人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
天橋立
◆昼は過ぎ、14時くらいになっていたのかな。そ
こから丹後ちりめん歴史館に寄り(2回目)、そこから天の橋立に向うが、ゴールデンウィークおそるべし。橋立はえらい人で、駐車スペースもどことも満杯で、宮津市外に行き、食事をした。にしがきさんで、地の海産物などを購入し、帰る。
◆午後は曇ってきて、橋立の松の緑の鮮やかさはないが、眺める。
◆デンケンちりめん街道で、選定30周年ビフォア・アフターのポスターがあちこちに出ていた。保存のための事業を重ねてきたというところ。観光客をどう呼び込むか、少しづつ課題に取り組んでいくことになるのだろう。いまは飲食店は、コーヒーの飲める店1軒くらい。空き家もおおくなってきているのだろうし、街なみを守りながら、それらの転用も少しずつ進めていく必要があるのだろう。
◆午後は曇ってきて、橋立の松の緑の鮮やかさはないが、眺める。
◆デンケンちりめん街道で、選定30周年ビフォア・アフターのポスターがあちこちに出ていた。保存のための事業を重ねてきたというところ。観光客をどう呼び込むか、少しづつ課題に取り組んでいくことになるのだろう。いまは飲食店は、コーヒーの飲める店1軒くらい。空き家もおおくなってきているのだろうし、街なみを守りながら、それらの転用も少しずつ進めていく必要があるのだろう。
いよいよ
◆デンケンの南の方に進み、いよいよK原君の家だと思ったら、表に出
て人と話をしていて、手をふったらわかってくれた。突然でごめんなさい。
◆これは西山工場という、経営者の名前は忘れたが、明治29年から41年にかけて3棟の工場を建て、ドイツ製の発動機やスイス製の織機を導入し、多くの職工を雇って操業していもの。和泉市でいえば、久保惣みたいなものかな。多くが家内制手工業的なものなのだが、織物工場を作ったわけだ。母屋と裏の工場が伝統的建築になっている。それをK原君が借りて
住んでいるわけだ。それが昨年秋のこと。
◆広い母屋のほんの一画で生活はでき、玄関を入ったところや隣の部屋を公開施設としている。母屋の2階も、裏の工場内部も、ひととおり見せてもらった。令和に入ったくらいまでは、最後ネクタイを織っていたのだとか。それもやめ、住宅としては加悦谷の東の方に移られているとのことだが、伝統的建築を守るために、役場職員の彼が、自分で住むことにしたのである。
◆これは西山工場という、経営者の名前は忘れたが、明治29年から41年にかけて3棟の工場を建て、ドイツ製の発動機やスイス製の織機を導入し、多くの職工を雇って操業していもの。和泉市でいえば、久保惣みたいなものかな。多くが家内制手工業的なものなのだが、織物工場を作ったわけだ。母屋と裏の工場が伝統的建築になっている。それをK原君が借りて
◆広い母屋のほんの一画で生活はでき、玄関を入ったところや隣の部屋を公開施設としている。母屋の2階も、裏の工場内部も、ひととおり見せてもらった。令和に入ったくらいまでは、最後ネクタイを織っていたのだとか。それもやめ、住宅としては加悦谷の東の方に移られているとのことだが、伝統的建築を守るために、役場職員の彼が、自分で住むことにしたのである。
デンケンちりめん街道
◆もらったマップです。
右端が切れているが北で、旧加悦町役場がある。
◆旧尾藤家住宅の記憶。なんだっけ、醬油を作っていたのだったか?、しかし幕末の当主が生糸の問屋を始めたのだったか。但馬だったか、養蚕をして作られた生糸を、丹後ちりめんの織屋の集まるこの地に原材料を卸す仕事で財をなし、近代に入り、銀行や加悦鉄道、その他多くの事業を起業したようである。いまの建物は文久に建てたもので、母屋などは移築したとのこと。建物自体はさら
に古いということだ。
◆各代の庄蔵の区別はあいまいだが、11代が、東京に出て、いまの明治大学で学んだあと、加悦に戻り、上記したような近代産業の勃興に対応し、町長も務め、1945年になくなったとのこと。生糸の卸業は、下村さんだったかに譲り、自分は加悦の諸産業を広く起こすことに努めたようだ。
◆ちょっと不確かですが、ビデオの記憶で書いています。
◆旧尾藤家住宅で端午の節句の展示をしていた。幟を見ると、武内宿禰がホムダワケを抱き、神功皇后と対になっている。こういうのは、江戸時代に確立するのですかね。滋賀県でけっこう見た。
◆旧尾藤家住宅の記憶。なんだっけ、醬油を作っていたのだったか?、しかし幕末の当主が生糸の問屋を始めたのだったか。但馬だったか、養蚕をして作られた生糸を、丹後ちりめんの織屋の集まるこの地に原材料を卸す仕事で財をなし、近代に入り、銀行や加悦鉄道、その他多くの事業を起業したようである。いまの建物は文久に建てたもので、母屋などは移築したとのこと。建物自体はさら
◆各代の庄蔵の区別はあいまいだが、11代が、東京に出て、いまの明治大学で学んだあと、加悦に戻り、上記したような近代産業の勃興に対応し、町長も務め、1945年になくなったとのこと。生糸の卸業は、下村さんだったかに譲り、自分は加悦の諸産業を広く起こすことに努めたようだ。
◆ちょっと不確かですが、ビデオの記憶で書いています。
◆旧尾藤家住宅で端午の節句の展示をしていた。幟を見ると、武内宿禰がホムダワケを抱き、神功皇后と対になっている。こういうのは、江戸時代に確立するのですかね。滋賀県でけっこう見た。
2026年5月2日、与謝野・ちりめん街道・K氏宅
◆三田にカミサンと娘を送って行こうと、車で出発。が、天気がすこぶ
るよく、今日は出かけようということになる。あれやこれや考えたが、与謝野町のK原君のところに行くことにする。久御山ジャンクションの手前で、京滋バイパスで東に行く車のため渋滞。
◆京都縦貫に入り、旧加悦町役場が11:45頃。ここがデンケンの北端で、観光案内所になっている。マップをもらう。K原君宅はどこかと聞くと、デンケンの南の端に近い位置だった。デンケンを南下。
◆途中、旧尾藤家住宅に入る。公開されているのは、ここだけ(これにK原君宅が加わったわけだ)。2回目である。家訓のことは覚えていて、やはりこの日も最後にコピーをもらった。11代尾藤庄蔵の家訓なのだろう。ここでもK原君のところに来たんです、と言ったら、ビデオのところまで、親切に案内いただいた。このビデオは前に来た時にあったかな。短いものなので、6本とか全部見ることをお勧めします。
◆京都縦貫に入り、旧加悦町役場が11:45頃。ここがデンケンの北端で、観光案内所になっている。マップをもらう。K原君宅はどこかと聞くと、デンケンの南の端に近い位置だった。デンケンを南下。
◆途中、旧尾藤家住宅に入る。公開されているのは、ここだけ(これにK原君宅が加わったわけだ)。2回目である。家訓のことは覚えていて、やはりこの日も最後にコピーをもらった。11代尾藤庄蔵の家訓なのだろう。ここでもK原君のところに来たんです、と言ったら、ビデオのところまで、親切に案内いただいた。このビデオは前に来た時にあったかな。短いものなので、6本とか全部見ることをお勧めします。
2025年5月1日(金)あかん
◆午後から研究室にいたのだが、K問題でつぶれてしまった。
◆娘がこの日から帰省するとのこと。早めに帰ろう。
◆娘がこの日から帰省するとのこと。早めに帰ろう。
メイデー2
◆森之宮に1030過ぎに戻り、アルバイトのYさんにブツを託し、こっちは杉本に。工学部の蛍光X線分析のT先生のところで元素分析をしてもらっていた明治の表紙浮世絵を、受け取りに行く。11時10分くらい。しばらく分析の話をする。これらの資料は杉本の整理室に戻さないといけないのだが、こちらでチェックし、台帳に記録してからと、一旦、森之宮に持ち帰る。また杉本に早めに返却にいかないといけません。
◆これもね~、金研の仕事で、世のため人のため、文のため大学のため・・・。あと3年11ヶ月で、スパッとやめることが夢ですな~。
◆そんなんで、森之宮に13時に帰着。今日は、2026年度が金研の研究費4年目で(期間5年)、文科省の審査を受けるための「フォロウアップ」の資料作り・・・。とほほです。これが認められれば、さらに5年間延長される。あっしはもういないが、誰かやるだろう。
◆これもね~、金研の仕事で、世のため人のため、文のため大学のため・・・。あと3年11ヶ月で、スパッとやめることが夢ですな~。
◆そんなんで、森之宮に13時に帰着。今日は、2026年度が金研の研究費4年目で(期間5年)、文科省の審査を受けるための「フォロウアップ」の資料作り・・・。とほほです。これが認められれば、さらに5年間延長される。あっしはもういないが、誰かやるだろう。
メイデー
◆朝から城陽に向かい、形象埴輪を入れ替えました。29日に、前
回運び込んだ20箱ほどのレボポイント計測したものの写真を撮り、車に積み込んだ。
◆返却分:45・46・47・48・50・51・52・53・54・55・56・57・58・59・60・61の16箱(箱49はもってきていない)。持ち出すときに控えていなかったが、エクセルで。そうか、写真を撮ったので、チェックできるな。
◆新規持ち帰り分:28・63・64・65・66・68・69・70・71・72・73・
76・81・82・84・85・86・88の18箱。
◆見当たらなかったもの:62・74・75・78・79・80・87の7箱。
◆実測が終わっていて持ち帰る必要がなかったもの:67・77・83の3箱。
◆返却分の埴輪のデータを整理し、一覧表を整理し(画像)、画像をはめ込んで、という仕事がまっている。いったい、いつするねん。GWはこうして過ぎていくのであろう。あとは、仕事をしてもらうのに、お金もかかっているんですがね~。
◆返却分:45・46・47・48・50・51・52・53・54・55・56・57・58・59・60・61の16箱(箱49はもってきていない)。持ち出すときに控えていなかったが、エクセルで。そうか、写真を撮ったので、チェックできるな。
◆新規持ち帰り分:28・63・64・65・66・68・69・70・71・72・73・
◆見当たらなかったもの:62・74・75・78・79・80・87の7箱。
◆実測が終わっていて持ち帰る必要がなかったもの:67・77・83の3箱。
◆返却分の埴輪のデータを整理し、一覧表を整理し(画像)、画像をはめ込んで、という仕事がまっている。いったい、いつするねん。GWはこうして過ぎていくのであろう。あとは、仕事をしてもらうのに、お金もかかっているんですがね~。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。