人を幸せにする人になろう

感情と論理

◆カミさんとのケンカは、感情と論理の問題。感情を大事にする女性と、論理を大事にする男、といったらフェミニストから反対を受けるのだろう。それはわかっているが、あるように思う。コトは、男社会だから、選挙案内が世帯主宛に送られてくることに対する違和感を、男はわからないというのも事実なんだが、ここでいいたいのはそれだけではない普遍性をもつように思うのだ。男だって感情的だし、女だって論理的思考をするのは当たり前。だが、なにをよしとするかという場合に、男は筋が通っていればいい、女はそうではなくてもうちょっとエモーショナルな部分を大事にする。例えばだ、普天間代替地について、男は日米安保があるやろ、どっかに代替地がいるんや、ここは条件的にみあっていて、また地域振興策も提示されていて、よくはないがいたしかたないのではと考えたりするのではないか、それに対して女は事故があったらたいへんやし、とにかく戦争につながるおそれがあるような危険な施設はイヤヤ、と。
◆今日、カミさんと話をしていて、むこうは涙を流して反論する、ショックや。そのとき考えたこと、論理がすべてではない、とういうことだ。この世は論理的整合性(ようは理屈)のみで動き決まっていくわけではない、人間の感情や気持ち、そういうものが大きいということもまた認識すべきだ、ということ。ちょっと新納さんのまとめていた歴史の話にも通じるような気がした。社会は因果関係で説明できるものばかりでなく、個人、個性、感情、そうしたものも、この世界が動かす大きなファクターであり、歴史学は、そうしたところに目を向けるようになってきているということを解説するもの。
◆自分に言い聞かさなければならない、論理がすべてではない。論理は半分、感性が半分だと。例えば人を説得するときにも、論理的な合理性の観点からの説明とともに、情に訴えるというのが大きく働くのである。どっちかだけでもだめ、両方なんだ。結婚生活も、いや男と女、女は愛を求める。例えばだ、子供のめんどうを見る、皿を洗う、風呂を沸かす、洗濯物をたたむ、むろんそうした実際のことがらもシェアしなければならない、でもそれだけではないのである。よくある構図、おれは働いてるけど、家のこともやってるやん、何が不満なんか?との男の主張、しかしそうした家事への協力をイヤイヤやってるなら、それは女に見透かされているのである。あんまりできないでごめんな、おまえばっかり苦労させているな、ありがとうな、そういう心のこもった言葉や、言動の背後にある愛情を女は感じ求めているのである。これ真理ですよね。オレも遅まきながら文化庁時代にそれを突きつけられ、思い知ることになるが、しかしコペルニクス的には改善せず、いまもいろいろ文句を言われる。前に比べたらだいぶよくなったけどね、とは言われるが、今日、改めて認識させられた。
◆そういう男と女がこの世にいるのがいいんだと思う。どうなんでしょう、国会議員は定数を削減すべきだが、とにかく定員の半分を男、半分を女としてもいいのではないか。政治は論理的な側面は強いだろうが、しかし日本国のあり方を決めていく上で、男の論理では片手落ちであり、女のセンシティヴさをきちんと導入し、両者相まってコトを決めていくということがまっとうなのではないか、と思う。
◆いや~恥ずかしい話を書きました。人間としての権利を共有しながら、しかし価値基準が違うことをそのまま認めて、両方を大事にする社会を実現することが望ましいのでは。ちゃんちゃん。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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