人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
3月22日に生まれて
◆しばらく前、河内国分駅前の1000円の散髪屋に行っていた。そこに『誕生日大全』というのがあり、3月22日をチェックしたら、思いの外、いいことが書いてあったので、いい気分だった。
◆学生と話をしていて、そんなことにもなり、なぜか学生が本は違うものだが、同じように、365日の誕生日ごとの性格などを書いた本を買ってきて、歴史学の先生や院生・学生の誕生日を聞いては、チェックして付箋を貼り付けていた。それを見せてもらって、自分の誕生日である3月22日の部分をコピーして持っている。数年前のことだ。
◆23日、東京からカミさんと一緒に新幹線で帰ってきたが(カミサンは学会で栃木だった)、その車中で、そのコピーを見せると、「当たってる」と笑われた。
◆いくつか抜き書きしてみよう。
◆見出しは「公明正大な心」。「一点の曇りもない信念の持ち主で、反論されても聞く耳をもちません」、ただし「出しゃばるのを嫌い、自信は内に秘めておきます」だって。「まったく表裏がなく、見た目そのままという希有なタイプ」だそうです。「勘ぐられたり疑われたりすると傷つ」き、「心にもないお世辞をいわれたり、嘘をつかれたり、裏で小細工されたりするのは大嫌い」で、「曲がったことが嫌い」なのだそうです。そうかもしれない。そういう指向性はあるんだろうな、しかしできているかどうかは別だな。「自分なりの理想像をもっていて、それに近づこうと努力する」とのこと。「ヒーローに憧れるのでなく、家族や友人から尊敬されたり慕われるような、もの静かで、いざというとき頼りになる勇敢な人物になりたい」のだという。そうありたいものだ。
◆「仕事の上で充実感を得るには、成果を自分の目で客観的に見直すことが必要」だとか。「そうしないと失敗や挫折をくりかえし、なぜうまくいかないのか途方に暮れるかもしれません」と。そうかもしれない。学習しただろうか。「過度に熱中しすぎるのも考えもの。われを忘れてやりすぎる癖があります。あまり熱心すぎると周囲の人に敬遠されてしまいます。独裁的な暴君になりやすいので要注意」だとか。要注意だな。
◆「日ごろから自信と活力にあふれているため、健康でいることが当たり前だと思ってしまう」ことが危険とある。「元気いっぱいの状態がいつまでも続くと思いこみ、がんばりすぎてしまう」んだって。「健康や食事を軽視しがちなので」、注意が必要だと。あたってる。
◆アドバイスとあり、「率直でない人にも腹を立てないよう、ゆっくり、着実に前進しましょう。がんばるのも大切ですが、ときには成り行きにまかせてもかまいません。駆け引きを学び、人の意見に耳を傾けること」。はい・・・
◆脇のコラム。「長所、熱意にあふれている、目標がはっきりしている、ダイナミック」。「短所、尊大、人の気持ちが読み取れない」。は~い。カミサンが当たっているといったのは、この短所のところでした。そうかもな。
◆学生と話をしていて、そんなことにもなり、なぜか学生が本は違うものだが、同じように、365日の誕生日ごとの性格などを書いた本を買ってきて、歴史学の先生や院生・学生の誕生日を聞いては、チェックして付箋を貼り付けていた。それを見せてもらって、自分の誕生日である3月22日の部分をコピーして持っている。数年前のことだ。
◆23日、東京からカミさんと一緒に新幹線で帰ってきたが(カミサンは学会で栃木だった)、その車中で、そのコピーを見せると、「当たってる」と笑われた。
◆いくつか抜き書きしてみよう。
◆見出しは「公明正大な心」。「一点の曇りもない信念の持ち主で、反論されても聞く耳をもちません」、ただし「出しゃばるのを嫌い、自信は内に秘めておきます」だって。「まったく表裏がなく、見た目そのままという希有なタイプ」だそうです。「勘ぐられたり疑われたりすると傷つ」き、「心にもないお世辞をいわれたり、嘘をつかれたり、裏で小細工されたりするのは大嫌い」で、「曲がったことが嫌い」なのだそうです。そうかもしれない。そういう指向性はあるんだろうな、しかしできているかどうかは別だな。「自分なりの理想像をもっていて、それに近づこうと努力する」とのこと。「ヒーローに憧れるのでなく、家族や友人から尊敬されたり慕われるような、もの静かで、いざというとき頼りになる勇敢な人物になりたい」のだという。そうありたいものだ。
◆「仕事の上で充実感を得るには、成果を自分の目で客観的に見直すことが必要」だとか。「そうしないと失敗や挫折をくりかえし、なぜうまくいかないのか途方に暮れるかもしれません」と。そうかもしれない。学習しただろうか。「過度に熱中しすぎるのも考えもの。われを忘れてやりすぎる癖があります。あまり熱心すぎると周囲の人に敬遠されてしまいます。独裁的な暴君になりやすいので要注意」だとか。要注意だな。
◆「日ごろから自信と活力にあふれているため、健康でいることが当たり前だと思ってしまう」ことが危険とある。「元気いっぱいの状態がいつまでも続くと思いこみ、がんばりすぎてしまう」んだって。「健康や食事を軽視しがちなので」、注意が必要だと。あたってる。
◆アドバイスとあり、「率直でない人にも腹を立てないよう、ゆっくり、着実に前進しましょう。がんばるのも大切ですが、ときには成り行きにまかせてもかまいません。駆け引きを学び、人の意見に耳を傾けること」。はい・・・
◆脇のコラム。「長所、熱意にあふれている、目標がはっきりしている、ダイナミック」。「短所、尊大、人の気持ちが読み取れない」。は~い。カミサンが当たっているといったのは、この短所のところでした。そうかもな。
グローブの能力指標
◆朝日新聞グローブというヤツ、2週間に1回程度、月曜日に織り込んである企画紙、けっこう面白く読んでいる。前から気になっている、人を取り上げて紹介するもので、10の資質を自己分析して順位付けするというもの。
◆その指標とは、(1)集中力、(2)独創性・ひらめき、(3)決断力、(4)行動力、(5)表現力、(6)持続力・忍耐力、(7)体力、(8)分析力・洞察力、(9)運、(10)協調性、とある。
◆点をつけてみようか。(1)集中力7点、(2)独創性・ひらめき8点、(3)決断力7点、(4)行動力7点、(5)表現力8点、(6)持続力・忍耐力7点、(7)体力8点、(8)分析力・洞察力8点、(9)運8点、(10)協調性7点。とくに低いもの、高いものはない、かな。
◆その指標とは、(1)集中力、(2)独創性・ひらめき、(3)決断力、(4)行動力、(5)表現力、(6)持続力・忍耐力、(7)体力、(8)分析力・洞察力、(9)運、(10)協調性、とある。
◆点をつけてみようか。(1)集中力7点、(2)独創性・ひらめき8点、(3)決断力7点、(4)行動力7点、(5)表現力8点、(6)持続力・忍耐力7点、(7)体力8点、(8)分析力・洞察力8点、(9)運8点、(10)協調性7点。とくに低いもの、高いものはない、かな。
まだ陵墓
◆世界遺産はどうなるんでしょうね。
◆暫定リストに掲載することを決めたということは、日本政府が世界に誇る文化遺産として推薦するわけです。ただし、史跡に指定しないで保護されているとして。
◆世界遺産の手続きなどに詳しいわけではありませんが、五社神立ち入り後のシンポで、考古学研究会の新納さんから、厳しいのではないかとの意見が出されている。特殊な事例であることが考慮されるにしても、公開を制限する理由が保護のためでなく陵墓だからという理屈が通るのか、そしてやはり文化財保護法で保護されていないこと、これらは当然、問題にされるだろうと思います。新納さんは、それに加えて、そうした特殊事情が天皇制にかかわり、ナショナリズムの色濃いものである点に、相当な反発があるだろうと。
◆世界遺産になってほしいと思いますし、当確の物件だと思いますが、このままの方針で落とされることになったら、文部科学省の面子は丸つぶれだし、宮内庁も間接的に叩かれるのだろう。
◆なんで文化庁としては史跡にしないで、堺市や大阪府の理屈を丸呑みしたのか、時間のかかる困難を避けて早く世界遺産にする、という道をえらんだのか。文化庁の人間に情報をもらうこともできるが、あんまりしたくない。埋蔵の主任調査官N氏に聞くことも、世界遺産担当のM氏に尋ねてみることも、場合によっては保護審特別委員会座長のF先生にだって聞くことはできる。だけどしたくない。これってオレの性格なんだ。やり方としてはバカで、ちゃんと内部情報をえて戦略を練るというのが、頭のいい人のすることなんだろうけど。
◆で、地元と大阪府は宿題に対する回答をかえしたと聞いている。で、文化庁は、どのように見通しをもっているのだろうか。これで通ると思っているのだろうか。そのへんがまったくわからん。
◆あるいは、うまく世界遺産になるのかな。その場合、史跡指定も含めて文化財保護の観点で、今後の足がかりになるのであればよいのですが、これでいいいんだということになってしまう、陵墓は陵墓として固定してしまうことを恐れます。
◆暫定リストに掲載することを決めたということは、日本政府が世界に誇る文化遺産として推薦するわけです。ただし、史跡に指定しないで保護されているとして。
◆世界遺産の手続きなどに詳しいわけではありませんが、五社神立ち入り後のシンポで、考古学研究会の新納さんから、厳しいのではないかとの意見が出されている。特殊な事例であることが考慮されるにしても、公開を制限する理由が保護のためでなく陵墓だからという理屈が通るのか、そしてやはり文化財保護法で保護されていないこと、これらは当然、問題にされるだろうと思います。新納さんは、それに加えて、そうした特殊事情が天皇制にかかわり、ナショナリズムの色濃いものである点に、相当な反発があるだろうと。
◆世界遺産になってほしいと思いますし、当確の物件だと思いますが、このままの方針で落とされることになったら、文部科学省の面子は丸つぶれだし、宮内庁も間接的に叩かれるのだろう。
◆なんで文化庁としては史跡にしないで、堺市や大阪府の理屈を丸呑みしたのか、時間のかかる困難を避けて早く世界遺産にする、という道をえらんだのか。文化庁の人間に情報をもらうこともできるが、あんまりしたくない。埋蔵の主任調査官N氏に聞くことも、世界遺産担当のM氏に尋ねてみることも、場合によっては保護審特別委員会座長のF先生にだって聞くことはできる。だけどしたくない。これってオレの性格なんだ。やり方としてはバカで、ちゃんと内部情報をえて戦略を練るというのが、頭のいい人のすることなんだろうけど。
◆で、地元と大阪府は宿題に対する回答をかえしたと聞いている。で、文化庁は、どのように見通しをもっているのだろうか。これで通ると思っているのだろうか。そのへんがまったくわからん。
◆あるいは、うまく世界遺産になるのかな。その場合、史跡指定も含めて文化財保護の観点で、今後の足がかりになるのであればよいのですが、これでいいいんだということになってしまう、陵墓は陵墓として固定してしまうことを恐れます。
陵墓を史跡にする
◆わたしは、ひとまず史跡指定の要望と、公開性の拡大、それをめざして、毎年、7月の懇談会に臨んでいる。史跡指定の理屈、この間、書陵部長などにぶつけてきたことは、以下のようなこと。
◆1)日本の古墳時代を代表する学術的に重要な文化財である。
◆2)宮内庁が守るべき陵墓は、保護をまっとうできていない。いわゆるドーナッツ指定など。周濠や堤ばかりでない。本体もだ。箸墓もはみ出している。西殿塚もはみ出している。そういうものを含めて、陵墓としての保全は不完全で、それを地方公共団体が補完している。宮内庁の管理地の外を指定しているのは多くないが(昨日、そういう外回りの指定を文化庁はやらないと田中琢が言ったそうだ。だからどうしたのだ。そのココロを説明してくれないと、意味わからん。)、応神陵外堤外濠というものもある。地方公共団体が買い上げて保護している(どうもこれは特殊らしいが)。住宅建設にともなう小規模調査だってそうだ。陵墓なんだから宮内庁がやることだ。全うできていないことを認識し、所在地の地方公共団体と協力して保護を図って欲しい。そのためには、アンコはアンコ、外は知らないというのでは、地方公共団体のモチベーションはあがりませんと。宮内庁が本体を史跡にしてこそ、外回りも努力して残そうかという気持ちにもなるというものです。
◆3)宮内庁単独では、予算的にも人的にも、修繕や管理がもはや困難。傷んでいる汀も直せない。それは宮内庁も認識している。つまり古墳の傷みに対して手当が十分できないのである。
◆4)開かれた陵墓。柵で囲み、内部にゴミを放り投げられる陵墓、市民生活とは無縁の陵墓、日常管理においても、地元地方公共団体や町内会が関与し、清掃などを行い、古墳本体には立ち入れないが、外回りの堤は散策道として整備されるなど、市民生活のなかに息づく陵墓をこれからは目指すべきだ。むろん安寧・静謐ということを守りながら。
◆以上のような考えから史跡にすべきとおもっている。史跡にしてこそ、傷みの激しいところの手当をやっていく財布や手法の幅が広がるし、史跡にしてこそ、地元の行政や市民の関与が実現する。
◆最初に、森岡さんに振られたとき、以上のような発言をした。これは前から言っていること。ただし、これもマスターベーションではいかんな。ちゃんと、もっと理屈を立てて、きちんと活字にする必要があるし、それを7月の懇談会時に、今度は書面で渡して回答を求める、といった手法も考えるべきですね。
◆1)日本の古墳時代を代表する学術的に重要な文化財である。
◆2)宮内庁が守るべき陵墓は、保護をまっとうできていない。いわゆるドーナッツ指定など。周濠や堤ばかりでない。本体もだ。箸墓もはみ出している。西殿塚もはみ出している。そういうものを含めて、陵墓としての保全は不完全で、それを地方公共団体が補完している。宮内庁の管理地の外を指定しているのは多くないが(昨日、そういう外回りの指定を文化庁はやらないと田中琢が言ったそうだ。だからどうしたのだ。そのココロを説明してくれないと、意味わからん。)、応神陵外堤外濠というものもある。地方公共団体が買い上げて保護している(どうもこれは特殊らしいが)。住宅建設にともなう小規模調査だってそうだ。陵墓なんだから宮内庁がやることだ。全うできていないことを認識し、所在地の地方公共団体と協力して保護を図って欲しい。そのためには、アンコはアンコ、外は知らないというのでは、地方公共団体のモチベーションはあがりませんと。宮内庁が本体を史跡にしてこそ、外回りも努力して残そうかという気持ちにもなるというものです。
◆3)宮内庁単独では、予算的にも人的にも、修繕や管理がもはや困難。傷んでいる汀も直せない。それは宮内庁も認識している。つまり古墳の傷みに対して手当が十分できないのである。
◆4)開かれた陵墓。柵で囲み、内部にゴミを放り投げられる陵墓、市民生活とは無縁の陵墓、日常管理においても、地元地方公共団体や町内会が関与し、清掃などを行い、古墳本体には立ち入れないが、外回りの堤は散策道として整備されるなど、市民生活のなかに息づく陵墓をこれからは目指すべきだ。むろん安寧・静謐ということを守りながら。
◆以上のような考えから史跡にすべきとおもっている。史跡にしてこそ、傷みの激しいところの手当をやっていく財布や手法の幅が広がるし、史跡にしてこそ、地元の行政や市民の関与が実現する。
◆最初に、森岡さんに振られたとき、以上のような発言をした。これは前から言っていること。ただし、これもマスターベーションではいかんな。ちゃんと、もっと理屈を立てて、きちんと活字にする必要があるし、それを7月の懇談会時に、今度は書面で渡して回答を求める、といった手法も考えるべきですね。
16学協会の運動この10年
◆わたしは90年代前半、考古学研究会の陵墓委員だったが、90年代後半には抜け、ふたたび2004年から大阪歴史学会の担当でかかわっている。90年代前半、まだ若くて、とくに発言するものももたないし、年配の方々の活動をみていただけ、ということもあるが、マンネリだったと思う。7月の懇談会では、同じことを質問し、同じような回答。言うことは言わねばならんから、同じことを問い続ける必要はあるが、戦略はなかった。1例だが、事前調査の見学枠を1学会2枠から3人にしたのは、わたしが発言したからです(ささいなことだが、そういう考えられる1歩前進を求めていくという姿勢に欠けていた)。
◆それに比べると、この10年、とくに2000年代に入ってからでしょうか、若い人たちが加わり、情報公開で資料を求めたり、合宿をやったり、懇談会前の打ち合わせが念入りになったり、ずいぶんとタバで動く機運ができてきた。その一環が立ち入り要望であり、ものの見事に実現した。これはわたしが2004年度から再び関与するようになる以前、直前のことで、立ち入り要望を出そうという議論には加わっていない。幹事団体の日本考古学協会の担当では、菱田さんが立ち入り要望をまとめ、高橋浩二氏が第1回の立ち入り実現まで苦労され、そして昨年来、福永伸哉さんが、実にうまくさばいておられる。
◆なので、会場から、もっとやれ、不十分だ、という意味に近い発言もあったが、90年代前半にくらべると、ずいぶんと活発なのです。ここ10年の総括にからむので、こう発言した。
◆それをちゃんと評価してやれよ、という趣旨の一方で、たしかに、もっとやることや、やりようはある。あんまり派手なことではない。地道なこと。それが、どうしても閉会前に言いたかったこと。
◆飯豊陵の時に、規模も小さく、柵の外からでも調査区を見ることができるので、内部に入れるのは学会の人間だけだが、一般の人に呼びかけて、学会側で外で説明することができないか、ということを考えた。しかし、安全面など、学会側で責任をもつことはできないし、実現しなかった。それが堺市の御廟山で実現した。しかし、この同時調査は、別に学会運動が功奏したものではない。世界遺産がらみとはいえ、堺市だからこそ、ああいうことが可能だったのであり、その要望に対して、宮内庁が応じたことも、きちんと評価すべきだろう。堺市と宮内庁の関係者の尽力による。
◆われわれとしては、ああいうことに学ぶべき。実際にわれわれが何かできるか、むつかしい。しかし、7月の懇談会時に、わたしは言った(ブログに書いた覚えがかすかにある)。コナベは御廟山とまったく同じ条件ですね、と。要は、奈良市が堺市と同じような調査はできないとしても、日を決めて一般公開を要請することはできるだろう。やる気になりさえすれば、書陵部と話をして、公開日を設定するということは可能ではないか。学会としては奈良市に働きかけるなどのことが必要だった(そう思うのなら自分で動かなければならないのだが・・・)。7月の懇談会では、思いっきりそれをほのめかしたのだが、そうしましょう、という声は上がらなかった。そのへんが問題だろう。
◆カクアルベシという話も重要かもしれないが、いまやるべきこと、やれることが、あるんではないですか。文化庁時代、和田勝彦氏は、役所は「そんなこともできないのか」という、そういう声に弱いのだ、と。難題は一挙に解決しない。ちょっと努力すれば、歩み寄ればできること、それを求める、実現する、そしてまた半歩前進するような課題をぶつける、それが大事だと。
◆それに比べると、この10年、とくに2000年代に入ってからでしょうか、若い人たちが加わり、情報公開で資料を求めたり、合宿をやったり、懇談会前の打ち合わせが念入りになったり、ずいぶんとタバで動く機運ができてきた。その一環が立ち入り要望であり、ものの見事に実現した。これはわたしが2004年度から再び関与するようになる以前、直前のことで、立ち入り要望を出そうという議論には加わっていない。幹事団体の日本考古学協会の担当では、菱田さんが立ち入り要望をまとめ、高橋浩二氏が第1回の立ち入り実現まで苦労され、そして昨年来、福永伸哉さんが、実にうまくさばいておられる。
◆なので、会場から、もっとやれ、不十分だ、という意味に近い発言もあったが、90年代前半にくらべると、ずいぶんと活発なのです。ここ10年の総括にからむので、こう発言した。
◆それをちゃんと評価してやれよ、という趣旨の一方で、たしかに、もっとやることや、やりようはある。あんまり派手なことではない。地道なこと。それが、どうしても閉会前に言いたかったこと。
◆飯豊陵の時に、規模も小さく、柵の外からでも調査区を見ることができるので、内部に入れるのは学会の人間だけだが、一般の人に呼びかけて、学会側で外で説明することができないか、ということを考えた。しかし、安全面など、学会側で責任をもつことはできないし、実現しなかった。それが堺市の御廟山で実現した。しかし、この同時調査は、別に学会運動が功奏したものではない。世界遺産がらみとはいえ、堺市だからこそ、ああいうことが可能だったのであり、その要望に対して、宮内庁が応じたことも、きちんと評価すべきだろう。堺市と宮内庁の関係者の尽力による。
◆われわれとしては、ああいうことに学ぶべき。実際にわれわれが何かできるか、むつかしい。しかし、7月の懇談会時に、わたしは言った(ブログに書いた覚えがかすかにある)。コナベは御廟山とまったく同じ条件ですね、と。要は、奈良市が堺市と同じような調査はできないとしても、日を決めて一般公開を要請することはできるだろう。やる気になりさえすれば、書陵部と話をして、公開日を設定するということは可能ではないか。学会としては奈良市に働きかけるなどのことが必要だった(そう思うのなら自分で動かなければならないのだが・・・)。7月の懇談会では、思いっきりそれをほのめかしたのだが、そうしましょう、という声は上がらなかった。そのへんが問題だろう。
◆カクアルベシという話も重要かもしれないが、いまやるべきこと、やれることが、あるんではないですか。文化庁時代、和田勝彦氏は、役所は「そんなこともできないのか」という、そういう声に弱いのだ、と。難題は一挙に解決しない。ちょっと努力すれば、歩み寄ればできること、それを求める、実現する、そしてまた半歩前進するような課題をぶつける、それが大事だと。
駒澤大学で開催された陵墓シンポ091123
◆朝、事務局は9:15というので、前泊した。渋谷から東急田園都市線で「駒澤大学」駅で降りる。同じ車両に今尾さんが乗り込んできて、駅を降りると森岡さん、高木さん、福島君がいる。15分ほど歩いたか。立派なホールだ。
◆日本考古学協会の菊池徹夫会長の挨拶のあと、以下のような報告があった。茂木雅博「陵墓公開運動30周年の歩みと展望」、高木博志「近代の陵墓と「国史」像」、谷口榮「教科書のかなの陵墓」、今尾文昭「埋蔵文化財行政と宮内庁陵墓」、大久保徹也「記念物指定制度と陵墓」。そして約二時間のシンポジウム《陵墓公開運動30年をふり返って》が行われた。
◆チラシが配信されたのは直前で、ほとんど宣伝もできず、人数が心配だったが、東京方面の宣伝はある程度なされたのだろう、150人ほどは集まった。いちおう専門家むけ、研究者の間で議論するというのが趣旨だが。
◆発表はなかなかマニアックで、ちょっと議論はかみあいにく感じであった。この運動そのものがそうだが、それぞれが、業務のかたわら、学会活動をし、そんでまたこうした課題もやっていて、これ専属でやるわけでない。自己犠牲を払ってでもやるという人は別だが、いまのサラリーマンはそうはいかない。そんななかで、リーダーシップをとって、ぐいぐいというわけにはいかないのだ。議論を重ねるにも、相当な労力がいる。わたしも、7月の懇談会、事前調査、立ち入りなど、その時々は準備して望んでいるが、そればっかりというわけにはいかない。
◆当日、司会の森岡さんから意見を求める振りが予告されていて発言したが、最後のところでも、どうにも我慢ならず、さらに発言した。最後に言ったのは、カクアルベシという話も必要だが、学会連合にそう大きな力があるわけではない。文化財保護法を変えよといったって、どうともならん、もっと地道なことをやりましょう、といった。以下、昨日の2回の発言を項目を改めてまとめよう。
事業仕分け
![](file:///C:/DOCUME~1/ADMINI~1/LOCALS~1/Temp/moz-screenshot-2.jpg)
![](file:///C:/DOCUME~1/ADMINI~1/LOCALS~1/Temp/moz-screenshot-3.jpg)
◆で、いくつかの点について、実際、いらんという意見の多いものがやはり槍玉にあがる。むろん、下調べはしてるわな。
◆あの事業仕分けは、おおむね民主党の株を上げることになろう。予算計上するのも民主党の主務大臣だが、同じ民主党議員および民間の専門家の前で、その必要性や額の妥当性がチェックされる。これが自民党に望めなかったことであることは間違いない。
飛鳥資料館でヒョウ素沸墓の輪鐙を見る091121
◆飛鳥資料館の展示に行く。感激です!三燕の馬具をしげしげしげしげと観察した。ヒョウ素沸墓
はいまなお基準資料である。あの輪鐙、断面三角形、いやもっと緻密な多角形だが、金銅板貼りの馬具、木質は遺存していないのだろうから、修復した人工物なのだろう。ほかにも三燕の鞍もある、鏡板もある。見たいと思っていたものばかり。
◆遼寧省の博物館さん、すいません。勝手に画像を使います。思いっきり荒くしてますので。
◆新開や行者塚など、関連資料もならぶ。午前だったからか、思ったより人は少ない。午後はきっと人は増えるだろうが、マニアックかな。こんなん、なかなか見れないよ。もう1回は行きたい。
◆それと、常設展が半分、きれいになった。10年一日の古い展示のままだったが、ようやっとパネルを貼り替え、新しくなっていた。だけど半分。飛鳥寺の塔心礎のところは、ガラス玉など、ぶらさげていたものが切れたのか、はずされブランクのまま、というのも・・・。
◆博物館に勤務したことはないけど、いまはパソコンもプリンタも便利だし、なんでもコーナンに行けば、材料が売っている。予算が付かなければ何にもできないということはないと思う。パネルを打ち出して貼ったらいいんと違うの。なんでやらないのだろうと思う。これは飛鳥資料館ばかりではもちろんない。30年前のパネルそのまま、というのを見かけると、人がいないのか、いてもやる気がないのか、と思ってしまう。研究するのが忙しいのか?その前に博物館の学芸員だろう、とも。
◆遼寧省の博物館さん、すいません。勝手に画像を使います。思いっきり荒くしてますので。
◆新開や行者塚など、関連資料もならぶ。午前だったからか、思ったより人は少ない。午後はきっと人は増えるだろうが、マニアックかな。こんなん、なかなか見れないよ。もう1回は行きたい。
◆それと、常設展が半分、きれいになった。10年一日の古い展示のままだったが、ようやっとパネルを貼り替え、新しくなっていた。だけど半分。飛鳥寺の塔心礎のところは、ガラス玉など、ぶらさげていたものが切れたのか、はずされブランクのまま、というのも・・・。
◆博物館に勤務したことはないけど、いまはパソコンもプリンタも便利だし、なんでもコーナンに行けば、材料が売っている。予算が付かなければ何にもできないということはないと思う。パネルを打ち出して貼ったらいいんと違うの。なんでやらないのだろうと思う。これは飛鳥資料館ばかりではもちろんない。30年前のパネルそのまま、というのを見かけると、人がいないのか、いてもやる気がないのか、と思ってしまう。研究するのが忙しいのか?その前に博物館の学芸員だろう、とも。
箸墓古墳を描く(09年11月14日)
◆子供の学校の土曜講座の講師を頼まれた。依頼してきた先生は息子の中1の時の担任で国語をもっている
が、実は考古学のクラブをかつてやっていて(堺市)、宮川先生や堀田啓一先生の前方後円墳の設計の話をよく知っている方だった。で、今回、前方後円墳を設計するというテーマが与えられ、前半は話、後半はグラウンドに前方後円墳を描けという注文。
◆う~ん。それはやったことない・・・。すこし躊躇し、忙しいこともあって、ほったらかしにしていたが、お世話になっている学校だし、引き受ける。研究室旅行から帰ってきた水曜日から準備を始めた。
◆宮川先生は、堺の学校で、グランドに前方後円墳を描くことをけっこうやっておられたという。大仙古墳の描いた写真を見たことがある。今回、学校は奈良なので、箸墓を選ぶ。で設計を復元しなければどうもならん。後円部径は120・100・80・60歩、前方部の幅も推定したことはあるが、細部まで設計寸法を復元したことはない。計測データや、図面を測って細部の寸法を決める。問題になるのは、くびれ部の位置の決定方法。妥当な方法を割り出すまでにはいかないので、実測図で位置を決めて、そのとおりにするほかない。
◆箸墓の設計復元は水・木でいちおう作った。金曜日、雨が濃厚なため、屋内でやる時用のテープなど、必要な資材の買い物をして、午後から、前半のしゃべりのパワポを作り、配付資料を作り、それからグランドでは箸墓の実大1/5が収まるので、各部寸法を5で割り、その数字に従って、作業手順のパワポを作り、完了したのは21時過ぎだった。天気予報は、80%~90%・・・。そこまで準備をすると、屋外でやりたいのだが、天気は非情。
◆朝、8:30に学校に行く。夜中、雨は降ったが上がっている。最初はグランドは状態が悪いからという話だったが、9:00から40分ほどしゃべり、いよいよ作業というところで、なんとかグランドでということ
になる。
◆まず、モノサシをつくる。1.38mの1歩ごとに結び目をつくる。直角はピタゴラスの定理。作業手順書にひととおり書いておき、あとは生徒に任せる。ちょっと失敗したのは、講義の最後に、ひととおり作業手順の概略をしゃべっておくべきだった。なので、最初はスムーズでなかった。指示待ちの生徒も少なくない。まあしかし、基本は、自分たちでモノサシを使って、設計図と指示書にしたがってやれ、という点も、ある程度は実現できた。実は中3の娘がこの講義に出てきていて、前方部チームに入り、なかよしグループなのか、前方部はてきぱきと進んだ。後円部は16本の放射線を描き、距離をとっていくというものだが、人はいるが、動かないヤツ多数で、単純作業だが長引いた。11:40、箸墓が完成!
◆もうすこし高い位置から写真を撮りたかったが、手前が工事中でもあり、掲載したのがいちばんよく見えるものだ。
◆う~ん。それはやったことない・・・。すこし躊躇し、忙しいこともあって、ほったらかしにしていたが、お世話になっている学校だし、引き受ける。研究室旅行から帰ってきた水曜日から準備を始めた。
◆宮川先生は、堺の学校で、グランドに前方後円墳を描くことをけっこうやっておられたという。大仙古墳の描いた写真を見たことがある。今回、学校は奈良なので、箸墓を選ぶ。で設計を復元しなければどうもならん。後円部径は120・100・80・60歩、前方部の幅も推定したことはあるが、細部まで設計寸法を復元したことはない。計測データや、図面を測って細部の寸法を決める。問題になるのは、くびれ部の位置の決定方法。妥当な方法を割り出すまでにはいかないので、実測図で位置を決めて、そのとおりにするほかない。
◆箸墓の設計復元は水・木でいちおう作った。金曜日、雨が濃厚なため、屋内でやる時用のテープなど、必要な資材の買い物をして、午後から、前半のしゃべりのパワポを作り、配付資料を作り、それからグランドでは箸墓の実大1/5が収まるので、各部寸法を5で割り、その数字に従って、作業手順のパワポを作り、完了したのは21時過ぎだった。天気予報は、80%~90%・・・。そこまで準備をすると、屋外でやりたいのだが、天気は非情。
◆朝、8:30に学校に行く。夜中、雨は降ったが上がっている。最初はグランドは状態が悪いからという話だったが、9:00から40分ほどしゃべり、いよいよ作業というところで、なんとかグランドでということ
◆まず、モノサシをつくる。1.38mの1歩ごとに結び目をつくる。直角はピタゴラスの定理。作業手順書にひととおり書いておき、あとは生徒に任せる。ちょっと失敗したのは、講義の最後に、ひととおり作業手順の概略をしゃべっておくべきだった。なので、最初はスムーズでなかった。指示待ちの生徒も少なくない。まあしかし、基本は、自分たちでモノサシを使って、設計図と指示書にしたがってやれ、という点も、ある程度は実現できた。実は中3の娘がこの講義に出てきていて、前方部チームに入り、なかよしグループなのか、前方部はてきぱきと進んだ。後円部は16本の放射線を描き、距離をとっていくというものだが、人はいるが、動かないヤツ多数で、単純作業だが長引いた。11:40、箸墓が完成!
◆もうすこし高い位置から写真を撮りたかったが、手前が工事中でもあり、掲載したのがいちばんよく見えるものだ。
2009年研究室旅行(神奈川)
◆初日は、大塚遺跡、横浜市立博物館、そこから横浜へ移動、外人墓地、開港記念館、中華街。横浜は東京23区に次ぐ第2の大都市。あまたの住宅開発にともなう発掘調査が行われている。横浜市立博物館はそれなりの展示面積はあるが、もっとも
◆横浜、開港博は失敗に終わり、中田市長が辞任した。博覧会の入場料は2000円だったという。開港記念館は勉強になった。だがこれも、ペリー来航、和親条約締結、横浜開港、通商条約の締結、居留地の設置、生麦事件、維新後の鉄道開設など、幕末維新期の舞台のひとつであるにもかかわらず、あんまり主張がない。敷地・建物の割りには、常設展示のスペースは狭い。もっと力を入れていいのではないか。開
◆中華街は山のようなひとだかり。中華料理屋でお腹が裂けるのではないかと思うほど食べ、苦しみながら馬車道のホテルに戻る。
◆2日目、鉄道で鎌倉へ移動、鶴岡八幡宮、若宮大路、辻子幕府、大倉幕府、頼朝墓所をめぐり、以下、自由行動。天気は最高によい。大観光地だ。鎌倉は限られた土地、遺跡を残して整備するのは困難なのも理解はできる。しかし、幕府の置かれた敷地は例えば小学校だったりする。わりときれいに建て直されていて、
◆昼をはさんでの自由行動ののち、現地でチャーターした貸し切りバスで、切り通しに行く。鎌倉7口のうち、三浦半島側の東南の切り通しだ。ここは逗子市になる。切り通しになっているところが3箇所、途中、いわゆる「やぐら」がある。今年、不幸な
◆3日目。宿は登録文化財になっている建物だった。本体部分を維持しながら、現代風に増築している。とくに温泉は新しくなり、きれいだった。前日の夜、学生と2時半まで酒を飲み、朝、ね
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。