人を幸せにする人になろう

伊都倭国って何

◆仁藤さんの山川ブックレットで、2世紀初めまでに奴国から伊都国へ、倭国乱で伊都国からヤマト国へ、主導権の移動があったと論じているらしい。これは奴国王墓が不明瞭であるのに対し、平原を含め伊都国に王墓があること、107年倭国王帥升を伊都国王と想定すること、などから来るものと思われる。まあ、考古学の側で考えられてきたことをなぞっているわけだ。
◆しかし『歴博』161の書評にあるように(というか送られてきた、そのなかの書評を読んだことが、この記事のきっかけ)、諸国に王統があり、それが連合しているのがヤマト国連合で、伊都国のみ王が代々いると書かれていることを特別視することはできない、という指摘は正しいと思う。1・2世紀に奴国が衰えた形跡は、前代の影響圏から離脱する地域が出てきているという意味ではそうなんだが、比恵那珂遺跡の都市化からすると、奴国→伊都国がそもそも疑問である。
◆で、倭国王帥升が伊都国っていう根拠は、まったくあやしいと思う。たまたま見つかっている墓の資料でなく、比恵那珂遺跡と三雲遺跡をきちんと比較しなければならない。のみならず『魏志』東夷伝にある、もともと男王がいたという「其国」は、漢文の読み方はわからんが、素直に解釈すればヤマト国なんではないか、と思うのだ。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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