人を幸せにする人になろう

もひとつだけ

◆帝紀といわれても、考古学の人間にはね~。まあ、宮や墓やキサキや子らの基本的情報?。どっちかというと特段の理由がない限り、信憑性は高く、あまり作為を考えない方です。すなわち尊重しなければならない、と。
◆しかし、白石先生がおっしゃる通りだと思うんですね。仁徳・履中・反正という連続する3人の王の墓が百舌鳥にあったと伝えられている(崩年干支でいけば427と432と437)。それしかない。で、比定されているわけです。ミサンザイ(埴輪Ⅲ-2)・大仙(埴輪Ⅳ-2)・ニサンザイ(埴輪Ⅳ-3)があると。だけども、確実に、ミサンザイと大仙の間に古市の誉田御廟山が入る。これって誰の墓になるのか。白石先生の言うとおり、百舌鳥に陵を築いたということは、王の基本情報として伝わり、それが添えられているとみたいところではあるが、百舌鳥古墳群の有り様を考えれば、そうでもない。何かが違っている、と考えざるをえない、ということになる。これって説得的ですよね。仁徳の墓はぜったいに百舌鳥にあるんだろうか。履中の墓は?、反正の墓は?。むろん百舌鳥の3大古墳にあてない、という考え方はありうるが、それはそれで、3大古墳のあるものは、あれだけ大きいのに王墓じゃないということにもなる。
◆そう、全部を懐疑的にみるわけではないが、しかしある部分は違っている、正しく記載されていないと考えるほかはないのである。文献史の人がそれでも王名と王陵名が正しい組み合わせなんだと固執するなら、王の即位順がいじられている、という解釈にならざるをえないと思う。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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