人を幸せにする人になろう

続き

◆その記事をみてなるほどな、と思った。日本の大学でもそうすべきと。それはかなりの効果があると思う。
◆そのひとつ。現在の日本のように、いわゆる偏差値で輪切りにしていく、東大やら慶応医学部を頂点に序列ができていて、成績にしたがって振り分けられる。まあ、なんというか、入学者の成績で大学もランキングされ、むろん大学生人口が減ると下から大学がつぶれていくわけだが、要するに、自分の成績ではこのあたりということで、希望する大学が決まり、下位の大学はたいへんだが、中位以上なら、自動的に振り分けられてくる。つまりだ。大学の特色とかというものが特に求められてはいない。実際にはあるよ。汚い大学よりきれいな私立とか、やっぱり早稲田とか、いやオレは同志社だとか。が、日本の大学は概して、こうした学風などは希薄で、ある場合でも、それは学風というよりブランドに近いだろう。
◆で、アメリカでは、共通テストが参考にされるにせよそれは一部で、それぞれの大学が独自に入学希望者を判断しているわけだが、そうしたことが日本の大学に導入されるとどうなるか。大阪市立大学は、だいたいこのあたりの偏差値の学生という基準がなくなる。学生にとって、オレはこれくらいの位置だから大阪市立大学という選択が働かないということだ。むろん全部がフラットになるわけではないが、あるレベルの一群をとってみた時に、それは偏差値輪切りシステムではなく、大学独自だということは、入学希望者の大学選びが偏差値でなくなり、真に行きたい大学をめざすことになるという意味である。つまりは、大学は、是非ともそこで学びたいと思うような存在であることが求められるということだ。その意味でいいことだと。
◆もうひとつ、いいこと。ちゃんと大学入学選抜が行われるということだ。取る方も、真にアドミッションポリシーにしたがった選抜方法を考え抜くことが求められる。現在の日本は、入試は業務である。労力はかかる、しかし機械的なものである。成績で1ポイント上か下かで合否が決まる。これやったら、ほんまに外部に委託してもいいんとちゃう。たしかに入試業務は大変だが、そういうものに時間を取られ、かつそれでやってるのは、別にそこの教員でなくてもまったくかまわないことだろう。そうでなく、アメリカ方式なら、入学者選抜は、大学が一丸となっていい人材をいかに確保するかという、やりがいのある仕事であり、切磋琢磨し、人を判断し、決めていくということになる。これは、いざ入学してからのこと、そこを卒業しそれぞれ社会に出て、彼らもまた大学を支える人々になっていくという、将来につながる人材選抜として大学を鍛えることになるだろう。
◆アメリカがそんなにいいのか、そりゃわからんが、記事を読む範囲ではあれ、実に合理的だし、大学を鍛えることになり、日本の大学にとっては大変だがいいことに違いないと思った。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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