人を幸せにする人になろう

2012年3月17日、古代を偲ぶ会

◆やれやれ。16日でなんとか資料を作る。プロジェクターを用意してもらっていたが、パワポを作ることは不可能。当dc6e5fa7.jpg日、朝、なんとか資料を完成させ印刷し、綴じ終える。午後2時開始にむけて大学を出るまで2時間できたので、3月20日の歴博での報告会用資料を作成し始める。共同研究の成果報告書にむけての構想発表会。さてどうなることやら。
◆古代を偲ぶ会は、「倭の五王の奥津城を推定する」というタイトルを与えられた。そこで10基の古市・百舌鳥古墳群の倭国王墓の被葬者を名指ししてみた。こないだの2月の発表をやったので、軽里大塚やボケ山まで含めて、ほぼ一定の見解に到達し、それを洗いざらいしゃべる良い機会であった。パワポがないので、口勝負、ま、なんとか難しくなく退屈しないように、わかりやすくしゃべれたと思う。どう受けとるにせよ、オレがどう考えているかという話は理解してもらえたのではないだろうか。

戦後の大阪砲兵工廠跡の写真

◆3月7日の朝日新聞に掲載された1954年の写真。8月14日の空襲で大勢の工員が死んだことはよく知られている。5f79c85f.JPGまた、そのあとも手がつけられず、戦後9年経った時の写真であるが、まだこの状態だっb09cd681.JPGたわけだ。公園化が完成したのは1970年という。朝日さん、勝手に使ってすいません。
◆これはまだ戦後だが、古い写真はなかなか味わい深い。いまとなっては想像できないような、かつての景観。前にも書いたがこうした写真を、どんどんパネルにして、博物館は掲示すべきだ。それだけでなく、博物館の外でも、いろんな壁面が利用できるはずだ。前から思っていることだが、たとえば大阪歴博、地下鉄谷町線の地下道の壁面、博物館方向の出口への通路など、なんぼでも壁面はある。そこに大阪の歴史を語るこうしたパネルを掲げれば、なかなかいい導線になると思うのだが。交通局が民営化したところで、地下道は大阪市の所管では?。博物館への導線自体を博物館の延長として利用できるだろうに。
 

2012年3月15日、3日目

◆最終日。岸本・小西・竹内・道上・山田の5人。C地区西側およびB地区をひととおり歩く。
◆いちおう、当初考えていた範囲についてひととおり踏査した。できるだけ早く記憶の新しいうちにメモを整理し所見をまとめておく必要があるが、ひとまずコースをまとめ、写真のカットを記入するところまではやった。明日、やってしまうに越したことはないのだが、ちょっと無理。土曜日のシャベリと、歴博の準備にかかる。
◆おりがたいことに天気にめぐまれ、写真は木漏れ日でなかなかシンドイが、ほんとうによかった。直前はどうなるかと思ったが、急に話を振ったみなさんを含め、参加いただいた方々に感謝。対応いただいた方々にはほんとうにお世話になった。きちんと報告書にまとめるまで責任をもってやらなければならない。いまのところ、最終年度に報告書を刊行し、年々の成果を『ヒストリア』にまとめることは予定していない。が、事業報告は簡単に掲載するつもり。4月号に描けるかな・・・。

2012年3月14日ホワイトデイ、F城第2日

◆6時前に置き、京丹後の原稿手入れをし、メール送付。飯を食い、今日は伏見大手筋商店街を徒歩で東に城に向かう。快晴。
◆本日の参加者。岸本・竹内・中西・福島・藤林・道上・森島・山田。
◆縄張り図部隊は独自に動いてもらい、6人は本丸東側から出発。ぐるりと堀をめぐる。昼食後、本丸西側の堀から出発し、治部少丸に展開する。酔っぱらっているので、また、改めて整理して記述します。写真を撮るものの、天気が良すぎて、すべて木漏れ日で、取ったけれども、なかなか使えない写真だろう・・・。
◆16時から、K内庁側の要請を受けて、簡単な説明会をやる。山田さんに概容を話してもらい、あと縄張り図部隊の福島・中西に追加説明をしてもらう。約1時間。さすがに慣れたもので、うまく概略説明してもらう。ほんとうにありがたい。元は最終の3日目の予定で、誰もいなけりゃ自分でやらんといかんかと思っていたが、ずいぶん精神的には楽になったし。実際、やってもらって、ほんとうによかったと思う。
◆調査そのものは、進捗は思うようにはいっていないが、、しかし各部、ひととおり歩いてつぶしていく確認という意味では、ペースはともかく、確実に進んでいる。

2012年3月13日 F城初日

◆大阪歴史学会によるF城の現状調査第1日目。朝7:00過ぎに出て、8:30頃にはF城に到着。昼飯と軍手を買いに近くのコンビニへ。結局、事務所前に到着したのは9時前か。そのうちアコードさんも到着。機材を下ろして、みなの集まりを待つ。
◆本日の参加。岸本・中西・仁木・白谷・福島・森島・道上・山川・山田・調査協力者4
◆縄張り図部隊2名は別行動でさっそく仕事にかかる。残りは石垣の清掃、石の隙間の落葉等の除去。レーザースキャン。写真を撮るも天気良く木漏れ顕著で、また撮り直しが必要。
◆終了後、天守台へ移動、倒木の除却と石の清掃。けっこうたいへん。昼になる。午後、続きをやり、そのあと、レーザーをやりつつ、記録作業を約1時間。今回、天守台ならびに付櫓の全体はできなかったが、主要部分は完了したので、天守台の規模ならびに残存する石の配列が正確に把握できるだろう。
◆終了後、本丸上面平坦面を観察して、やや早いが終了時間となる。
◆まだ明るい時間なので、家に帰れるのだが、早い段階でホテルを取っていた。ま、写真の撮影方向の記入くらいで、当初考えていたような石の写真をプリンターで打ち出して資料カードに貼るところまで現場でということは途中でやめたので、泊まらなくてもいいのだが。が、少し明日の打ち合わせを数人でやったあと、1人になりホテルの部屋に入ると、もうぐったり。疲れ果てている。とにかく、風呂に入り、飯を食べに行き、チューハイを呑んで寝る。

高槻市史跡整備委員会

◆そのあと大阪市の件で相談。で12時過ぎ、高槻市に向かう。12月末の委員会は日程合わず欠席したが、それに続く今年度2回目。主な案件は闘鶏山古墳。和田先生、水野先生、原口先生、肥塚さん。ま、だいたい自分の考えはしゃべった。+いろいろ考えていくと、さらに違う考え方も思い浮かぶ。これがいいのではないかと思うが、読んでいる側は何のこっちゃわからないでしょうが、すいません。オレならこうするかな、と。
◆本題とは離れるが、みなさんがしゃべっていることを聞いていると、大阪府関係の話がもれ聞こえてきた。センターや府立博物館の件である。それとは別に、例の府市統合の件も、午前中に大阪市の方に話を聞いたこともあわせて、組織をどうするかという協議が大詰めに近づいているようだ。
◆さてと、明日からのF城の調査準備、先週までにだいたい終えているが、あと資料の残りを作って印刷し綴じるのと、図面の書き込みようのコピーを作って、たいがいにして帰るとしよう。あとは現場!

コナベ古墳

◆3月12日、朝大学に行くと、後期入試でシャットアウト。午前中にお客さんが2組あるのだが、正門のところで話をしてbb97bff5.JPGおいたので、入構時に名簿に記入して入ってもらえた。
◆まずは長岡京市の恵解山古墳の復元整備の打ち合わせ。コナベ古墳をモデルに、削平された上部をどのように考えるか。カシコーケンがレーザー測量をやって、細部も捉えられるようになっているので、それを参考にして修正をどのように加えるか相談。今年度に刊行された『書陵部紀要』に、レーザー図とは別に、宮内庁が事前調査をやった際に作成した図面が盛り込まれていた。もっと早くに長岡京市に示しておくべきだったが、レーザー図は思い浮かんでいたのだが、宮内庁の図についてはわかっておらず、迷惑をかけた。本日、そのコピーをもって帰ってもらったので、頂部の様相など、一定の基準にして参考にして、あとは恵解山古墳での発掘データと折り合わせて、だいたいの基本線を出すことになろう。

浪人中の息子の行き先も決まり

◆3月10日に国公立前期入試の合格発表があり、今回は、めでたく第1志望に合格した。昼過ぎにレタックスの通知をIMG_0293.JPG受けとったのち、東京に向かう。翌日、合格発表会場に行き写真を撮り、下宿探し。それも昼前には決めて帰ってきました。一段落です。

さいごに

◆大阪府の教育予算や生活水準のデータ。いま学校は非常勤でもっている。予算がないからだろう。これも不当労働f01005ee.JPG行為ではないのか。同じだけ働いてクラブももたせられる。うちの優秀な卒業生の話。教員採用試験をめざしていた。合格しなかったが、補欠というのか、その次の候補ぐらいの成績で、非常勤講師の話があり赴任したと。が、担任?をさせられ(さすがにそれはないのかな・・・)、クレーマーにつかまり、細かいことは忘れたが、へとへとになる。結局は、学校長までも味方になってくれず、やめざるをえなくなった。1年目ですよ。なぜにそこまでの責任を負わせられなければならないのか、そういう非常勤が高等学校教育を支えているのだ。
◆大阪府の教員、ちゃんとした人材が入ってきているはず。いまの50台なんかより、よっぽど優秀ちゃうか(失礼)。だが、人件費が抑制され、十分な組織体制を作れないなら、1人1人のやる気や熱意だけでは維持できないわけだ。
 

次、こんなデータもあるそうです

◆自分に自信が持てないとか、孤独だとか、幸福度の貧困さが現れていますね。自信満々のヤツは困るが、青春c4f0d031.JPG期の不安というにとどまらず、教育の貧困でもあるのだろう。学校だけの問題でないとはいえ、中高生、学校に行って、先生や友達との世界が中心だろうに(親との関係もむろんあろうが)。学校社会が、あんまりいい状態ではないということですよね。そこには、成績とか競争とかが影響を与えている部分もあるのだろう。
◆中高生が楽しく学校に通える大阪府であってほしいもの。そういう環境にないのはなぜなのか、それを解明しない限り、改善方策は見いだせないであろうに。
◆そうした自信のなさに対し、一方の筋は、土下座外交だとか、アジア太平洋戦争は侵略戦争ではなかったとか、そういうところに原因があるのだと持ち出し、日本は神の国で、万世一系、天皇がずうっと続く希有な伝統ある、誇らしい国なんだという教育をせにゃならんと主張することに結びつくのだろう。
◆そうじゃなくて、学力で言えば、この算数の問題、わからなかったけど、やっとわかった、解けるようになった、とか、そういうことの繰り返しの上に、自信は蓄積されていくもの。そうでなくて、早々に落ちこぼれていき救われない、仕事にもつけないんだろうとか、そういう不安を募らせるばかりになるのだ。ベースの学力を蓄積させつつ、ひとりひとり違うこと、いろんな世界があり、自分もこんな風になってみたいとか、そして本を読んでみたり調べてみたり、そうして自分という者を形成していく、そういう教育ができていないということなんだろう。
◆カミさん曰く、「はじめからオレらはダメなんだと思っている」と。そんなことないのに。これが輪切りの世界である。どこの大学であろうが、長い人生、入学で決まるなんてウソなのに。
◆うちでもそう。一方で、京大や阪大をめざしていたが市大に来たと、彼らのなかには、なかなか吹っ切れなかったりする者もいる。そんなのは不幸だ。同期を下に見るなんてバカな姿勢はやめて、どういう進路を考えるにしろ、次の目標にむかってやることはあるはずだ。イイ大学に行っても遊んでいては伸びないし、その下でも4年間努力すれば、なんぼでも伸びるのに。
◆他方、そうでない多くの入学者は、いちおう関西圏の国公立として、いまの大阪府各地区の優秀な人材が集まる。だが、彼らも、京大生や阪大生にかなわないと思っていたりする。が、そんなことないんですけどね。少なくとも研究の世界は違うだろう。基礎学力は十分ある。そして驚くほどの卒論を書く人もいる。それよりも、クラブやってバイトして、就職活動して就職しようということになる。別にそれで普通なのだが、スタート時点で、あんまり研究の道は選択肢に入ってこないわけだ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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