人を幸せにする人になろう

空港

◆日航の再建のため、地方路線が廃止され、空港はあるが、廃港になるところもでるという。ダムもしかりだが、空港も無駄の極地。狭い日本に100に近い空港があるらしい。静岡も出来たし、こんど茨城にもできるという。そんなもん、いるか?。鉄道という、日本には張り巡らされた優れた公共交通機関がある。これをもっと大切にすべきです。飛行機で行った方がいいところはあって、そこは採算が取れている。
◆廃墟にするのだな。跡地利用でさらに金を投じることもない。都道府県のエゴで作った空港は、税金を投じ続けることに対して、しっかり県民の声を聞くべきだろう。
◆関西は、伊丹・関空・神戸とアホみたいに空港がある。以前に橋下が伊丹の廃止を訴えた。必要性・利便性が高いのはわかっているが、わたしもその意見に賛成した。伊丹を廃止するはずだったんじゃないのですか。関空を作る前提が変わってしまっている。

ヤンバダムと川辺川ダム

◆前原誠司はヤンバダムをどうするのかね。見モノだ。ヤンバダムは思い出深い。文化庁にいる時、おそらく情勢的には、ようやっと地元合意に達し、着工しようという時期だったんだろう。
◆関東ブロックの埋文の会議が、上野の東京文化会館で定期的に開催されていて、文化庁初年兵は出席させられる。これがけっこうキツイ。むこうは、都県のベテランたち、彼らが、当時の文化庁通知を受けてのいろんな課題について議論しており、出席しているわたしにも質問が飛ぶし、非難されることもある。こういう埋文の会議、近畿で定期的に行われることはまずない。関東は真摯に組織的に動こうとする雰囲気はあった。
◆で、ヤンバダム、群馬県だ。で対象面積も広く、埋文調査も膨大だったのだろう。群馬は高速道路もかかえ、とてもヤンバダムで人を増やせない。このダムは、埼玉や東京の利水も担い、工事費用の応分の負担をしており、埋文調査も、群馬の事業団単独でなく、合同でやれないか、埼玉や東京から人を出せないか、そういう働きかけを文化庁やってくれ、そういった話だったように思う。
◆同じ時期、例の埋文統計の担当もしており、試掘確認調査を区分するというったことも導入し、けっこう、あのときは非難されたものだ(調査項目をいきなり細かく増やしたので)。で、熊本県の試掘・確認調査の費用がベラボウで、数字の間違いかと思い、個票で確認すると、それが例の五木の子守歌の川辺川ダム工事にともなうものだった。
◆さてヤンバ、住民も反対から生活保障を条件としてようやく合意に達したあの時期、1990年代後半に撤回していたなら、土建業者はともかく歓迎されたであろうに。あれから10年。
◆この問題はどう解決するのかな。いまはコンクリートで固めた護岸も、自然に戻すために取り壊す時代ではあるが・・・。最終的には金と自然・郷土(変形しているが)のどっちをとるか、ということか。進むにしろ止めるにしろ金はかかる。それも当面はできるだけ支出を抑えるべき。だが止めて再保障するにしても金がかかる。しかし、不必要なダムを作らず、長期的には元の景観にもどしていく、どっちの価値が高いと考えるか、かな。

イエモン濃い目が薄い

◆どうでもいいことですが、イエモン濃い目をしょっちゅう飲んできた。あの渋さがよく、車を長時間運転するときは、とくにいつも2本ほど買い込んでいた。
◆だが、ここ最近、2本ほど飲んだが、なんだが濃い目でもなんでもなくなったように感じる。

文部科学省の幹部

◆この9月の連休中、文部科学省では補正予算の執行状況のヒアリングが休日を返上して行われたとの報道があった。結局、留保できる予算は10%という数字を官僚は出してきているという。
◆で、そのテレビ報道の映像を見ていると、大臣に説明している、机で対面している数名の中央に、かつて記念物課長だった山中さんが写っていた。わたしの文化庁勤務は4年間、課長は、山中、合田、惣脇の3人だった。課長補佐は、なんとかさん、なんとかさん(高松塚の会議で再会)、なんとかさん(レガシーに乗っていた)、里見さん(結婚してなんとかさんになった)、の4人だった。
◆山中さんは、平成8年通知、それから出土品の取扱いの時の課長で、大柄で、親分肌で、悪く言えばエラそうで、やっぱり出世している・・・。局長くらいになっているのだろうか。

津堂城山古墳の現地説明会10/03

◆藤井寺市の上田さんから連絡をもらい、津堂城山を掘っているから見に来てと連絡が入り、9/17朝、見に行った。下段の葺石が天場まで残り、上面テラスに埴輪列、そして中段の基底石も出ている。
◆この調査は、陵墓参考地のフェンスが北側で倒壊しそうになっており、来年度、藤井寺市が崖面の手当をした上で、宮内庁がフェンスを直すらしいが、その前の事前調査として藤井寺市が発掘調査をしているもの。
◆津堂の発掘なんて、これまで見たことがないので、たいへん感激した。

引っ越しの準備

◆この5連休、2日は神奈川でカミさんの自宅の引っ越し準備にあてようと思っていた。結婚以来のモロモロの89ecee46.jpg荷物はすべて相模大野にあるから。大阪国分の現住居での生活開始は楽ちんだった。なんにもないところから、必要なものは、こっちでだんだん揃えていったので。その前に住んでいた大阪市住吉区我孫子からの引っ越し、自分の荷物は、机とベッドのみだった。そういうわけで、国分に来たときと違い、今回の相模大野を引き払うことは大変な作業となる。
◆ETC割引があるので、家族4人が高速道路で異動すると、メチャ安く済む。今回は、後半は大阪に戻る予定なので、土曜日の1700に出て、その日のうちにたどりつき、日曜日、月曜日と、4人で作業。で、火曜日の05:00に相模原を出て昼に大阪に戻った。
◆子供2人も大きくなり、しょっちゅう脱線しているとはいえ、労働力になるのはありがたい。基本は、「どうしても取っておきたいもの以外は捨てる」。とはいえ、大きな家具には愛着がある。しかし、なるべく身軽にすること。最終は10月末引き払いになりそうなので、何回かはさらに行かなければなるまい。
◆それに比べると、大阪の引っ越しはまだ荷物は少ない。が、国分に来たときに比べると、だんだんと荷物も増えているので、それなりの労力がいる。新しく移るところは、河内国分のなかでの異動で近距離なのだが(少し面積がグレードアップする)。昨日電話があり、手付けを打った部屋は30日に空くので、1日以降、見ることができるとのこと。たぶん、あそこで決めるのだろう。1軒引き払い、1軒異動、で荷物が集まってくる、さてどういうスケジュールでコトを運ぶかな・・・。

東海道・国道1号はなんで鈴鹿峠なんだろう

◆土曜日(9/19)、人間ドックのあと、家族4人で神奈川へ向かう。西名阪・東名阪、伊賀上野、御0bb60f83.jpg墓山古墳のあたりに至ると、眼前にノコギリ山が立ちはだかる。いつも、このルートを通るたびに、よく目立つ特徴ある山だと思っていた。で、今回、写真を撮ってもらった。伊吹山とならぶような、東国との境に位置する山だ。
◆帰ってきて調べてみると、油日岳、那須ケ原岳、そして高畑山と連なるものをタテに見ているらしい。
◆ところで、6月だったか、はじめて紫香楽に行ったわけだが、草津線の通っている谷筋(野洲川)のことを、もうひとつはっきり認識していなかった。いや、国道1号線が、栗東で東南に折れて、三重に出るということはわかっていたが、鈴鹿を超えたのは、大学時代にバイクでたぶん通った1回くらいで、あんまり正確な地理情報、イメージを持ち合わd952ed51.jpgせていない。一方で、草津線の走るところで、三重とつながっていることはわかっていたが、両者があいまいなままだった。
◆グーグルマップで見ると、やっぱり、御墓山は、伊賀上野の東北の地峡部を押さえる位置にある、そこからもうすこし進み、油日岳が突き出している地点に、草津線は出るのか・・・。これが柘植。で、鈴鹿峠とは、同じ野洲川沿いだが1本東で、高畑山の東、標高400m近いところだったんだ。滋賀から三重県に抜けるのに、草津線沿いが一番低かろうに、なんで江戸時代の東海道は鈴鹿越えになり、また現在の国道1号線もまた鈴鹿を超えるのだろう?不思議だ。
◆このあたりの近江と伊勢のルートは歴史的に興味ある問題だが、地図を見ていると、柘植から亀山市関までは、非常に狭いけわしいところみたいだ。柘植には出られても、そこから伊勢に抜けるにはあまり良いルートではなかったということか。そのへんは名阪国道を通っていてもなんとなくわかるが、下の道、25号線を通ってみないと体感できないのだろう。天理から東に向かうルートと共に、高速道路でなく、地道をできれば歩いてみるのが一番だ。
◆鈴鹿峠をあえて通ることを考えていると、これは国分-関屋ルートが、河内-大和のメインルートになりえなかったことと通じるように思われる。

けっこう冷えてます

◆昨夜、いつものようにバーミヤンで仕事をして2:00に店を出ると、車の窓が半透明になっていた。冬だ。空気もうすら寒い。気持ちよい季節だ。食欲の秋、睡眠の秋、収穫の秋。近畿でも早稲はもう借り入れだ。今日の御所周辺はまだ黄金色でなく、10月に入ると言っていた。
◆阪神が3位に浮上、差を広げつつある。いつのころからか、すっかり阪神タイガースファンになっている。

生駒の石切場

◆奈良をまわったあと、玉手山1号墳の報告書のために、大阪府から借りていた図面とネガアルバムを返しに竹城台へ行く。担当は三宅さん。
◆実は別冊ヒストリアの刊行直前に、実は三宅さんらが生駒西麓の残石調査をけっこうやっていると聞き込んだ。遅い!助成金をもらって、車谷だけでなく、東大阪にかけて、かなりわかってきているらしい。報告書を作るんだ、と言っておられた。なかなか自分で、かじっただけでなく、分布調査をやれるかというと、そうはいかない。それでも一度くらい、案内してもらい見てまわりたいものだが、まずは報告書を楽しみにしよう。大坂城関係では、大阪府下がもっとも遅れていると、けっこう叩いたのだが、それを変える必要はないと思うが、おそらく仕事でなくボランティアで、関心ある者が集まり分布調査をやっておられた、のだ。

感激!桜井茶臼山の石室に入る090916

◆月曜日、カシコウケンの嘱託をしている関本優美子さん(うちの大学院修了生)から電話があり、出ると茶臼c56aa19b.jpg山を発掘している豊岡さんから、是非見に来て欲しいというラブコール。ありがたいことだ。豊岡さんとは、くびれ部再発掘の時から親しくさせていただいている。「水曜日行きます!」と。
◆9:40分には現地に行く。前方部墳頂もきれいに下草が刈られ、後円部は巨木も刈り払われ、60年前の調査区が開けられ、天井石がならんでいた。まず墳頂の構造について教えていただく。木柱列、そこに落ちてきた壺形埴輪、地震による墳頂平坦面東西の陥没など、驚くことばかり。墓坑壁面に岩盤がのぞく。ほぼ墳頂までもともとの丘陵だ。天井石も赤い、それをパックしていた被覆粘土もfcf09406.jpg真っ赤。そして石室へ。美しい・・・。長方形の箱。そして棺の下の板石敷き、あんな構造はほかにはないよな~。そこに〓面を越える鏡が並んでいたのだろう。壮観だったに違いない。東影君と酒井君がなかに入っていた。
◆石室に長居をして出てくると、森浩一先生だった。カシコウケンの同志社卒業生が随行だ。先生は、脚立で、なんとか石室内へ入り込んだ。石室の写真や木棺の写真は控えておこう。アップしたのは天井石が並ぶが、調査風景のものだし、これなら許されるかな。森先生の写真もひかえておこう。一番下は、電動のフルイである。ここから山のように鏡片が出るのか・・・。去年は、フルイを自分で20786bd1.jpg作ったな~。
◆いやはや、さすがは王陵である。
◆ついで、関本さんの御所の京奈和の現場に行く。これもとびっきり面白い。30mの大壁建物かと目されるもの。いくつかある。流路に沿って、おおむね地勢に応じて溝が掘削され、建物がならぶ。古墳時代前期、中期、それ以降の遺物も大溝から出ている。大壁建物など、時期の帰属が問題となろう。雰囲気では、小丸と高杯を中心とする布留1・2段階のものが大溝からまとまって出土しており、建物などの遺構も前期ではないかとみているようだ。鉄滓もあり、工房があったようで、やっぱり時期が問題だ。10月24日現説予定。
◆関本さんに案内してもらい、御所市担当の現場にも行く。西村慈子さんが待っていてくれる。弥生前期(船橋も)・中期・後期、古墳時代の水田である。JR玉手駅のすぐ北。
◆どこともそうではあるが、カシコウケンの正職は年令が高く、もう現場に出ない人がほとんどで、かなり若い職員と、多く抱えている嘱託職員で現場がまわっている。しゃーない。だけど、若い者同志、現場に放り出されて、鍛えられるだろう。優秀な者ばかりだが、しかし京奈和の発掘のピークもあと2年ほど、育った人材が、みんな就職できればいいのに!。そう願いたい。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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