人を幸せにする人になろう

吉川弘文館の仕事に飽きた

◆史跡の一覧表に手を入れているが、これがなかなか大変(時間がないという理由で、そのままええかげんな遺跡解説を載せることに反対し、結局、省略することになった)。予定では、5月17日念校で、21日校了、27日印刷c3212c89.jpg完了とある。が、オレの仕事の遅れからずれ込んでおり、必死で挽回しようとしている。最終校正は来週月曜日、これで終わりだ。
◆校正といえば、玉手山1号墳の校正がやっと出た。もはや読む気力はない。図など、致命的なミスだけ点検し、ただちに印刷にかかってもらおう。
◆『市大日本史』第13号も5月14日に無事に刊行された。いまは玉手山3号墳の概報をやっているが、来週の月曜日にはほぼ、完了するだろう。これもただちに印刷。で、昨日から、摩湯山古墳の編集に取りかかった。測量図のトレースは、所さんがこないだ完成させてくれた(右)。で、前からやってた墳丘写真の図版についての、インデザイン編集を、我慢できずにやったわけだ。ホントは、前から決めてある構成にしたがい、執筆予定者に原稿依頼をちゃんとやるのが先決だが・・・。まあ、来週やね。
◆そんなんで、ちょっとイヤになったので、いまからブログをまとめて書こうと思う。カミさんは、こないだの一連のブログを見て、そんな暇があるならハヨ帰ってこい、と。しかし、たいがいは、自宅で深夜やっているのです。でも、今日は、いまから大学で・・・。

さらにヨーロッパと日本

◆もうひとつ前から思っていること、ヨーロッパは、第1次世界大戦の戦場となった。戦災もある。だが、基本的には、ゆっくりと変化してきたと思うのだ。それに対して、日本の戦後の激変、これがよくない。
◆パリもさっき言ったように300万人だ。地方都市もあり、そして田舎がある。町が異様に肥大化することなく、つまり田舎からの人口流入がなく、中世以来、ゆったりと経過している。むろん産業革命期の変化は大きかったであろうが。
◆日本はどうだ、大都市、地方都市、田舎、その点はおなじだが、都市部への人口集中が極端に進み、田舎が疲弊している。この差はなんなんだろうか。人口の差もあるんでしょうね。ヨーロッパ諸国は数千万人だから。地勢もあろう。日本は山がちで平野部に人々が集中する。ヨーロッパでは、アルプスはあるが、山は少なく(たぶん)、丘があり盆地がある。そうしたところに分散的に住んでいる。
◆都市の方が快適で、収入もあろうが、田舎が維持されるのはなんでだろう。これは是非研究して欲しい。
◆で、極端論に戻る。江戸時代の江戸の人口が何人だったか知らないが、100万人くらいだろう。だが、それが1300万人という。1300万人といっても、東京都区部なんでしょうね。千葉、埼玉、川崎、横浜と、切れ目なくひとつづきの市街地である。こんな人口集中が起こったら、住む場所は必要で、山野はずたずたにされ、景観は一変する。しかもそれは戦後だ。近代以降の変化も大きいが、戦後の上昇の角度は著しい。短期間での激変・・・ゆっくりと、旧市街の外に徐々に町ができていき、といった通常の経過をたどらない。むろん地理的平面位置としてはそうだが、当然、無秩序な乱開発だ。
◆極端はよくない、新しいものが生まれても、それをゆっくりと受け入れ、徐々になじんでいく、という歩調をとることが望ましい。いましかし、中国が、この極端な社会変革が進行中だ。

和歌山線はもういちど

◆今回、和歌山線は夕暮れから夜だったので、車窓から外を眺めることができなかった。なので、もっかい、やらねばならん。
◆笠田駅というのがある。カミサンの実家に行くとき、京奈和の高野口でおりて、笠田まで行き、南に折れる。笠田は、そう、荘園絵図で有名な(キヘン+上・下)田荘なんだな。和歌山って、柳田国男のなんとか論ではないが、古い地名やそんなのが残っているので、驚く。たとえば、神社名で、丹生官省符神社というのがあるんですよ。世界遺産になってるけど。むかし大学時代に和歌山の後輩がおり、そいつの言葉に驚いた。なんだっけか、「あが」だ。「あがのなになに」て自分のなになに、ということですよね。我?吾?、ともかくも、そんな言葉が残っている。
◆和歌山が周辺部というのは事実だ。突帯紋土器は残るし、Ⅴ様式も残るし。でもバカにしてるんじゃないですよ。そういう、和歌山こそ、ほかで失われたものが残っており、それが今日的な価値になりうるんだ、ということ。

東岸和田・東貝塚・東佐野

◆東岸和田駅は知っていた。前に泉佐野の資料館に行くとき、最寄り駅まで行き、歩いたことがある。なかなかたいへんだった。なので、ほかの駅も通過していたに違いないが、ぜんぜん意識していなかった。今回、東貝塚という駅があるではないか、東佐野という駅があるではないか。なんで全部、東がつくの。
◆東岸和田は、南海の岸和田駅に対して東にあるから東岸和田なんだろうとは思っていたが、それは岸和田の話だと思っていた。だが、そうじゃない(そうではあるが)。
◆結局、まず南海本線が通ったのだろう。泉州の主立った町を貫いて。で、現阪和線があとから東側にできた。岸和田でも貝塚でも泉佐野でも、位置的に東であるし、東のつかない駅名はすでに南海の駅でつけられているのだ。そんなこと常識なんだろうが、はじめて知った。ちゃんちゃん。

堺の環濠内はいいよ

◆前にも2部のハイキングで堺をめぐったことがある。今回、阪堺電車で南に下る。おりていないので、ハイキングの時の感想を書く。堺は国道26号線など、車がびゅんびゅん走る大形幹線道路が通る。だが、堺の環濠内の阪堺電車の通る大路は、道は立派だが、交通量は少ないでしょ。ちんちん電車が信号で止まって脇を見ても、止まっている車は2台、だったりする。かつての町屋がそのまま住宅地であり、古くからの店など、要するに、やっぱり歴史的に町として継続しているのだ。
◆そして静かなんです。これハイキングで歩いたときの感想、ちょっと横へそれれば、東西ともガンガン車が通っているが、中にはいれば、いたって静穏なのです。こんなところに住みたいものだ。
◆堺市も、かつての環濠を活かした都市計画をすればいいのに(既にやってる?)。一朝一夕にはいかないが、住宅地としての規制をかけ、環濠については、長期的に復元していく。すこしずつすこしずつ。そして、千利休も、与謝野晶子も、鉄砲鍛冶も、刃物も、黄金の日々の、歴史的遺産だ。今回、いくつかパンフレットを手にしたのだが、堺は地味なんだ。歴史にはコトかかないが、歴史的建造物などは、これもすっかり戦災で失ってしまったからなんだろう。だが、これからでも、歴史を活かした町作り、あるいは町おこし、ができると思う。過去の建物はなくなったかもしれない、それを今から作ってはどうだろうか。極端なことを言えば、全体を文化財として、すべて平屋、瓦葺きとし、往事の町並みにしてしまう、ということだって考えていい。映画のロケ地にもなるだろう、観光地ににもなるだろう、そんな町に住むことが誇りになり、積極的に歴史的景観を作り出すことに進めば、とも思う。簡単ではないが、200年くらいかかって、そこにもっていくことは可能だと思う。

信仰

◆住吉大社は面白かった。なにが。その1。囲形埴輪を見た。d4a204d8.jpg祭殿というんだろうか、本殿というのか、神社のことはわからんが、それを囲う柵塀があり、それは板材を立て並べたもので、その頂部が三角形に切ってあるのだ。これ、囲形埴輪そのものではないか。
◆たぶん、古墳時代以来の様式なんだろう、と確信した。巫女さんが頭に冠を被っているのも興味深い。
◆タイトルは、熱心に参拝する人がいることへの驚き。こっちは無宗教で、無信心で・・・とはいえ、おみくじは好きだが、とにかく大阪に来てから、古い寺社に、ほんとうに心から拝んでいる人を見ることが多くなり、新しい発見で、とてもびっくりである。
◆生駒の宝山寺、信貴山のなんとか、石切神社、とにかく、信心深いというのか、いろんなことをかかえていて、それを寺社にお参りして、祈願している姿が、なにか新鮮である。名所旧跡だから行くのではなく(オレはそうなんだが)、地元周辺の人々にとって生きている存在なのだ。

どんどんと

◆どんどんと書きたいことが湧いてくる。こないだから思っていること。パリと京都、これに対する大阪だ。パリの町は美しい。300万都市。東京は1300万人で人が住みすぎ。だけどパリは盆地なので、おのずから範囲は決まっている。京都と同じだ。
◆しかし言いたいことは別。京都の町はふるい歴史的景観が、まだ残っている。町屋が大事にされ、若者も好んで空き家に住み着く。古い寺社のみならず、町に魅力がある。だから世界的な観光地だ。だが、大阪は違う。
◆なんでか、ということについてだ。大阪の人間が古いものを好まず、無秩序にどんどん勝手に家やらビルを建てたから、ではない。空襲で丸焼けになって、戦前の町がなくなったからだ、というのが主張だ。それだけではないだろう。京都の歴史はそもそも長い、そして、さらに戦災を免れた。それに対して東京や大阪は、近世以来の発展、近代化で、どんどん変わっていった、ということはあるだろう。
◆だが、そうではあっても、戦災がなければ、もうすこし違う形で展開してきたに違いない。例えば大阪の市街地が、戦災後、どれだけ人が入れ替わったかは知らないが、江戸時代から続く町、近代化、戦災がなければ、もうすこしゆったりと変化しているはずだ。そこに住む人は時々入れ替わりながらも、それは落ちぶれた場合であって、基本的に人は同じ所に住む。それが続いていて、町も、そこに住む人も継続していれば、激変はなかったに違いない。
◆だが、大阪の町は焼け、リセットされた。よーろっぱの、例えばパリの、石造りで、300年前、もっと古く建てられた建物が今も現役であるのと、木造家屋では確かに違う。だがそれだけではない。京都がその例になる。木造は確かに一定年限がたつと建て替える。だけど、だからむちゃくちゃになり、町の統一感が失われるわけではない。平屋の甍が続く町並みは少なくなっているだろうが、まだなお残っているし、鉄筋にになるにしても、スピードはゆっくりだし、規制もかかる。しかし丸焼けになることで、継承する町並みはなくなった。その要因が大きいだろう、と思うのだ。

瀬島龍三とドイツと日本

◆なんでそうなったか。カミサンが瀬島龍三のことを書いた文庫本を読んでいるらしい。あの人は多読・乱読。瀬島はイトチュウの社長・会長として君臨した。フジテレビで放送されていた不毛地帯のモデル。ドラマのようには美しくない。カミサンはしょちゅう言う。商社なんて・・・、と。まあそれは置いておくが事実だ。唐澤が正義感あふれる商社マンを演じようと、瀬島はイトチュウでは神様だが、あくどいことをいっぱいやっているんだろう。
◆で、瀬島はシベリアに抑留される。その時にソ連の兵士に聞かされたことだったかな。ドイツ兵も同じように捕虜となり、やはり強制労働させられる。だがドイツ兵は生活力があるんだとか。要するに茫然自失になることなく、よく働き、よく食べ、運動もして、たくましく生きる。それに対して、日本兵は、大日本帝国が負けて、茫然自失し、気力を失い、生きる活力を多くが失うのだとか。だが、なんか、生産目標などを明確に定めると、一生懸命に働くらしい。という違いをソ連兵が、ドイツ兵と日本兵を観察して指摘した、というのだ。まあ、あたってるんでしょうね。
◆個人と集団、ということ。そこから前回の米と麦の話におよんでいくことになる。本多勝一のいうメダカ社会、みんなが右を向くと右を向く日本人、というやつか。でも、どっちがいいとか悪いとかでなく、おれは歴史的に形成されてきたんだろう、と思ったわけだ。だから、そんな日本人が個人主義が発達しないのも仕方がない。だいぶ変わってきただろうし、ゆっくりと変わっていけばよい。文化なのだから。個人主義的なのが絶対善の唯一の価値基準ではあるまい。

草津線と麦

◆草津線を柘植から草津まで行き、豊かな耕地がひろがっていた。で麦がそこここに。昨年も、湖東へ行ったとき、一生懸命、麦の写真を撮った。今回、麦はまだ植えたばかりのところから、ある程度成長したものまで見たが、まだまだ緑で、黄色、そして茶色に色づいていない。
◆麦畑、とはいえ元は田だが、麦を見るには滋賀だ。滋賀はどうも意識的にやっているのだろうと思った。滋賀は豊かだ。出生率が2位だとか。いいところだ。
◆麦の話のついでに・・・。ウィットフォーゲルの話だ。話し始めると長くなるが、カミサンと、麦と米、ヨーロッパとアジアの話になった。オレは、稲作とは水利だと。個々人の田はあれ、それは順々に水を落としていくもので、水利紐帯で結ばれる共同体意識は強いと。それに対して麦畑は違う。日本の水田を裏作で麦を作るというのとは違う。西アジアは潅漑が発達しているだろうが、ヨーロッパの田園地帯は、日本でも北海道の畑地がそうだが、うねうねと自然の起伏があるまま麦を植えてある(たぶん)。ヨーロッパの水利を調べなきゃならんが(ウィットフォーゲルを読めばいいのだろう)、たぶん個々の天水利用なんだろう。自然の起伏のママだから、統一的な潅漑水路なんておそらくない。だから、それぞれが独自に水を調達するのだろう。なので、個々の経営体の独立度は高く、共同体的紐帯はむろんあるが、アジアとはまた質が異なるのだろう。
◆そんなことを主張したが、カミサンは納得しない。ほんまかいな、と。絶対そうだと平行線。なんでわかるの、オレの経験だ。チャンちゃん。ちゃんと勉強すべし。

志都美ほかあれこれ、そして敦賀

◆ふたたびプチ旅行から。和歌山線志都美駅、香芝市だ。この駅名、前から知っていたと思うが、今回、駅名を見て、ビビッとひらめくものあり。なんでしょうか。ある思いつきなんですが、いまただちに開陳するのはやめておこう。ネットでは、志都美の名の由来は拾えなかったが、少なくとも地名辞典を調べてからに9c5d7696.jpgしよう。
◆いつも小さなメモ帳をポケットに入れている。これ岡村道雄さんのマネです。で、電車に乗りながら、思いついたらメモをする。いまは、これ面白いかもと思うと、ブログネタになる、と発想する。で、今回、ここ何件かずらずら書いてきたのは、旅のまだ早い時期で、ちゃんとメモを取っていたのだ。だが、こっから先は、メモをしていないが、いまなら思い出していくつかは書けそうだ。
◆まずひとつ。三尾城はどこだろうと、ジロジロ車窓から山を眺めていた。前にこのブログでも書いた地点は、意外と低かった。これ鬼の城に比べると、ずいぶん低いな~、と。考えを改めて、もっかい検討しなきゃならん。
◆考えてみれば、こないだの旅、気比神社と住吉大社、はからずも神功・応神の旅となった。敦賀で1時間あるとわかったとき、ただちに気比神社に行こうと思った。なんで角賀の気比なのか、それは知らないが。でも行ってみると、お神籤で大吉がでたの5cf142e6.jpgはいいけれど、祭神は書いてあったが、イザホワケの名前の由来の話は、神社の看板にはなにも出てこなかった。
◆敦賀は松本零士のふるさとなのか、999やハーロック・エメラルダス、などのモニュメントがそこここにある。げげげの境港の方が有名だが。それと、いまもんじゅの再開でホットな場所であったのだった。それにしても、もんじゅ再開にあたって、透明性を訴える責任者の挨拶をテレビでついこないだ見たが、今日のニュースでは警報がなったのを報告するのが遅れたのだとか・・・。
◆敦賀って、どれくらいの人口なんだろうか。駅から町に降り立ったとき、丹後の宮津と比較した。同じくらいかな~と。だが、宮津も景気が悪いが、なんか敦賀も活気がないように思った。原発交付金に依存していては、独自の努力はしないかも、とふと思った。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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