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和泉市合同調査―納花―

◆和泉市教委と大阪市大の合同調査が9月28日-30日の2泊3日で実施された。今年で13回目、kimari.jpgわたしは2000年からの参加で10回目だ。今年も池田谷。槇尾川南岸、池田荘上荘にあたる納花町。
◆最終日にわたしが報告したこと。水利からこの地域の歴史的変遷を考えよと。納花の水利、谷川池(府中)の水利、梨本池の水利(万町・浦田)、鍛冶屋の水利、そして神田の水利がある。なんといっても谷山池。重源が作ったという伝承があるが、おそらくより古く古代に和泉国衙が作ったものだろう。梨本池は13世紀はじめの築堤がわかっている。万町などの荘園開発にともなうもの。これに対して、納花はよha.jpgり上流に溜め池をつくっており、ややおくれるだろうが中世後半には確実だろう。これは納花の村がいつ形成されたのかにかかわる。それと一段下の神田あたりも、おそらく納花が開発したものだろう。こういった地域開発の進展について、大学院生・学生には関心をもち追究して欲しい。
◆2点目は、しかし大字界はきわめて不自然である。菅井は平井村だし、神田・上林は三林だ。しかし実際には納花の人たちが耕作している。池上の時以来の経験によれば、これらは中世を通して形成された村落のまとまりがあるにもかかわらず、江戸幕府による村切りの時に、年貢を納める単位として人為的な分割がなされたものである。納花の集落であり水田だったが、江戸時代には、切り離されたところは、平井・三林として年貢を納めることになるので、そこに、その責務を負う菅井総代みたいな地位が作られるのも、こうした理由だ。
◆大字の範囲を見たとき、すぐに不自然だと感じたが、この10年間で中世・近世の社会を学び、身についてきたもの。調査時は、文献調査は当然近世、近代以降となるが、わたしはいつも地図をいじりながら、古代・中世以来の形成過程を考えている。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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