人を幸せにする人になろう

参議院選挙の案内が来ましたか

◆昨日06月22日、選挙権ある者への封書が来ていた。で、今朝、カミさんと議論してしまう(反省)。で、これは前々からのカミさんの主張なのだが、選挙の案内を世帯主宛に送るのはやめろ、相模原市では一人ひとりに別の封書できていた、そうしてほしいというもの。
◆統計はないものか。世帯主宛に送るところ、選挙権あるものに一人ひとり送るところを塗り分けた地図が見たい。予想としては杉並区などがある首都圏など、進んでいるところは個々人で、関西はじめ多くは世帯主宛ではないだろうか。これって個人の権利をどう考えるかにかかわる象徴的なものである。なるほどと思う。
◆こうした印刷はどうしてるんでしょうね。柏原市とかそれぞれに任されているのか、府が統括しているのか。で、これを動かし変えるためにはどうしたらいいのだろうか、ということなのだが。そう簡単ではないのだろう。政府が法令で決めないと右へ倣えということにはならないかもしれない。
◆いまの世帯主に送ることの改善が一気にすすまないとすれば、次善の方法は、個人の名前が印字され、選挙の注意を書き込んだシートを人数分同封する方法、あるいは、宛先のところを、世帯主とせず、選挙権ある同一世帯の名前を列挙するスタイルか、などというところか。

なつかしい写真

◆06月20日、久しぶりに実家へ帰っていた。いつもの山陽道だが7025a1c1.JPG車がぜんぜん走って3483236d.JPGなくて、1時間半で着いた。親もエエ年やし、これからはしょっちゅう帰るようにしたい。
◆ある部屋が整理されていて、本棚を見ると山田風太郎の『八犬伝』があった。高校時代に新聞に連載していたもので、単行本化された1983年に買ったもの。上下2巻だが、下のみがあった。それを手に取ると、写真が・・・・。
◆高校のクラブの先輩で、写真部員でもあった古谷さんが撮影し、暗室で焼いたモノクロのキャビネ版8枚。いや~なつかしいわ。ようこんな写真があったものだ。というので、このなかから2枚を挙げておきたい。
◆高校2年の時のもの。1枚は撮影日時は不明だが、1980年秋か1981年冬。社会科準備室で、たつの市タイ山古墳群出土の須恵器甕を復元している。左に写っている横顔は吉井秀夫さん(当時1年生)。
◆もうひとつは、1981年1月2日に高砂市経塚山古墳の測量をしている写真。平板測量をやったのは、この時が最初である。以来30年か、やってることが変わらんね。
◆ほかにも文化祭での演劇の写真があって、がりがりの細い自分を見た。カミさんがひとこと「タケルにそっくりや」。

めでたい!吉川の本成る!

◆昨日(06月21日)、岸和田高校の埴輪の実測から戻ると、吉川弘文館の史跡で読む日本の歴史が送られてきてい5b27b35e.JPGた。まあ、めでたい。帰宅し、ファミマでチューハイを2缶買って、カミさんと乾杯した。
【追記】口絵カラーには絶対陵墓を出すまいと考えた。史跡じゃないですからね。ほんとうは、本文中でも、記述はせざるをえないが、写真とかは使うまいと思っていた。が、概説のところはやっぱり使わざるをえなかった。ほんとはそこに限定したかったが、そこで使うはずの箸墓の写真(五条野丸山も)が、プロのカメラマンの写真で商業出版では使用料を取られるので、「あの写真は使えません」と言われ、偏ってるな~と思いつつ、ほかの写真を探す時間的余裕なく任せるほかなかった。それならそれでよかったのだが、概説のあとの扉に、こっちに相談のない箸墓の写真が使われてしまった。こっちとしては概説部分には陵墓の写真を使うが、ほかでは使わない、と仕切りたかったが、それが崩れたので残念である。

摩湯山体制へ

◆少しづつ摩湯山の体制を整えていかなければならない。昨日は、岸和田高校に電話して埴輪の実測の約束をし、また岸和田市教育委員会に電話して、古い写真を見せてもらう話を詰めた。動き始めないといけないが、数週間、手をこまねいている感がある。ひとまず1年前の構成案を示しておく。角南君がまだ和泉市にいて、彼にいろいろ書いてもらうのが現実的だし、勉強にもなると思い、こっちは玉1で動けないが、進めてほしいと。だがまあ、進まん。和泉黄金塚をやっつけようと昨年少し動いたが、これも実現しなかった。菩提池西の埴輪もしかりだ。以下、2010年6月末時点の構想案を示すが、これから変わっていくだろう。いちいち直していられないので、関心ある方は、以下の摩湯山のブログをご覧ください。
my03.blog.shinobi.jp/

『摩湯山古墳の研究』
〈大阪市立大学考古学研究報告〉第5冊 (090501案,100629改訂)
【編集】 岸本+角南

第1章 序 論

(1)調査研究の目的〔岸本〕
(2)位置と環境〔山岡〕
(3)過去の調査〔白井〕
(4)測量調査の概要〔岸本〕

第2章 測量調査の成果
(1)周辺地形と占地〔山岡〕
(2)摩湯山古墳の墳丘〔岸本・関本〕 ※適宜、説明箇所で区切る
(3)馬子塚古墳〔角南〕 ※岸和田市教委の調査成果にもふれる
(4)墳丘の復元〔岸本〕

第3章 出土遺物
(1)埴輪〔所〕
(2)馬子塚古墳の遺物 埴輪〔所〕、鏡〔下垣〕、管玉〔戸根〕
第4章 和泉の前期古墳
(1)和泉の前期古墳〔角南〕
乳の岡、丸笠山、久米田古墳群、地蔵堂丸山、(二本木山)
(2)和泉黄金塚古墳
(3)菩提池西古墳
第5章 佐紀西群の検討〔統括:下垣
(1)佐紀遺跡と佐保川流域の古墳時代前期の 遺跡〔〕
(2)佐紀陵山古墳
(3)宝来山古墳
(4)佐紀石塚山古墳
(5)五社神古墳
(6)マエ塚・猫塚・丸山・瓢箪山・塩塚
※石製品〔光平〕・埴輪〔若杉〕
第5章 佐紀古墳群の時代
(1)佐紀陵山型と五社神型の前方後円墳〔岸 本〕
(2)前期後半の墳丘の発達〔藤原〕
(3)造出の出現とその意義〔角南〕
(4)前期後葉の器財埴輪編年〔所〕
(5)鰭付円筒埴輪と摩湯山古墳の年代〔廣瀬〕
※石棺論、武器、短甲、石製品も欲しいが・・・
第6章 激動の4世紀と和泉〔岸本〕

東大寺山の報告書

◆玉1を送ったからか、東大寺山古墳の報告書が送られてきた(なんか例言のところにオレの名前が入っている。なんにもしてないんだけど・・・)。作っているのは聞いていた。金関先生は、これで胸をなでおろしておられるだろう。発掘から半世紀だそうである。よかったですね。
◆ざっと見た。あんな埴輪なんですね。まあ、埋葬施設と副葬品が眼目だから、墳丘の取り扱いは、紫金山と同様、あんなもんだろう。
◆たくさんの出土品があり、容易にコトは進まない未報告資料、科研をとるなどの機会を作らなければその気にならない、始動しないというのもわかる。外部資金を取ってこなけりゃ整理もできないし、報告書の刊行もできない。だけど、そういうスタイルを取っていない者としては、なんで~と思ってしまう。東大寺山の遺物を整理したいヤツはなんぼでもこの世には存在する。別に実測賃金なんて不要ですよ。報告書の印刷製本費も、うちは0で作っている。東大寺山だって、科研に縛られるのでなく、納得のいくものを作って、売ればいいではないか、元は取れるだろう。むろん、資金があることにこしたことはないが、金がなければ何もできないわけではない。
◆前に京大考古学研究会で『岩倉古窯跡群』を刊行した。あのときの印刷費は確か200万円を越えた。おれはうち50万円を出した。氏岡さんも同額出した。販売した売り上げもむろんあったが、出資した者で考古学業界にいない者やそういうところの返金にあてた。それまでいっぱい遺物を拾ってきた先輩諸氏は、報告書を出せよというだけで、何もしてくれなかった。あれは自分の原点かもしれないね。そうした先輩に対する反発、お前らのできなかったことをしてやる、と。だが、いま研究室に岩倉の本がない。どうしたんだろう、大学の図書館に寄贈してしまったかな。ほかの報告書もしかり。自分が買ったものやもらったものなども、手元に置いておきたいものをのぞいて、すべて大学に寄贈している。個人でもっててもしゃーないからね。公共に入れといたら、100年先でも、誰かが使うかも知れない。あんまり所有欲はない。
◆自分の所の報告書が出たので、強気の発言をしました。あんまり人様のことをとやかくいうべきでないですね。カミさん曰く、謙虚になれ、と。報告書が出たことは喜ばしく、関係者の努力もむろん認めている。ウソじゃないので、誤解はしないでください。思ったことを調子こいて発言したということでご容赦下さい。

カミさんの抗議

◆なんで興福寺の地鎮の壺から魚の骨が出たことがそんなニュースになり、イカロスの太陽風を受ける一辺14mの幕が見事に開いた画像が、そんなチッコイ記事なのか、と。
◆昨日の夜、ワールドカップを見ていて、そう帰ってきたらコートジボワール戦のハーフタイムで、その間のNHKニュースだった。近畿のニュースで取り上げられるのはいい、だが、その前の全国ニュースでも、記者発表のテレビ画像を流しながら報道されているのを見て、なんで、とオレも思っていた。まあ、考古のニュースが取り上げられるのは結構だが、なぜ魚かという理由もわからず、それが何かの思想的背景があって画期的だ、というのでもないのに、へんな話である。価値基準がおかしい。それと、なんでキトラをあんなにもキャンペーンを張って朝日が記事にするのか、偏っている、とも思っていた。だが、まあ、マスコミが適正なニュースバリューの判断ができると考える方が無駄なんだろう。平城遷都1300年なんだから、キトラキトラと言わないで、奈良時代のことをこの機会にもっともっと特集する方が時宜にかなっていると思うが。
◆白石先生から書いたものを送っていただき、そのなかに読売新聞に寄稿した、高松塚の原因究明報告書に対する意見表明の記事も同封されていた。担当者の責任感については同意するが、高松塚壁画を現地にもどすことにこだわっている点には違和感がある。それは委員会で、白石先生が現地に戻すことを追及することを前提に解体を認めたという経緯があるからだが。
◆キトラに戻ると、朝日の記事が、キトラについては壁画をはぎ取る英断を下したのは大成功だった、というキャンペーンのように思えてならない。そうかもしれない。だが、これがベストだったと決めつけない方がいいと思う。間違っていたというのではない、こういう状態である以上、あのようにして救うのがベターと判断した、と判断する側は説明し、そして最大の努力をしたと。だが、それでよかったかという謙虚さもまたもっておくべきではないのか、ということだ。高松塚は大失敗、キトラは大成功で賞賛、という図式に違和感がある。

成相墓

◆牧野のパンフ、急いで作って玉1と一緒に送ればよかったと気付く。ほぼ上がっており、こっちがこれでよしとなれば終わりなのだが、ここ2週間ほど寝かしていた。A3を二つに折ったもので画像中心だから、文章を書くスペースはあまりない。牧野の石室について、最終的見解を書き込むつもりはない(最終的には書いた)。だが、自分で納得したいので、ここ1週間ほど、塚口先生の本を読み、新納先生の論文を読んでいた。
◆で、だいたい結論が出た。新納さんの見解は苦しいと思う。論理的には筋が通っているように見える。だが、新納さんの年代観でいくと、藤の木が560年代で、石舞台が570年没の稲目墓、丸山が571年没の欽明墓となるが、その間に牧野も赤坂天王山も入る、そりゃ苦しい、ぎゅうぎゅう詰めでしょ、というのが結論。だからやっぱりおかしいと(その後、新納さんからメールが来た。藤木をもっと上げることを考えておられるようだ)。
◆河内大塚山が安閑未完陵であるように、伝統的な寿墓が簡単にはなくならないであろう。薄葬が浸透する中でどこかの段階で生前造墓がなくなるのだろうが、少なくとも推古朝以降ではないか。それまではまだ生前造墓が残っていると思う。結論は、牧野は彦人が用明朝の大兄であった585年から587年の時期に着工している、580年代中頃の石室とみていいんではないか。それと、赤坂が崇峻陵である蓋然性が高いが(崇峻が即日埋葬されたとの日本書紀の記述も生前造墓の根拠となる)、587年の即位後に着工して、580年代後半の石室と考えて、牧野-天王山の関係は整合する。むろん、新納さんの言うように被葬者論が先行しているとの批判はそのまま受けよう。そして、前から考えているように馬子の石舞台は600年前後に置いとけばいいだろう。そして厩戸の墓は岩屋山式で問題はない、文殊院西はクラハシマロで640年代、それでおおむね整理可能だ。
◆生前造墓であることの論拠はもっともっと詰めなければならないが、これによって新納さんのように、下げすぎとの見解は修正が可能である。丸山についてはなお課題が残り、これが最大の問題だが、さらに検討したい。それをひとまず横におけば、上記の年代観で問題ないと思うのだ。
◆須恵器のことは少しづつ勉強している。いまは新納さんに反論できないが、そのうち、須恵器も押さえた上で、整合的なものを出したい。だがしかし、須恵器って、まあなんというか、すっきりしてない。宇野隆夫的に大づかみで、わかりやすく提示されないと、なかなか素人には手が出せない世界だ。
◆ついでに、高市皇子の三立岡墓はなぜ候補すらないんだろうか。広陵町に地名として候補地があるが、馬見ニュータウンで発掘調査が行われたはずだが、なんでないんだろう、と思う。

ワールドカップ

◆けっこう見てます。きのうのコートジボワールとポルトガルもよかったし、今日のスペインとスイスもよかった。今日は、23時に家に帰ってきたあと、カミサンとみていた。カミさん曰く、うまいから面白い、と。野球よりワールドワイドだし、国別でギリシャはギリシャ人の顔つきなのが面白い、とも。
◆なので、原稿を書くのをさぼって、けっこう見てます。

カメルーンに勝ちましたね

◆今日は勝たなきゃならん試合、よく勝った。まあ、全体的にあんまり怖くはなかった。きっちりつながれて崩されて打たれることなく、守備は機能していた。ただし、攻める方は、やっぱり正確さという点は、一流国に比べるとダメなので、支配していたといえないところは問題である。それと、いつものように、終盤になると、後に引いてきて、時々、ボールをもった者をフリーにする場面が生まれ、ピンチとなり、ひやひやする。全体として、守備が機能し、あんまり怖くなかったとはいえ、ワンチャンスで同点だから怖いものだ。
◆前回も1-0で勝っていながら、3点を入れられて初戦敗北。ほとんど覚えちゃいないが、事前の特番でああそうだったと思い出した。で、中田が出てきて、もう1点入れて終わらせる試合だったが、守備陣は守りきる考えで、そこに意識の相違が生まれたと述懐していた。
◆第2戦は、負けてもしゃーない、引き分ければ勝ち、くらいの意識で、とにかく徹底して相手をつぶして封じることに徹すればいいのでは。

イスラエルをなんとかせい

◆イスラエルがガザ地区支援船を急襲し9人を殺した。謝るつもりはないと公言した。国連が制裁決議をしたんだっけか。だけど、アメリカは反対したか、退席したか・・・、知らん。
◆で、アメリカの名物記者が、「イスラエルはパレスチナから出て行け」と言い、失言として引退したという。どこが失言なのか。誰がこの記者を責めるのか。
◆まあ、広瀬隆を読んでいるものとしては、世界の金融を牛耳っているのがユダヤ系財閥だから、刃向かえない、ということなんだろうが。アメリカの腰抜けが。北朝鮮やイランやという前に、イスラエルを制裁すべきなんだが、これを放置しているのは、戦後、なんども見てきたとおり。だからパレスチナや西アジア諸国はアメリカを信用しないのだが。
◆どうなんでしょうね。オレなんかは、世界が一度金融破綻すればいいと思っている。株券や国債やそういうものがすべてが紙きれになり、みんな終戦後のように、食っていくことから再開すればいいのにと。そしてスイスの銀行を襲撃し、預けてある金槐から証券その他すべてを強奪し、世界の金持ちを破綻させる必要がある。
◆菅内閣の支持率が60%なんだって。民主党はこれで7月11日は乗り切れるかもしれない。あんまりニュースを見ていないが、カンさんはいろいろメッセージを送っているらしい。で、防衛省、防衛施設庁の予算、思いやり予算に手をつけることを切望する。冷戦後の防衛体制の見直しをブチ挙げれば、右翼をのぞけば、国民の多数は支持するだろう。恐れることはない。これには2つの意味がある。国内の保守派からの攻撃、アメリカからの脅し、これらを恐れることなくやってほしい。

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HN:
雲楽
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男性
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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