人を幸せにする人になろう

入学者選抜方式を変えることが子供たちを日本を救う

◆さらにである。これはカミさんが強調し、オレも賛同することなのだが、大学が鍛えられるだけではない。当の入学希望者を大きく変えると期待できる。
◆いまの選抜が入試一発で、3年生の1月から3月にむけて、あくなき入試勉強を強いられる。それは大学入試のみではない。高校入試、中学入試、はたまた小学校入試、幼稚園入試と。そのなかにいる現在の子供たちはかわいそうである。うちの子はついに塾にはいかなかったが、神奈川にいたころ、小学校の友達は、毎日のように学校のあと塾に行く。首都圏では中学入試が当たり前になっているからだが、そうでない地域でも、中学・高校になれば塾に行くことが当たり前になっている。むだむだ、時間のむだ。それだけやっても成績が上がらないのが大半だ。行かされているだけで、みんなが行ってるから行っているだけで、勉強する意欲はない。それでいて夜10時とかまで拘束されることが、どれほどこの国の児童をむしばんでいるか。
◆小学校は遊ぶのが半分仕事だ。でも遊び相手がいない。時間があるからこそ外で遊ぶ、キャッチボールがうまくなる、鬼ごっこをして仲良くなる、冒険して隣の町まで自転車をこぐ、釣りをする、虫を捕まえに行く、空を見る、絵を描く、本を読む、思索する、クイズをする、将棋をする。大阪市大の学生を見ていると、首都圏ほどひどくはないようだが・・・。どうだろうか、時間にしばられず、興味のあること、好きなことを、やり続けるということは、とても大事なことだと思う。
◆そういうことをせずに、学校のみならず塾にほとんどの時間をとられ、また空いている時間にゲームをして過ごす子供たち。子供たちの貴重な時間、成長過程の上で望ましい自分で好きなことをやり続けるような、興味あることをとことん追究してみるような、そんなことを吹っ飛ばしてしまうことが、ツマラナイ大人を供給することになっているのではないか。
◆なによりもまず、こうした偏差値社会が、そこから脱落していく者を作り出していく。この損失。
◆もうひとつ。書きたいことの中心はここ。研究者としての能力である(研究者のみならず一般化は可能だが)。一般論ではあるが、日本人は個々の緻密な研究は優れているが、優れた発想とか、そういうものには弱いと言われている。ほんとうにそうかどうかはわからんが、カミさんに言わせれば、東大の学生でも何やりたいかがない。学業優秀だから東大に入っただけなのである。自分はエライと思っているから、大学院に行くと。だけど、とくにやりたいことがあるわけではない。何か面白いことがないですかと。これこれをヤレといえば、さすがにうまく纏めるらしい。頭はいいと。だが頭がよくっても、何に使えばいいのかわからない、それで優れた研究者になるとは思えない。これ象徴的ですよね。アメリカ方式で行くと、そんなやつら入学選抜で落としてるンとちゃいますか。変えるべきとする選抜方式ってまさにそれ、成績としてはいいけれども、そんな学生はいりません、というもの。
◆イメージではあるが、西欧の子供たちはもっと自由で、好きなだけ好きなことをやっている。これって、研究者としてはきわめて重要なことなのだと思う。好き、あかずにやり続ける。先に書いたとおり、日本の子供たちがそうした時間を奪われていることは確かだ。大学選抜制度、それによる小さい頃からの育ち方が、日本人の研究者と、たとえばアメリカの研究者との違いを生んでいる、そう思われてならないのである。
◆だから、入学選抜方式の転換は、日本の子供たち、ひいては日本を変えるために必要だと思う。さてと・・・そうはいってもな~。大阪市大でなにができるか、考えてみよう。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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