32ビットで、64ビットはなかったりする。で、カミさんが、周辺機器も新しくしたら、というので、カラーレーザ、スキャナ、ファックスの複合機を買った。これに書類のPDF化のためにスキャンスナップを入れていたので、すべて1台となる。スキャンが300dpiなので、報告書用は前のをまだ使わなきゃならないが。
◆今日の授業用に、昨日、スキャンをしていて、めっちゃ快適でした。進化したものだ。こうして、前のデスクトップは、バイト用とし、各種調査データは、すべてそこに放り込んで専用機にした。こうした分化もすごい合理的。あっちこっちに調査データが分散していたが、すべて前のデスクトップに、遺跡ごとにフォルダを作り整理した。いましばらく、新環境に慣れるまで、あっちのパソコンにいったり、難があろうが、全体としてすこぶる快適だ。
◆ちなみに、下の画像が、試験的に行ったメスリの3Dデータによる石膏模型だ。これについては、京都大学工学研究科の援助をえている。データを渡してやってもらったが、測量業者のキャドデータで、そのままいかなかったらしく、さわっているうちに、反転したらしい。それと色もつけていて、彩色されるはずだが、色の乗せ方が、そのままではだめらしく、いまは無地。これも改良を加えていこう。、
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。